自我 ついでにこの前のやつをpixivに乗せるために整える
定時退社ということを経験したことがない。働いたことがないためだ。しかし定時に遭遇したことがなくとも最終下校時刻に遭遇したことならばいくらでもある。中学校だ。高校は部活に入っていないこともあってそそくさと帰っては塾に行ったりこうしてテキストライブやメモ帳に向かい創作企画の作品を書いていた。今思えばろくでもない高校生である。話がそれた。
中学校の時は化学部に所属していた私は、その部活の人間とだらだらくだらない話をしているのがとにかく好きだった。部活、それも中学なんてそんなものだ。とにかくくだらなく話していることが大好きで、私は最終下校時刻がいつまでも来なければと願っていた。
今、中学校でつるんでいた人間とはほとんど連絡をとっていない。私の彼氏も含めておそらく片手で足りるほどの人数しかいない。私が――コミュ障の持ちがちな――人間関係リセット癖という悪癖を持っている人間であるからだ。今は彼等も受験のはずだ。彼等は果たして何をしているのかと気にはなる。私がいっとう気に入っていた面々を呼び出して、いつまでもくだらない話ができたらと思う。しかし私は果たしてその光景に実際に遭遇した時に、その空間から抜け出せるだろうかと同時に危惧している。私は過去を追いがちな人間だ。年齢や立場によって変わる関係性に耐えかねて逃げ出して、一人で素晴らしかった過去を回想するのだ。気持ち悪い話だろう。だから私は連絡を取らない。私のLINEの友達リストは今のところ公式アカウントと高校の友人で埋まっているが、これが減ることのないよう己に祈る他あるまい。
〆
爆竹。思い出すのは中国の春節である。旧正月のあの騒ぎようといったらありゃしない。テレビ越しでも耳がダメになりそうなくらいだ。中国には行ったことがない。中国出身であったり中国からの留学生とかそういう人と顔を合わせる機会はあったものの、今はそんな人達ともすっかり疎遠である。中国出身の友達が小学校の時の同級生だったものだから、小学校の一番衝撃的な光景を思い出してしまった。せっかくだしそのことについて適当に語り散らかそうかなと思う。
Twitterでこんなタグがあった。#嘘か本当かわからないことを呟いてフォロワーさんを惑わす というものだ。私はとりあえず適当に一番衝撃的だった(当時は本当にそうだったのだ)光景を話そうと思った。『目の前で同級生が監禁された』。後程これについて答え合わせをしたほうがいいのかもしれないと思った私は「これは本当の話だ」と言ったら随分とタイムラインがざわついた。スラム街かと揶揄した者もいる。そういえばそうだった。監禁とは犯罪なのだ。
小学校の時の話だ。私で小学校の話をするとなったら大体が五年生の時、すなわち学級崩壊の時期である。あの日らを境にすっかり私の記憶保持能力は曖昧になっているものだから、過去について明瞭に話すとしたらその時期しかあるまい。私は体育委員だった。正直運動会と普段の体育の授業以外やることが特にないあの委員会である。委員会の時にどのような仕事をするのかといったらまぁ掃除だ。その時は一番面倒な体育倉庫の掃除を任されていた。体育倉庫には色々なものが入っている。大きなカラーコーン、ハードル、走高跳のマット、そのほか…… その中で一番武器になりそうなものを答えろと問われたら貴方は何を挙げるだろうか。
まぁ思い付くわけがない。だが私はこういう時、石灰こそが一番強いのだと堂々答える。あれは毒だ。紛れもなく人間に害を与える毒なのだ。だからそれを知っている当時の私は体育倉庫に入るということを強く嫌った。それでも当時は真面目だったものだから、最低限ボールをカゴに仕舞うだのくらいはしたが。
ボールがあるところに男児を放り投げてはいけない。いつまでも遊ぶ。それも当時の私の学級の男児というのは学級崩壊で荒れに荒れているのだ。そりゃ遊ばないわけがない。まぁそんなわけで彼等(当時クラスから男女一人ずつ出されていたので体育倉庫で遊んでいた男児は二名である。過疎化のはこびだ)は掃除が終わったのも気にせず遊んでいたのだ。
その時である。その時の先生は体育倉庫の重たい、重たい扉を閉めて。ぐるりと錠前を回していた。今でもその先生の挙動がスローモーションで再生されるようだった。あの禿げた頭がこっちからあっちを向いて、眼鏡の下の何を考えているかわからない目がこっちを見て、そしてすたすたと平然とした足取りで教室に戻ろうとしている。何もわからなかった。その時の私は、ただ目の前の事がわからなかった。
