ここ数日、カトラリーに避けられ続けている。
 ベルギーの貴銃士、海賊が用いた美しい装飾の食器の中に仕込まれた銃の化身。悪意があり倫理のない海上にてその力を振るった経歴からか、貴銃士カトラリーは痛ましい自己否定をニヒルな皮肉で包んだような独特の性質を持つ。暗器として作られたことが理由の一つなのだろうが、彼の心の深い部分に刻み込まれたその傷は、裂傷ではなく鳥の羽を持つ美しい女性の形をしている。――それはつまり、彼曰く『セイレーンの呪い』というものだった。
 ジョージに引きずられて士官学校のある七不思議の正体を暴いてから数日。その少し前から、頻繁にあった食事の誘いがぱったりと途絶えていた。無機物らしい合理性と突発的な不可解の間を左右するファルとも独自の芸術に基づいた世界に生きるミカエルともまた違う、何枚ものベールに隔てられたような繊細な気難しさを持つカトラリーと、ようやく少し打ち解けてきたのではないかと思い始めた頃だった。
 胸を締め付けられるような、あの美しい歌声が蘇る。なるほど確かに、これは船乗りを魅了することだってあるかもしれない――とてもじゃないが直接言えないそんなことを、こっそりと胸中に覚えた。そして、水辺でぐらぐらと揺れる不安定さをひっくり返してしまったのは、他でもない彼のマスターである私だった。
 どうにかして仲直り、というか、せめて普通に顔を合わせて言葉を交わせる関係性に戻りたい。確かに「一緒に居たい」と言ってくれたあの言葉を、どうしても無視することができなかった。
 本来ならば喜ばしいことではないけれど――突然舞い込んだ風変わりな任務に期待を寄せてしまったのは、つまりそういう理由があった。
「――僕とマスターの二人で、潜入任務?」
 カトラリーはぽかんとした表情でそう言った。
 意図して逃げ回る彼をどうにか先回りし、ようやくその腕を掴むことができた。暗器という生い立ちゆえかすばしっこく走り去る背中を追うのはそれなりに困難で、今はすっかり陽が傾いている。オレンジの夕陽に白い頬を染めているのは、必死で走ったからなのだろうか。きっと、私もたいして変わらない顔をしている。
「ど……どうして、僕が、よりにもよって……もっとなんか他にいい人選あったでしょ。それこそマークスとか、ファルとか、軍用銃の連中のほうが僕よりずっと使えるだろ。古銃じゃなきゃダメって言うなら、フランス銃にでもしたら? そういうの、得意分野でしょ、きっと。知らないけど」
「それがね、カトラリーじゃなきゃダメなんだよ」
「……、……僕じゃなきゃ、ダメ?」
 どういうこと? と、わずかに首を傾げる。どうやら任務の内容に興味を持ってくれたようだ。
 逸る心を抑えて、とりあえず落ち着いて話をしないかと空き教室を指さす。しばらく黙ったまま何か考え込んでいたカトラリーは、そうでもしないと解放されないと諦めたのか、肩をすくめて「仕方がないな」と呟いた。
「潜入任務と言ってもね」窓際に座り、教官から受けた説明をそのまま口にする。「イギリスの別荘地で静養している、ある貴族の護衛任務についてほしい、ってことなんだ」
「護衛、任務」
「そう」
「……いや、やっぱり僕以外に適任がいるでしょ、それ」
 不満げに顔をしかめたカトラリーに、それだけじゃなくてね、と話の肝を切り出す。
「その護衛対象の方がね、……ちょっと変わり者で有名みたいで」
 ラッセル教官の何とも言えない表情を思い出し、この任務の特殊性を改めて噛み締める。人の上に立つ者として、また教育機関に所属する者として、教官は人当たりの好い仮面を被る技術に長けている。それがあまりにも露骨に剥がれ落ちていたのだから、この任務の『難しさ』は簡単に推しはかることができる。
「なんでも……武器を持つ人間は全員が悪魔に魂を乗っ取られていると考えているらしい」
「は?」
 またもやぽかんと口を開けたカトラリーの心中を思い、思わず苦笑を浮かべた。たぶん、教官からこの話を聞かされたときの私も同じような顔をしていたに違いない。
