①主へし没ネタ(一番になりたい長谷部の気持ちが刀に伝染する話 主刀気味)
【必読!】という赤文字が躍るメールを受信したのは夕飯前のことだった。今日の仕事はおしまい、と机周りを片付けていたのに緊急通達を示すライトが点滅していたから渋々開いた。しかしタイトルを読んでみれば【伝染病注意】の文字。なんだなんだ、インフルエンザの季節か? と思いながらスクロールバーを下へ移動させる。毎年この季節になると現世ではインフルエンザが流行るらしいが、本丸にいる俺、それから人ではない刀剣男士には関係のないことだ。本丸も、演練場も現世とは隔離された空間だし、伝染病にかかりたくなければその時期だけ現世を避ければいいだけの話だ。審神者になってから数十年、ずっとそうしてきたし、他の審神者も同じはずなのに、何をいまさら。しかしメール本文を斜め読みしていくうちに、どうやらその伝染病は人間ではなく、刀剣男士にかかるものらしいと分かる。どういうことだ? と思いながらさらに読み進めようとすると、後ろからくすくすと忍び笑いが聞こえてきた。
「あーるじっさまっ」
「うわ! な、なんだ今剣か」
「ふふ、あたり!」
楽しげな声と共に目隠ししてきたのは今剣だ。そういえば夕飯の時間なのだった。時間になると俺を呼びにくるのはいつも彼だった。顔に巻き付いた手をそっとはがすと、何がおかしいのか、くすくす笑いながら「えい!」と首のあたりに抱き着いてくる。
「どうした? 夕飯できたのか?」
「それもそうなんですけど」
今剣は俺が初めて鍛刀した刀で、付き合いも初期刀と同じ位長い。子供の姿ということもあって、ついつい甘やかしては長谷部に怒られるのが常だった。
「ねえ、あるじさま、ぼくのこといちばんすきですか?」
「ん? え? どうした急に」
「きゅうにじゃないですよ! ぼく、ぼくね、あるじさま……」
熟れた果実のように赤く瑞々しい瞳に、戸惑う俺の顔が映っている。それが分かるくらい、今剣の顔が近い。なんか、変だ。
「こーら!」
どう動くべきか考えあぐねていると、首元にべったりくっついていた今剣の体が宙に浮く。いつの間にか仁王立ちしていた清光に首の後ろあたりを掴まれ、猫のように持ち上げられていた。
「わわ、何するんですかー!」
「くっつきすぎだっての」
それ程力を入れていたわけじゃないんだろう。今剣がじたばた暴れると、清光はあっさり手を離したので、くるりと回転して畳に音もなく着地する。稚児趣味的なものはないものの、少しどきどきしていたので助け舟にほっとする。
「ごめん、夕飯できてるんだよな。今行こうと思ってて」
「ん、それもそうなんだけどさ……」
あれ、既視感。
今剣は「早く行きましょうよ~」と何事もなかったように俺の腕にしがみついているが、清光はなんだか難しい顔をしている。
「なんか、みんなの様子がちょっと、変っていうか」
「みんな……? あ、」
今日も綺麗に塗ってある爪の赤をいじりながら、珍しく歯切れ悪く言った清光に、俺ははたと思い出す。そういえば、通達を読んでいる途中なんだった。机に開いたままの電子端末を再び起動させようとしたが、その前にぐい、と服の裾を引っ張られる。
「わ、なに……?」
振り向けば、清光の手にしっかりと掴まれていて、後ろで今剣が「ずるい!」と抗議していた。
「あ、るじ……」
上擦った声が呼ぶ。
「ね、俺さあ、主の最初の刀だよね……?」
「急に何……? そうだよ、うちの初期刀は清光じゃん」
「じゃあ、」
既視感に、既視感が上乗せされた。
「俺のこと、一番可愛いって思ってくれてる……?」
急になんだ??????
