「もしも、あなたが子供を作れない病気だったら」
「ん?」
「もしくは、相手の女が子供を作れなかったら」
「は?」
「キャバッローネファミリーの後継者はどうなるの?」
朝っぱらから平然ととんでもないことを訊いてくる愛弟子に、ディーノはぽかんと口を開けた。
唖然とするディーノに対し、愛弟子────雲雀恭弥は窓から差し込んだ朝の光に晒されて呑気に「眩しい」と文句をこぼす。ディーノの私室の、小さなテーブルに向かい合った恭弥は椅子ごと少し横にずれた。
恭弥は普段から割と突拍子もないことを言い出すヤツではあったが、それは純粋に戦闘か、もしくは自身が所持する秘密地下財団に関する事柄に限られる。彼がキャバッローネの内部事情に興味を示すのは初めてだ。ディーノは意外に思う。けれど。
「……それ、ヤッた次の日に訊くことかよ」
こちとら未だに腰が重いってのに。
ディーノが恨みがましく呟いてもどこ吹く風。澄ました顔の恭弥は見慣れたスーツ姿ではなく、ラフなシャツに昨日穿いていたスラックス。シャワーを浴びてすぐ寝たせいで、寝癖がついている髪が生々しい。
ディーノはテーブル越しの愛弟子をじっとりと睨み、まだ湯気の立つカプチーノを啜る。
「あっっちい!」
思いっきり舌を火傷した。呆れたような恭弥の視線を無視して、ドアの外に待機している部下に水を持って来させる。昨日好き勝手ヤられたせいで歩くのがしんどいのだ。
「ワオ、まだ立たないの? その様子じゃ、あなたが僕に咬み殺される日も近いね」
「ハンッそう簡単にはやられねーぜ」
「説得力無いよ」
「……うるせー。誰のせいだと思ってんだ」
戻ってきた部下から水を受け取る。飲もうとして、微かな破裂音に口端を引き攣らせた。炭酸水(ソーダ)じゃないやつって言うの忘れてた。せっかく持ってきてもらったので、パチパチと弾ける水を喉に流し込む。痛い。溜息をついた。
────ディーノと恭弥は恋人ではない。昨晩肌を重ねたが、それだけである。
一応弁解しておくと、昨日までは本当に何も無かった。断じてディーノが当時中学生の弟子に手を出したわけではないし、恭弥が作る財団の相談に乗りながら愛を深めたという話でもない。ごく普通の、師弟関係だった。恭弥はディーノが師匠を自称するたび否定するけども。出会ってからざっと七年は経つが、師弟、もしくは裏社会の先輩後輩として良好な関係を築いていたはずだ。
だが、昨日は何かがおかしかった。
それは夜更けに突然、近くで開催されている祭りのせいで泊まるところが無くなった恭弥が、濡れ鼠になって訪れたときからかもしれない。あるいは、恭弥が風呂からあがった頃を見計らって、ディーノが最近イタリアでも流行ってきている日本酒を携え客室を訪ねたときからか。『そういう』経験に乏しいディーノには分からないが。
ディーノは前々から恭弥に恋焦がれていたわけではない。日本の恋愛作品みたいに想いを言葉で確かめ合ったわけでもない。ただ、恭弥がディーノを「欲しい」と言ったから。ディーノはアルコールで微かに熱くなった手に導かれるまま、ベッドに転がったのだ。
常々この弟子には己の命とファミリー以外なら何でも与えてやりたいと思っていたが、まさか三十路近くにもなって身体を開け渡すことになるとは。これからするのはセックスだってのに、相変わらず山なりに口をひん曲げている恭弥がおかしくて笑ったら、がぶりと唇に噛みつかれたのを覚えている。
……別に、ディーノが師匠だからだとか、恭弥が可愛い弟子だからだとか、そればかりが抱かれた理由ではない。でも、その、普段ディーノの腕っぷしの強さしか求めてこない恭弥が、丸ごと全部欲しがってきたのは割と……結構……かなり嬉しかったので。まだ違和感の残る尻と死ぬほど怠い腰を差っ引いても十分プラスだ。