「世界帝の圧政下の時代の名残……というか、後遺症……みたいなもの、かな。帝府以外すべての人間が武器を所有することを禁じられてたんだよ。まぁ、実際には『芸術的価値しかない』として古銃は収集を免れていたし、あらゆる武装が厳格に禁じられていたというわけではないんだけど」
 実際、世界各地に潜んでいたレジスタンスの主戦力は古銃だった。美術館や古い館から古銃や武器になりそうなもの、資材を調達し、最先端の武力を誇る世界帝に打ち勝ってみせたのだから。
 この『銃狩り』とも言える世界帝のお触れは、しかしまた別の問題を引き起こすことにもなったのだ。
「世界帝時代の教育現場で行われていた道徳教育の中に、そういうことがあったんだよ」
「――『あらゆる人間は武器を持つな』って?」
「そう」
 酷い話だ。酷い話だが、理解できない悪意ではない。むしろ、そうする意図が分かるぶんだけ質が悪い。
 世界帝の圧政下に生まれた子供たちの多くは、世界帝の掲げる方針を浴びて育ってゆく。それに疑問を抱くためには、まず別の視点を持たなければならない。そして、それこそまっさらでまっしろな子供にとって一番難しいことではないだろうか。正しく在ろうと素直に吸収する子供ほど、それが麻薬であることには気付けない。
「生まれつき身体が弱くて郊外に館を構えていたらしい。けれども最近、持病の発作が酷くなってしまったので、さらに人里離れた別荘で静養生活を送っているのが、今回の護衛対象。――アルジャノン・ウォーディントン。十六歳。先の革命戦争が七年前だから、例の教育を受けていたのは本当に幼少期から、って感じだね」
「……それで?」カトラリーはフンと鼻を鳴らして顎を上げた。「この僕に大人しく食器の真似事でもしていろって言うわけ? まぁ、百歩譲って普通に食器扱いされるのはいいけど、正体を伏せてその憐れな人間を騙すために、僕を使うって言うんだ」
「うーん。実は、そういうわけでもなくて」
「……?」
「カトラリーにとって、気持ちのいい話じゃないかもしれない。先に謝っておく。ただ、カトラリーにしか頼めないっていうのは、本当のことだよ」
 どうにか上手く説明できないだろうかと当たり障りのない言葉を探し、結局そのまま事情を話すことにした。こういうことは、やはり私には向いていない。
「先方が、レジスタンスのカトラリーのことを知っている……というか、その英雄譚を聞いて、心動かされたみたいで。自分でも、何もかも否定するのは間違っているって、どこかで感じていたのかもしれない。彼なりに現実へ歩み寄ろうとした結果、銃の形をしていない銃、かつ実用性のある道具であれば受け入れられるという結論に至ったみたいで」
 ちらりと彼の表情を窺いつつ、事情を説明する。意外にも、カトラリーは少しも表情を変えなかった。明確な落胆も、憤りも、不機嫌すら感じさせない無表情だ。その裏に抱える本心が読めず、思わずごくりと唾を飲み込む。
「もちろん、向こうには『士官学校のカトラリー』だという話はしてある。基本的には一品ものである以上、必ずしも軍用銃のような共通した特徴があるわけでもない。カトラリーはカトラリーという貴銃士だと、相手も理解している。……その上で、やっぱり現状その条件に当てはまるのがカトラリーしかいない。カトラリーじゃなきゃ、ダメなんだよ」
「……」
「内容が内容だから、最悪断っても大丈夫。なんとかするよ。でも、私としては……、できれば、カトラリーと一緒に行きたい」
「……、僕と、一緒に?」
「そう。――最近、あんまり一緒にいられないから、寂しかったんだけど」
 そう言うと、カトラリーがびしりと固まった。相変わらず表情に明確な変化は見られなかったけれど、彼の背後に走ったのは確かに動揺の痕跡だった。
「い……、一緒、にって、そんな。だから……、僕はマスターと一緒にいちゃ、いけないんだから……」
