斎宮宗/お題「大理石のような雲が立ち込めていた曇りの日、図書館の貸し出しカウンターの前でした、一度だけ母の口紅に悪戯をしたことに関する話」
※モブ目線
 初めて見た舞台で目に焼きついたのは、光ではなく深い赤紫色だった。
 友人いわく、あの日の講堂は異様な雰囲気に包まれたそうだ。舞台の幕が開いた途端、誰もが息を飲み、手にした光を掲げることも忘れて、ただ呆然と、舞台に見入っていたという。完膚なきまでの芸術を予告なしに頭から濁流のように浴びて、舞台の幕が降りたときもしばらく沈黙が場を支配した。だがすぐにそれは無数の声によって打ち破られ、講堂はざわめきで満たされた。
「おい、大丈夫か?」
 呆然と一言も発せずに固まっていた僕は、友人に肩を叩かれるまで現実に戻れずにいた。いや、目にしたものが紛れもない現実であることは爆発しそうな心臓が狂おしいほど叫んでいて、全体を管轄するはずの脳味噌が夢見心地から離れずにいたというのが正しい。
「……今のは」
「斎宮と仁兎だな。あの二人、ユニットを組んだのか」
 友人の言葉にあらためて現実を突きつけられた。斎宮といえば興奮のままに窓から飛び降りた奇行で一躍有名になったばかりだし、仁兎は入学初日から抜群のかわいさで有名だった。二人とも自分と同じタイミングで入学しただなんて信じられないクオリティの舞台だった。
「聞きなれねぇユニット名だとは思ってたけど……あ、たぶんこれか?」今日のプログラムを携帯端末で探し出して、友人が画面をこちらに向けた。「えっと……読める?」
 ユニット名のロゴが小さな液晶画面に写っていた。歯車と茨があしらわれたロゴは、目に焼きついたのと同じ赤紫色をしていた。
「ヴァル、キュリー……」
 その名前はあっという間に学院を席巻した。彗星のように現れた『Valkyrie』は、僕には恐竜を絶滅に追いやった隕石のように思えた。彼らの登場によって、夢ノ咲の肩書きだけで食っているような奴らが吹き飛び、世界は大きな変革期に突入するに違いない。胸が高鳴った。神話の世界の始まりを目撃するような恍惚さえ感じた。
 それなのに、現実は僕の予感を裏切った。
 腐れきった夢ノ咲は、見事に根っこから腐っていた。衝撃で表面を吹き飛ばしても、根が残っていれば何も変わらなかった。むしろ彼らのパフォーマンスは明らかに他と系統を別にしたものだったから、カルト的な存在だとすら囁かれるようになった。彼らもこんな夢ノ咲の現状に早々と見切りをつけて、活動拠点を学院外へと移してしまった。
 僕はあの日以来、ひとりでこっそりと彼らを推していた。どうやっても、あの瞬間に焼きついた赤紫色から逃れることができなかった。火傷のように、痣のように、それは身体に刻み込まれて消えることがなかった。むしろ、日に日に瞳がその色を求めて彷徨うようになった。ユニットのグッズにとどまらず、あの色に近いものを見つけてはコレクションするようになった。舞台で舞い踊っていたのと同じ色はなかなか見つからなかったが、自分にしか分からない概念の中で一人遊びをする楽しみに、すっかりはまってしまった。
 そんなとき、僕はあの色を母の化粧ポーチで見つけた。
 母がいつにも増して慌ただしく出勤したあと、化粧ポーチが洗面所にあることに気がついた。いつもはここにないものが珍しくて手を伸ばせば、弾みでポーチがひっくり返った。アッと思う間もなく、化粧道具がバラバラと音を立てて床に散らばった。朝からついていないとため息混じりにしゃがんだとき、キャップの外れた口紅が目に飛び込んできた。
 ドッと心臓が高鳴って、気づけば僕はそれを制服のポケットに突っ込んでいた。
 学院についてからも、指先がその小さな筒に触れるたびに、心臓が高鳴った。放課後、図書館に向かった僕は、速る鼓動を抑えて分厚い色彩辞典を開いた。もう何度も開いているせいで若干の癖がついたページと、ポケットに入れていた口紅を見比べる。
 間違いない。いままで見つけてきたなかでも、彼らの色に一番近い色だった。まさか自分が口紅を手にする機会がくるだなんて夢にも思っていなかったが、今はそのちいさな円筒が宝物のように思えた。
「すこしいいかね?」
 突然背後から声をかけられて、文字通り僕は飛び上がった。振り返って、もう一度飛び上がる。
「斎宮……」
 僕の瞳にあの色を焼きつかせた張本人が、やや不機嫌そうに眉を寄せて立っていた。
