西の果てに魔王あり。
 その言葉を誰も信じてはいなかった。その恐怖が眼前に迫るまで。
 サラランヌ大陸東の最果てにある土地、クレーゼルに住む人々は風の噂に聞く魔王の暴虐を他人事のように感じていた。たとえ、強い魔の物だとしても、いつかは討伐されるはずだ。今までも、そしてこれからも、それは変わることの無い事実。
 そうだ、自分達には関わりのない異国での出来事なのだ。目が覚めれば、もう覚えていない覚醒後の夢のごとく。跡形も無く、すぐに消え去るものだと。
 しかし、それは夢幻の話ではない。紛れもない現実であり、実際に襲い来る脅威であった。
 西の大地を混沌の戦場に変えた魔王の軍勢は、遙かな頂を越えてこのクレーゼルにも押し寄せる。その力、まさしく魔王と呼ぶに相応しいものであった。彼の悪意は、クレーゼルの各国にも牙を剥く。
 建国以来、常にいがみ合っていたクレーゼルの四皇はその圧倒的な猛威に対して、ついに手を取り合うことを決意する。しかし、魔王の実力は彼らの想像を超えていた。いつしか協力体制は有名無実となり、連合は崩壊し、自国の防衛で精一杯になっていく。
 先の見えぬ閉塞感。じりじりと追い詰められていく恐怖。民は、ただ己が命が永らえることを祈っていた。
 しかし、そんな闇の時代にも光が現れる。
 それが後の世に、勇者と讃えられる若者の存在であった。
「まさか、この剣が通らないなんて」
 まだ幼さの残る顔立ち。しかし、その眼には死線をくぐり抜けた者だけに宿る光。悔しげに顔を歪ませる彼こそ、『勇者』アイヴァンである。
 彼の登場が、滅びへと歩んでいたクレーゼル、いや大陸の歴史を転換した。柔軟に動けぬ国家に対し縦横無尽に駆け巡る。そして、多くの支援を受けて各地を転戦した。人の希望を吸い上げ、魔王がもたらした闇を切り払う。彼の背に四皇も再び奮起し、クレーゼルから闇の軍勢を押し返していった。
 そして、アイヴァンはついに西の地にも攻め込み、魔王の居城へと攻め込んだのだ。
 彼が背中を預けるのは頼もしい仲間達。最初は懐疑的に受け止められた彼の正義も、彼自身の熱意と誠意で信頼を勝ち取った。彼の語る未来が実現する。そう、仲間達は信じた。
「まだ、終わりではない」
 その一人が、崩れ落ちそうになるアイヴァンを支えた老戦士である。
「気を張れ。この先に、おまえの言う未来とやらがある」
 彼も、アイヴァンと同じ未来を見た一人である。
「ロラン」
 老戦士の名を呼ぶ彼の声は、さすがに弱っている。無理も無い。他の魔物を屠った渾身の一撃が、魔王には届きもしなかったのだ。
 しかし、ロランを見る眼には陰りが一切無い。それでこそ、とロランは思う。
(それでこそ、私を山から引き下ろした男だ)
 人に興味なく、ただ己の力を高めるためだけに生きてきたロラン。そんな彼を、溢れんばかりの情熱で旅の道連れにした。アイヴァンはそんな男だ。
「私に考えがある」
 だからこそ、己の命をかける価値がある。ロランは決意を込め、右手を握りしめる。
 この闇の巣窟にあって、身を守る鎧の類いを身につけていない。武器すら持っていない。
「私の一撃で、あの闇の気を払おう」
 いや、武器はある。
「私の全力を、この右拳に集める。さすれば、あの闇の衣を突き破れるだろう」
 彼の体、その全てが一撃必殺の武器なのだ。
 目の前の魔王は、体だけで言えばそれほど大きくない。大人が見上げる程度である。しかし、その全容ははっきりとは見えなかった。その体は、まるで靄がかかっているかのようにぼやけている。
 声、というには気味が悪い。動物のそれとは一線を画す咆吼が空気を揺らし、それに合わせて、その闇も炎のように揺らめいた。
(やはり、あれをどうにかせねばな)
 アイヴァンの剣が魔王に届かず阻まれたとき、ロランの目にはその黒い靄が彼の剣を包むのが見えた。それこそ、魔王を害するものを排除する鎧なのだと気づいたと同時に、ロランの目は真実をとらえる。
 自分の、持ちうる全ての力であれば、あの靄が掴む前に魔王の体に届く。そう、ロランは確信した。