「『一緒にいちゃいけない』? 少なくとも、私はそんなこと言ってない。『一緒にいたい』って言ったんだよ。それとも、カトラリーは私と一緒にいたくない?」
「そんなこと!」
 ガタン! と、椅子が倒れて大きな物音が響く。
 立ち上がったカトラリーは瞳を左右に震わせて、力なく項垂れた。
「……僕だって、一緒に、いたいよ。そうじゃなきゃ食事になんて、誘わなかった」
「なら」
「でも! でも、僕、マスターが僕のせいで死ぬのは、……もっと嫌だよ。とてもじゃないけど、耐えられない」
「――なら」
 握りしめた彼の手を取って、私は懇願するようにこう言った。
「今回の任務で確かめよう。カトラリーが、私を不幸にするかしないのか。この護衛任務が上手くいったら、私にセイレーンの呪いは利かないって認めてくれる?」かたく結んだ指先を開き、離さないよう繋ぎなおす。「――そうしたら、また私を食事に誘ってくれないかな」
「……っ、……ず、ずるい、それは……そんなの」
「ダメ?」
「……ダメなわけないでしょ、馬鹿」
 カトラリーの口元に意地悪そうな笑みが浮かぶ。その顔を見上げ、私はほっと胸を撫で下ろした。彼の悪戯は愛情の裏返しなのだ――と、ミカエルから聞いている。
 私はカトラリーと手を繋いだまま、
「よろしくね、カトラリー」
 と言って、絶対に護衛任務を成功させようと心に決めた。
 街外れの山道を行く車はよく揺れる。後部座席のシートに身を預け、ガタガタ揺れる車内から曇り空を見上げた。絵に描いたようなイギリスの空だ。
 人の生活から離れた森林の隙間には白い霧が漂い、鬱蒼とした薄暗い雰囲気を幻想的なものにしている。人工的な建造物はおろか、木々の隙間を縫って進むこの道すら自然そのものだ。もっとも、車が走って通れるだけの行き交いはあるのだろうが。
 ちらり、と言葉ない車内に視線を巡らせる。
 窓の外からようやく差し込む淡い朝日に照らされて、翡翠のような髪がきらきらと輝くように見えた。どこか憂鬱げな横顔は人を惑わす魔性のようにすら思える。もちろん、それが彼にとって侮辱になり得ることを理解していながら、しかしその容貌に人ならざる魅力を感じてしまうのは仕方のないことだった。事実、彼は人ではない。
「……なに? 外の景色でも見ていたほうがいいんじゃない? 車酔いしても知らないよ」
「大丈夫。……あ、じっと見てて、ごめん」
「それは、まぁ。別にいいけど」
 カトラリーから視線を外し、手元の資料に目を向ける。車の揺れに合わせて書面の文字も好き勝手に踊っていた。こっちのほうが車酔いになりそうだ。時間が無かったとはいえ、事前にじゅうぶん目を通さなかったことが悔やまれる。
 今回の護衛任務、その依頼人や注意事項、そして近辺で見られるトルレ・シャフの構成員と思わしき不審人物の目撃証言などとまとめた機密資料だ。最低限、想定される危険要素の項目は頭に叩き込んで車に乗ったが、それ以外はほとんど流し見たようなものだった。改めて書面の文字を追う。
 ――護衛対象、アルジャノン・ウォーディントン。十六歳。幼少期から身体が弱く、呼吸器疾患を抱えている。初等教育の前期課程を世界帝による圧政下のほぼ全盛期に過ごし、それ以降は持病の悪化を理由に個人で家庭教師を雇っている。
 ウォーディントン家は先の時代に珍しく、世界帝軍と反政府軍――つまりレジスタンスのことだ――そのどちらにもつかない中立の立場を貫いていた。レジスタンスの活動が活発だったヨーロッパ、特にイギリスやフランスなどではその支援を行っていた有力者も多く、リリエンフェルト家などがそうである。そして、そういう経歴を持つ家は革命戦争後、上流階級で覇権を握っていると言っても過言ではない。ヴォーディントン家はそれらの流れから一線を画し、また世界帝に出資したという現代では負債となる経歴も持っていない。
 その特異な立場は、代々続く秘密主義的な伝統によるものらしい。
 次の資料に目を通そうとした瞬間、ガタン、と車が悪路に大きく傾いた。
「うわっ……、何、運転下手すぎない? 運転手、連合軍の人間?」
