とぷとぷとポットにお湯を注いでも、茶葉から花の香りは特にしない。でも落ち着く香りだとは思う。花でもハーブティーと呼ばれるんだと、茶葉を買うときに初めて知った。先生にハイビスカスティーを入れてもらってから、ハーブティーに興味が出て、家でハーブティを自分で入れてみることにした。先生の真似だ。スーパーで買ってきたハイビスカスティーのティーパックはお湯を入れてみると毒々しいくらいに赤いお茶が出来上がった。ひとくち飲んでみると酸っぱさで目が覚めた。レモンのようにすっぱい。香りは全然レモンではないけれど。先生のお茶は、あんなにきれいな色をしていてはちみつのまろやかな甘さがあった。見様見真似ではうまくいかないなと先生の真似をして蜂蜜をいれてみた。すこし酸っぱさが落ち着いてまろやかになった。
「先生! ハイビスカスティーってなんで酸っぱいんですか?」
理科準備室は先生の部屋だ。職員室にはいるところをほとんど見かけたことがない。畑、理科準備室。もしくは教室か稀に陸上部の練習のどこか。先生は理科準備室でいつものように過ごしていた。大体なにか事務作業をしているところをみることが多い。それ以外は畑にいるのがよく見る姿。
「いい質問だな。あれはクエン酸だ」
「くえんさん」
「梅干しとかレモンに入ってる。」
「えっハイビスカスってお花なのに。」
「ハイビスカスティーのハイビスカスっていうのははあの花と同じじゃないぞ」
「そうなんですか? 」
「そう。同じフヨウ属のローゼルっている植物。よく見かけるやつじゃない」
「へえ〜! 」
「ほら、図鑑見てみろ。ぜんぜん違うだろ」
先生が本棚から取り出した植物図鑑には、ハイビスカスの近くにまったく違う白い花が乗っていた。説明書きにはインドからマレーシア原産。古くから食用として重宝されてきた、と書いてある。
「ほんとだ」
「また賢くなったな、真面目ちゃん」
「はい! それにしても酸っぱくて。はちみつがないと飲めなさそうです」
「苦手な人もいるかもな。ストレートで飲むにはちょっとクセがある」
「先生のオリジナルはおいしかったです」
「そうか、また飲みに来てもいいぞ。疲れているときな」
「はい! 」
植物図鑑には赤い花と白い花が乗っていて交互に見比べた。図鑑を見せて笑っている先生の横顔が思い出されると胸がどきどきしてしまって夜も眠れなかった。明日日直でも、はやくベッドに入ったとしてもハーブの香りが目を閉じたあとじわじわと思い浮かんでくる。そのたびにすこし涙が出た。
先生があれからお願いすると、理科準備室でハイビスカスティーはちみつ入りを作ってくれた。蒸らし時間が長くて十分くらいかかる。その間に先生が教えてくれる植物の話が好きで、何度も理科準備室に行った。シロツメクサの四葉の話。マリーゴールドの虫除けの話。ミントが雑草のように強い草だという話。
先生のことがふと気になったときにはふらりと立ち寄って先生とお話したり、お茶を飲んだり、時にはモーリィちゃんのお話を聞いて写真を見た。可愛いと喜ぶ先生の横顔を見ていると、先生には見えなかった。
「先生って先生じゃないみたい」
そんな言葉が出そうになるのを飲み込んで、後ろに隠して一緒になってはしゃいだ。先生が可愛い。かわいいひとだ。先生をだきしめたくなって我慢した。
「美奈子」
「はい」
「今週空いてるか?」
「先生、どこか行きたいんですか? 」
「……ショッピングモール? 」
「じゃあ、ショッピングモールのハーブのお店でお茶選んでくれますか? 」
「おお、いいな。」
先生とお出かけしているのに、友だちと出かけるみたいだった。いつも先生は、やさしくて距離が近い。
「ハーブにもいろいろあるけど、どういうときに飲むんだ?」
「夜寝る前ですかね。最近あんまり寝付きがよくなくって」
「そうなのか? そうだな……」
お店の中で先生は、ハーブの説明書きをあれでもない、これでもないと何度も見て回る。本当に最近眠れないのだ。ベッドに入ると先生の声を思い出してしまうし、先生のハーブの香りが忘れられないから。
タグにつけられた説明書きを指さしながら先生が話してくれる。
「カモミールはリンゴのような甘い香り。ラベンダーも鎮静作用があるから効果があるな。リンデン……これもいいぞ。鎮静効果もあるし。」
「そうなんですね。全部いいなぁ」
「欲張りさんだな。初心者にはリンデンが良いかもしれないな。これはあんまりスーパーとかでは見かけないし。少ない量買ってまた良ければ買い足すとか? 」