ディーノの正面に座った恭弥は、「朝から甘いのは食べたくない」と言う彼のために用意させたパニーノへ手をつけている。
昔から得体の知れない学生だった恭弥も、食事の時ばかりはそれなりに『普通の人間』らしく見えた。欠伸以外ではなかなか開かない口をぱくりと開けて齧り付く。口内が大きいのか、するする食べ物が減っていくのを見るのは面白いが、今日ばかりは微妙な心地だ。
昨日、恭弥に求められて上機嫌だったのは最初のうちだけである。あとはまるでエンツィオみたいに、頭からばくんと丸呑みにされた。ディーノが相手だからって遠慮も無ければ手加減も無し。ここ二、三年で一番死ぬかと思ったからな。マジで。
心の内で苦情を漏らしつつ恭弥のわずかに膨れた頬と咀嚼する口元を眺めていると、しびれを切らした恭弥が眉をひそめた。
「それで、どうなの」
「どうって?」
「キャバッローネの後継」
「……あー、どーだったかな……」
急かされたディーノはぼんやりと運命の日の記憶を手繰り寄せる。亡くした父親と、代わりに手に入れたキャバッローネファミリーの十代目ボスの座。あの日を思い出すと、まだ足元が揺れている心地がする。いつまで経ってもあの大きな船に乗っているみたいだった。
「九代目は親父だったからオレもずっと『十代目』って呼ばれてたけど、『ボス』として認められたのはこの刺青が出てからだ」
言いながら、シャツを捲り上げて腕の刺青を示す。左の肩から手首にかけて刻まれた刺青は太陽と水と命、全てを守る男の紋章。キャバッローネのボスになる男の紋章、とロマーリオは言った。
「キャバッローネの魂と誇りが受け継がれた時に、刺青が継承するんだってよ。それが『ボス』の証になる」
「ふぅん」
「だから厳密には血筋は関係無い、と思うぜ。ちゃんと調べてみないと分かんねーけど」
「…………子供、作ってもいいよ」
恭弥が持つ食べ掛けのパニーノから、トマトの汁がぽたりと皿に滴り落ちた。
「へ」
「キャバッローネに必要なら、いいよ」
いいよ、って。ディーノはへにゃと歪みそうになる口を手で隠す。なんだそれ、お前ってやつは、ほんとうに。
正直な話、ディーノが子供を作るのに恭弥の許しは必要無い。何故なら、恭弥が所属(仮)しているのはボンゴレファミリーで、別のファミリーのボス、ましてや恋人でもなんでもない師匠が子供を作ろうが彼には何ら関係の無いことだからだ。
それが、わざわざ「いいよ」と口にしたのはつまり。ディーノが恭弥の知らないところで子供を作るのを、先に『許す』と示しておかなければ、許せないのだろう。
興味が失せたようなフリをした恭弥が、とうとうぼとりとスライストマトを皿に落とした。ぶは、と思わず吹き出せば綺麗な形の眉を吊り上げる。
「何」
「いーや?」
ディーノが恭弥に抱かれたのは、恋ではなかったが、愛ではあった。
だって、やっと大人の顔ができるようになってきた当時のディーノにとって、雲雀恭弥はあまりに鮮烈な存在だったのだ。
子供離れした強さを持つ戦闘マニアはどこか危うく、気位が高いくせに先を示してやればちゃんとディーノの後を追いかけてきて、拗ねたり怒ったりと感情表現も案外豊かで。こんな存在を、どうして愛さずにいられようか。
酒が飲めるようになっても子供の時と同じ怒り顔をする恭弥に、ディーノはたまらず手を伸ばした。寝癖に触れて、くるりと指で丸める前に、案の定叩き落とされる。
「……何なの」
「はは、かわいーヤツだと思ってな」
「………………ムカつく」