祝部浩也の受けている講義の殆どは、織賀善一の決めた講義である。入学前はあれこれ受けたいものや学びたい科目があったはずなのだが、入学後に必修科目の多さとしんどさを嫌と言うほど思い知った祝部は、甘んじて織賀の教えてくれた楽単に従うようになった。
 大学というものは自分の興味関心に応じて好きなように学べるところだったらしいのだが、そんなものは大学生活の実情を知らない人間の嘘だと思っている。無事に卒業し、何事もなく就職することこそ本分になってしまった祝部は、もう興味関心だけで「宇宙社会論」だの「これからの為の倫理学」などの講義を取ったりはしない。だって、それは期末の試験が100%の評価だから。
 そんなわけで、今日も祝部は織賀善一の選んだ「危機回避論」という社会学系統の講義を受けていた。これは社会的なリスクを総合的に判断し、人生が窮地に陥らないようにする……というややきな臭い内容の一般教養講義で、いわゆる楽単だった。出席だけしていればレポートや試験などをこなさなくてもいいという理想の講義である。担当教授は、社会学科の鳶山教授だ。
「これ、マジで楽だから安心しなー? 俺とか毎回寝てたけど余裕で単位取れてたもん」
 織賀が八重歯を見せながらにこにことそう言っていたことを思い出す。織賀の科目申請のスマートさに骨抜きにされていた祝部は、織賀の言葉を丸々信じ込んでいた。第四回目の講義を受けるまでは。
「今回から二千字のレポートを課す。来週の水曜日までに提出すること。これからは講義の理解度を確認する為に、このレポートを以て出席票の代わりとする」
「シラバスには出席100%の講義ってありましたけど」
 学生がおずおずと質問するのに対し、鳶山教授は不快そうな顔で「出席が評価点の基準になるのは変わらない。だから出席票の代わりにレポートをちゃんと提出しろという話ではないか」と言った。
「……どうですか、これ。散々な屁理屈だと思いませんか?」
「まー、確かにな。シラバスに掲載した講義概要を変えるのはよろしくないっていうのは理解しているからこそ、レポートを出席票にするっていうひねくれた発想が出てくるんだろ。割と上手い方法だと思うわ」
 隣に座っている織賀は感心したように言って、大きく頷いた。感心されても困る。
 例年通りの楽単講義になるはずだった「危機回避論」は、何故かここにきて面倒な難単講義になってしまったのである。そりゃあ、大学の講義なんてものは先生の匙加減でいくらでも内容が変わってしまうものだと思うけれど、これは少し詐欺めいている。祝部はこのことに関して織賀にクレームを言い、今回から織賀も「危機回避論」に潜り込んで実情を探ることになったのだ。
「祝部が文句言ってきた時は言いがかりつけんなよって思ったけど、確かにこれは酷いわな」
「酷いでしょう。二千字のレポートって結構重いですし……一般教養でこれだけ重いのやらされるのはキツいですよ」
「俺が手伝えばいいってだけの話じゃないもんなー。多分、このままだと鳶山のやつ、試験までやってきそうな雰囲気あるもん。なんか鬱憤溜まるようなことあったんだろうな……教授の機嫌次第で楽単がそうじゃなくなることなんていくらでもあるからね」
 織賀は英知大学の粋を知り尽くしたような口調で言う。ちなみに、織賀はもう既に必要単位の殆どを取り終えてしまい、後は必修と卒業課題を残すばかりという化物染みた要領の良さを誇っている為、単位に悩まされることはない。こうして後輩に付き合って、自分の益にはまるでならない「危機回避論」を受けてくれたりもするわけだ。でもこれは……これは、本当に先輩がやってくれるべき目の掛け方なのだろうか? と祝部は時折思う。織賀がしてくれるこのサポートの厚さ、自分の薦めた講義が楽単でなくなったというだけで責任を取ってくれるような、その細やかさはどこから来るのだろう。それを考える度に、祝部は少しだけ背筋が寒くなる。
「……こんなことしてると、時間無くなっちゃいますよ」
 当てつけのように言うと、織賀が「時間ー?」と少しだけ訝しげに返してきた。
