6月も見たい映画が山ほど公開されてると思ってるうちに夏休みシーズンに入ってしまうんだよなあ……そしていつの間にか秋になってしまうので見たい映画は見られるときに見ておこうということで今回見てきたのはこれ!
ムリガンダムではありません。
塚口では「塚口印度化計画」と称してもはやここは日本国インド領ですみたいな顔でインド映画が山ほど公開されているわけですが、本作もそんな流れで知った作品。
「ムリダンガム」とは、インド伝統音楽の打楽器のこと。本作はそんなムリダンガム奏者に憧れるムリダンガム職人の家に生まれた青年・ピーターの物語となっています。
作品の骨子はいわゆる部活もの、ビルドゥングスロマンに近いものがあってすんなり入り込めた感じです。その中に、伝統文化の継承、身分格差、カースト、SNS問題といったさまざまな要素を、それこそ何枚も張り合わせられたムリダンガムの皮のように重層的に組み込んだ作品でした。
主人公ピーターはムリダンガム職人という小さい頃からムリダンガムに親しんでいる家に生まれながら、不可触民の生まれという出自のせいで弟子入りが認められないという不遇のスタートから物語が始まります。我々現代に生きる日本人にとっては「身分格差」というのはともすればフィクションの世界の話ですが、現代を舞台にした本作、ひいては現代のインドでは身分格差は当たり前に身近に存在し、なおかつ多くの人々の人生を大きく制限しているのであろうことが読み取れました。
対して、伝統文化に関するさまざまな問題や世代間の軋轢に関しては、多少なりとも芸事に関わったことのある人間としてはいろいろと思うところがありました。帰りに一緒になった塚口ファンの方ともお話したんですが、伝統文化については伝統を受け継ぐことと伝統を刷新することのコンフリクトがどうしても存在します。そしてどちらかが一方的に正しいわけではない。伝統文化の継承と継続にはどうしてもこのコンフリクトへの直面が避けられません。
また、ムリダンガム奏者にとってはムリダンガムは生活の手段、ビジネスとしての側面があります。だからこそ伝統文化としてのムリダンガムには文化の継承というグローバルな視点だけでなく、ビジネスやキャリアといったパーソナルな視点も盛り込まれているのが印象的でした。個人的な経験から、師匠と弟子や門下生のあいだのトラブルなどは身分格差についてよりもよほど身近な問題として心に刺さる思いでした。
本作にはそうしたさまざまなシリアスかつ重い問題が重層的に盛り込まれており、見る人によっては他人事ではない、まさに自分が直面している問題をスクリーンの中に見出す思いがしたのではないでしょうか。
しかし本作に流れるムリダンガムの軽快なリズムは、そうした重苦しい問題を吹き飛ばしてしまうほど楽しいものでした。というか冒頭の、「大将」ことヴィジャイの大ファンであるピーターとその仲間たちによる大騒ぎは完全にどっかの映画館でいつもいつもやってる大騒ぎでこれまた心に刺さりました。
また、終盤で道を見失ったピーターが、己が求めていたリズムは最初から自分の周りに存在していたことを悟るシーン、まさにレイディアントシルバーガンで言うところの「見えるものを見よ。見えぬものをも見よ。いたるところに命は存在する」ですよ!! わからないですかそうですか。
そしてラスト、すべての柵から開放されたかのように響き渡る新しいムリダンガムのリズムは、まさに「守破離」における「離」の段階に達した業と言えるでしょう。
さて、今回はこれだけでは終わりません。
今日は本作を愛するあまり、配給まで行ってしまった東京の南インド料理店「なんどり」の稲垣紀子さんのトークイベントがあるのです。
今回のこのトークイベント付きのムリダンガム、じわじわ席が埋まって行って最終的には満席というめでたい状態に。そんな中で繰り広げられるムリダンガム配給に至るまでのお話は笑いあり驚きありの裏話が満載で楽しめました。
そもそもインド料理店がどうして映画の配給に至ったかと言うと話は簡単で好きが高じて監督にダイレクトアタックしたという身もふたもない話で笑ってしまいました。さらに監督からは二つ返事で配給会社の社長に話が渡ってしまったという……。すげー話だなこれ。
映画の配給周りの話なんてあんまり聞けるものでもないのでいろいろ勉強になりました。映画の上映には配給権周りのトラブルとかも絡むんだなあ……。
またマサラ上映の本場である本国の騒ぎに関しては、本作冒頭の騒ぎはまだおとなしい方ということで驚愕。これは塚口も負けてはいられません。来年辺りにはさんさんタウンのど真ん中に全長500メートルのバーフバリ黄金像が建立されるであろう。
いやーしかし、「ムリダンガム」本編、そして稲垣さんのトークからは、改めて「好きの力」の大きさというものを思い知らされました。行動を起こす原動力としての「好き」のなんと偉大なことか!
これは多くの人が理解、共感してくれると思いますが、「好き」はたしかに大きな原動力となりますが、しばしば我々はその「好き」を見失い、疑い、信じられなくなってしまいます。私事なんですがわたくし人形使いも好きで始めて20年近く続けてきたことの「好き」を見失い、取り戻せない時間をもう長いこと浪費してきました。しかし今日のムリダンガムで、改めて「好き」の力を再確認できた思いです。
我々映画好きが映画に求めるもの、映画から得られるものは多々ありますが、やはり根本的には「好き」が映画から得られる最大の栄養素と言えるでしょう。人はパンのみにて生くるにあらずですよ。
そして今回得られた最大の学びは、「誰かの『好き』は誰かの『好き』を救う」ということです。少なくともわたくし人形使いの「好き」は「ムリダンガム」を作ったラージーヴ・メーナン監督をはじめとする人々、そしてインド映画を愛するあまり勢い余って配給までにするに至った「なんどり」の稲垣紀子さんの圧倒的「好き」に救われました。
同じように、こうして毎回書いている各種の感想やイベントレポも、拙いものではありますが誰かの「好き」の足しになれば、これに勝る幸福はありません。
幸い現代はSNSの発達と普及によって、個人からの情報発信が容易になっています。なのでこれからもこうして自分の「好き」に従い、自分の「好き」を発信して行こうと思います。むしろ自分の「好き」でルドヴィコ療法を敢行する勢いでやっていきたい。 うおお俺の「好き」をくらえ!!