いつかに買った本を中々開けないのは戒善の悪癖の一つである。だから今回もこの本の表紙を持ち上げたのは、参考にしたかった分を別の文献を参照して書き上げた後であった。
内容は、金稼ぎの話。しかしただの金稼ぎではなく、路傍に転がっていた家なしの子を買い取ってさてどうするかと考える。色にも労働にも使わずにどう稼ごうか――という、内容自体は中々に当時の価値観にメスを入れるようなもの。一本道ではなく、子供たちの出自が段々と顧客を確保するための鍵となっているような感じで、言葉遣いの拙さは置いておいて読み応えに関しては文句がない代物。一発逆転を狙った自費出版の|作品ものであったらしいのだが、やはり行き詰まり行方をくらませた売れない作家ということで中々見つけづらかった。たしかこれを買った時には何を調べようとしていたのか、戒善からしたらひどくうろ覚えだ。要するに、散財したかった時に買ったものなのだからいつ読んだって自由だと戒善は思うことにして、ページを開く。こういう時はいっそだらけながら読んでしまってもいいとソファーに足を投げ出して横になる。そのあたりで同じように古書に興味を抱いた話唱がソファーの背面から顔を突き出して覗いてくる。しかしこの時点で過集中の域に入ったのか、少し荒い字を追うことに夢中になっていて戒善は何も言わなかった。元より数少ない部数での出版だったのだろうが、古びた紙の上を走る文字を指で辿って読む。その空間を共有するための言葉はいらない。怪異も人間も、物語の前には無力である。あるとすれば、時折本を閉じて戒善が「コーヒー、砂糖少しだけ入れて」という言葉に「はいはい」と反応して話唱がゆらりと離れて苦い知恵の味を汲み取るだけであった。
「これで大体半分超えたくらいか」
「自費出版だし、多くのページを用意するのは難しいと思えば上等じゃない?時代に恵まれなかっただけで、普通に話としては面白いし」
「あんた、推薦文とかでも情景とかほとんど触れないもんな」
「あれ、バレてる。まぁそうだね。話の筋わかる方が好きかなぁ。芸術性高いのは共感できない」
「だろうなぁ。続き読ませろよ」
「はいはい」
唆されてめくるページ、八十六。しかし、めくる前に戒善は目ざとく何かに気付いたようで、「うん?」と声をあげる。
「どうしたんでさぁ」
戒善は黙って端の方を指さす。どうやら、インクの滲みのようだ。他のページには見られなかったから、これだけということになるが、それにしては不自然だ。話唱も思わず言葉をやめてしまい、戒善は黙ってページをめくった。
そこにあったのは。それまでの文字の並びの一切合切を無視した、殴り書きの寄せ集め。しかし文字の重なりはなく、あくまで秩序を伴ってこれを書いているように思わされた。
「……」
戒善はそのどれもを先ほどと同じように指でなぞり、言葉を解いてみる。
『脳なし』『気違い』『おまえのぶんがくがひとをころした』『厚かましい』『シンデシマエ』……数えればきりはなく、戒善は思わずソファーに沈めていた身を起こした。話唱もそれを読めたところでわかりやすくウゲと目を開く。
「なぁ、戒善さ」
「ごめん、ちょっと、これ、読めないかもしれない」
本を置く。手に持っている栞を挟まなかったあたり、本気で読みたくなかったのだろう。それはまるで、書かれていた言葉が自分事であったみたいで――
「そうしな。読みたくなったら読み返せばいい」
だから話唱はそう言って彼から本を掠めとる。件のページのその先は、またもとのように物語が続いている。きっと一週間もしたらけろっと読めるようになるのだろうと思いながら、テーブルに本を置いて話唱は戒善のマグをとってコーヒーのおかわりを注ぎに行った。
何気なく買った本の89ページ目からはずっと自分宛の罵倒が書かれていて読むのをやめた
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