ジリリリリと今日の終わりを告げるベルが鳴る。その音によって解放されたかのように教室から廊下へ人が溢れた。あっという間にできた人と人の波間をすり抜け自分のロッカーの前へと体を置く。キィと蝶番が軋む音を響かせ扉を開ければ、一枚の封筒が美しく鎮座していた。新雪のような曇りのない白の上に黒いインクで私の名前が刻み込むようにしっかりと書かれていた。ステッカーだらけでがらんとしたロッカーとは纏う空気がまるで違う。どこか神聖さすら感じさせる光景だった。
「あー悪戯かぁ……」
柔らかな光でも放っていそうな封筒を目の前に飛び出た私の言葉はこれ。この時期、プロムに誘われたという話を聞く側の色恋沙汰とは遠い人間からしたらこんなものだ。元から荷物を少なかったし、鍵忘れた時が怖いからとロックをかけてなかった私がよくなかった。ちゃんと施錠しろというあの教師の言葉はこういうのを防ぐためにもあったのか、なるほどなぁと一人納得する。まぁどこかの誰かが悪ふざけで置いたかだろう、適当に読んで友人との話のタネにしてしまおうと持っていた数冊の教科書と引き換えに封筒を手に取った。悪戯にしてはしっかりとした封筒を使っているし、それはそれは美しい文字で私の名前が書かれていてなんとも言えない気持ちになる。こういうのは宛名なんてないけど一応裏面もとひっくり返せば『ジョナサン・ジョースターより』とこれまた綺麗な流れるような筆跡で記されている。じっくりと万年筆で書かれていることを確認しゆっくりと息を吸った。ジョナサンってあの成績優秀で顔も良くて、分け隔てなく接してくれる優しい性格で、ラグビー部で中心メンバーになってるあのジョナサン・ジョースターで間違いないのか? 頭に大きなハテナを浮かべながら差出人の文字を視線でなぞる。というか用があったなら直接言えばよかったのに、二つ前だけれど授業一緒だったのに、話さないということもないんだし。いや待てまだ本人からって確定した訳じゃないからといつも以上に頭を働かせている私の耳に『誰に誘われたのよ!』と浮かれた女子生徒たちの声がやけにはっきり聞こえた。……まさかね。一応だ、念のためだ、中身も確認しようと真っ赤な封蝋に爪をかける。少し手が震えて放課後の生徒が賑わう廊下の声が次々耳から外れていく。何度か引っ掛ければペリッと紙と封蝋が完全に離れた音がした。ぎこちなくなった手つきでゆっくりと手紙を引き出した。どこからかふわりと漂う優しい香りが鼻をくすぐる。便箋は一枚だけ、それでも紙から浮かび上がった凹凸から何かしらが書いてあるというのが伝わってきた。読むよ……読むよ! と誰に向けてかわからない決意を心の中で唱え、えいと紙を開いた。
『手紙、開けてくれてありがとう。突然びっくりしたよね。ごめん。
君に伝えたいことがあるんだ。明日の放課後、中庭で待ってるから君がよければ来てくれ。
それじゃあまた。』
なるほど、これは彼からのお呼び出しの手紙だったかそうか。思っていた文章と違い拍子抜けしてしまったような感じだ。封筒はもちろん、この手紙に綴られている文字もいつか見せてくれたノートに似ている気がする……気がするにしておいた方が、私が心穏やかに今日を終わらせられるきっとそうだ。そう思いつつも瞳はこのたった数行の手紙へと吸い込まれる。伝えたいことってなんだ。自惚れじゃなきゃそういうことだと思っていいのか?と頭を悩ませる。
「あーいたいたー」
右耳にしっかりと入ってきた友人たち二人分の声で一気に思考の波が引いていく。それと同時に廊下の喧騒が徐々に耳に戻ってくる。これ見られたらやばい!と咄嗟にロッカーに置いた教科書の間に手紙を潜り込ませた。バレてないよね?扉が盾になってたから大丈夫だよねと視線が泳ぐ私をよそに彼女たちは「今日さ、もう移動とか色々考えちゃお」「メイクも考えよ!」と口々にこの後の予定について楽しそうな笑顔で語りかけてくる。今回のプロムは友人同士グループでの参加も可になったから、彼女たちと一緒に行く予定だ、現時点では。
「そうだね!今日で大体一ヶ月前だし!」
カサカサになった喉から裏返った声が出そうになった。荷物の隙間に窮屈そうに挟まる手紙に視線が動く。自分の背負っているリュックのしかるべき場所にこの手紙を収めるまで、私は安心という言葉を使うことはないだろう。荷物入れるからちょっと待ってと問えば、ゆっくりでいいからねと有り難い言葉が返ってきた。一冊一冊、感触を確かめるように丁寧にリュックへ収めていく。友人たちはちょうど真後ろにいるようだが、私の体でロッカーまでは見えてないはず。早く出てきてと祈りながら荷物を詰めていると、周りの教科書が霞みそうなほど眩しい光を放つ封筒が姿を表した。素早くそれを掴むと、背中側にあるメッシュのポケットにしっかり収める。友人は……気がついていない、多分。最後の一つを収め大きく深呼吸。よかったなんとか大丈夫そうだ。しっかりとリュックが閉まっていることを確認し、お待たせと呼びかける。出てくる声はさっきよりも穏やかに聞こえた。ネイルはお願いするとか、やってみてほしいセットがあるとか私も含め、もう待ちきれないといった様子ではしゃぎながらゆっくりと廊下を進む。
タンタンタンと三人同じリズムで階段を降りた先から誰かがこちらに向かってくるのが見えた。あ、ジョナサンだ。あの体格だから遠目からでもよくわかる。安堵感を取り戻していた体が少し強張る。友人たちに悟らせないようにでもしっかりと大きく息を吸って吐く、まぁあれは本人と断定されたわけじゃないしね、うん。一歩、また一歩と足を踏み出せば、確実に距離が近づいていく。彼の進路はこちらなのは変わらないみたいだった。人を視界に入れるのがこんなに緊張したのは、宿題を出し忘れたあの日以来だ。あと五メートル……四メートル、あぁこれダメだ。ジョナサンと擦れ違う時に何かから耐えるようにぎゅっと目を瞑ってしまった、ちょっと私焦りすぎだ、勘付かれていいんだけど。友人たちは疲労と焦りに襲われどうしていいかわからない私ではなく、彼に釘付けだったようでジョナサンさ、誰のこと誘ったんだろうね!、やっぱあの子かなと噂話へシームレスに移動していた。楽しそうに話す二人に曖昧に誰だろうねなんて返す。
そういえばすれ違った時、彼からあの手紙と同じ香りがしたような気がした。