 その提案に、アイヴァンの瞳の光が揺らぐ。
「ロラン、しかし、それは」
 まだふらつくアイヴァンを、ロランの後ろに控えていた少女、マイアに預けた。彼女も、魔力切れで顔が青白い。しかし、アイヴァンを回復させるだけのそれは残っているはずだ。
 それでいい。自分の感覚が正しければ、アイヴァンは魔王は屠れるだけの能力を持っている。
(それには、あの衣だけが邪魔だ)
 あれが残っている限り、絶望的な戦力差。しかし、希望は確実にある。この拳が届けば、必ず闇は晴れる。ロランがその責を果たすことができれば、未来はきっとつかみ取れる。
「だめだ、ロラン!」
 アイヴァンの声を置き去りに、ロランは駆け出す。魔王に近づけば近づくほど、その異質な存在に鳥肌が立つ。
 この相手を前に、一番最初に斬りかかったのだ。やはり、アイヴァンは『勇者』と呼ぶに相応しい。彼との出会いが頭に蘇った瞬間、ロランは最後の一歩を踏み出した。
 それは、一歩と言うより跳躍。まさしく、捨て身となってロランは魔王に右拳を振り下ろす。
 
 最初、魔王はアイヴァンの剣のように闇の衣に任せてロランを弾き飛ばそうとした。絶対的な強さをその目に、心に、叩き込むことで心を折ろうとして。
 しかし、それは無数の魔の物を率いる将である。初めて見るロランの一撃が、まさしく己にとって必殺の拳なことに寸前で魔王は気づいた。
 受け止めるのを止め、魔王はその右腕を伸ばした。鋭利な刃物になったそれは、ロランを貫こうと襲い来る。
 魔王は考えた。重く、強烈な刃なれど、これほどの戦士であれば容易く避けるであろう。その時こそ、彼の最後である。左手に込めた力を放てば、たとえ魔王が脅威とみた相手であっても命は無い。
 しかし。
「ぐふっ」
 その刃は、そのままロランの左脇腹を深く抉った。痛みの感覚は切ってあっても、ロランに強い衝撃が襲う。
 それでも、彼の右拳は止まらなかった。多少、遅くなっても届けばいい。あとは、己が体重だけで押し込むだけ。
「はあぁっ!」
 全てを込めた一撃。それは確かに魔王をまとう靄を弾き飛ばし、その頭上に振り下ろされた。
 広い部屋を揺るがす巨大な魔王の叫び。それは、ロランの一撃が確かに届いた証拠だった。魔王は、だだをこねる子どものように両腕を大きく振って、ロランを弾き飛ばす。
 彼の体は強く壁に打ち付けられた。
「ロランッ!」
 その様を見て、回復が終わったアイヴァンが剣を握りしめて駆けだした。その足は、真っ直ぐにロランに向かっていたのだが、それを判断する余裕が魔王にはない。
 その身の危機を察して、魔王は今までの威厳もなく奥へと走り去った。
 そんな魔王を横目に、アイヴァンはロランに駆け寄り、力なく地面に伏せる体を抱き起こした。ひやりと冷たさを感じる。彼の鮮血が、床を塗らしていた。
「何をしている。魔王を、追うんだ」
 ロランの声はどこからか空気が漏れているかのように聞き取りづらい。アイヴァンは小さく首を横に振る。
「君をこのままにしてはおけない」
 アイヴァンは後から追ってきたマイアを呼ぶ。おそらく、彼女の治癒術を自分にかけるつもりなのだろうとロランは察する。そして、同時にそれが意味を成さないことも分かっていた。
 事実、ロランを視認できる位置にまで来た彼女はぴたりと立ち止まる。その目が大きく見開かれる。戸惑い、それが去った後、それでもマイアは術の行使の準備を始めた。
 その姿を見て、ロランは微かに微笑む。
「アイヴァン、彼女に無理をさせるな。無駄に疲れさせてはいけない」
 ロランは、自分が助からないことを悟っている。そして、マイアも自分の術が届かないのを
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魔王無き世の英雄譚~かつて世界を救った『拳聖』は今生で『剣聖』を目指します~
初公開日: 2022年09月14日
最終更新日: 2022年09月23日
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