「だめだめだめー!」
裾を掴んだままの清光と俺の間に今剣が顔を出してきたのでもうめちゃくちゃだ。
「それをいうなら、ぼくはあるじさまが最初に鍛刀したかたななんですけど!」
「でも初期刀は俺一人だから」
「初鍛刀もぼくだけです!」
顔を見合わせた二人が、険悪というほどではないんだけど、似て異なる赤の瞳で睨みあいながら「むむむ」と唇を尖らせている。こうして見ているときょうだいっぽいな、とか、古株で一緒にいた分、やっぱ似るのかな、などと呑気に考えていた俺に、二対の赤が向く。
「ねえ主、俺のことが一番可愛いよね!?」
「ぼくのことがいちばんですよね!?」
あるじ、あるじさま、と訴える二人の声にはかなり熱が籠っていて、さすがの俺もこれは確かになんか変だ、と勘付いた。具体的に何が、というのは分からないけど、いくら何でも本丸の古株二人から熱烈に迫られるのはおかしい。確かに二人とも俺を昔から支えてくれたうちの二振りではあるけど、こんな風に熱っぽく、焦がすような視線を向けられたことはない。
「おい」
一か所に固まったまま膠着状態になってるところに、部屋の入口から低い声が飛んできた。
「何の騒ぎだよ。これは」
そちらを見れば、鍛錬帰りらしく、手拭いを首にかけた同田貫が俺達三人を順繰りに見て怪訝な顔をしている。清光と今剣は第三者の登場に意表を突かれたようで、俺の服を握る力が弱まった。
「なんでもないよ」
俺はそっと二人から距離を取り、持ち歩き用の電子端末を懐に入れた。通達の確認なら歩きながらでもできる。あ、と何か言いたそうな二人には悪いが、同田貫の腕を引いて部屋を出ることにした。
「先に行ってるから! 同田貫もこの後広間に行くんだよね? 一緒に行こう今行こう」
「は? 俺は、おい、引っ張るなって」
考えてみれば、全員部屋から出して落ち着いて通達を読んだ方が早かった気はするけど、俺はとにかく妙な空気になったあの場所から離れたかったのだ。文句を言いながらも俺に引っ張られるまま廊下に出た同田貫と一緒に歩き出す。懐から電子端末を取り出し、緊急通達を開いた。政府からの通達ってやつはとにかく前置きが長い。さっき読んだところをもう一度スクロールし直すものの、なかなか肝心の場所に辿り着かない。伝染病注意……人間には感染しない……このへんはさっき読んだな……。もっと下かな? 感染源を隔離したのち、こんのすけを通じて連絡…ちょっと行き過ぎたな。
「……るじ、おい、主」
「なに、おぅふ」
いつの間にか追い越され、先を歩いていた同田貫が急に立ち止まって振り返ったので、俺は逞しい筋肉に衝突してバウンドした。同田貫はビクともしていないし、ぶつかってよろめいた俺を自然な動作で転ばないように支えてくれた。やさしい。そして俺の体幹が弱すぎ。同田貫は、手拭いで汗ばんだ額を拭きながら、顎で廊下の分かれ道を示した。
「俺は、風呂、済ませてからにするから」
「あ、そっか。鍛錬帰りだっけ。ごめん無理矢理連れ出して。……っていうか、お前今日非番なのに鍛錬場にずっといた?」
「わりいかよ」
「悪くはないけどさあ……」
休める時には休んで欲しいけどなあ、と思うものの、何度も言っていることなのでしつこく言うのも煩わしいだろうか。刀剣男士の中には、休みであっても落ち着かないからという理由で普段通りか、むしろ普段より働きすぎるタイプの刀もいる。同田貫もどちらかというと後者だ。らしいと言えばらしいけど。
「まあ、ほどほどにね」
じゃあ俺は広間の方に、と方向を方向を変えたところで、「おい」ともう一度呼び止められる。なに、と振り返って、俺は再び既視感に襲われた。同田貫の手が伸びて、俺の肩を掴む。後ずされば、後ろは曲がり角の柱で、あ、まずい、と思った時にはもう柱に押し付けられていた。身長は俺の方が拳一つくらい高いはずなのに、体格が違いすぎて、目の前に分厚い壁があるような感覚だった。壁ドンされてるんだと思うけど目の前にあるのも壁だ。
「……俺は武器なんだからよお、ほどほどになんて、まどろっこしいのは性に合わねえって」
「まあ、そうだろうね」
「だろ?」
機嫌を損ねた、というには、同田貫の声は穏やかだった。というか、この程度の軽口で機嫌を損ねられるような仲でもない。同田貫だって、この本丸の古株の一人だ。それこそ、彼が書類上は太刀だった頃から。
「俺をたっくさん戦に出してくれよなあ、主」
それも度々言われてはいるけど、同田貫は古株な上に強さでいってもこの本丸ではかなり上位なので、どうしてもいざというときの要として留守を任せることも多い。それは本人にも何度も伝えていることだ。とは言え、戦に出たい本人の気持ちも尊重したいし、悩みどころなんだよなあ……。俺が困っているのを察したのか、立ち塞がっていた同田貫は小さく笑って体を離す。もう一度、「俺は戦に出たいんだよ」と真っすぐに俺の目を見て囁いた。汗ばんで下りた前髪の奥に、ぎらついた金色が見える。
「それで、あんたの一番の刀にしてくれよ」
*
どう考えてもおかしい。同田貫は、いつも通りに見えて、やっぱり何だかいつもと違う。何事もなかったかのように俺に背を向けて大浴場へ向かうのを見届けたものの、清光、今剣に続いて、いちばん、いちばんって……。確かに戦いにこだわる刀ではあったけど、今まであんな風に言われたこと、あったっけ?
