一日目。
ふと、ドレスを着た立香を見られる日は来るのだろうかと思い至った。同時に、規模は小さくとも、立香の為に式を挙げられるならどんなに良いかと。それだけで、十分動く理由になり得る。そう考えた時には、体は既に自室から飛び出していた。
所謂サプライズというものを、立香に対して計画する。その事実が足取りを軽くした。
式、ドレス。となれば、まず真っ先に話をせねばならないのはあの妖精──ハベトロット。彼女と話をした記憶はない。もしかすればその認識のすり合わせが必要になるやもと、深呼吸をした。
「面と向かって話すのは初めてだなっ! それで? ボクに何か用かい?」
前述のすり合わせは不要だった。
縫製部奥のブースで事の仔細を話すと、ハベトロットはぱっちりした瞳を興奮に煌めかせた。
「にゃはーっ! ソレ本当!? デイビットありがとーう!! それでそれでっ、デイビットはどんなドレスがお好みなのっ!?」
デスク越しに身を乗り出したハベトロットが、ふんふんと鼻息荒くこちらを問い詰める。
「あー、いや、とりあえずこれ見てっ! こんな時の為に、今までいーっぱい描きためてきたやつ!」
眼の前にずらりとドレスのデザインが並べられた。日本風の要素を取り入れたものから、西洋風の人形が着ていても違和感のないようなものまで。それらに目を通す間に何やら、しゃっしゃっ、ぺら、しゃしゃ…と音が聞こえ、そちらに注意を向けてみると、ハベトロットが大きなスケッチブックに何かを書き込む音だった。
「ハベトロット、そちらは」
「んー? こっちもドレスのデザインだぜ! さっきから新しいデザインが思い浮かんで思い浮かんで仕方ないんだ!」
ほくほくと笑うハベトロットに、そうか、と首肯でもって答え、また大量のデザインスケッチに目を戻す。
その中に、一際惹かれるデザインが二つ。たっぷりとレースをあしらった、シンプルながら洗練されたデザインのAラインと、幾重にも重なるチュールが歩く度にふわりと動くのであろう、愛らしいプリンセスライン。きっと何方をとっても、立香が着たら世界最高のドレスに違いない。だからこそ、何方を選ぶべきか悩ましくもあった。
「ん、その二つ気になるの?」
手を止めていたハベトロットに問われる。
「あぁ」
「…どっちかカラードレスにしちゃうって選択肢もあるんだぜ?」
にーんまりと悪戯っぽく彼女が笑む。態々言ってくるということは恐らく、ハベトロット自身もこの案を気に入っているのだろう。
「ではハベトロット、このデザインを採用してほしい。裁量は君に任せるよ」
「よしきた! そしたらー、これに合わせてデイビットの衣装も作ってみよっかなー!」
…流石にそこまでしてはハベトロットの身が保たないだろうと、丁重に断った。その分、ドレスはいつもより気合入れて作るからな、と言付けられた。
当日のために、採用されたデザインは記憶に残さないことにする。
視界の端に映った白と赤は、果たして何だったのだろう。
二日目。
キリエライトをはじめ、立香と特に親密なサーヴァントに勘付かれては全てが台無しになるだろう。自分単体でも計画に支障はないが、万一の事を考えれば、協力者がいるに越したことはない。
「というわけだ」
「だから何で僕を巻き込むんだ…」
それこそテスカトリポカなら喜んで協力するだろ、とカドックが眉間を抑えるが、それは既に折り込み済みだ。何なら式場の手配やら何やら諸々、テスカトリポカの采配で即刻決まりそうな気すらする(諸費用については言わずとも)が、それはするなと先程念を押したばかりだ。
「…欺くなら味方からだ。ヨハンナには僕から話をしておく、お前は殺生院の協力を仰げ」
「殺生院…」
「殺生院キアラ。あの人魚…あぁいや、自称八百比丘尼の疑似サーヴァントだ。ワケは知らないが、藤丸はアイツに一番リソースを割いてる」
人魚と聞き、以前の記憶を呼び起こす。あの時オレを脅した人魚かと合点がいく。自己(人類)愛に溺れた妖しげな瞳が間近でぎらりと見開かれた三秒が残っていた。
「わかった。そちらは頼む」
つかつかと部屋を出て、殺生院の姿を探す。
食堂、該当する姿なし。談話室、同上。シミュレーター、同上。立香の部屋にいる場合は出直し。
図書館で、その姿を見つけた。がりがりと原稿に向かうアンデルセンの横で、呆れ半分に尾鰭を揺らしている。
「殺生院キアラ、用がある。時間はあるか」
「あら。ご機嫌よう、デイビットさま?」
一度外に出るよう促す。図書館であることも手伝い、ここで話すのは気が引けた。
「端的に言う。立香の為に挙式を挙げたい。所謂サプライズでだ。君にはそれまでの間、立香に事を悟られないよう立ち回ってほしい」
「…わたくしがマスターにその情報を漏らしはしまいと、本気で信じていらっしゃるので?」
殺生院の指先が、舐めるように首に回される。端から見れば彼女が自分の首を絞めているように見えるだろう。だがその手に力は存外籠もっておらず、下手なことを言わなければ何事も無く協力体制が築けるかと確信する。交渉が決裂するなら最悪肉弾戦も辞さないが、彼女の楼閣に囚われた時点でこちらの敗北が確定する。そうなれば式どころではない。
