「折角、若利くん来たし。例のアレ、やるか! 覚?」
「え? マジ!? アレまだ動くの?」
「もちろん!」
「さすが父ちゃん!」
天童家に到着した次の朝、覚の母である茜は仕事があるから、と朝早くから出て行っていた。そのため、昼は牛島と天童父子の3人で食べることになるという話になっていた。
その日も変わらず、うだるような暑さだ。しかも、山の方にある牛島家とは異なり、天童家はやや街に近い。しかも、同じような家が建ち並ぶ団地だ。コンクリートジャングル。多分、牛島家があった辺りよりも2℃ほど気温が高いだろう。もちろん、爽やかな風も通らないので、日中はクーラー必須だ。昨夜もクーラーを点けっぱなしにして寝なければ寝苦しくていられなかったのだ。
「アレ、とは?」
父子で何やら合点がいっているようであったが、牛島には「アレ」が何を指すかさっぱりわからない。そっくりなまん丸な瞳で天童父と天童にくうるりと振り向かれた牛島は、怯まなかったが、きっとこれが瀬見辺りであったならその異様にも見える白目の比率の多さに一歩引いてしまっていたことだろう。しかも、そのまま全く同じタイミングで彼らはにんまりと笑ったのだ。それはどう見ても天童が何か悪巧みをしている時の笑みである。牛島は、ただ父子の表情のそっくりさにのみ感心していた。
「ナイショにしとく?」
「見るまでのオタノシミ♡にしとくか?」
「とーちゃん、言い方ちょっとキモいヨ」
「そーかーぁ?」
そうカナ、そうだヨ、とニヤニヤし合う様は、父子と言うよりも年の離れた兄弟のようであった。ずっと母子家庭で育っていた牛島にとって、父という存在は本来はこんなにも近しいものなのかと少しだけノスタルジックな感覚を抱く。牛島の父は今もまだ遠い地に居て、なかなか会うことができない。通信機器が発達したので、以前よりはずっと電話などのやりとりがしやすくはなったけれども。この夏休みが終ったら、また父に連絡を取ってみるかと珍しく牛島は思ったのであった。
昼ご飯の時間になり、それは判明した。ルーティーンのトレーニングを牛島がある程度こなした頃、そろそろお昼だネ、と天童が意味ありげに壁に掛かる時計を見上げた。それから、おもむろに台所に立ち、ふんふんと鼻歌を歌いながら鍋で湯を沸かし始めたのだ。
一気に家の中が湯気の力で暑くなる。それでそろそろ昼の時間だと気がついたのか、天童父がのそのそと三階の書斎から降りて来ていた。やや気怠げな声で、さとり、と天童に声をかける。
「とーちゃんは薬味切って」
「あいあい」
「昼飯を作るのか?」
「ソ。若利くんはベランダのシソとミニトマト、大量に取ってきて」
「わかった」
天童家は細長い。一階部分には駐車場と風呂トイレがあるのみだ。キッチンは二階にあり、八畳程度のフローリングの部屋を天童の両親が寝室として使っている様であった。その上、三階に六畳程度の部屋が2つあり、片方は天童父の書斎、もう一方は天童の部屋になっていた。
その天童の部屋からベランダに出る大きな窓がある。そこには、ミニトマト、シソ、万能ネギとプランターが所狭しと置かれている。天童が寮に入る前はそれらに水をやり、枯らさないように手入れをしてやるのが天童の役目だったらしいが、今は時々長期出張から帰ってくる父と、仕事が忙しい母でどうにか世話をしているらしい。
「俺が育ててる時はもっといろいろあったンだヨ? キュウリとか、ジャガイモとか」
「あの小さなベランダにか?」
「うん。だから、洗濯物干すのが干しにくカッタ」
天童が植物の世話係だった頃の写真を見せて貰ったが、確かにそれは洗濯物を干すためのベランダというよりは、植物を育てるためのベランダに見えた。しかし、多分、両親は何も言えなかったのだろう。植物と共に写真に写る幼い天童が、いかにも誇り高そうに写っていたから。一人息子の趣味を洗濯物の干しやすさを理由に取り上げるような両親には牛島には見えなかったから。
全部取ったらダメだヨ? と忠告を受けて、しかし、牛島はなるべく多くのシソの葉をむしり取ってキッチンに降りてくる。ミニトマトは鈴なりに成っていたので、ぷっくりと熟れた甘みのありそうな物をなるべく選んで収穫してきていた。
牛島がそうやって収穫から戻ってくると、なぜかダイニングテーブルの上に大きな箱が置かれていた。これから昼飯になるというのに、その大きな箱で茶碗などを置くスペースがないほどであることに牛島は片眉をあげていた。しかも、ご丁寧に何が入っているかわからないように布がかけてある。秘密、というのはここまで徹底的な物らしい。
天童が茹でていた物が入っているだろう銀のボウルにも布がかけられ、何が入っているのかわからない。ただ、薬味だけがこんもりと小皿の上に盛られ、机の隅に置かれている。さっさとシソとミニトマトを洗った天童父はそれらを刻むと、さっと、そこに、添えていた。
「では、開封します」
