昨今流行っている作家として伏黒恵の名をよく聞く。彼は小説家でありながら、作詞もエッセイも書き、コラムニストでもあった。また、最近始まった漫画の原作者なども務め始めたというのだから、彼の精力的な活動には誰もが驚かされることだろう。
私が担当編集として初めて伏黒先生に対面した時、アイドルやモデルを目指しても良かったのではないかと思った。人目を引く美貌に加え、美しく響く声と彼の心地の良い距離感の穏やかなコミュニケーションから、人前に出ないのは勿体ないとさえ感じた。
先生は言った。
「俺は言葉を紡いでこの世に広く伝えたいことがあります。そのために作家になったので、場合によってはメディアの前にも姿を見せるかもしれませんが、今はまだこの立ち位置で頑張ろうかと」
著者近影から既に女性読者が増え、野次馬的下品なメディアの多くがこの作家を画面に写して撮れ高を狙っていたため、先生はすぐにメディアに引っ張りだことなった。
すぐにニュースのコメンテーターとしてもテレビで見かけるようになったが、それでも作家業を止めることはなく、寧ろ内容が更に人々の興味を引き寄せるものとなっていった。洗練され、先鋭化された感性が紡ぐ言葉や物語は雑味が交じることなく、先生の希望通り広く人々に読まれるようになった。
先生の描く物語には必ず気まぐれで理不尽な悪がある。人の形をしていることもあれば、集団の無自覚な悪意として描かれることもあるが、その理不尽な悪について、彼は処女作にて「両面宿儺」と名付けていた。日本神話の両面宿儺というより、都市伝説由来の命名だそうだが、その絶対的で揺るがない悪は、あまりにも苛烈で、残酷で、悍ましく、同時に目を逸らしたいのにそれが許されないほど魅力的だった。
彼の作品を追いかける人々は、以降の作品についても、必ず「今回の作品の両面宿儺」を探し出すようになった。表現を変えて現れる悪意の象徴「両面宿儺」をディープなファンは読み解こうとする。考察し、動画や記事にまとめ、議論し、正解を知らぬまま、伏黒恵が必ず描こうとする悪意について考えた。
私が思うに、人間には両面性があるということをわかりやすく示すために、「両面宿儺」という装置を使っているのではないだろうか。
人々は概念が名辞を伴うようになると、途端に理解したと錯覚するものである。実際には理解し得ていなくとも、言葉として表せるようになって、納得したように感じ、その名辞を便利に使い回すようになる。
我々もまた両面宿儺という名辞、あるいは装置、器というべきものを与えられたお陰で彼の作中の表現や事象への理解を表現しやすくなった。同時に陳腐化する恐れもあったはずだが、先生は我々の更に上を行く表現者であり創造者であった。
また、先生は貧困などの世界的な問題にも敏感で、様々な仕事と並行して世界中を飛び回り、慈善活動に積極的に参加された。年々増える富を様々な形で人々への貢献へ尽くす様は、外から見れば優しい人物として映ったことだろうが、担当編集である私から見れば、それは個人的な理由に基づいた妄執のような激しさを伴う行為であった。間近で見て初めて知るその強烈で揺らぐことのない決意によって為される行いを、世間のように簡単に賞賛するのは躊躇われたが、彼は確かに善行を為しているのであって、決して誰からも後ろ指を指されるようなことはしていないのだ。
取り憑かれたように世界中を飛び回りながら、作家として原稿を一度も落とすことなく、言葉を世間に与え続ける様子は、ただの表現者として扱うには軽すぎた。
先生は恋人を作ることなく、友人と呼べるような親しい交友を持つこともなく、それでも人々の心に訴えかける言葉で世間を魅了し続けた。
趣味はないのですか、働き詰めは心身に良くないですと言葉を掛けたとき、彼はちょっとその美しい顔に笑みを乗せただけだった。微笑んだとも違うその表情をどのように受け止めればよかったのか、最後まで私には分からなかった。
先生の本心と、紡がれて世間に見せている言葉は乖離しているのだろうと、何度か感じたことがる。
だが、言葉を紡ぐ、物語を描くというのは、誰かに何かを伝えたいものを理解しやすい形にする行為だ。
命は大切だというキャッチフレーズだけでは伝わりにくいから、人々はあらゆる形でそれを主張する。それにより、たった数文字の言葉だけでは取りこぼしてしまう内容を多くの人が理解できるようになる。
それが物語の力であり、人々が物語に役割を担わせる理由なのだ。
伏黒先生については、それを利用して何を伝えようとしているのか、時々分からなくなる。本心から遠い世間受けの良い言葉を、熱を持ったものに感じさせるテクニックには舌を巻くが、では、何故本心とは全く違うものを態々伝えようとするのか。伝えたいものがあるからこそ筆を執ったというのに、本心がどこにもない。しかし、本心がないと感じるのは担当編集として伏黒先生と接している私だけで、世間は伏黒先生の描く物語やその裏にあるであろうテーマについて様々議論し、美しく感じて、その話をそれ以上掘り下げることなく満足する。
だから、本心から乖離していると私が勝手に錯覚しているだけなのかもしれない。編集長も毎度原稿を読み、感心しているだけだ。だというのに、私だけは偶に引っかかりを覚えるのだ。何かを忘れたような焦りに近い。何を忘れたのか思い出せないまま時間が過ぎ去り、私はその焦りを毎度忘れ、焦るたびに焦ったことを思い出す。
私はテレビに映る伏黒先生が、「長年の努力が実を結びました。皆様のご協力に感謝致します」と手を叩いた瞬間、その焦りについてちゃんと考えるべきだったのだと後悔した。
だが、後悔した時には、既に伏黒恵の紡いで与えてきた言葉によって支配を受け入れていた私達は、影に囚われ、もう二度と光を見ることはなかったのだった。
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両面宿儺の概念を使用し、世界中に呪いを振り撒く行為は地道な努力が不可欠だった。かつての術式がない今、しかし伏黒恵はやり遂げなければならない使命に命を使い続けた。
呪言師の末裔のように、すぐさま効果を出すことは困難だったが、長く時間をかければ人々は伏黒恵の言葉を一度は耳にする。そうして支配を少しずつ受け入れさせ、恵は両面宿儺を知った人々を影に取り込んだ。
蠢く影から現れたのは、熱心なファンが懸想したとも言えるほどの熱意で考え続けてくれた両面宿儺だ。処女作で印象的に登場させたことや、インタビューで繰り返し名を出したことが功を奏した。
「こんな形で呼び出すとはな」
「遠い昔に死んだ奴の再現なんて、そう易易とできるわけ無いだろ」
眼の前にいるのが本人ではなくて、魂の形を限りなく近く模倣した別物であると分かっていても、尚、胸が苦しくなるほどの感情が蘇る。齢五十にして漸く感情を思い出した。そうだとも、涙が出るほどの激情は、この男が持っていったのだ。だから取り戻したくて、全てを使った。
「いつかの再演をしてくれ。ただ俺のために」
両面宿儺は高らかに笑い、伏黒恵の首にその大きな手をかけた。
「我が創造者、お前のその呪いを受け止めよう」