梅雨が明けたその日。
昨日までの鬱陶しい雨が、救いだったのではないかと思うほど太陽は身体を焼き尽くさんとするばかりだった。
携帯扇風機を抱えながら今日も単語帳を片手に電車に揺られていた。
震える携帯の画面には『暑い』が何度も送られてきていた。
開くのも面倒になっていた矢先に、送り主が顔を出す。
「なんで無視すんねん」
明らかにセットを諦めたようにかきあげられた前髪とは裏腹に、綺麗にまとめられたお団子ヘア。
制服をよくも悪くも涼しそうに着崩したこの子は、中学3年間を共に過ごした忘れがたい友人の一人だった。
「さすがに3か月もたったらなれるかと思うててんけど、全然慣れへんわ。友達もまあできたし、謙也もおるからなんとかはなってんねんけど、やっぱ寂しいよなあ。暑いし。」
よくもまあこの短時間でよく喋るなとは思ったものの、彼女が一方的にとりとめのない話をするのを聞いているのも好きだった。高校で彼女と離れ離れになることは、ずいぶん前からわかっていたことだったけれど、それでも別れは寂しかったし、今でも彼女がいたら、なんて想像をする始末だった。
「白石はどうなん、そっちでもまあモテてんの?」
彼女との話題はいつもどうでもいいことばかりで、明日になったら忘れてしまうようなことばかりだったけれど、いつもこの話題だけは避けて通れないものだった。
「モテてはいると思うけど、ようわからんよ」
実際、彼とは中学の時に同級生だったという事実と、所属していた部活の部長だったという事実の2つくらいしかなかった。それでもこの目の前の友人含め周囲は何かにつけて『白石』の名前を出してくるのだった。
「ほーん。ゆみにはそないに見えてんねんな。りょーかい。ほんならうちはここで降りるわ。後でLINEするし、今度はちゃんと返信してな。」
そう言い残してなんの返事も待たずに灼熱の通学路に彼女は消えていった。
先に降りた彼女に手を振れば、彼女もまた大きく手を振りながら、“新しい友達”とやらの群れに混ざっていく。微笑ましいようで少し寂しい、そんな気がしていた。
学校の最寄りにつけば、そこもまた灼熱の砂漠のようで、最寄りから高校までの距離が本当に疎ましかった。日傘をさしながら急ぎ足で校舎へ向かう。妙に長く感じる上り坂が苦しい。
足元も見つめながら、終わりはまだかと登っていると、右側に少し大きなローファーが見えた。
「ほんまに急に暑くなったなあ」
聞き覚えのある声は紛れもない、話題の人物そのものの声だった。
「白石くん、おはよう」
日傘もささずに手でワイシャツをパタパタとさせながら、おはようさん、と返す彼はいつにもまして輝いて見えた。きっとこの夏の太陽のせいに違いない。
なんとなく歩幅をあわせながら、校舎に向かう最中、二人の話題は懐かしいあの夏の話題ばかりだった。戻りたいと思うようで、懐かしくきれいな思い出のままにしておきたい気持ちもわずかに顔をのぞかせる。
特別な話をすることもないまま、目的地に到達する。
校舎の中も未だ灼熱で、彼の顔も火照っているように赤く見えた。
入学してからもこんな日は何度もあった。
中学からの知り合いがお互いしかいない同士、懐かしい話をしたり、新しい話を交換したり、思い起こせば、当時よりは少し仲が良くなったような気もしていた。
彼と別れて席に着けば、“新しい友達”が声をかけてくれる。話題はいつも『白石』ばかりだった。
授業が始まるや否や、またしても携帯が震える。
また朝のうるさい友人のうるさい通知だった。暑いだの眠いだの、こんなこと、当時は隣の席でよく聞いていたな、と思い出してばかりだ。
『今週末、プールいこうや、暑いし』
久しぶりのお誘いだった。入学してからはなんとなく忙しくて、お互いがお互いに遠慮しながら、会えた時に、今度都合が会えば、と先延ばしにしていた。
本来ならば、授業に集中して、と怒らなければならないのに、頬は完全に緩みきって、『うん』とだけ送った。
それからは代わり映えのしない毎日で、いつも暑くていつも通学路は遠くて、彼女と会える週末が遠くて、恋しくて、楽しみで。何度も持って行った方がいいアイテムをネットで検索してはそろえて、天気予報をにらみつけていた。
当日は見事な快晴で、日焼けしないか心配もあったけれど、それよりも彼女と1日過ごせることが嬉しくてたまらなかった。
待ち合わせ場所には15分も早く着いた。
暑い、暑い、と遅刻癖のある彼女を待っていた。
「だからはようせな待たせるでって言うたやん!」
待ち望んだ彼女の声の方へ目を向けると、見慣れた人影がさらに2つこちらに向かってくる。
「俺はもう1時間前から集合場所におったやん!」
「そんなんいうならちゃんと『白石』もはよ連れてこなあかんやろ!」
くだらない痴話喧嘩は半年以上前に聞いた懐かしいものによく似ていた。
「なんで白石くんと忍足くんがおるん。」
想定外の事態にうろたえながらも懐かしさに心が躍ってしまう。
「いやあ、ゆみとプール行く言うたら、謙也が、絶対に白石も呼ばなあかん、て張り切ってしもうて止まらへんかってんもん」
「俺のせいとちゃうって。白石がもうずっと阿部さんの話ばっかりすんねんもん。今日やって何なら白石が家出る前に、、、」
そこまで二人が言いかけた段階で、ミルクティ色の髪の毛がピヨピヨはねながら止めに入る。
「もうええから!俺の話はええから!はよいかな!」
彼に似合わない速度で友人を連れて男子更衣室に消えていく。その後ろ姿を取り残された二人で見ていた。
「白石、ずっと悩んでたんやって。今日の服と水着。なんでやろなあ。」
彼女はまたいつものようににっこりと笑って私の手を引いて歩く。
更衣室にたどり着けば、そそくさと着替えを進める彼女とは裏腹に、持ってきた水着をぼんやりと見つめる自分がいた。
「白石くんもおるのに、この水着でよかったんかな」
思いがけない自分自身の一言に、目を丸くして立ち尽くしていた。
「それは白石に聞くしかないんちゃうん。洋服みて、相手のことを思い出すんは、【本当の恋】らしいで。どっちもどっちやなあ」
徐々に熱くなる顔は、この暑さのせいなのか、はたまた『白石』のせいなのか、今日はまだ始まったばかりだった。