「これはさすがに道が悪いんだと思うよ」
「ふぅん……ま、そういうことでもいいけどさ」
 カトラリーはシートベルトを両手で掴んだまま、うんざりといったふうに顔をしかめた。
「……こんな場所に行かなきゃならないなんて知ってたら、断ってたかも」
「あはは……本当にごめん。一週間の辛抱だから」
「……、……ちょっと。冗談だよ、マスターのバカ」
 拗ねたようにそっぽを向かれてしまった。
 そうこうしているうちに、車は目的地へとたどり着く。
 何となく気まずい空気のまま無言で車を降り、深い森の中に現れたその館を見上げ、思わずあんぐりと口を開いてしまった。
 背の高い木々の間に隠れるようでありながら、中世の古城を思わせる豪華な建物だ。国の文化財に指定されていると言われてもそのまま信用してしまうかもしれない。周囲に近代人工的な施設は見当たらず、まるで本の中の世界にでも迷い込んだような気持ちになる。
 隣に並んだカトラリーも同じようなことを思ったようだった。無意識のうちにか、素直な感嘆を隠さない声でぽつりと呟く。
「……す、ごい」
「そうだね……」
 茫然と立ち尽くす私たちの前で、黒く光る重厚な門がギイと開かれた。
 奥から現れたのは使用人のような恰好をした人物だった。アッシュブラウンの髪を後ろで結い、白いシャツのボタンは首元の一番上まできっちり留めてある。飾り気のないシンプルな出で立ちながら、定規で測ってつくられたような端正な顔立ちは一度見たら忘れないだろうというそれだった。やや切れ長の瞳には秘めた光が宿り、相対するだけで勝手に背筋が伸びるような心地がする。
 そうして、ふと不思議に思った。華奢な体格の男性のよう、あるいはやや骨ばった体格の女性のようにも見えた。
「――連合軍の士官候補生のマスター様。そして、貴銃士カトラリー様でございますね」
 その声を聞いても確信を持って男女を判別できなかった。近くに歩み寄って、もしかしてと思う。彼――あるいは彼女は、多少の誤差はあるかもしれないが、ほとんど私と同じような年頃ではないだろうか。
「このような場所までご足労いただき、ありがとうございます。私のことはアマーリとお呼びください。アルジャノン様の身の回りのお世話を任されております」
「あ……、はい。よろしくお願いします。私は――」簡単に名乗り、隣に目配せする。
 カトラリーはどこか胡乱げな視線をこちらへ向け、軽く肩をすくめた。
「ベルギーの古銃、カトラリー。残念ながら、あんたの主がご所望のレジスタンスじゃないけれど、おんなじ種類の暗器だよ。よろしく」
「――カトラリー」
「なに? 別に間違ったとこなんてひとつも言っていないけど」
 今回の任務の特殊性を思い出し、背筋にひやりとしたものが這う。唾を飲み込んでアマーリの様子を窺うも、いまいち何を考えているのか読めなかった。感情が表面に浮き出てこないタイプの人間なのかもしれない。
「……」
 アマーリはカトラリーと私の顔を順番に見返し、瞼を伏せた。
「……こちらの事情が特殊なものであり、連合軍の皆様方からすれば大変失礼なお願いであったことは重々承知しております。申し訳ございません。しかし、私たちにはどうしてもあなたがたのお力を借りなければならなかった。多少、無理を通してでも。そのことはどうか分かっていただきたく存じます」
「いえ、こちらこそ……お引き受けした以上、護衛と調査の両方とも、任務を遂行いたします」
「ありがとうございます。それでは……」
 真っすぐな視線がこちらをピタリと捉える。
「――所持している武器をお預かりさせてください」
「……は」
「どうかご理解くださいませ。我が主は多少……いえ、酷く繊細なお方です。たとえ士官候補生として標準的な規定内のものだとしても、この城においてあらゆる武器の所持を認めるわけにはいかないのです」
「えっと……それは……」
 ――それはつまり、私が所持しているハンドガンをそちらに引き渡せということだろうか?