「すまないが、その辞典はいつ使い終わるんだい?」
 辞典類は持ち出し不可だからわざわざ図書室に足を運んだというのに、と言葉の端々に棘がある。興奮のままに辞典を独占していたことに気がついて、しかもそれをあの斎宮に指摘されたことに、頭のてっぺんから魂が抜け出してしまいそうだった。慌てて辞典を差し出した。
「あ、ごめん、どうぞ……」
「……ほう、口紅かい?」
 受け取りながら、彼が目を細める。口紅を手にしたままだったことに気づいて、僕は今度こそ魂が抜けた気がした。
「いい色だね」
「えっ」
 思わず耳を疑った。彼は目を細めたまま、僕が握りしめた口紅をまるで鑑定するようにじっと見つめた。
「僕らの衣装に使っている色にそっくりだ」
 ドキリ、と心臓が鳴って手が震えそうになった。概念の中の一人遊びを張本人に見られて、自慰を目撃されたみたいな羞恥が噴き出した。
「いや、これは」
 真っ赤になっているであろう僕の前で、彼は手にした色彩辞典を真剣にめくっている。いくつか色を見繕って、見比べて、やがてひとつ頷いた。
「確かにいい色だが、君にこの色は似合わないよ」
 正解を告げるものの口調で彼は言った。
「ふむ。君の肌と髪の色なら、この色など似合うだろう」
 開かれたページの一色を、彼の白い指が示している。目に焼きつけていた赤紫色とは似ても似つかない色は、彼の指先には不似合いだった。
「……そっか。アドバイスありがとう」
 笑顔を向ければ、彼は舞台上では見せたことのない笑みを唇に乗せて、貸出カウンターへと歩いていった。
 その日の帰り道、僕は人生で初めて百貨店の化粧品売り場に足を運んだ。手にした口紅と同じブランドを見つけ、目に焼きつけた色と同じ色の口紅を買った。制服姿の男子高校生というだけで物珍しかっただろうに、店員はとても丁寧で親切だった。
「贈り物でしょうか?」
「ええ、そうなんです」
 口紅は一本でもそれなりの金額がしたが、言われるがままに支払った。指定通りにラッピングして、喜んでもらえますように、と朗らかに笑った店員に見送られ、僕はその足で百貨店のトイレに向かった。
 ラッピングしてもらわなかった方の口紅の封を切る。買ったばかりの口紅はチョコレート菓子のようだった。やや薄暗い個室で塗った口紅は、ぬらりと唇に纏いついた。携帯端末のカメラで写してみれば、泣き笑いの道化のようなひどい顔が写っていた。
 母のポーチから盗んだ口紅を、僕はトイレのゴミ箱に投げ入れた。
 帰宅した僕はラッピングしてもらった方の口紅を母に渡した。弾みで折ってしまったから、と謝れば、思春期の息子が口紅を買ってきたことに目を丸くした母は呆気なく許してくれた。「同じ色がなかったのなら仕方ないわね」と言いつつも、さっそく試し塗りをしてみた母は、あらこれも悪くない、と目を瞬かせていた。
 翌日、僕は大理石のような曇天のせいで薄暗い校内で彼の姿を探し回った。図書室の貸出カウンター脇に貼られたポスターの中に彼の姿を見つけた僕は、ポケットに入れたままだった口紅を取り出した。いつもは図書整理をしている委員の姿もなくひっそりとした図書室で、印刷された彼の小さな小さな唇にそっと口紅を引いてみた。
 乾いた笑いが漏れるほど、とてもよく似合っていた。
カット
Latest / 138:37
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
お題SS:PERSONAL Color(宗)
初公開日: 2022年04月16日
最終更新日: 2022年04月16日
ブックマーク
スキ!
コメント
webオンリー「きらぼしカレイドスコープ」に合わせて、アイドルとお題をランダムに引いて書いたショートストーリーのアーカイブ。
お題SS:あの橋をこえて2023
webオンリー「あの橋をこえて2023」に合わせて行うテキストライブ。
白岸奏亜
お題SS:真緒
webオンリー「きらぼしカレイドスコープ」に合わせて書くショートストーリー。
白岸奏亜
お題SS:泉
webオンリー「きらぼしカレイドスコープ」に合わせて書いたショートストーリー。
白岸奏亜
最新話書く
いきてきたる本編書いてる
いかもん
彼女の翼を捥ぐ話 第三十二話
堕天した天使とそれに付き添われている主人公のお話の三十一話目を書きます。
ひさぎ