この世がいつだって残酷なことは、産まれる前から知っていた。
神様というものが存在するのなら、顔を見てみたいと思うことさえあった。
世界はいつだって残酷で、不公平で、公正で、平等で。
不平等で、公平だ。
そんな世界に、何度生を受ければいいのか。
答えは誰にも、分からない。
目が覚めた時、失敗した、と思った。
何に対して失敗したと思ったのか、どうして失敗したと思ったのかは、今となっては分からない。けれど確かに、朧気な視界と意思と記憶の中ではっきりと『失敗した』と思ったのだ。
父親と、母親の顔を見上げているらしい視界には、はっきりしたものは映らない。それでもそこに人がいることは理解出来た。
人。
人間。
鬼では無いもの。
その事を理解して息を吐き出したはずが、後に言う『産声』を上げていたなんて、誰が理解出来ただろうか。
純粋に、胎内記憶というものを有するのは、大体一歳から三歳ほど。それ以上の年齢になると、外部の情報などを加えて自分の『物語』を作りあげてしまうのだそうだ。そんなことを話しているバラエティー番組の『音』を聞きながら、私は『母親』の腕の中で揺れていた。
ゆらゆら、ゆぅらゆぅら。
もし、胎内記憶というものがあったとして。
もしも、外部の情報などを加えて自分の物語を作ったのだとして。
それになんの意味があるというのだろうか。
総人口の約8割が何らかの超常能力“個性”を持ち、その“個性”によって社会を守る“ヒーロー”という存在が確立された世界。
そんな、残酷な世界に、『私』は『私』として生を受けた。
ひらひらと視界に薄紅色の花びらが映る。
庭に咲いた桜の木が、今年も花を咲かせたらしい。私が生まれるずっと前からこの家の庭にあるらしい桜の木には、いつの頃に名付けられたのかは分からないが、『必勝』という名前があると、穏やかな声音で『母』が言っていたのを思い出す。
ああ、あの頃生きていた『家』の庭に咲いていた木も同じ名がついていた、と懐かしく思ったのは少し昔の話。窓に光が反射して、屈折を起こし、私の顔を映す。四つという年頃にしてはひどく静かな笑みを浮かべ、桜の木を眺めていた私の顔は、母によく似ていて――そして、『|私』が憧れ、信じ、慕い、師と仰いだ、『あの人』によく似ていた。
ことの始まりは中国・軽慶市から発信された、「発光する赤児」が生まれたというニュース。以後各地で「超常」が発見され、原因も判然としないまま、時は流れる―。
世界総人口の八割が何らかの特異体質である超人社会となった現在。生まれ持った超常的な力“個性”を悪用する犯罪者・敵が増加の一途をたどる中、同じく“個性”を持つ者たちが“ヒーロー”として敵や災害に立ち向かい、人々を救ける社会が確立されていた、この世界。
髪色も容姿も容貌も様々な現代社会において、私の髪は『前時代的』な程に真っ黒で、しかし、毛先はどうしたことか『藤の花』を思わせる紫色。
好きな色だ、と思った。
藤の花は、鬼が嫌う花。
鬼に効く毒を精製できる花。
美しい『あの人』が、食んでいた花。
「名前」
今日も桜を眺めているの? そう問いかけてくるのは、『母』だ。根元から毛先まで美しい黒の髪を、腰元まで伸ばし、蝶の髪飾りで纏めている笑顔の優しい女性。何の因果かと、思ったものだ。
「名前は花が大好きだな」
低すぎず、けれど決して高くはない声がした。『父』が私と母を抱きしめるように座り込んだのを、僅かな空気抵抗で感じ取る。
穏やかに微笑むその様は、誰かに似ているようで、その誰かは良く思い出せなかった。父は明るい紫色の髪をしていて、一目で私の『父』だと分かる程には似た髪の色だった。
おとうさん、おかあさん。舌足らずな声が私の喉から発せられた。こんな風に誰かを呼ぶことになるとは、あの頃は全然思いもよらなかったなと、いつかの私へ思いを馳せた。
父と母は例に漏れず、ヒーローという名の仕事をしているらしい。それを知ったのは、周囲の大人がそう言っていたからに他ならない。あまり興味はなかったものの、立派だと、凄いと周囲が言うおかげで、恥ずべき行いはできないと己を律する癖が付いたのは、他人事ながら僥倖だったと思う。
父と、母と、それから私。
常から家にいることは少なかった両親だったけれど、不幸ではなかった。
家族が揃って、笑顔でいられる。
何者にも、理不尽に奪われることがない。
当たり前の普通を、共に過ごすことが出来る。
一緒に食事をして、同じ時間を共有できる。
これを幸福と言わずして、なんというのか、私には分からなかった。当たり前のことを当たり前に過ごせる。日々を何事もなく過ごせる。穏やかで静かで、真っ当に暮らしていける。平凡と呼ばれても構わない。ただあるがままの日常を謳歌して何が悪いというのか。
「平和だな」
舌足らずに呟いた声は、いつかの私を感じさせないほど、緩やかで穏やかな声だった。
そんな平和が、いつまでも続くなど、どうして思えたのだろうか。
この世がいつだって残酷なことは、産まれる前から知っていた。
神様というものが存在するのなら、顔を見てみたいと思うことさえあった。
世界はいつだって残酷で、不公平で、公正で、平等で。
不平等で、公平だ。
そんな分かりきったことを、どうして私は忘れていたのだろうか。