「必修の課題は重いですし、このレポートだってこれから毎週あるんですから。いくら織賀先輩が手伝ってくれたとしても、結構キツいと思います。部活とかやってる暇無いと思いますよ」
 部活動に付き合わされている鬱憤と、楽単が楽単じゃなくなったことへの不満をわざわざ織賀にぶつけるように言った。これで少し、埋め部に付き合わせることへ罪悪感を覚えればいい、という気持ちだった。すると織賀は、何とも言えない笑みを浮かべてこう返したのだった。
「それは困るよなぁ」
 祝部と織賀は同じ部活動に所属している。というより、祝部の方が無理矢理所属させられている。部活の名前は死体埋め部。最悪なネーミングセンスで付けられた、この上なくシンプルな由来の名前である。活動内容は依頼を受けて死体を埋めること。この国のシステム的に、死体が見つからなければ事件にはならない。事件が露見するのを好ましく思わない人間が、死体埋め部を活用してまんまと罪を逃れるというわけだ。
 部活と銘打ってはいるものの、やっていることは非合法ビジネスの極地である。織賀と祝部は部長と部員ではなく、ただの共犯者だ。だが、織賀あ頑なに呼び名にこだわって、その現実を覆い隠そうとしてしまう。だからだろうか。やたら浮かれてスコップを手に取り、本当の部活動のようにはしゃぎ回る織賀を見ていると、祝部は自分の罪悪感が薄皮一枚隔てたところに追いやられているような感覚になる。この薄皮は、多分糖衣で出来ているのだ。この過剰なまでの演技が、自分達を現実から切り離している。
 その日の夜も、祝部は織賀の運転するジャガーに連行されていた。あの時は当てつけで言ったものの、本当にレポートや課題は重く、本当は織賀の誘いを断ってそちらに集中するか眠るかしたかった。だが、にこにこ笑顔で迎えにくる彼を追い返すことなど出来るはずがない。鳶山教授の二千字レポートを一〇〇文字ほど書いたところで、祝部はしぶしぶ保存ボタンを押した。
「あれ?」
 ジャガーに乗り込んで、すぐに違和感に気がついた。
 後部座席にいつも乗っているはずの先客が──死体が無い。もしかして、どこかに忘れてきてしまったのだろうか? いや、あの織賀がそんなミスをするはずがない。というか、そんなうっかりをした時点で織賀の人生も祝部の人生もおしまいである。シートベルトを締めて車が動き出してから、織賀はようやく口を開いた。
「夜のパーキングエリアに行くぞ!」
「は? 何でですか」
「二十四時間やってるパーキングエリアでホットスナックを食べるやつを一度やっておかなくちゃなんないからだよ」
「え、いや今回は依頼があって……仕事だって言ってたじゃないですか! 騙したんですか!?」
「仕事じゃなくて部活動だっつってんだろが」
 織賀が鋭い声で訂正を促してくる。だが、そんなところはどうでもいい。
「部活だから忙しくても出てきたっていうのに……」
「あんだよ。可愛い先輩の誘いを断るつもりだったっての? はーあ、お前は副部長としての自覚が……いや、部活なら出てくるんだから、副部長としての自覚はあんのか。可愛い後輩としての自覚が足んねーなおい」
「深夜零時にジャガーに乗ってる時点で可愛い後輩だと思いますよ」
 祝部は不服そうに返しても、ジャガーのスピードは緩まない。高速を愉快にひた走って行く。こうして高速道路を延々と走るのは初めてかもしれない。いつもなら、なるべく目立たない道を行くからだ。等間隔に設置された街灯が光の筋になって、祝部の目を焼いた。車内に掛かっているのは祝部の知らないジャズテイストの音楽で、きっと何かの映画のBGMなのだろう。
 不思議な感覚だった。ここには死体も推理ゲームも承認も何もかもがない。ただ織賀と一緒に夜中のドライブを楽しんでいる。状況からみればそんな感じだ。どうしてこうなったのだろうとは思うが、悪くはない気分なのも本当だった。
 そうして辿り着いたパーキングエリアは、本当に二十四時間やっているようだった。駐車場のあちこちに大型のトラックが止まっているから、きっとこうしたドライバー向けに開けているところなのだろう。
