私は『あの人』の継子になりたかった。
空気がしんと冷たくなって吐き出す息が白くなる。
その頃になると、庭に咲いていた桜の木は枝が寒々しく、花の代わりに雪をその細い枝に被せていた。暖かな部屋の中から出て、庭先に立つ。はらはらとサラサラと、雪が降る中でぼんやりと桜の木を見上げていると、差し出された大きな紺色の傘に視界を遮られた。相澤さん、と保護者の名前を言えば、彼は眉間の皺をより深くしながら「何してるの」と低い声を出した。
怒っているようにも見える表情は、その実、私を心配してのことだと知っている。
すみません、と言えばいいのか、それとも、ごめんなさい、だろうか。
こういう時、一番『妹』だったあの子は――目のとても良かったあの子は、なんと答えたのだろう。
私が何も言えず、考え込んでいると相澤さんは少しだけ息を吐き出し、生え始めていた髭を指先で撫で付けるように動かすと、私が見上げていたように桜の木を見上げた。
何がある訳でもなし、ただ降り積もる雪が花びらのようだったから、寒々しくも眺めていただけ。
「大丈夫」
また春になれば花が咲くよ。相澤さんは少し考えながら、そう呟くように言葉を落とした。至極当然のことだ。けれど、当たり前、当然、という価値観が存外脆いことを、私も――そしてヒーローである[[rb:相澤さん>かれ]]も、よく知っていた。
「それなら、良かったです」
そっと息を吐き出す。白い息が花弁のように風に舞って、それから解けて消えた。
風邪をひくから家の中に入ろうか、と私の手を引く彼の温もりは、その高さは違うはずなのに、皆に姉と慕われていたあの人たちの手の温もりに似ていた気がする。
大きな手にすっぽりと覆われ、彼の半歩後ろを歩きながら、私は『必勝』という名のついた桜の木を振り返る。
蕾は、徐々に膨らみ始めていた。
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子どもが出歩ける距離など、たかが知れていよう。
だと言うのに、目の前の子どもは『たかが』を越えてきてしまったらしい。ボロボロと溢れる涙を乱暴に拭う彼の手を宥めながら、ハンカチをそっと目元に押し当てた。
片方の目元は痛々しい包帯に覆われていて、彼の幼げで可愛らしかった非対称の色合いをした目は隠されてしまっている。
保護者は仕事でいない。だと言うのに、彼は幼いながらも記憶を頼りに私の家まで辿り着いてしまったらしい。どうしたものか、と思いながら子ども二人で外にいるわけにも行かず、家の中に招き入れたのだった。
要領を得ない子どもの泣き言を整理してみれば、他人が口を出しても良いものかと躊躇われるものばかりで。彼の母はそんなにも心の弱い人だっただろうかと、在りし日の彼女を思い出しては、私の両親と静かに、けれどやや俯きがちに話をしていたその背中を思い出す。
もしも、仮に。
私の両親の――どちらかが健在であったなら。
彼の母君の不安や苦しみといったものを取り除けていた、あるいは軽減できたいたのだろうか。そんな詮無きことを考えては、零れそうなため息を飲み込む。誰かに話しをしてきたのだろうか。分別のつく年嵩の誰かはこの状況を理解しているのか。何も分からないまま、私は『しょうちゃん』が落ち着くのを待った。
しゃくり上げる声が段々と落ち着きを見せ、ほろほろと、零れる――というより溢れていた涙は、小さな粒になり、やがて止まった。
ああ良かった、と安堵しながら彼の肩を撫で続ける。
それから、さて困った、と高い天井を見上げた。途方に暮れる、とはこういうことを言うのだろうかと、下手な逃避さえしてしまいそうだ。
よく遊びに来ていたとはいえ、彼の家の連絡先など知らないし、私は家で留守番をしていなければいけない。かと言って彼をまたひとりで家に返すわけにも行かないし、と悩みは尽きない。
もしも私が、ある程度――つまりは、前の世で死した頃合くらいの年齢であったならば、彼を送ることも出来ただろう。あるいは、現在鍛錬中の呼吸が、しっかりと身につき常中出来ていたならば、仮に悪漢に襲われたとて身を守るくらいはできただろう。
しかし、私は現状ただの子どもで、彼を守るどころか自分の身を守ることさえ手一杯だ。
そんな私に何ができるというのだろう。
もうすっかり癖になり、習慣付き、慣れた微笑みの裏側で、もう何度目になるか分からないため息を吐き出した。
かける言葉が、見つからない。
こんな時、あの人ならなんて言うのかな。
継子、と言うよりも『あの人の姉』が遺していった弟子、という立場にいた私には、自分の中で鎌首をもたげた疑問の答えが分からない。
早く、帰って来てはくれないだろうか。
いつも以上に、|保護者の帰りが待ち遠しく感じた。
彼もプロヒーローなら、目の前で船を漕ぎ始めたしょうとくんの父親に連絡を入れることもできるだろう。そんな淡い期待を抱きながら、本格的に泣き疲れたまま寝ようとしている子どもに毛布を持ってくるため、立ち上がった。
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結局彼は、あの後すぐに迎えに来たお姉さんの手を取る形で家に帰っていった。彼のお姉さんは、母君に似ている容姿をしており、そばにいると安心するのだろうかと思う。
今日も今日とて、鏡の前の自分に挨拶をする。おはよう、と口を動かして、ニコリと静かに微笑んだ。
大丈夫。感情の制御は上手くなってきている。
ふぅ、フゥゥ、と呼吸を繰り返し、肺の動きを早める。
前の世で、私が習得した呼吸は『水』。花と蟲の根本にある呼吸の型。つくづくと水には[[rb:縁 > えにし]]があるらしい私は、今の世でも水に縁があるらしい。習得が早いというのは、それだけ呼吸が体に合っているということだ。
肺は、常に使い鍛えなければならない。
死ぬほど鍛える、それしかないのよ。優しげな声音と微笑みで言い放った『花柱』を思い出しては、空気を大きく吸い込んだ。
まずは呼吸。
次に体。
第一段階から躓くわけにはいかないのだ。
「陽子ちゃんは何になりたいのかな?」
幼稚園の、何らかの時間だったと思う。教諭である女性は、和やかな笑みで問うてきた。普通の子どもならきっと満面の笑みで、なんの屈託もなく、ただひたすらに純粋に『ヒーロー』と答えるのだろう。
だから私も、いつも通り微笑み、一等静かな声で答えるのだ。
『ヒーロー』
と。