「君は立香が最も信頼しているサーヴァントだ。これでは理由として不十分か」
これ以上の反論は無粋と判断し、殺生院の次の言葉を待つ。
「…ふふっ」
首にかけられた指が解ける。
「そうまで仰るなら、微力ながら協力いたします。良い式になさいませ?」
ひらひらと手を振る殺生院の微笑みは、どこか立香に似たものを感じた。殺生院の微笑みが立香に似たのか、立香の笑顔が殺生院に似たのか、今は知る由もない。
三日目。
「式場はハチドリに話を通した。ソレは良い。だがオマエ、まさかそのカッコで式出るわけじゃねぇよな?」
テスカトリポカに呼び止められるや否や。
「…何方にせよ、費用はオレ持ちなんだろう?」
聞くと、テスカトリポカは当然とばかりにこちらに手を伸ばした。
「そりゃあな。まァ、最低限のセンスは期待してくれていいぜ?」
二日前に訪れたばかりの縫製部にまた足を運ぶ。何となく落ち着かない。
「いらっしゃいませ。お洋服のご注文ですか?」
「コイツとお嬢に合うタキシード一式。色は白基調、費用は問わん」
最後のは余計だ、と反論しようとしたが、
「はぁーいッ!! 超絶スペシャル発注入りましたーッ!!」
と興奮混じりに絶叫されてしまっては訂正するものもできない。少し高めに見積もりこそしたものの、最終的な出費については覚悟しておくべきだろう。
さて、次に話をすべきは誰だろうかと思考を巡らせたとき、式のスタイルを決めていない事に気付いた。挙式と聞いて真っ先に思い浮かぶのは神前式。特定の宗教を信仰しない者が少なくない日本でも、神前式は恐らくオーソドックスなスタイルと言えよう。ヴァージンロードを歩き、聖歌を歌い、誓いを立て、指輪を交換し、そうして、永遠の愛を込めたキスを交わす。映画のワンシーンのような、という月並も甚だしい比喩が似合うくらい。
だが、ここにいる全てのサーヴァントがクリスチャンであるわけではない。寧ろ信仰される側のサーヴァントすらいる。テスカトリポカも含めて。
「…オレはお前とは初対面だが、ガワだけでも同業者であった縁を見込んで来た」
「へぇ、お前さんがデイビットか。あん時ゃうちのマスターが世話ンなったなぁ?」
という訳で、現在オレは、千子村正の庵で正座したまま彼と対峙している。厳密には似て非なる者だが、それを気にする時間はない。
「お前さんなら、今どうすべきかとっくに見えてるモンだと思ってたが、案外盲目な位真っ直ぐなところもあるんだな。儂のマスターが惹かれたわけだ」
腹減ったろ、と、一杯の汁粉と熱い緑茶を出された。記憶の限り、汁粉を食べたことはなかった。一口食べ、餅の熱さと餡の甘味に肩の力が抜ける。
「…初めて彼奴に餅食わせた時なぁ、アイツもお前さんとおんなじ顔したよ」
お前さん、儂のマスターと案外似た者同士かもしれねぇな。そう村正は続けた。
「一旦考えの方向性を改めてみろ。こんな時、お前さんの好いたヤツならどうする?」
そうしてにやりと微笑んだ後、村正は何も言わず庵の奥に引っ込んだ。
立香ならこの状況でどう動くか。汁粉にまた口をつけ、思考する。
「人前式か」
「マスターは良くも悪くも硬っ苦しいのが嫌いだしな。折角のサプライズで相手に委縮させちまうのは、お前さんも本意じゃあるめぇ」
残った茶を一気に飲み干し、後に残る茶葉の深い苦みに眉根を寄せた。眼前の囲炉裏で火花が爆ぜ、くべた埋火がかろんと崩れる。
「さ、食ったらとっとと出てけ。まだやる事山積みなんだろ」
しっしっと手を振る反面、村正の顔つきは優しかった。去り際に、
「披露宴もやるってんなら、調理要員くらいにゃなってやるさ。洒落たモンは作れねえがな」
と言われたことを記憶しておく。
衣装代で預金が七割方飛んだ後で、そこにエンゲージリングの費用が入っていないことに気付いた。いや、状況が状況であるため元々指輪の贈り物は考慮しなかったのだが。しかし、いつか入り用になるのは確かだ。日を改めて考えることにする。
四日目。
会場の設営については、最悪食堂を拝借するという選択肢もあった。だがそれでは味が無い。許可が下りればレイシフトも選択肢に入るかと思ったが、万一にもそれが一部のサーヴァントに露呈すれば、規模・場所・人員を巡ってカルデア内で戦争が勃発するのは自明の理だ。レイシフト、或いはシミュレータを採用する場合、慎重に事を進めねばなるまい。
「そのような矮小な理由でこの我を頼るか。ここに居るのが弓の方の我なら、即刻縊り殺していたであろうよ」
そこで手始めに、半神半人の名君に助言を求める。
「…まあ良い、許す。貴様の思うサプライズとやらの仔細を述べよ、雑種」
有益な助言は期待できないかと一瞬思ったが、聞いたところ、対話の余地はあるようだ。
仔細を述べると、賢王はさも興味なさげに瞳を伏せた。そんな物とうに決まり切っているだろうに、とその肩が雄弁に語っている。
「そも、貴様は相談する相手を違えている。彼奴と懇ろな英霊なぞ探せば幾らでも──否、そうさな。かの都市の神霊も、立香相手では不安要素か」
我自ら赴いてやる、歓喜に咽べ、と彼が腰を上げた。その足取りは迷いない。
部屋を出る間際、数秒こちらに向けられた瞳には、恐らく全てが見えていたのだろう。