 無意識のうちにホルスターのほうへ手が伸びる。上着と手袋に隔てられた冷たい鉄の感触は、間違いなく人を殺す武器のそれ。士官候補生とはいえ実践投入されていることを考えれば、ごく標準的な装備だろう。先方にも事前に伝えてあったことのはずだ。
 しかし、アマーリは一歩も退かない様子である。
 困り果てた私の代わりに、カトラリーが一歩前に出て鋭い声を上げた。
「どういうこと? 話が違うんだけど」
「大変申し訳ございません。ですが、我が主のために、これはどうしても必要なことなのです」
「それはこっちの台詞だよね。こっちだって必要最低限の装備で来てるわけ。『どうしても必要』、そんな文句が通用するなら僕も同じことを言わせてもらうけど?」
「しかし――」
「言い訳は要らない。確かに僕はベルギーの仕込み銃だけど、他でもないマスターの貴銃士だ。この人に危険が及ぶなら見過ごすわけにはいかない。……事実として、銃としての僕は使い物にならないんだ。その上でマスターから護身用のハンドガンまで取り上げるって言うなら、僕は彼女の貴銃士としてこの任務を辞退する」
「カ……カトラリー!?」
「マスターは下がってて!こんな暴論、認めるわけにはいかないよっ!」
 澄んだ声が静謐な森に凛と響く。
「……あんたらに必要なのは僕だろう? なら、マスターの身を護るのは誰だと思う。何だと思う。必要最低限の武装は、人を殺すためではない。人を守るための手段だ」
「……」
 アマーリは顔色を一切変えなかった。薄い唇をきゅっと引き結び、浅く瞼を伏せている。
 沈黙を破ったのは、憤慨するカトラリーでも、だんまりを続けるアマーリでもなかった。
「――わかりました」ホルスターからハンドガンを抜く。目の前の二人によく見えるよう弾丸を抜いた。空っぽになった鉄の塊を、アマーリに差し出す。「これで問題ありませんか?」
 カトラリーは薄い皮膚が裂けそうなほど大きく目を見開いた。悲鳴じみた声が続く。「――マスター!」
「私たちは護衛任務でここにいる。そして、この特殊な事情を了承した上で引き受けた。少なくとも、ラッセル教官が望んだのはそういうこと。……軍人ならば、上官の命令には逆らえない。わかるでしょ?」
「でも、僕だけじゃマスターは……」
「カトラリーが守るべきは私じゃない」
 きっぱりそう言い切ると、彼は不機嫌そうな表情のまま口を噤んだ。
「……ご協力、ありがとうございます」
 アマーリが頭を下げた。相変わらず無機物のようなその表情から感情の揺らぎを読み取るのは難しかったが、ずっと張りつめていた緊張感がいくらか緩められたような気がした。
 霧がかった深い森の奥に佇む、伝統的な秘密主義という薄いベールを掛けられた古城。
 その内側へと、私たちは足を踏み入れる。
 私とカトラリーが通されたのは別館だった。
「アルジャノン様はこちらで過ごされています」
 古城の主――ウォーディントン家現当主の拠点は本館に、その息子アルジャノン・ウォーディントンは別館を拠点としているらしい。今回の任務で張り付くのはアルジャノンのほうだ。つまり、私たちの活動拠点は別館のほうとなる。
 緑豊かな庭園を抜け、重厚な扉を開ける。暗いトーンの煉瓦の壁に、黒い鉄の柵や窓枠。森の奥に隠れるような佇まいを裏切らず、その中も薄暗い雰囲気で満たされていた。
 天井に近い高いところにある窓から、真っ白い光が差し込んでいる。エントランスホールの正面に螺旋階段があり、吹き抜けの二階廊下に繋がっていた。昼間でも壁掛けランプには小さな火が灯っている。豊かな絨毯が私たちの足音をすべて吸収した。
 与えられた部屋は一階の客室だった。角部屋のほうが私で、その隣がカトラリーだ。アンティーク調の家具が並ぶ、可愛らしい部屋だ。真っ白なシーツは洗い立ての気持ちいい匂いがした。とりあえず、と一週間滞在するための荷物を置く。武器になりそうなものはハンドガンが唯一だった。制服やシャツの替えをクローゼットに押し込み、連合軍から借りた通信機の調子を確認して内ポケットに滑り込ませた。それから、改めて部屋を確認する。
 客室も予想に違わず薄暗く、どこか陰鬱な雰囲気があった。まるで怪奇小説に出てくる古城のようだ、と失礼ながら素直に思う。角部屋なのに窓が一つしかない。引き寄せられるように窓辺へ寄って、確かな違和感に首を傾げた。
 窓枠に触れる。手袋越しの感覚は冷え切って固い。押しても引いてもびくともしなかった。施錠されているのかと思い鍵を探して、違和感の正体に行き着く。