うーん、と首を傾げていると、後ろから「主!」と焦ったような声が飛んでくる。
「あ、長谷部」
廊下をばたばたと慌ただしく駆けてきた長谷部は珍しく焦っているようで、きょろきょろあたりを見回したのち、声を潜めた。
「あの、こんのすけから、通達の話を聞きまして……」
よかった、長谷部はいつも通りだ。近侍の長谷部まで様子がおかしかったらどうしようかと思った。それに、事情を伝えるまでもなく把握してくれてるようなので助かる。
「そうなんだよね、なんか、みんなの様子がおかしいらしくて、もしかしてあの通達が関係あるのかな、って」
「はい、どうも、あの通達の伝染病というやつが、この本丸にも発生したらしく……」
「えっ」
慌てて端末をもう一度開く。結局全てに目を通せていない。今度は読み飛ばさず、上からしっかり目を通していく。
伝染病注意。人間には感染しないが、刀剣男士達には瞬く間に伝染する。……が、形式的に「伝染病」と記載してはいるが、刀剣男士の一番強い思いや願いが他の男士にも映り、強く表に出てしまう、という程度のものなので、すぐさま命に関わるものではない。ないが、本人の望まぬ行動をとってしまうことは精神衛生上悪影響であるので、この事象が発生した場合は、感染源を隔離したのち、こんのすけを通じて連絡すること。すぐに浄化と記憶封印の処置を施せば、大事には至らない――。
……下の方にご丁寧に図解イラストがあった。例えば村正の「脱ぎたい」という思いが他の男士に感染したらどうなるか……。うん。それは結構大惨事だ。
「既に正門は封鎖しています。こんのすけも事態を把握しているので、処置の準備ができ次第戻るかと」
「さすが長谷部、仕事が早いなあ」
「! いえ、そんな、このくらいのことは」
俺はといえば、夕飯前だったとは言え通達もしっかり読めてなかったし、現場の把握さえできていない。近侍が長谷部でよかったなあ。さすが、という俺の独り言に近い賞賛にも、長谷部涼しい顔をしている。
「でも、通達によると感染源は隔離しなきゃいけないんだろ? 誰が感染源かわかる? 清光たちがいつもと様子が違うのは分かったんだけど、誰の影響が出てるのかは全然わかんないんだよな……」
「そ、」
「長谷部は分かる? っていうか、長谷部には伝染ったりしてないんだよな? 刀によって耐性とかあるのかな」
「どう、なんでしょう……俺にはさっぱりわかりません。本当に」
「そっか……とりあえず、広間に行ってみようか。長谷部も付いてきてくれるよね」
「あっ……ええと、その」
あれ、とまた胸騒ぎ。なんだかめずらしく歯切れが悪い。警戒したくはないけど少し後ずさると、長谷部は「違うんです!」と声を張った。
「その、主は、部屋に戻られた方が良いかと、」
「え? なんで?」
「何かあったら、大変、なので……」
「……何かあるかもしれないから、みんなの様子を見に行くんだけど……それに、主としては現場がどうなってるか把握もしないのはちょっと微妙というか。命に関わらないって言ったって、みんなの様子が変、って清光ちょっと不安そうだったし。あ、あと人間には影響しないんだろ? それなら」
「そ、それは、そうなのですが、いえ、でも、ですね……あ、あまり見ない方が、というか、俺は、」
「ここにいたのか」
「あ、大俱利伽羅」
「あああ……」
長谷部がまだ何か言っていたが、視界の端に影が映ったかと思うと、広間の方向からやってきたらしい大俱利伽羅が俺の肩を掴んでいた。振り返れば、いつも以上に憮然とした表情で俺を睨んでいる。
「今広間に行こうと思ってて……何かあった?」
「……光忠が、変だ。……いや、変、という、より……」
「?」
