いつもならもう就寝している時間だ。なんと言っても、ショコラティエの朝は早いから、夜も早い。
けど、その日は元来の俺の勘というやつが働いたのかもしれない。リビングのソファの上で夢と現の境界をウロウロしているところにブーッと玄関ブザーが鳴り響く。
時計を見上げれば日付の境界を跨いだところ。スマホを見ればなにかメッセージが入っているらしいが、それよりも先にブザーだ。こんな真夜中てっぺんに2回目のブザーが鳴ったらさすがに近所迷惑だ。
天童覚は、アパルトメントの玄関に向かう。
ガチャリ、と玄関を開けると、目の前にヌンと立つ男。最高のバレーボーラーで最高の恋人、最高のマブダチ。牛島若利だった。
夢? だろうか?
「すまん、天童。間合わなかっただろうか?」
だが、なぜか彼は薄暗い玄関先でそのりりしい眉を下げて天童に謝罪する。天童はことりと首を傾げた。
「いや、多分一番乗りだよ?」
「一番乗り……?」
なぜか牛島がそうキョトンとする。こんな夜中、日付が変わった途端の訪問が今日の一番乗りでない可能性など無いだろうに。
「誕生日祝いに来てくれたんでショ?」
「……今日は、何日だ?」
「5月20日0時10分くらい」
「……ん?」
「……ん? とは……?」
疑問そうに首を傾げる牛島を見ながら、天童は「ひとまず家入ってヨ」と入室を促す。遠路はるばる日本から来たはずである牛島の軽装(スーツケースさえ持っていない)にもう一度首を傾げながら。
ことの始まりは数時間前である。牛島若利は考えていた。
長年のマブダチであり、最近、恋人という地位も追加された天童覚の誕生日が近づいていた。しかし、日本でバレーボール選手をしている牛島若利が気軽にフランスにいる天童覚に会いに行くわけにも行かない。いくら、しばらく予定が開いていようとも。明日が天童の誕生日だったとしても。
会いに行くわけにもいかないわけなのは、知っているのだが。
牛島が悩んでいた。そんなところで、ひょっこりと木兎光太郎に声をかけられたところで話が動き出す。
「牛島! お疲れ!」
「木兎」
「ん?」
近づいてきた木兎はくるくると牛島の周りを回り、頭の先からつま先まで牛島を眺め回す。すると、お? と不思議そうに首を傾げた。
「なんか、悩み事?」
「そうだな」
「俺に話せること?」
聞くけど? と気軽に言われ、牛島も気軽に悩んでいたことを話す気になったのかもしれなかった。
「恋人の……誕生日が近い」
「会いに行けば?」
もう一度首を傾げながら、気軽に返された言葉に「パリなんだ」と牛島が返す。すると、一気に木兎の表情が曇り、遠いな!? と口を突き出していた。東京と仙台、日本と韓国程度の距離だったら木兎の性格と勢いであったら「行っちゃえよ!」と気軽に言ったことだろう。しかし、まさかのヨーロッパ。いくつもの国の境界を飛び越えて長いフライトの後、辿り着かなければならない距離だ。
しかし、そこは木兎光太郎である。彼はしばらく考えると、軽い声で「メールすりゃぁ良いじゃん?」と応じる。
「……」
確かにそうなのである。しかし。
そう牛島が押し黙ってしまうと、もう一度、木兎は牛島の表情をのぞき込む。そうして、そうか。となにやら納得していた。
「どうしても会いたいなら、会いに行けばイーじゃん?」
「パリだぞ?」
「行けるよ。明日の予定無いんだろ?」
「まぁ、そうだが……」
「金無いわけじゃないんだろ?」
「確かに」
やりとりをしているうちに、牛島も徐々にパリに行くことが容易であるような気になってきていた。航空券を取ってパリに飛べば良いのだ。直通便があるし、天童の家の場所も迷わずに行くことができるようになっている。突然行って「どうしたの!?」と驚く恋人の顔を、「会えてうれしい」と微笑む瞳を想像してしまえば、もう、会いたくて仕方がなくなってしまっていた。
「あ。ちょっと待って」
しかし、その夢想に木兎が水を差す。あっという間に夢から現に引き返された瞬間であった。
「パリってどこ?」
突然バレーボールを取り出した木兎は、ここが日本だとして、とボールのつなぎ目、赤と白の境界部分を指し示した。
「パリって日本のこっち側だろ?」
彼が適当に指し示したのは先ほどの『日本』と仮定した位置の向かって左側。赤い部分を通り越して隣の白と緑の境界。要するに地球の西側と言いたいのだろう。
「この前のブラジルのオリンピックが日本のコッチでやってて、前の日の夜だったから……パリって日本より時間が進んでるんじゃ無いのか?」
ブラジル、と木兎が示したのは日本より東側。確かにパリとは日本を挟んで反対側である。そして、反対にあるブラジルが日本より時間が遅れていると言うならば、パリは時間が進んでいる。そう言われて牛島は「確かに」とその時思ってしまったのであった。
「恋人の誕生日って、いつ?」
「5月20日だ」
「明日!? 早く行かねぇと誕生日中に着かないぞ!? 時差は?」
「6時間くらいだったと思う」
「6時間も進んでんのかよ!? フライト時間どのくらい!?」
「13時間以上かかったような……」
「急げ急げ! 日付超えちゃうぞ!?」
「そ、そうか!?」
そうやって取るものも取りあえず日本を発ったのが数時間前。日本時間、5月19日夕方であった。
「もう一度考えヨー。若利くん」
「あぁ。頼む」
現在、パリは5月20日深夜1時に近くなっている。牛島が天童宅に着いたのがその約1時間弱前。
「あのネ、若利くん。太平洋には日付変更線というやつがあってネ?」
「そうだな」
「日本から比べてブラジルやらアメリカやらは時間が遅れてるケド、それは日付変更線を跨いでルからであってデスネ?」
「ふむ」
「日本の5月20日0時だったら、同じ時のパリはまだ前日の19日夜なワケですヨ?」
「……? ん?」
「疑問なら、グーグル先生で今の日本時間、もう一度ちゃんと検索してみな? 朝の7時くらいじゃない?」
「! そうか」
カコカコとスマホを操作する牛島を見ながら、天童がふわっとあくびをする。木兎光太郎と言えば高校時代から、いや、中学くらいからコート上でもとびきり天然を醸し出していた気がする。何年も前の高校時代から変わって居なさそうな元ライバルの一人を思い出しながら、しかし、彼らとも仲良くやっていそうな恋人の話を聞けて天童はゆるりと微笑んでいた。
「本当だ……」
何度か日本の現地時間をスマホで調べていた牛島が、小さく呟く。
ネ? ともう一度天童が言えば、牛島は神妙そうにこくりと頷いていた。
「ところでさ。セッカク一番乗りで俺の誕生日お祝いに来てくれたンでショ?」
もっかい、お出迎えのやり直しする?
天童の言った意味を牛島が理解するまでに数秒かかったが、天童はそれを根気強く待つことができる。だって、セッカク恋人が遠路はるばる数々の国の境界を飛び越えてやって来てくれたのだから。
「誕生日、おめでとう。天童。お前に会えたこと、こうやって今直接会えていること、全てに感謝している」
「ありがと」
夢じゃ無い。本物だ。現実だ。こうやって、愛しい恋人にハグできる。人々の夢と現が交差するこんな夜中に。
「誕生日、おめでとう」
牛島がもう一度、噛みしめるように天童に言う。二人は、互いの境界がなくなるかと思うほどぎゅっと互いを強く抱きしめていた。
Happy Birthday Satori Tendou!!