「よろしくお願いします」
いかにも大仰にお辞儀をし合う父子を見ながら、牛島は徐々に腹が減り始めてきていた。牛島若利の腹時計はいつでも正確に正午頃から腹の虫を鳴かせ始めるのだ。
「ジャジャーン!」
かけ声と共に天童が箱と銀のボウルにかかった布を取り去る。箱の表面には、小型の滑り台のような物の写真が描かれていた。銀のボウルには、色とりどりのそうめんが水の中で踊っている。
「流しそうめんを、しまっす!」
「しまっす!」
嬉々として天童が箱の中からその小型の滑り台のような物を取り出す。よく見るとそれは、スタート地点に丸い重石のような物があり、そこからグニャグニャと曲がる角度を変えながら机の上のゴール地点まで竹を半分に割ったような形の半円の管が続いている。それらはどうやら全てプラスチックでできているようでとても軽かった。しかし、ぱっと見は竹でできているかのように精巧な色合いなのである。流しそうめんの雰囲気を存分に楽しめそうであった。
ゴール地点に天童が、両掌くらいのサイズの小型のトレイのようなものを接続する。そうして、そこになみなみと氷水を入れたのだった。
「スイッチオン!」
そのかけ声と共に、天童がスタート地点の球体にあるスイッチを入れると、その球体がオウンオウンと小さな低いうなりを上げて、垂れ下がる透明なチューブを伝って下のトレイから上のスタート地点へと水をくみ上げていく。つまり、それで流しそうめんの用意はできたということらしかった。ちょろちょろと流れる水は、下のトレイまで辿り着くと、くるくるとそこで何度か回り、また、スタート地点に吸い上げられて行くらしかった。
「これ、もうチョット長い方が食べやすいカナ?」
「カーブがあった方が流しそうめんっぽいけど……まっすぐにしてみるか」
天童父がおもむろにゴール地点のトレイとゴール側の半円の管をダイニングテーブルの端に寄せる。くねくねと回り階段のように曲がっていたそれらの関節部分が全て伸ばされ、その管の全長は1メートルと少しあるように見えた。細長いダイニングテーブルといえども、ギリギリ端が落ちない長さだ。
「じゃぁ、若利くんも父ちゃんも位置について!」
「よし!」
慣れ知った様子の天童父が管の真ん中辺りを陣取る。天童はスタート地点にボウルを片手に意気揚々と立っていた。牛島も郷に入れば郷に従えとばかりに、天童父の向かい辺りに陣取る。
「若利くん、もうちょっと上流に行かないと俺と箸がぶつかってよく食べれないぞ?」
「なるほど」
確かに天童父の目の前に立ってしまっては、互いの手や箸が邪魔をして流れ落ちてくるそうめんを上手く取れないかもしれない。ありがたいことに、牛島は左利きだ。彼が上流に少しずれるだけで天童父と無駄な争いをせずにすみそうであった。
「流すヨー」
「よし来い!」
間延びした天童の声とは裏腹に、天童父はいかにもやる気満々な明るい声を上げていた。思わず、牛島も少し低い姿勢を取り、流れ落ちてくるそうめんを待ち構える。その様子があまりにも真剣そのもので、天童がくふくふと笑ってしまったのも仕方のないことだろう。
そうして始った流しそうめん大会は、たった3人の成人男性で行った物だったが、いかにも賑やかに、そして、最終的にはなぜか全員が顔や手をびしょびしょにして食事を終えるという展開になっていた。ただ、良かった点としては、その話を聞いた天童の母、茜が「馬鹿なことして」と彼らを叱るのではなく「私もやりたかったのに! ずるい! 今度、私の休みの時にもう一回!」と駄々をこねたのはいかにも天童家らしい一幕だったことだろう。
「楽しかったネ、若利くん。パリでもワルシャワでも絶対、流しそうめんなんかしないジャン?」
「うちでもやったことがなかった」
「え? マジ? 若利くんちなら庭でやれそうじゃん?」
最後、池にそうめん入るようにしたらスリリングだし。
そんな壮大な流しそうめんをやろうという考えも、そもそも夏にただそうめんを食べるだけでなく、流して食べるなどと言う発想も牛島家の人間には全く無い。
「天童といると、いつでも新しいことができて嬉しい」
「マジ? 俺も若利くんが『初めて知った』とか『初めてやった』って言って楽しんでくれんの、好きだヨ」
「そうか」
天童の小さな部屋で、牛島は床に敷いた布団の上に、天童がベッドに寝転がる。昨夜もそうだったはずなのに、なぜか今夜は違う心持ちで眠りにつけそうであった。
「天童」
牛島が小さくその名を呼ぶと、既に天童は何かを心得ていたようだった。少しだけ身体を起き上げ、ぐっと牛島の方にその顔を近づける。ちゅ、と短く小さな音だけを立てて、二人は軽い口付けを交わしていた。
「おやすみ」
「おやすみ」
また、明日も楽しいコトしよう。そうやって、一緒にこの夏の仙台バカンスを楽しもう。
天童の静かな声音を聞きながら、いつの間にか牛島は軽い寝息を立て始めていた。