「賢王ですか。我々に何の用です」
連れられた談話室には、モルガンとモードレッドを除く円卓の騎士が揃っていた。
「用向きがあるのは我ではない、こちらだ」
賢王はそれだけを残すと、最早用はないと言い放つように踵を返した。去る背に一つ礼を言い、凛々しい面持ちの騎士王を真っ直ぐに見据える。
「お初にお目にかかる、ブリテンの騎士王」
「デイビット・ゼム・ヴォイドですね。マスターより話は聞き及んでいます。その節は、ガレス卿がお世話になりましたね」
纏う空気が冷え切る。その背景は、推察するに難くない。特にサー・ガレスにおいては、色々と貸しがあるのだろう。
「良いのです、我が王! デイビットさまも、お気に病むことはありません! 寧ろ精進すべきはガレスの方かと!」
「…。ガレス卿が言うなら、そういう事にしておきましょう。して、用向きとは何ですか」
事によっては容赦はせぬと、後ろに控える騎士達の瞳が語っていた。特筆するなら、サー・ベディヴィエールとサー・ガウェインの孕む圧は一種の脅迫のようでもあった。
「マスターに対し、所謂サプライズの形式で挙式を挙げる計画がある。その誓の場として、貴卿等の誇る白亜の城を選びたい」
──アルトリアの瞳が見開かれた。他の騎士達も同様、目を白黒させている。
成程、と彼女の口角が綻ぶ。
「そういう事でしたか。ならば、えぇ、喜んで我らの城を開きましょう」
「となれば、少しばかり手入れが要りますね。城内は勿論、庭園も随分とご無沙汰でしょうし」
「問題ない、サー・ベディヴィエール。既にテスカトリポカがトラロックに話をつけた。修繕なら彼女が力になるだろう」
トラロックとの打ち合わせに、とアルトリアとサー・ベディヴィエール、サー・ガレスが退席し、今度は談話室に残った騎士達が目の前に並び立つ。
「『娘さんを私に下さい』とでも言いかねない雰囲気ですね、ミスタ・デイビット」
「ふ、っはは。マスターの国でも、今日日聞くか定かではないな」
サー・ガウェインの言葉に、サー・ランスロットが愉しげに返す。サー・ガウェインには父親の側面もあったのだったか、その瞳には慈愛があった。
「…ミスタ・デイビット。ガレスの誘いを直前で断った日を覚えておられますか」
柔らかな瞳のまま、サー・ガウェインが問い掛ける。オレは首を縦に振った。
「彼女が厚意でオレ達をパーティーに誘ってくれたことは記憶している。その節は済まない」
「いえ、覚えていて下さっただけでも十分です。…あの日、貴方からの連絡を受け取った時のガレスの顔を、見せてあげたかった。卿もそう思うでしょう、パーシヴァル卿」
「ああ。あれは良い笑顔だった」
サー・パーシヴァルが首肯で返す。彼等の霊基が他の騎士より一回り美しく磨き抜かれている事から、賢王が自分をここに置いて行った理由が推察できた。
「マスターと貴方が恋仲になったと知った時、ガレスが一番喜んでいました。我ら円卓で最も長く彼女を見てきた事もあるでしょうが、最近は毎日のように貴方がたの仲睦まじい姿を話してくれます。演奏も、心做しか気分が乗るのですよ」
サー・トリスタンは、竪琴の音でもって喜びを顕にした。
「詰まる所、我等は貴殿等が愛により結ばれたことを喜ばしく思っている」
「マスターが今ここにいる貴方を愛している以上、私達にそれを妨げる道理はありません」
「勿論、マスターに仇成すならその限りではないよ。貴方は聡明だから、そんな事は無いと思うが」
騎士達の微笑みに、目下のところ、この関係を阻む意志は無いと判断する。客人に立ったまま話させるのは申し訳無い、と談話室の奥に通され、紅茶を出された。苺のクッキーと共に、もう少し話をしようと促される。
「サプライズの話を知っておられるのは?」
「縫製部…ハベトロットとミス・クレーンに、カドックと教皇ヨハンナ、殺生院キアラ、それにテスカトリポカとトラロック、あとは貴卿等だ」
この返答に、サー・ランスロットが眉根を寄せる。キリエライトに事の仔細を伝えていないことだろうか。
「キリエライトには、ハベトロットを通じて伝言を頼む。詳細は伏せ、近日中ハベトロットに手伝いを頼まれたらできる限り引き受けるようにと」
「それなら構わない。マシュは察しが良いから、その方が無難だろう」
「ですが、完全に情報を隠し通すのは無茶にも程があるでしょう。せめて意識くらいは向けさせても良いのでは、ミスタ・デイビット?」
サー・ガウェインが瞳を伏せ、気品ある所作でティーカップを口元に運んだ。意識を向ける、か。
「カドック・ゼムルプス。彼なら上手くやるでしょう。貴方は心置き無く、マスターへのサプライズの準備を進めればよろしい」
激励のつもりか、サー・トリスタンがまた竪琴で音楽を奏で始めた。
「そうと決まれば、我々も協力しよう。なにせ貴方とマスターの、生涯一度きりの晴れの日だからね」
勢いよくサー・パーシヴァルが立ち上がり、ソーサーに行儀良く鎮座していたティーカップの中の水面にさざ波を立てる。
「ところで、あの日は何かあったのかな、デイビット?」