「そうします! 」
陳列されたハーブティーの箱を手に取ると先生がひょいと奪う。あっと声を出すと高い位置で先生が笑った。
「眠れないお前にプレゼントしてやる」
さっさとレジまで向かってしまって追いつけなかった。私が眠れないのは先生がそういうことをさらっとやってしまうからなのに。理由も聞かないで私の心をさらってしまう。
同じお店の喫茶スペースでハーブティを飲むことになって、先生が頼んでいたのはラベンダーの入ったハーブティーだった。私は美容という言葉につられてハイビスカスティーに似たローズヒップティーを頼んだけど、これも酸っぱくて先生が笑っていた。透明な小ぶりのティーポットにはハーブが揺れている。カップに注ぐと、先生のハーブティーは薄く紫がかった灰色で私のは深いピンク色だった。
「おまえほんと気に入ってんだな。ローズヒップもハイビスカスティーに似てるだろ」
「はい。先生はラベンダーですか?さっき鎮静作用があるって言ってましたけど」
「あー……いや、ちょっと落ち着こうと思って。お前と出かけるとはしゃぎすぎるんだよ」
「え」
「あ、いや今のナシな」
「なしじゃないです! 」
「おわり! この話おわり」
先生が顔をそむけてまたお茶を飲みだしてしまったから私はそれ以上聞くのをやめた。私の方こそはしゃいで、浮かれてデートみたいだなって思っている。ラベンダーのハーブティーを飲まないといけなかったのは私の方だ。胸がじんじんとする。今からでもすこし鎮静作用のある香りをかいでおけば少しましになるのか。先生の方にあるラベンダーの香りをかいで深呼吸した。
家に着いても先生が言っていた話が忘れられなかった。寝る前になって買ってもらったリンデンのハーブティーをポットに入れてハーブティーを作ってみる。注いだお湯はごく薄い黄色に変わった。甘い香りで気分が落ち着くようで、ベッドに入るまでにゆっくり飲んだ。
飲みながら読んでいた冊子にハーブの説明が細かく書いてあった。リンデンはヨーロッパでは街路樹で、ハチたちが蜜を集めにやってくるらしい。
あのあとお店を出てから気恥ずかしくなってしまったけれど、あたりをブラブラと歩いてかわいいカップルさん!なんて店員に声をかけられて逃げるように歩いて本当におかしかった。今日でひとつわかったことは、先生が私とのお出かけのときは少し浮かれているということだ。リンデンのハーブティーを飲み終わって、そのあとベッドに入ればお腹があたたまり、先生の顔をそむけてしまった横顔を思い出した。でも心臓はうるさくなくてそのまま意識もゆっくりと沈んだ。
次の日の目覚めがスッキリしていて、日差しはとても清々しかった。いまもしストレスが数値化されていたら、絶対に昨日より格段に減少していると思う。
しゃきっとした顔でいつも先生がいる畑に顔を出すと、先生が今日は朝の水やりをする園芸部員だけだった。朝の日差しは柔らかく、水やりで受けた水が滴り落ちるのを照らしている。
お昼の時間に理科準備室に行くといつもどおりの先生がいたけど、なんだか違う。事務椅子に座ってスーツは着ているけど寝癖なのか、束ねきれなかったはねた毛先がいつもよりうねっている。
「おう、どうした」
「あ、……朝畑に行ったらいなかったんで。どうしたのかなって」
「ああ、寝坊だよ」
寝坊、という言葉に反応したのか先生が大きな欠伸をしてぐっと背筋を伸ばした。先生が背伸びをすると普段よりもっともっと大きく見える。
「先生が寝坊なんて珍しい」
普段朝から元気な先生がお昼ごろにふわふわと眠そうにしているなんてかなりめずらしいと思う。朝登校中に会ったことがあるけれど、私よりも元気が一杯でいつも驚いてしまう。バイクに跨って颯爽と走り抜けていく。
「夜寝付けなくてな。俺もリンデンのハーブティー買っときゃよかった」
「ふふ。私は昨日のハーブティーでぐっすりでしたよ! 」
「そうか、よかったな」
私が眠れないのをよっぽど気にしてくれたのか、先生はそう言うと目を細めている。照れくさくて目線をわざと外してしまった。
「先生はなんで寝つけなかったんですか? 」
「……それは秘密だよ」
「えー」
「この話おわり!用事あってきたんだろ? 」
「……用事ないです」
「なんだよ、可笑しいやつだな」
そう言って笑ってくれる先生はやっぱり距離が近くて優しくて可愛い。すこしのうぬぼれは混じっているけど、夜にハーブの香りを思い出しても涙が出ることはもうしばらくはなさそうだった。