そこで口を噤む大俱利伽羅も、なんだか様子が変だった。苦々しい顔で、言葉を発そうと開いた口を押さえている。前髪にほとんど隠れた金の双眼は、俺をきつく睨んでいて、身に覚えはないはずなのに、何かやらかしただろうか、と不安になる。
「大俱利伽羅?」
「俺、は……あ、」
絞り出すようにくぐもった声が指の間から漏れていて、よく聞こえないな、とそちらに頭を傾けた時だった。俺が大俱利伽羅に近付くより早く、後ろにいたはずの長谷部が大俱利伽羅の腕を掴んでいた。
「っ、こっちへ来い」
「……ッ、!!」
意外にも、大俱利伽羅は抵抗しなかった。ちょっと、と俺が呼び止める間もなく、腕を引かれて広間とは反対側に引っ張られていく。すれ違いざま、ぎろりと睨まれた気がするけど、本当に身に覚えがない。
「俺、広間の方行ってるからね」
足早に去っていく長谷部の後ろ姿に声をかけると、「え? ちょっと待っ」までは耳に入ったけど、なんだか事態は俺が想像しているより不明瞭な上に深刻な気がして、とりあえず光忠の様子を確認しに向かうことにした。広間からは夕飯のいい匂いが漂っているけど、今日は台所当番だったはずだからそっちに向かった方がよさそうだ。
*
「あ、主!」
台所の入口からそっと中を除くと、鍋の前にいた光忠がすぐに気付いて顔を綻ばせた。他にも当番の蜻蛉切や歌仙がちらりとこちらを見て、おや、という顔をしている。
「どうしたんだい? こっちに来るなんて、珍しいね」
「ん? うん、ま、まあね……」
「そうだ、みそ汁、味見するかい? もうよそうだけなんだけど……今日のは自信作だよ。畑で立派な大根が採れてさ、」
「へえ、じゃあもらおうかな」
……あれ? 普通にいつも通りだな。光忠は「ちょっと待ってね」と小皿に味噌汁をよそうと、ふー、ふー、と丁寧に冷ましている。そっと台所を見渡してみるけど、皿を並べてる蜻蛉切も、真剣なまなざしで揚げ物の火加減を見ている歌仙も、いつもと違うようには見えない。でも大俱利伽羅は光忠が変だ、って言ってたしなあ……
「はい、どうぞ」
「ぇあ、ありがと」
にこにこしている光忠から小皿を受け取って、そっと口をつける。十分に冷ましてもらったおかげでちょうどよい温度になったそれは、大根の甘味と、あと何か、色んな味がして、おいしい。……俺食レポできないんんだよなあ。顔を上げると、明らかに感想待ちの顔をしていたので、俺は思った通りを言葉にする。
「おいしいよ。これ大根と……何?」
「油揚げも入ってるよ。ああ、良かった、口に合って」
胸に手をあてて、安堵したような顔をするので、俺は「大袈裟な」と小さく笑った。
「光忠のご飯も、みんなのご飯もいつもおいしいよ」
「本当?」
本当だよ、と続けようとしたのに、顔を上げた俺はそれ以上何も言えなくなった。唇を弧に描いた光忠の目が、じっと俺を見下ろしている。
「みんなかあ」
声はいつも通り、優しくて耳に心地よいはずなのに。
「僕の料理、一番じゃない、かな?」
まただ。今日はなんでか、色んな刀が俺に「いちばん」を求めてくる。
「こら、燭台切」
俺の前に壁のように立ちはだかる光忠の後ろから、今度は歌仙が顔を出す。ほっとしたのもつかの間、彼はまだ湯気が立つお皿を手に、拗ねたように眉根を寄せていた。
「そういうことは僕の料理も食べてみてから聞いて欲しいな」
ほら、と持ち上げられた歌仙の手には箸に挟まれた唐揚げがある。
「あ、」
いつもはつまみ食いするなとか、味見分とか余計なものはないとか言ってくる歌仙がこういうことするなんて絶対おかしい。おかしいんだけどそれはそれとして揚げたての唐揚げには勝てなかった。ほとんど反射的に開いた俺の口に、一口サイズにカットされた唐揚げが転がり落ちる。さく、と噛むと、口の中にじゅわりと肉汁が広がる。うま……