ティーカップの持ち手に添えようとした手が、ぎくりと硬直した。聞かれた以上は正直に答えるのが筋だが、事が事だ、そのような事をしようものなら立香がどう思うか。ここまでが、指の震える間に頭を過る。
「あれ以降、マスターから仄かに密林と硝煙の香りを感じる日があるんだが…勿論良い意味でだよ」
「おや、それは少々…聞き捨てならないな、パーシヴァル卿」
「言われてみれば、翌朝のマスターからマスター以外の魔力を感じ──ぁ痛ッ!?」
ごっ、と鈍い音が談話室に響く。サー・トリスタンの方を向くと、脳天に見事な銀の拳骨が一つ。
「トリスタン?」
記憶にないどすの効いたサー・ベディヴィエールの声には、怒りと少しの諦観が見て取れた。いつの間に帰ってきたのか、騎士王とサー・ガレスの姿も見えた。
「………すみません、つい」
「ついも何もありません。ミスタ・デイビットとて、うちに秘めておきたい事もあるでしょう」
トリスタンが御迷惑を、と軽く頭を下げたサー・ベディヴィエールの心労が垣間見えた。似たような流れが記憶の隅に残っていた。
「サー・ベディヴィエール。トラロックとの会議は良いのか」
「えぇ、滞りなく。今日から作業に入れば、5日もあれば設営できるかと。ダ・ヴィンチちゃんに、シミュレータの使用許可も取れました」
というわけですので、と談話室にいた騎士達が連れて行かれた。残るは、自分とサー・ガレスのみ。先日の件に関して何か話でもあるのだろうかと身構えるが、そのような気配もない。
「デイビットさま、招待状はもうお書きになりましたか?」
ふと、サー・ガレスがこちらに問い掛け、苺のクッキーを一つ摘んだ。
「いや、まだだが」
「じゃあ! 招待状、作りましょう!」
適温になったミルクティーを飲み干し、サー・ガレスは弾かれたように立ち上がった。サー・パーシヴァルに似たのだろうか、その所作にうっすらと彼の面影を感じる。
「まずはデザインを決めちゃいましょう。自前の物が何種類かあるのでそれから選ぶのも良いですし、いっそ全部手書きなんていうのも良いですよね!」
快活なガレスの姿は、まさに円卓の中の末妹といった風合いだ。彼女がこのカルデア最古参の円卓と考えると、少し違和感も覚えるが。
「なら、手書きを」
「おぉ〜! では、ガレスもお手伝いしますっ! 手始めに、ダ・ヴィンチちゃんの工房に行きましょう! その次は図書館です!」
さあ行きましょう、今行きましょう、と走り出すサー・ガレスを追いかける。サー・ガウェインに見つかれば叱られそうだと思いながら。
「げほっ、げほっ…おや、珍しい組み合わせだね。ま、いいか。ダ・ヴィンチちゃんのステキな工房にようこそ〜」
おしゃまな頬を煤だらけにしたダ・ヴィンチに出迎えられた。緩くウェーブのかかった髪の毛先が少し焦げている。ことの仔細は、聞かないことにした。
「無地のメッセージカードを二枚。下書きと本番用だ」
「ふぅ〜ん? まっ、用途は当日まで聞かないでおくね。はい、どうぞ」
「ありがとう、ダ・ヴィンチ」
ダ・ヴィンチに礼を言い、工房を出た所で、次はデザインの如何が問題になる。図書館を次の目的地に選んだ理由がそれだ。
「ガレスはあちらの作業に加わりますので、こちらでお暇しますね。ご健闘を!」
「あぁ。そちらは頼む」
サー・ガレスと別れ、図書館へ歩を進める。最後に行ったのはいつだったろうか。
「お待ちしておりました、デイビット様」
黒基調のドレスに市松模様の羽織を纏った司書──紫式部の出迎えを受ける。何故か後ろに居た法師──アルターエゴ・リンボといったか──にも軽く挨拶をすると、底知れぬ凄絶な微笑でもって返された。
「メッセージカード…と申しますか、招待状、ですね?」
「あぁ。貴方のマスターの為に」
紫式部からの問に答えると、彼女が何やら奥の棚を探り始めた。
「ふぅ、ありました。デイビット様、こちらを」
差し出されたのは、数色のボールペンと、金属のケースに入れられた色鉛筆だった。このケースの大きさであれば、30色は優に超えていよう。
「そちらに作業スペースがございます。私はこちらで執筆の続きを致しますので、何かご相談等あれば、いつでも私に」
「ありがとう、ではお言葉に甘えよう」
「はい。お互い良いものが書けますように」
紫式部に示された作業スペースには、既に先客が居た。青髪の少年──アンデルセンと、隣にいる紳士は、シェイクスピアか。作業が滞っているのか、アンデルセンの足元にある屑籠は没にしたらしい原稿が山盛りになっている。
彼等の作業に支障を出すのはよくないと、スペースの端の席に着き、筆記用具を並べる。さて、文面はいい。問題はデザインだ。
何はともあれ、と色鉛筆のケースを開ける。オレンジは絶対に使おう。となれば、使う色は暖色を基調とするのが無難か。
「おやぁ。何やらお困りの様子で、デイビット・ゼム・ヴォイド殿?」
ふと自分に声が書けられる。そちらに視線だけを向けると、道化師を思わせる着物を纏う、2メートルはあろうかという巨躯が自分を見下ろしていた。
「悪いが、素見なら他を当たってくれ、アルターエゴ・リンボ」
「ンンン、拙僧は蘆屋道満、しがない法師陰陽師なれば。あるたあえご・りんぼ…ンン、とんと存じ上げませぬ」
