明智が根津専用で開発したパワードスーツは、いくら優秀な研究班のとりわけ優秀な彼女といってもまだまだ発展途上だ。さらに性能をよくするためにはどうするべきか。明智一人では行き詰まるばかりだし、根津も生体工学について造詣が深いわけでもない。問題を得るためにはという問題を抱えていたところ、明智と同じように根津の皮膜を有した腕に興味を示す一人である凪が通りすがって聞きつけ、そして一石を投じた。それすなわち『ならば根津が飛行している時の状況を撮影ないし録音して明智が実際の使用風景を見ればいいのではないか』と。なるほど考えれば全盲の視界を知らなければ彼の動作をスムーズにするために必要な状況をわかる由もない。
そんなわけで、彼の発する超音波の跳ね返りをキャッチできるセンサーと彼の優れた聴力を再現したマイクを一つのヘッドギアに収束させて装着してもらい、空中パトロールという名目のもと試験飛行をする運びとなったわけである。ということで根津は今都内上空おおよそ二十メートル、マカーブルの研究班を中心に構成されている施設から飛行を始めて二十分ほど経っている。
『ど、どうです?』
「オールグリーン。そっちから僕の視界、わかる?」
『はひ。ビルの窓ガラスや外壁による凹凸は、わかるんですけど。その、色覚情報がほとんどないですね』
「大丈夫、それが正解。僕の視界は基本そんな感じ。モデリングでいうところのオブジェクトだけ、みたいな感じかな。それが僕の普段の景色だよ」
ほへぇ、と通信機器を隔てて感嘆の声をこぼす彼女に研究班の性を感じ取れて笑いつつも、「方角は合ってる?」とぬかりない確認を取る。情報班として安全確認の意味合いも兼ねて同席していた安藤の『代わるよ』という声が聞こえる。オペレーティングシステムの画面とセンサーをそれぞれ一瞥してからマイクを寄せたらしい音が聞こえた。
『根津さん、その点は大丈夫。ここから十一時方向に時速二十キロで三十分。想定通りの位置に来ているし、現に空中は配送業者のホバーカー以外目立ったものはないよぉ』
『あ、ありがとうございます。ということですので、ここから方角を変えずに十分ほど飛行したら十五分の静止、その後に引き返してください』
「オーケー。また非常事態があったら連絡します」
通信が切れる。生温い風を腕や皮膜に感じながら飛行を続ける。ヘッドギアによって拡散した反響は全方位の遮蔽物を確認してくれる。これまでの飛行に比べれば随分安心して飛ぶことができた。
しばらく飛んでいれば、明智から静止の指示がかかる。足に試験的に装着してたジェットブーストの効果を伺われ、根津は心許なさを隠すことなく申告した。明智は多少唸り声をあげたものの判断は早く、近くの電柱かビルの屋上で待機するように指示がくだり、それに従って電柱のてっぺんに足を置いた。
じっと全方位に常に意識を張り巡らせているからか、それに気付くのは早かった。明智も通信越しに『ひゃああ!』と狼狽の様子を見せており、見かねた安藤がマイクを替わった。
『根津さん、何かが近付いたのわかる?見たところ人っぽいんだけど』
「うん。あー、でも」
『?』
「多分必要以上の心配はいらないかな、うん」
近づいてきたものの正体。有体に言えばそれは人である。しかし、ただの人が空を飛べるわけもない。ブレーキをかけるも何メートルかの制動距離を伴い、やがてバックしてからその人は根津の前に空中静止した。年端もいかぬ女発明家――平賀みくるは変形した腕で根津に気付いたようで、彼女の好奇心でらんらんと輝いている視線はやはりヘッドギアとジェットブーストに注がれている。
「それ、誰が作ったの?」
「明智フミちゃんっていうんだけど、覚えてない?こないだ協力してもらった時に会ったかな」
「うーん、覚えてないかも。色々考え事してた時間の方が長いから」
「明智ちゃん、わかる?」
『へ?……すみません。私もあまり覚えてないですね。あの時は必死だったので……』
「そんなことだろうと思ってた」
二人とも研究に身をやつす、うら若き乙女共。彼女らが同じ空間に居合わせていた経緯やこの後の二人の交流があったのかといった話は割愛するが、ともかく今回は微妙に交わらなかった二人に野郎らは揃って苦笑した。
「で、何してたの?」
「テストフライ。そっちは……なんか装置、小型化させた?
「今回は反重力装置に磁場誘引機能を搭載してみたの。ブレーキはかけられたんだけど、加速と減速ができないから失敗したかも」
予想通り根津にはさっぱりわからない単語だ。しかしインカムの向こうでは明智が興味を惹かれてたまらないといった様子で、このあたりにしないと自分を挟んで話が盛り上がってしまいそうだと根津は話題を切ることにした。
「明智ちゃん、今どれくらい?」
『あ、もうすぐ十分ですね。帰還用意をお願いします』
「今度は落ちないように気をつけてね、平賀ちゃん」
「お気遣いどうも。今度は大丈夫!多分!」
安心できない返答だが、それもまた彼女。きっと誰かが助けるだろうと思って、ジェットブーストを起動すると同時に通信で方角を確認する。
「南東方向、オーケー?」
『えと、もう一時間分左ですね』
「こうかな」
『はい』
「じゃあ根津直思、空中パトロールは異常なしということで帰還に入ります。オーバー」
『了解しました。気をつけてお帰りください、オーバー』
腕を櫂のようにして空気を掻く。風に乗ってしまえば、しばらく身を任せるだけ。もし方角がずれたなら通信で注意してしまえばいい。風を切る景色は変わらず暗闇のまま。根津はマカーブル施設に向けて羽ばたかせた。