 ホットスナックを食べに来たと言っていたはずの織賀は、一目散に醤油ラーメンへと飛びついた。ホットスナックっていうのはもっとこう……何か別のものなんじゃないのか? と思いつつ、祝部も味噌ラーメンを注文する。織賀が奢ってくれるということだったので、容赦無く煮卵とチャーシューを足してやった。
「死体埋めてないのにラーメン食べちゃうなんて背徳的だな」
「その発言の方が背徳的でしょう」
 祝部が律儀につっこむと、織賀は反省した素振りもなく「ふひゃひゃ」と間延びした笑い声を上げた。深夜のラーメンは、確かに二割増しで美味しく、幸福の味がする。
 あの後、サービスエリアを冷やかしつつデザートのソフトクリームを食べ終えると、二人はつつがなく帰路に辿り着いた。お腹がいっぱいになったお陰で祝部は限界まで眠くなってしまい、結局鳶山教授のレポートは仕上げられずに「危機回避論」に出ることになった。これで今回の出席点はゼロである。それもこれも織賀の所為だ。けれど、昨夜のことはきっとずっと忘れないだろう。
 織賀も織賀で夜更かしをしていたはずなのに、彼は元気に「危機回避論」に出席していた。何ならいつもよりずっと楽しそうでつやつやしている。
「おっはよう祝部」
「おはようございます。後輩を夜中に連れ回しただけあって元気ですね」
「まあまあ、お前も元気出しなよ。充実した大学一年生だろ」
「レポート結局出来なかったんですから。織賀先輩の所為ですよ」
 いっそのこと、この講義は落とす方向で考えようか。大学一年生にとって、一般教養の二単位は何よりも重い。だが、こんな重たいレポートを毎回やる気にはなれない。……織賀と一緒に受けられる講義が無くなってしまう、というところも、少し悩ましい部分ではあるが。
「でもまあ、レポートは大丈夫だろ」
 織賀が歌うように言った。まるで、何かを予言しているみたいだった。
「どういう意味ですか?」
 織賀は答えず、教壇の方を見つめている。そういえば、もうとっくに講義が始まっていていいはずなのに、鳶山教授の姿は無かった。何かあったのだろうか?
 そんなことを考えていると、ATがバタバタと講義室の中に入ってくる。
「今朝方、鳶山教授が殺人容疑で緊急逮捕されました。本講義は休講となります。これからの対応については、構内掲示板に掲出致しますのでよろしくお願いします」
 教室内にざわめきが広がっていく。ガタガタと周りの学生が立ち上がっていく。その中で、織賀だけは悠然とATのことを見つめていた。
「あーあ、この講義きっと無くなるぞ。でも安心しろよ。教授都合で取り潰しになった講義は全員に単位出るからさ。あ、モグリの俺には出ないけどね」
「あの、先輩……」
「んー?」
「昨日、本当は依頼あったんじゃないですか。でも……先輩は……」
 織賀は悲しき個人事業主であるが、この道においては熟達している人間でもある。つまり、割合依頼主を選べる立場にあるということだ。昨日の夜、彼は嘘を吐いて祝部を呼び出したのではなく、本当は部活動をやるつもりだったんじゃないのだろうか?
 織賀はそれには答えず、まるでここがジャガーの中であるかのように言うのだった。
「えー、承認しとく? それ」
 
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ななし@c8a236
今初めて聴こえました!
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お聞きしたかった……!
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ありがとうございます!
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私も引きます!
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