これ以上の問答は最早不毛と判断し、まだ白いままのカードに再び向き直った。少し後、隣の椅子が音なく引かれ、鈴の音が耳に入る。
「…時間がない。用なら手短に頼む、蘆屋道満」
「えぇ、えぇ、拙僧も微力ながらお力添えを致したく、ンッフフ…」
こちらの如何を問うこともせず、リンボ──否、蘆屋道満は本番用にと置いていたカードを摘んだ。何をするのかと問い返すと、今度は彼の式神らしきものが2体、色鉛筆をそれぞれ一本ずつ抱えて行った。迷いない動きに触発され、こちらも自分の作業に戻る。こちらにちょっかいの一つでも出してくるかと身構えてはいたが、杞憂だった。
「…こんなものか」
「こちらも完成致しましたぞ。文面はそちらにお任せ致しまする」
完成した2枚のカードを交互に見て、どちらがより立香に相応しいか思考する。
「…ンン、デイビット殿」
「何だ」
「迷わず自分の書いたものを選べばよろしい。そぅれ、この通り」
止める間もなく、蘆屋道満は折角式神に書かせたカードを千々に破り捨てた。
「何を」
「おぉっと! 拙僧、ナーサリー・ライムとの約定を失念しておりました。ではこれにて」
こちらの詰問をひらりと躱し、道満は式神一体を残して消え去った。何にせよ、これでカードのデザインは決まった。皮肉だが。
「紫式部、そちらで招待状の保管を頼みたい」
「えぇ、構いませんよ」
完成した招待状は、全ての準備が整うまで図書館へ保管してある、と本日の記憶すべき事項に付け足し、図書館を後にした。
今日は、随分と一日が長く感じた。
五日目。
今日はサー・ランスロットに連れられ、シミュレーターに居た。曰く、進捗こそ上々だが細かい部分の擦り合せが足りなかった、と。
「お疲れ様です、デイビット。急にお呼びしてしまい、すみません」
来訪に気づいた騎士王が、いち早くこちらに駆け寄る。
「いや。直々の挨拶恐れ入る、騎士王」
「そう畏まらずとも、アルトリアで構いません。ただ、何人か居るのでそこだけご注意を…」
騎士王──アルトリアの言葉の間に、他の騎士達も作業を止めこちらに向かって来た。昨日までの状況は分からないが、さっと見回した庭園は雑草が綺麗に刈り取られ、花壇の手入れが始まっていた。
「分かった。ではアルトリア、相談とは」
「えぇ、式の段取りを聞き忘れていたので早めに聞かねばと」
確かに、式の形式をアルトリアに話した記憶はなかった。形式の如何は式場のレイアウトにも大きく関わる。
「現時点では人前式を予定している」
「人前式、ですか」
「まず一つは、下手に立香を緊張させないため。もう一つは、このカルデアにいる全員がクリスチャンとは限らない以上、特定の宗教色が出る形式は避けるべきと判断したためだ」
納得したらしいアルトリアが、ふむ、と口元に手をやる。
「では、大掛かりな設備は必要なさそうですね。トラロック殿」
「えぇ、分かりました。では修繕と光の調整をメインにします、ね。皆様もそのように」
トラロックが出す指示に従い、騎士達はまた各々の持ち場に戻った。自分も他のタスクを終わらせようと踵を返すが、トラロックに呼び止められる。
「元・兄様のトラマカスキ。貴方がここまで他のサーヴァントと関わるなんて珍しいです、ね」
「必要だからそうしているだけだ」
「…ふふ。マスターに言ったらきっと泣いちゃいます、よ?」
トラロックは、言いたかったであろう事だけを淡々と述べ、さっさと作業に戻ってしまった。
さて、次にすべき事を考える。式場の設営は順調、衣装についても、今は待つことしかできない。では──
「もーうっ! やっと見つけたわ、王子様!」
思考停止。左手が誰かの手にぎちぎちと握り込まれている。大きさからして子供サーヴァントか、と振り返ると、そこにはナーサリー・ライムとジャック・ザ・リッパー、そしてアビゲイル・ウィリアムズがいた。皆一様に頬をぷうっと膨らませ、眉尻を吊り上げている。
「ナーサリー・ライム。皆も、オレは、何か君達を困らせるようなことをしただろうか」
屈んでナーサリーに視線を合わせ、問うと、彼女等は口々に答え出した。一斉に話し始めたため聞き取りに苦労したことは伏せておく。
「えぇ、ずーっと! 貴方、最近ずーっと根を詰めてらっしゃるわ! 頑張り過ぎは毒なのよ!」
「今日こそお休みさせなさいって、貴方の神様からきつぅく言われているの。だから御免なさいね?」
「きょうこそおやすみしないと、おかあさんにいいつけちゃうから! おかあさん、おこったらすーっごくこわいんだよ!」
特にジャック・ザ・リッパーからの脅迫が効き、大人しく彼女等に従うことにした。半ば引き摺られて来たのは、土足厳禁の休憩スペース。マット地の床は暖色系のパッチワークで埋められ、大柄なサーヴァントも余裕を持って休めるよう、特大サイズのクッションがいくつも敷き詰められていた。子供サーヴァントの彼女等であれば、川の字になって昼寝をしても十分に余りある。
「ったく。漸く休む気になったか」
「ッ…」
奥に居たテスカトリポカと目が合うや、ごす、と脳天に手刀が入れられた。頑丈なつもりではあったが、流石に頭部は鍛えようがないため、それなりの痛みは感じる。
