https://kakuyomu.jp/works/1177354054882488200
kakuyomu.jp
↑続き
第36話「ようやく並べた」
マリアは顔は真っ直ぐに、ただ目だけをキョロキョロとさまよわせている。体は固く、まともに動かない。
(いったい、これはどういう状況なのかな)
扉を開けると待ち構えていたシルクに中央に促された。そのまま、彼は無言になり、マリアは部屋の中で立ち尽くす。目の前に居るのは、紛れもなくシルクだ。
ただ、まとう雰囲気は彼女の知っているものではない。
(なんか、冷たい?)
マリアは知らない。それこそが、組織の中で立ち回る時のシルクの姿だと。
軍人としても温和な空気をまとうシルクである。上の立場の者と対するとき、彼をなめてかかる者もいた。しかし、シルクは臆さずに堂々と立ち振る舞う。彼の配下に属する者達を護る為に。
何とかシルクと目線を合わせようとする。しかし、それは叶わずに彼の顔を視線は素通りする。居心地の悪さを感じてしまうのだ。自然と、横に立つアゼルと目が合った。そんなマリアに向けて、アゼルは肩をすくめる。
(助けを求められてもな、俺には何にもできん)
アゼルは当然、シルクのこういった面は見慣れている。しかし、なぜ今なのか。どうやら、アゼルもシルクのスイッチがなぜ入ったのかは見当もつかないようだ。
(何を言われるんだろう)
シルクに呼ばれたと聞いて部屋に向かっていた時のマリアは、折れること無い強い気持ちを抱えていた。
側にいたい、その願いを聞いたシルクはきっと拒絶する。実際、マリアの想像通りの反応だった。これからのことだって、また説得しようとしているに違いない。この場から離れるように、と。
しかし、そうはいかない。彼女は彼女なりの覚悟を持って、この場所にたどり着いたのだ。本当に、力尽くでなければ自らの意思で立ち去るつもりはない。
しかし、シルクがマリアを追い返すために実力を行使したらどうなるか。
そのときは、何もできない。マリアは、そこまで自分を排除しようとするシルクに逆らうことはできない。そちらの覚悟もしていたのだ。シルクは自分の世界にマリアが足を踏み入れることを許しはしない。庇護されるべき対象、そこにはしっかりと線を引く。そして、己の全てで護るのだ。
それこそ、マリアが慕っていた兄の姿である。
だから、そうなたったら、それは自分の限界なのだろうとマリアは思う。まだ、届かなかったのだ。彼の背中には。
(……だめだな、弱気になってる)
それでも、諦めるつもりは無いのだ。たとえ、追い出されても、帰るつもりはない。帰ったふりをして、近くの教会に身を預ける。そして、再びの機会を狙うつもりである。
そうだ。幼い頃に願ったのだ。弱い自分の前に立つ、シルクの背中を見て。マリアはいつしか心に刻み込んだ。
彼に護られるのではなく、横に並び立って同じものを見たい、と。
「マリア」
「はいっ!」
ビクッとマリアの背筋が伸びる。シルクの刺さるような呼びかけに、マリアは反射的に高い声で返事をした。
(ああいうところは、まだ年相応なんだな)
二人を見守るアゼルはマリアに微笑ましさを感じつつ、シルクの次に出てくる言葉を想像する。おそらく、こうだろうというのはマリアを呼びに行っている途中で思い至っている。
ただ、本当にそれでいいのか。そう、シルクに問えなかった自分をアゼルは悔いている。シルクが言葉を続けたら、もう、後戻りはできない。
「これは、まだ僕だけの意見だと考えてもらっていい。これから、上には働きかける。だから、実現するかは分からない」
(ああ、やっぱそうか)
予想通りの前置きに、アゼルは表情を変えずに舌打ちをする。そんなアゼルに対し、まだ状況が読み込めないマリアは目を丸くしている。
「僕は、君を民間からの協力要員として推薦する。これが通れば、君は、僕の配下として命を受けてもらう立場になる。それについて、君の了承をもらいたい」
「……えっ」
シルクの固い言い回しにマリアの思考が追いついていない。
「君の、その力を貸してほしい。君が良ければ、だけど」
そんな彼女の動揺を察したシルクは、簡易な言葉を続ける。ようやく、マリアは事情が読み込めた。彼女の目が大きく見開かれていく。
理解できた。それなら、マリアの答えは決まっている。
「はいっ、喜んで」
そんな彼女に、シルクは表情をほとんど変えず、ただ「よかった」とだけ呟いた。
シルクは立ち上がり、マリアの側に近寄ると右手でその肩を軽くポンポンと叩いた。
「お疲れ様。これからのことは、まだ決まっていないから、ゆっくり休むといいよ。アゼルに、部屋とかは任しているから」
それは、マリアもよく知っている彼の優しい声だった。そこで、緊張が途切れたのか、マリアの体にどっと疲れが押し寄せる。それが表情に出ていたのか、シルクはマリアを見て微笑んだ。
さっそく、話しに行ってくるとシルクは部屋から立ち去った。呆然とするマリアと、複雑な表情を隠さなくなったアゼルを置いて。
しばらく、無音の時が流れた。そして、どさっという音で時間が動く。
「嬢ちゃん!」
目の前で崩れ落ちたマリアを見て、慌ててアゼルが駆け寄った。
そんな彼を、マリアはその細い腕で制した。
「だいじょうぶ、だいじょうぶです」
緊張が解けたからか、マリアの体から一気に力が抜けた。同時に、なぜ溢れてきたのか分からない涙が頬を伝う。拭っても、止まる気配が無かった。
「よかった」
一つ、大きく息を吐くとマリアは胸に手を当てる。
「ようやく並べました」
あの日、家を捨てる覚悟で遠ざかったシルクの背中。霞んでいたそれが、ようやく見えるところにまで来た。
マリアは、そんな満足感を感じ取っている。
(……いいのかね、これで)
ただ一人、そんな彼女を見て不安を感じているのがアゼル。彼女の本願、それを少しは聞いていたからシルクが受け入れてくれたこと自体は好ましいことである。
しかし、だ。
同時にシルクには、最後まで突っぱねて欲しかった思いもアゼルにはあった。
(最後の、『聖域』だったろ。この子は)
気合いを入れ直して立ち上がるマリアの愛らしい仕草を表情変えずに眺めながら、アゼルは内心で嘆息する。
シルクの周囲に存在する、ままならない現実。彼の理想の前では障壁でしかない。
それでも、マリアは唯一、シルクが護っていたかった『現実』だったはずだ。彼女を目の当たりにしたときのシルクの動揺からも、アゼルにはそれがよく分かった。
それでも、シルクは決断した。マリアを、自らの理想のために費やす同士とすることを。
(逃げ道を、無くしちまったよな)
もともと前にしか道はない状況ではあった。しかし、シルクには縁を切ったと公言しながらも、アルビス家とマリアという存在がいた。いざというときは逃げ出す口実となったろう。
しかし、こうなったらシルクは後戻りできない。たとえ、マリアを失おうとしても止まりはしないだろう。
(しっかりと、傷をつくりながら、な)
「アゼル様?」
黙り込んでいたアゼルにマリアが話しかける。アゼルが苦悩していることはおそらく分からない、いや、シルクと共に行ける事実への喜びで隠されてしまっていてマリアには考えも付かない。
「悪い。じゃあ、ちょっと案内しようか」
アゼルは自らの憂いを笑顔に隠し、マリアを部屋の外へと促した。彼女に見えないところで拳を握りしめ、己の役割への決意を新たにしながら。