ちゅんちゅんと、鳥の鳴き声の幻聴が聞こえる。
「「|暑い…。」」
二人分の声が響いた。
夏の異常気象により、昨今は30度を超えることも珍しくなくなった現代、いよいよもって地球温暖化の猛威を文字通り肌で感じることも多くなった人間たちだが、しかしそういったことを関係ないとクーラーをガンガン効かせるものもいる。
そして人間が大体そうであるように、全く真逆の存在もいる。
この師弟はそのうちの一つだった。
クーラーなんて付けられるわけもない半屋外の空間の中、行儀は悪いが弓道場の隅で二人そろってダレていた。
無理もない。
今日の気温は30度なんてとうの昔に越している。
熱中症になってないことが奇跡だ。
なぜくっついているのかを聞くのは無粋だろう。
片割れの成人済みのほうが、そっと未成年を覗き込む。
その眼球にはエメラルドよりもペリドットよりもよほど美しい色がはめ込まれていて、まるで夏の中たくましく生きる葉のようだった。まあ半数しなびているのだが。
それを覗き込みながら青年はにまりとわらう。
100人中100人が悪いことを考えているとわかるような、
100人中500人が見惚れるような笑みだった。魔性~!
「なあ湊、熱中症ってゆっくり行ってみてくれるか?」
「はあ?」
こいつやりやがったよテンプレを。
浮かれた恋人同士がやるようなことやって恥ずかしくないんですか?
恥ずかしくないんだろうな…。
にやにやした笑みに気恥ずかしさのまま対応したら喜ばせるだけだと知っているので、湊は極めて冷静かつ冷徹に対応した。
「知ってるよ、それ。気恥ずかしいやつでしょ。」
「ん?知ってたか。」
知らなかったらどうするつもりだったんだこいつ。
にこにこのままの表情筋が、妙に底冷えを感じさせる。
「因みにどういう風に気恥ずかしいのかっていうのは知ってるか?」
「知ってるよ。悪い?」
「否、そんなことはないんだが。」
嘘をつけ。露骨にすねとるやんけ。
泳ぐ視線が、尖る唇が、わずかながら見えている。
湊はふは、と笑った。
鳴宮湊を含め、風舞高校弓道部たちが目の前の彼の機微をわかるようになったのは、つい最近のことだ。
余りにも些細な其れを拾い上げることはホントに困難で、だけど大体の部員たちが打率5割を越えようとしている。
拾い上げられた側は気恥ずかしさの余り顔を赤くはしないものの、その照れを部員たちからかわれて「やめろやめろ!」と口角を隠しながら顔をそむける。
それがうれしくもあり、面白くもあり、つまらなくもある。
だが少なくとも、この弓道場の夜は、未だ二人だけのものだ。
と言っても今は太陽さんさんお元気さんなのだが。もうちょっと元気なくしてもええんやで???え?これからが本番?そう…。
現在時間は12時である。
「ご飯食べに行く?」
「ああ…そういや腹減ったもんな…ちょっと食べるか。」
「おれ弁当作ってきたよ。いる?」
「えっ、いるいるめっちゃいる、要ります。」
「ははは、もう、逃げたりしないよ。」
「わからんぞ?もう誰かに食べられているかも。」
「ええ?そんなことあるかなあ。」
「あるぞ。兄弟持ちの苦しい経験談だ。苦々しくかみ砕いておけ。」
「兄弟って…。」
脳裏によぎる、広すぎる家を思う。
自分と父親では十二分すぎるほどに持て余すあの家も、いつか違う未来を歩むことがあったのだろうか。
そんなことを考えても、今はどうにもならないけれど。でも。
「…じゃあ、マサさん。いつかおれの家に来る?」
「………………………………………………………………………ぁうぇ?」
「マサさんが家に来て一緒にご飯食べたり暮らしてくれれば、きっと楽しいと思うんだけどなあ。父さんも多分喜ぶし。そりゃまあ、たまにとっておいたプリンとか食べちゃったりするかもだけど…それも一興ってコトで。」
固まった師匠をよそに、湊はひぃふぅみぃ、と、輝きを思って指を折る。
きっと、楽しい日々になる。それなりに恰幅も体格もいい父と、上背もあれば筋肉量もあるマサさんとのことを思えば、対して面積もないはずなのにあの家がぎゅうぎゅうになる未来が見えて、面白くなってしまった。
だが、そうなれば、きっとあの家に寒さが訪れることは永劫無くなるだろう。
ふふふ、とまるで楽しそうに「秘密」と唱えるときの小学生のように笑う湊とは裏腹に、雅貴はカチンと固まって、弟子の横顔を見ていた。
「………湊。」
「うん、なあに?」
「…いっていいのか。おれが、お前の家に。」
沈黙一拍。
丸くなった瞳がまた細まる。
「はは、なあにマサさん今更。ちょくちょく来たことあるじゃん。」
「いや、それはそうなんだが…」
「いいよ。いいに決まっているじゃん。マサさんはおれの―――」
おれの。
おれの、なんだろう。
おれの師匠で、おれたちのコーチで、おれのあこがれ。
同じ夢を見て、同じものにあこがれ、いつしかその道を歩み始めた|同胞。
そして、もう2度と見ることはないと思っていた、いつかのあの欠けた月。
――――――――あの輝を思い出す。
何時しか見た、あの、かげった冷たい光を浴びた時のことを。
あれが、きっと一目ぼれだった。
人生にして最初で最後。大一番の賭けをしている。
今、現在進行形で。
なので、この場合はこういうべきだろう。
これは、きっととても大切なことだから。
「――――おれの、愛している人だよ、マサさんは。」
息が吸い込まれて、止まる音がした。
愛おしく思う。顔が、赤く染まるのではなく、蒼く染まるのも含めて。
そっと、肩に寄り掛かった。かちんこちんになってはいるが、悪くはない。
何より、振り払われなかった。
だからそのまま、まどろむように…まどろむっていうにはちょっと気温が高すぎる気もするが…そっと、音を放つ。
「だから、いつでもきていいんだよ。マサさん。
暑い時も、寒い時も。一緒に居て、いやじゃないならずっと。」
――――きっと、楽しい日々になるから。
固まる師匠を横目にして、湊はさらに寄りかかる。
暗中の的。ただし確かに刺さった。そんな気がした。
「あ、もしかしてマサさん一時的なものだと思ってない?」
「はぇ?」
「…住んでもいいよ。っていうか、おれはそのつもりだし。そのつもりで言ったし。」
「へぇあ?」
間抜けな青年の声が森にこだましたのは、それから数分後のことである。
木洩れ日というには暑すぎる