「ミクトランパに居た時と言い、休憩下手糞過ぎじゃねえかってテスカトリポカ思うワケ」
「睡眠時間なら十分に確保している。手刀はやりすぎだと思うが」
「そういうことじゃねえよ」
些か乱暴に肩を押され、近くにあった大きなクッションに倒れ込む。ビーズ素材を包む肌触りの良いカバーにずぶりと沈む感覚は未知のもの。
「取り敢えず寝ろ。オマエが考えてるよりも、コトは順調に運んでるさ」
「わたしたちも、あなたのこと、いっぱいおてつだいする。おかあさんのためだもん」
「くまさんのぬいぐるみ、特別に貸してあげるわ。良い夢が見られるはずよ」
「寝物語は必要かしら。子守唄も良いけれど、あれはマスターの方が上手だから次の機会にね?」
言外に『早く寝ろ、休め』という圧を感じ、大人しく目を閉じる。
ぶつ、と意識が途切れ、次に目覚めた時にはもう夜の帳が下りていた。一度も目覚めなかった辺り、相当な疲労を溜めていたらしい。
就寝前、カドックの部屋を訪れた。
「せめて水面下で何かが起きていると気を向けさせるくらいはすべきだと、サー・ガウェインから進言されたのだが」
「開口一番でそれか。まあ、確かに一理ある。そっちも忙しいだろうしな、雑務くらいなら請け負う」
用件はそれだけか、とカドックに問われ、ああと首を縦に振った。
「ならもう寝ろ。テスカトリポカ神にどやされたんだろ、今後という今度は藤丸に叱られるぞ」
アイツも他の奴の事言えたクチじゃないけどな、とカドックは付け加える。下準備に立香を休ませる事を加えても良いかもしれない、と思いながら帰路に就いた。
…今日は早めに寝よう。今度こそ再びミクトランパ送りにされそうだ。
六日目。
「なーなーデイビットー、ボク見ちゃったんだー。あーんな格好良いタキシード、ボクにはとても作れないね! やっぱクレーンは凄いよなー!」
カドックと食堂に向かう道すがら、ハベトロットがご機嫌な様子で話しかけてきた。タキシード…テスカトリポカが特注したものか。
「デイビット。いつの間に頼んでたんだ、タキシードなんて」
「あぁ。この格好で出るつもりなのかとテスカトリポカに苦い顔をされたからな」
話すと、確かに彼ならやりそうだね、とハベトロットが苦笑いした。
「ところでハベトロット。藤丸見てないか?」
閑話休題としてカドックが問う。
「さっきすれ違ったばっかりだよ? マシュもいたから、たぶん食堂でお茶してると思うっ!」
ハベトロットの返答を聞くや否や、カドックの腕を引き、彼女への挨拶もそこそこに歩調を早める。昨日話した事を実行する良いタイミングだ。カドックもそれを察してか、掴まれた方の腕を雑に振り払い、歩幅を更に広げた。
最後に一瞬垣間見たハベトロットは、恐らく満面の笑みで、スキップを踏み出していた。
食堂に到着し、中を見回す。片隅に鮮やかなオレンジと、淡紅藤を見留めた。
「ん、おいしい!」
「はいっ! このとろけるカスタード生地、たまりません…!」
…エミヤ謹製であろうプリンに舌鼓を打つ二人の笑顔を一頻り眺めた所で、カドックと一緒に一歩を踏み出す。ここからは、立香の注意も引きながら立ち回らねばならない。
「二人とも。ハベトロットがデイビットを見るなり満面の笑みでスキップしてどこか行ったんだが、何か知らないか?」
成程、嘘はついていない。
カドックの発言に、立香とキリエライトが目を丸くし、顔を見合わせる。
「…よし、あったかい飲み物入れて来よう。みんな何がいい?」
かたんと立ち上がった立香の後に着いて行く。久々に立香と話す気がすると思うと、内臓がぎゅっと締め付けられるような心持ちがした。
「キリエライト、カドック。先に二人の分を」
「ありがとうございます、デイビットさん」
「ありがとう」
それぞれブラックコーヒーとミルクティーを渡し、立香を迎える。彼女の手には、『いつもの』二人分。これを飲むのも何日振りだろうか、という疑問を思考の片隅に追いやり、立香達の談話に耳を傾ける。少し経つと突然、
「マスター! シュシュ余ってない!? あー、できれば白いやつ!」
外から全力で走って来たハベトロットが、立香の腕をガッと掴み問うた。彼女がホットミルクに手を付ける前で良かった、と胸を撫で下ろす。
立香がハベトロットを連れて離脱し、キリエライトとカドック、そしてオレの三人が後に残された。向かいに座るカドックに目配せをし、口を開く。
「キリエライト」
「は、はいっ」
「突然だが、オレ達は立香に対してサプライズを計画している。それに伴い向こう数日、ハベトロットから作業の手伝いを頼まれるだろうから、できる限り引き受けて欲しい」
未だ状況が読めないでいるキリエライトを見やり、カドックが続けて口を開いた。
「藤丸とデイビットの晴れの日だから、キリエライトにも手伝って欲しい。具体的には…デイビットが準備を整えるまでに、藤丸に悟られないよう、当日の参加者を募ることか。あとはさっき言った通り、ハベトロットの手伝いも兼任してもらうが、いけるか?」
カドックの真摯な瞳に、キリエライトのかんばせにも真剣さが宿った。立香の後輩であり、ファーストサーヴァントともなれば、横顔が似るのもある意味必然と言えよう。