 この窓は外側から施錠されている。
「――マスター? ちょっといい?」
「……! どうぞ」
 ノック音が思考の外に追いやられていた。慌ててカトラリーを部屋の中に引き入れる。
 カトラリーは不機嫌そうな、いや、難しそうな表情でこちらをじっと見つめた。一度扉の向こうに気を払い、囁くような声で言う。
「……ねぇ、窓、見た?」
「見た。じゃあ、もしかして、そっちも?」
「そう、鍵がかかってた。外側から。いや、あの感じじゃ外側からだって簡単には開けられなさそうだけど……」みるみるうちにその顔が歪む。「これじゃまるで、閉じ込められたみたいだ……」
「……、アマーリは?」
「水差しの水を変えてくるって。埃が浮かんでるって言ったら、一も二もなく出ていったよ」
 その言葉が果たしてどこまで本当かは分からないが、きっとアマーリもこちらの意図を汲み取ったのだろう。それがどう転ぶかは、まだ判断がつかない。
 奇妙な沈黙が場を支配した。先のやり取りなど遠くに逃げてしまった。今、私とカトラリーが抱えるのは目の前にある不可解だけだった。
 しかし、これからやることは変わらない。私たちに命じられたのはアルジャノン・ウォーディントンの護衛。――連合軍の先鋒隊がトルレ・シャフの基地を制圧する、それまでの時間稼ぎだ。
 トルレ・シャフとおぼしき目撃情報が入ったのは一か月ほど前のことだと言う。これまで、連合軍はトルレ・シャフの拠点やアジトを多数制圧してきた。その作戦に、貴銃士やそのマスターが参加したケースもいくつかある。しかし、具体的に動き出すまで一か月もかかったのは異例のことだ。
「――要はね、私有地なんだ」
 ラッセル教官は苦々しい表情で説明した。
 目撃情報の入った森林地帯は、イギリスでも有数の一族の土地なのだという。もちろん、疑いの目はまずその一族に向いた。公式に調査依頼を出したが、こちらはシロ。何の情報も出てこなかったという。
 ウォーディントン家が事実を秘匿している可能性も否めないが、トルレ・シャフの活動に関与している証拠もない。捜査に進展は見られず、連合軍としても動きようがなかった。では、ウォーディントン家が関わっていないとすれば? トルレ・シャフはその森のどこかに拠点を築いている、あるいは何かしらの目的があって出没したということだ。連合軍は方針を変え、森一帯の調査を依頼した。
 ウォーディントン家はいくつかの条件提示した上で、連合軍による調査を承認した。
 廊下に人の気配がないことを確認し、通信機の調子を確認する。
「――聞こえる?」
 やや置いて、雑音混じりの声が細々と聞こえてきた。
『聞こえるよ、マスター。問題なさそうだね』
 動作確認を終えると、隣の部屋からカトラリーが戻ってくる。
「……時代の進歩ってすごい。今の時代、もしかして、船乗りは星を読んで進行方向を決めるわけじゃないのかな」
「うーん。何かしらの通信機器は積んでいそうだけど、その方法も現役だと思うよ」
「そう? ……こういうの見ると、本当に、自分の古臭さを実感する」
 通信機を片手に、カトラリーは肩をすくめた。
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01:15
きなこ湯
車のブレーキを壊す方法が知りたい(※作品内でそういう描写をしたい)ので、もし有識者がいらっしゃいましたら助言お願いします……(切実)
73:44
きなこ湯
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カト坊よ幸せになれ
初公開日: 2022年04月08日
最終更新日: 2022年05月17日
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コメント
1014Rカト坊の貴ストとカドストを読んで狂ったオタクがどうにかしてカト坊を幸せにしたいと願った結果がこれです。貴スト8話読了大前提で書いているのでネタバレしかない。なんでも許せる人向け。
マクマス短い話
マクマスの短い話(予定)手入れのとき目を閉じるようになったの、あれって改修?バグ?
きなこ湯
ニートヒーローはランチを食べない
続くかくよコメント、チャットはどなたでもお気軽にどうぞ!
星のねこ
文也くんInツイステ
題名の通りですハイ
アオイ