「それじゃあ、僕たちはこのままグレッグミンスターに向かいますから」
用意された川船に乗り込んだはずの新都市同盟の年若い盟主からしれっとそう告げられたときのフリックの鼻白んだ表情は見物だった。そりゃそうだろう。そもそも今回の彼の仕事は軍師であるシュウの護衛であり、盟主であるミッシェと行動をともにするなど考えてもいなかったに違いない。予測していた通りの反応ではあるが、喉元に使えた溜飲は一向に下がらない。
「……何だって、わざわざ山越えなんか」
「船は囮です。万一のことがあれば逃げ場がないからってシュウさんが。少数の精鋭で山を越えた方が安全だってことだそうです。ぼくが船に乗らないことは知られちゃいけないからって…」
秘密にしていてごめんなさい。そう率直に頭を下げられて否とは言えないのがフリックだ。謀られたと大書きしてある苦い顔を片手で覆って、腹の底から息を吐く。さすがに自分がトランに顔向け出来ない立場である自覚はあるのだろう。
「ほかにも腕が立ってもっと目立たない奴だっているってのに、何だっておれが…」
「道々、赤月と解放軍の歴史について当事者から教えてもらえ、って。それに青さえなけりゃ、ただの世間知らずの若僧にしかみえないって、あ、これはシェントゥさんですけど、僕もグリーンヒルでフリックさんが普通の用心棒にしか見えないのは知ってるからいい人選だなって賛成して、シュウもそれがいいでしょうって」
「……あいつの入れ知恵か……そりゃ、まあ…そう、……そうなんだけどよ……」
こういうところで弁が立つのはナナミとミッシェは良く似ている。淀みなく語られた人選の理由に反論の余地も気力も見いだせず、フリックは遠い目で遠ざかりゆく船を眺めやった。軍師たち一行が乗り込んだ船はどうやらバナーの流れにうまく乗ったようで、その船影はみるみるうちに小さくなっていく。
にも関わらず、何だってこいつは都市同盟(こんなところ)で役職まで拝命した上で戦場働きを続けていたのか。現に今この時だって、本拠地を出立する際にあれだけ固辞していたグレッグミンスター行きを、ほぼ無反論で引き受けてしまう脇の甘さだ。ミッシェに、どうにかフリックをトランに同行させられないものかと相談されて悪知恵を貸した張本人はほかならぬシェントゥ自身であったが、思惑通りの反応と結果が腹立たしい。
「……で、シュウのやつは知っているのか」
トランと都市同盟が盟を結ぶ。当然その成立のためには幾度かの交渉が行われている。実際のところシーナからの申し出を奇貨とし、状勢を分析した上で盟主自ら初回の交渉に臨むというほとんど博打じみた
口約束だけでは済ませられない。レパントは約束を違えるような人物ではないが、こと政治の世界においては一定の形や儀式というものも必要となる。都市同盟側がハイランドとの紛争中であること、トラン共和国が建国間もなく、格式張った儀式や儀典を整える余裕がないこと、これらの事情が相俟って、二つの国家間の盟約を結ぶ場としては極めて簡素な形とはなったものの、それでも同盟を結ぶに当たってのある程度の形というものは必須なのだ。ハイランドの目をかいくぐりながら、とりあえずの口約束といなされても仕方のない程度の約定を確固とした盟約とするために、都市同盟の軍師と己の悪友がどれだけ奔走していたか。この場にいたのが運の尽きだ、使える駒を使わない手はないなどと言われて巻き込まれた立場からすれば、ここまで萱の外を決め込んでいたフリックの鈍感さは腹立たしいとしか言いようがない。
俺相手にはもっと真っ正面からぶつかってきたじゃないか。何だよ、妙に老成しやがって。そんなのが似合う柄じゃ、ないだろう。
シェントゥは喉元までせり上がったそんな言葉を飲み込んだ。そもそもそんなことをいえた義理ではないのだ。三年も経てば人は変わる。それは自分も彼も同じことだ。あの頃の自分たちとは立場も目的も生き様も、何もかもが変わってしまっている。それがわかっていてもなお、フリックにあの頃の姿を求めてしまう自分の未練がましさが疎ましい。
「……まあ、バナーの山越えはそれなりに危険だからな。ここで抜ける訳にはいかないだろ。国境から先は、お前がいれば」
「馬鹿言え。今更俺の顔を立てて通してくれなんてできるものか。バルカスのやつに袖の下を渡して見逃してもらえるようになるまで、こっちがどれだけ苦労したのかわかってるのか」
「……そもそもなんでそんな真似をする必要があるんだよ。堂々と通ってはばかりのある立場じゃないだろうが」
「だからに決まってるだろう。いちいちレパントに連絡されてみろ。迎えをよこすだの警護をつけるだの、誰がそんな面倒な目に遭いたいものか」
気が乗らないのはお互い承知の上で、背後の仲間には聞こえぬ声で不毛とわかりきった会話を交わしつつ山道を登る。前回はコウという名の少年を助けるために、そして今回はトランと都市同盟の間に確固とした盟約を結ぶために。だが、そんな