「…わかりました。マシュ・キリエライト、お二人の晴れの日を全力でサポート致します!」
ふんす、と胸の前でガッツポーズを作り、キリエライトが立ち上がる。空になったティーカップとソーサーを手際よく洗ったかと思うと、早速と言わんばかりにエミヤに声を掛け始めた。
「カドック。彼女も、立香に似たのかな」
「かもしれないな。危なっかしい所まで似てないといいが」
七日目。
今日は作業に余裕が出たため、朝から立香と共にシミュレータでの種火集めに向かっていた。スペース・イシュタルを他の面々でサポートする布陣であるため、マスターの負担も体感では少なく済むのだと聞いた。
「んー、今日はこれくらいかな?」
そろそろ帰ってお昼にしようか、と立香の号令がかかると、今回の周回に携わった面々から適度に緊張感が抜ける。
「イシュタルさんの宝具、やっぱりいつ見てもカッコいいですよね! こう、ずわわわわーっ、ごごごごごー、しゅばばーっ! て感じで!」
「ね! 何回見ても思わず見とれちゃう!」
「ふふん、褒めたってなんにも出ないわよ?」
彼女達の穏やかな会話を耳に心地よく感じながら、シミュレータの電源を落とすよう外部に指示を出す。一瞬の違和感の後、周囲はまた白に戻る。
先に食堂へ駆けて行ったアルトリア・キャスター達を見送り、そっと立香の方に手を差し出す。ほんのり頬を桜色に染めながら重ねられた手を、少しだけ強めに握り返す。伝わる温度が心地良い。
「あーっ、いたぁー!!!」
──突然、廊下中に響き渡る声が一つ。
「ハベにゃん!? どうし…ってちょ、待って待って!」
「話は後! マスターちょっと来て! デイビットも!」
何があったと問うより先に、空いていた手をハベトロットにぐいぐいと引かれた。到着したのが縫製部、ということは、衣装の採寸か、或いは手直しだろうか。
採寸ブースに入るなり、エミヤの出迎えを受けた。聞けば、彼もキリエライトの計らいでハベトロットの手伝い役として起用されたらしい。手際の良さと丁寧さを買われたのだろう。
「よっし、これでオッケー! エミヤー、そっちはどう?」
一足先に採寸を終わらせたハベトロットの声がかかる。
「ああ、こちらももう少しで終わる。しかし良く鍛えられているな、今度メニューを教えて貰いたいものだ」
エミヤは彼女からの問に答えると、また黙々と作業に戻った。無事にこのサプライズが成功したら、彼と普段のトレーニングメニューを共有する時間を作っても良いかもしれない。
「心配せずとも、明日には完成するよ」
ネクタイを締めると同時に、エミヤがこちらに向かって微笑んだ。
八日目。
式場の設営が終わったので最終調整を頼みたいと、サー・ベディヴィエールから連絡を受けた。夜、それも就寝時間少し前のことだ。
「屋外と屋内、どちらの式にも対応できるよう設営致しました。或いは片方を挙式、もう片方を披露宴に使っても良いでしょうと、我が王とレディ・トラロックより言付けられております」
「披露宴、か」
「はい。もし披露宴も行うのであれば、当日はエミヤ殿にキャット、村正殿も腕を振るってくださると。最高の料理を作ってみせると、皆意気込んでおられました」
そう言って笑うサー・ベディヴィエールも、当日が楽しみです、と嬉しそうにしていた。
「ですので、残りの時間はマスターの為にお使いになるのがよろしいかと」
お二人が一緒に過ごされないのを心配するサーヴァントも多いのですよ、と彼は続ける。今から部屋に行って、彼女がもう眠っていたら、との思考に至る前に、銀腕にばしっと背を叩かれる。
「しゃんとなさい、デイビット・ゼム・ヴォイド。恋人を無碍に待たせてはなりませんよ?」
行きなさい、と背を押され、そのままサー・ベディヴィエールは踵を返した。外套を翻す背に唇だけで礼を言い、ぽつぽつと常夜灯の灯る廊下を全速力で駆けた。
僅かに乱れた息と髪を整え、来客用のチャイムを鳴らす。ぱたぱたと足音が近付き、間延びした返事とともに扉が開く。
「デイビット!」
立香の触角がぴこんと立ち、ふわふわと愉しげに揺れた。ここにまで感情が出るのか、と思いつつ、立香に促されるまま部屋に通される。
「…立香、手を見せてくれ。左手だ」
並んでベッドの端に座り、立香の左手を取る。指の細さを確かめるように触れ、時折唇を落とす。薬指に集中してしまったのは、無意識だと思いたい。
細くて、傷だらけで、少しだけ冷え性な手。この手でずっと、大切な人を、場所を、必死に守ってきたのだと思うと、悲しくて、何も言えなくなる。
「…文句は明日のオレに頼む。今日はもう余裕がない」
肺に残った空気を押し出すように、立香ごとベッドに倒れた。立香が生きている。生きて隣にいる。それだけでずっと呼吸がしやすくて、それだけで良いと思っていたのにこのざまだ。恋とはこうも、ままならないものか。頭ではそう考えられるのに、最早立香を手放す気など、己の中には微塵もない。今この場で腕の力を弱められる程の余裕すら、ない。立香に髪を撫でられて、漸く肩の力が抜ける程だ。テスカトリポカ。おまえに言ったら、きっと酷く怒るんだろうな。
九日目。