「どうかな?」
光忠と同じように真剣な眼差しを向けられて、俺はもごもごしながら「おいしいよ」と呟いた。早く白米と一緒に食べたい。でも絶対に二人の様子はおかしい。いや、今剣から数えたら六人目か。二人の後ろでそわそわした様子の蜻蛉切も数えたら七人だ。
「じゃあ、僕のから揚げが一番かな?」
「歌仙君ずるいよ、出来たての唐揚げなんて、主の大好物じゃないか」
「主、その、調理の方は担当しておりませんが、大根の収穫はこの蜻蛉切が……」
すごいな。普段あまり意識してなかったけど、三人に囲まれると目の前を壁に囲まれたのかってくらい視界が暗くなる。なんてのんきに考えている場合じゃない。みんななんか変だよ、と伝えるべきか、もう感染源とかなんとかは置いといて、大人しく部屋に戻ってこんのすけを待つか……何人かの様子が変は変なんだけど、どう変なのかうまく言葉にできないというか、いまいち緊急性を感じないので判断に困る。俺が「うーん」と考えながら口に放り込まれた二口めの唐揚げを咀嚼してる時だった。廊下をばたばたと騒がしく走ってくる音が近付いてきて、
「主!」
「あ、はせ、」
飛び込んできた長谷部に腕をつかまれたかと思うと、俺はあっというまに廊下に引っ張り出されていた。三人の壁が「あ」「ちょっと」「ずるいよ」とか何とか言っていたような気がするけど、声はあっという間に遠くなる。速足の長谷部に腕を引かれて、ほとんど走るように向かった先は鍛刀部屋だった。
「執務室は今剣と加州がいるので、しばらくここに」
腕を引いている間ほとんどしゃべらなかった長谷部が、申し訳なさそうな顔でそう言うと、鍛刀部屋の精霊達に「邪魔だ」とか言って俺の座る場所を作ってくれている。そうしてまた部屋を出ていこうとするので、俺は慌てて袖を引っ張った。
「待って待って、どこ行くんだよ」
「えっと、こんのすけがそろそろ執務室の方に着くようなので、俺が対応します」
「あ、そうなの? ……じゃなくて、それじゃあ俺も行くよ」
「いえ! 大丈夫です! 俺一人で!」
「ええ……」
なんか大俱利伽羅みたいなこと言ってる。でも、何かすごく焦ってるみたいだけど、長谷部はいつもの長谷部だった。多分。
「あの、長谷部?」
「はい」
戸が閉められる前に、もう一度強く袖を引くと、長谷部はこちらに向き直る。
「長谷部は、いつもの長谷部だよな?」
「……もちろん」
少し間があったものの、長谷部は何故だか自嘲気味に笑って、頷いた。
「俺は普段通りですよ」
そういうと、そっと俺の手から袖を引いて、戸を閉めたのだった。
いやあ、ごめんねでかい人間が邪魔して、どうぞおかまいなく、ああ~その座布団は俺にはちょっと小さいなあ、と精霊達に頭を下げたりして、部屋にいた時間はほんの数十分くらいだったと思う。
「もういいですよ」
そう言って部屋の戸を開けたのはこんのすけで、どうやら俺が隔離されている間に事態は収まったようだった。おそるおそる部屋を出ると、本丸は不気味なほどにしんと静まり返っている。
「いやあ、災難でしたねえ」
そんなこと思ってなさそうな顔のこんのすけについて、とりあえず執務室へ戻ることにした。災難、という程何か被害があったようには思えないけど、やっぱり通達のあった伝染バグ的なものがうちの本丸でも発生していたらしい。
「感染源は隔離してますので、一旦皆様は政府権限で刀の姿に戻って頂きました。朝には元通りですよ。報告書ももう頂いてますので、審神者様は自室でお休みください」
「うん……うん……?」