決行日が明日に決まった。真っ先に図書館へ向かいたい足を叱咤し、食堂の一角に向かう。
「ジャック・ザ・リッパー、ナーサリー・ライム。君達に手伝いを頼みたい」
一緒に居たジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィも合わせ、四人で図書館への順路を辿る。
「おかあさん、いっぱいよろこんでくれたらいいね!」
「あぁ。皆に最高の笑顔を見せると約束するよ」
入口で今か今かと待っていた紫式部に声を掛け、招待状を受け取る。
「陰ながら、応援しております」
「これまでの助力、感謝する。良い式にする」
招待状を見つめ、今度は、ナーサリー・ライムの前に跪く。これは彼女等が適任だろう。
「皆、立香にこれを渡してくれるか」
招待状を手渡したナーサリー・ライムが、どうして、と驚いた表情でこちらを見つめる。貴方は一緒じゃないのか、と頬に書いてあるようだ。
「オレがこの式の首謀者であることは、立香には伏せて欲しい。然るべき時に、オレから立香に言いたいんだ」
彼女は尚も何か言いたそうに頬を膨らますが、最後には納得してくれたのか、招待状を大事に胸に抱き、笑顔を見せた。
「絶対、良い式にしましょうね! 絶対よ!」
ナーサリーが小さな腕を目一杯広げ、こちらに向かって手を振った。ジャック・ザ・リッパーもジャンヌ・リリィもそれに倣い、こちらにピースサインを送る。
彼女等に手を振り返し、深呼吸を二つして、自室へと歩を進めた。
十日目。
縫製部で、真新しいタキシードに袖を通す。白基調であるからか、どうもむず痒さを感じる。
「テスカトリポカ」
「飛び入りの奴等も含め、参加表明したサーヴァントは全員会場入りしてる。あとは俺達だけだ」
「何故それを早く言わない」
「主役は遅れるモンだろうが」
「新郎は寧ろ新婦を待つものだ」
髪を軽く後ろに掻き上げ、縫製部を後にする。ほぼ全員が参列者に加わったらしく、午前のカルデアには人影一つ見られない。
「おっと、一つやり忘れた事があったな」
シミュレータ室に入る直前、視界がテスカトリポカの煙に覆い隠された。テスカトリポカに理由を尋ねようとするが、それは叶わなかった。
「──いやぁ、悪いな。コイツの準備に思いの外手間取っちまった」
シミュレータの喧騒が、彼の一声だけでぴたりと止む。珍しく焦ったような立香の姿をまだ見られていないことが、現状唯一の不満点。
「…何故目隠しをした、テスカトリポカ」
どすどすと背を小突かれながら、テスカトリポカに理由を問う。
「あぁ? そりゃ目的は一つに決まってんだろ」
背後から愉しげな声が響く。
「お前が一番愛してる女の一番美しい姿を、お前の記憶に最も鮮烈に刻み付ける方法がそれだった。ただそれだけの話さ、デイビット」
さっと晴れた煙の先に、天使がいる。オレの天使、かわいいひと、オレだけの最愛。これ程自らの語彙力の無さを呪う日は無いと言える程、うつくしいひとがいる。思考を止めたら、言葉を止めたら、彼女の姿に見惚れるだけで本日の容量が消し飛びそうだった。だから、覚束ない声帯で、誓を紡ぐ。
「…オレは、君が言う『人間』からは程遠い。何と言おうとも、揺るがない事実だ」
立香との距離が一気に縮まる。自殺行為だ。こうまで近づいてしまえばどうなるか、分かったものではないというのに。それでも、溢れ出る言葉は止まることを知らず、手にはぐっと力が籠もる。
「だが自分が何であれ、君と一緒にいる時は…少しだけ、ゆっくりと息ができる。…だから」
ふと、右手に立香の手が重ねられていたことに気付き、言葉を止める。立香も、どこかぎこちないながらも精一杯に笑顔を浮かべている。
「私、自分でも、自分がもう普通の女の子じゃいられないって分かってる。私は『カルデアのマスター』で、『世界を壊した侵略者』。私の世界のために、君の世界だって台無しにした。目を背けちゃいけない事実。だけど、それでも…」
きりきりと力の入った手を、大丈夫、と握り返す。今にも泣き出しそうな瞳が、狂おしい程に美しかった。
「…それでも君は、私の中の『ただの女の子』の私を、好きだって言ってくれた。デイビットと同じ。私…」
次の言葉を察し、立香の唇の前に人差し指を立てる。折角のリップメイクを指などで崩してしまわぬよう、触れはせず。
「…きっと、今君が言おうとしている事は、次にオレが君に伝えるものと同じだ。一語一句、とまでは言わないが」
指を離し、二人同時に息を吸う。肺を満たす初夏の空気は、どこまでも清々しい。
「…仮令限られた時間だとしても、貴方/君と、一緒に息をしていたい」
ほら、言ったとおりだ。
真っ直ぐな瞳に射抜かれ、目が離せなくなる。とっくに恋には落ちているはずなのに、宛ら初めての恋に惑うように、胸が苦しくなった。
愛おしい。それだけが、今オレを動かしているのか。視界が潤む久方振りの感覚を、無理矢理かぶりを振って追い払う。
強張った手で、立香の代名詞とも呼べるシュシュに縫い付けられた御守のヴェールを上げる。そして、立香がまたあの日と同じく背伸びをする前に、そっと抱き上げ、細い顎を引き寄せた。
唇を、立香と同じピュアレッドに染め上げるために。