執務室の机の近くで、今剣と清光の刀本体が転がっている。政府権限ってこわいなあと思いつつ、そんなにやばいもんだったの?という気持ちもあった。
「なんか、よくわからないんだけどさあ」
はて、と首を傾げるこんのすけに訊ねる。
「感染源って誰で、結局何がみんなにうつってたわけ?」
俺の疑問に、こんのすけは首を傾げて、尻尾をふわりと振った。
「それは、刀剣男士の刃権に関わることなので、こんのすけからは何とも……」
「……?」
何から何まで、なんだかよくわからないままだった。様子がおかしいかも? と思った数振りがやけに「いちばん」にこだわってたようだけど、分かりやすく一番にこだわるようなの、うちの本丸にいたかなあ。よそからうつされたとかじゃないんだろうか。考えても、こんのすけは言うだけ言うと姿を消してしまうし、多分今この本丸で動いているのは俺だけだしで、深く考えるのはやめた。できたての夕飯は勿体なかったけど、台所の火の元を確認して、あちこちに転がっている刀をそのままにしておくのも申し訳なかったので、それぞれの部屋に運んでおく。運び終わった頃にはもう日付が変わる時間だったし、空腹ではあったけど俺もすっかり疲れてしまったので、その日は寝てしまうことにした。そういえば、長谷部が見当たらなかったけど、こんのすけを呼んだのも彼だし、刀の姿に戻る前に部屋に戻ってくれたのかな。
*
翌朝、皆は夕飯時からの記憶が抜け落ちているらしく、それぞれの部屋でちょっとした騒ぎにはなってしまった、らしい。どう説明したものか、と悩んだものの、いち早く目が覚めていたらしい長谷部が立ち回ってくれたらしく、最近流行ってる伝染バグ的なものがうちの本丸でも発生”しかけていた”こと、大事をとって、一旦全員が刀の姿に戻されたものの、今は何の問題もないことをざっくりと説明してくれていた、らしい。「らしい」ばっかりなのは、俺が起きたころにはもうすっかりいつも通りだったからだ。昨日食べそびれた夕飯を朝食用に温め直したものを部屋で食べながら、俺はそれを運んできてくれた長谷部から報告された。
「余計な混乱を招くので、伝染の仔細は伏せました。……勝手なことをして申し訳ありません」
「え、いやいや、いいよそれは。俺も結局何がバグだったのかよくわかんないままだったし……。むしろ任せちゃってごめん」
「いえ」
「あ、あと長谷部は自分の部屋に戻っててくれたんだよね? 運んだ中にいなかったけど」
「……ああ、それは、はい。……すみません、他の連中を部屋に運ぶところまで頭が回らず」
「いいって、むしろ俺、運ぶのしかやってないし……」
「しかし、」
恐縮しっぱなしの長谷部に、俺の方が申し訳なくなる。結局俺は何がなんだかよくわからないまま、こんのすけへの連絡も、みんなへの説明もしてないわけだし。長谷部ができる近侍すぎて、年々俺のやることが減ってる気もしないでもない。よくないよなあ。でも、
「あのさ、長谷部、いつもありがとう。長谷部がいてくれて助かったよ」
それはそれ、これはこれ。俺は俺にできることをきちんとしなくちゃならないし、甘えすぎるのはよくないと思っているけど、それと、長谷部ができる臣下なのは話が別だ。
「……いえ……そんな、ありがたき、お言葉」
「っふは、大袈裟だなあ」
改めて言うのはこっちも少し照れるけど、御礼を言ったり褒めたりするとわかりやすく嬉しそうで、なのに口元が緩みそうなのを一生懸命隠そうとする長谷部を見るとこっちまでなんだか暖かい気持ちになった。
そういえば、感染源って誰だったんだろうなあ。こんのすけは教えてくれなかったし、と少し不満には思うものの、何はともあれ無事にことが収まったし、まあいいか、と思いながら、俺は長谷部が淹れてくれたお茶を啜るのだった。
おわり