学級崩壊の最中私は唯一まともな『子供』であった。いや、こればかりは冗談ぬきだ。まともな大人はといえば隣のクラスの先生だったが、その先生はもともと持っていた持病の治療のため――今思えばストレスで悪化していたのかもしれない――一時期休職し、代わりにお役所人間もいいとこな性格をした副校長先生が担任になった。この時ばかりは本当に何もかも信じる気が起きなかった。当時の担任の先生が一番の元凶であり先ほどのような監禁行為をしでかしたわけだが、そもそも何が原因かといえば女の先生が産休になったため代理としてその輩が来やがったわけだ。今彼の経歴を思い返せば、教師不足が謳われる昨今が生み出した悲劇のモンスターにも思える。彼は広告代理店に勤めていたらしいが、紆余曲折あり教師になったらしい。教職があれば先生になれるとかいう制度は即刻排除すべきだとこういうことを話す度に実感する。産休の先生も隣のクラスの先生もとても明るく人のいい人物だったため、この化け物と副校長先生が担任だった時代は当時の私に『ストレスによる「いかいよう」』を想像させられた。生きた心地がしなかったとはこのことなのだろう。
私と、ついでにもう一人の同級生の目の前で男子生徒二人を監禁した実行犯は平然と校舎に戻ろうとする。扉の叩く音が聞こえる。声が聞こえる。私は何が正解だったのかわからなかったのだ。今体育倉庫の扉に駆け寄って開けるべきか、あるいは。私が出来たことは、その先生に声をかけて正気を取り戻させようという慈善行為でしかなかったのだ。なんと言ったかもよく覚えていない。ただ横にいた女の同級生の甲高い「せんせい」という声は忘れそうにない。今思えば非常にえこひいきな先生だった印象がある。なぜなら――監禁された男子生徒の一人は理不尽に羽交い絞めをされていたような奴だったからだ。いくらその男子生徒が荒くれていたからといってそればかりはないだろうと思う。
何の言葉で彼は扉を開けたのだろうか。私が話したことを覚えている母は私の「このままだと犯罪になりませんか」という言葉だったらしい。今よりも当時の方が賢い気がする、という思いは無視していただきたい。ともかくその時はそうせざるを得なかったのだ。そそくさと駆け寄って扉を開ける彼の姿は『暴力をふるう者』の姿であった。
爆竹の話から始まったのに、随分昔の話を思い出された。粉塵爆発には皆気をつけよう。石灰はもちろん、小麦粉でも簡単に怒り得るので。
〆
ポチ。犬か?固有名詞にしてももう少し何かあったと思う。私は犬を飼ったことがない。父が動物を嫌うからだ。だからポチに付随するポチ袋の話をしようかと思う。
母はポチ袋を買うことが好きだ。趣味なのだ。ささやかな。いや嘘だ。私の母は卓球とポチ袋集めと海外ドラマが趣味な一介の女であった。――そう。女。どうせだ、私はこの女の話でもしようかと思う。
私の母は母ではなく女であるという印象だ。いや、別に不倫をしていたとかそういうのではない。子育てに向いていない人類なのだ。時折いるだろう、そういうのが。自己を発揮させることが上手い人間だが、折り合いをつけるのが苦手だ。拗ねる。よく拗ねる。私はろくに反抗期がないと言われていたが誰のせいなんだと思っている。反抗したら拗ねてくる人間を相手したところでこっちが介護者に回らなくてはいけないのだから、そんな自傷行為やっていられなかったのだ。特に荒んでいた中学一年生のあたりは。(まぁだからといって高校に家出という暴挙をしてしまったことについては反省している。一応)
女である彼女が母に、それも私という怪物の母にさせられた理由としては、やはり父だ。私の父方の家というのは犬鳴村も驚くような因習で溢れている。因習というか、よろしくない偏見だ。
私の祖父は重役の人間である。■■■■■■■■■■■■偉い人だったらしい。ここまで言うと本当に身バレ一直線だが別に問題ないので続行する。そういう家の生まれの祖父と、正直経歴はわからないが海外旅行が好きであるということはわかる祖母。そんな彼らの間には三人の子供がいた。私の父は長子で、祖父を嫌っているが祖父にとても似ている。ちなみにこれを指摘するとよく拗ねる。お前もか。拗ねる女は厄介だが拗ねる男は躾のなっていない犬より見苦しい。そんな父が嫌うものは相当に多い。いや、というよりも自身の好きなもの以外が嫌いなのだ。ジャズと、……思いつかなくなってしまった。嘘だ、料理が好きな気がする。本当に好きと思って料理をしているのかは甚だ疑問だが。そんなわけでわが父は気に入らないものを色々と制限していった。今から挙げるのはその一例である。
ピンク色、フリルのついた服、スカートの禁止
笑点、ハリーポッター、邦ドラ閲覧禁止
動物を飼うこと禁止(これは後にめだかを飼ったことで破られた)
どういうことなんだろうか。そう思ってくれたら嬉しい。本当にわからないのだ。しかも母に理由を聞いても『さぁ』。本当に子育てに向いていない。母になることが免許制だったらいいのに。ついでに父も。
ジャズしか聞かないで、しかもレコードをいっぱい集めて一人になったらすぐ聞くものだから、私の耳はジャズに対して拒絶反応が出来ている。父が唯一好くものなのだ、嫌いにならなかったら相当なファザコンである。
しかもこの男――すっとぼけというか、思い込みが激しい。彼が間違ったことを言い、私や母が訂正する。すると決まって「だから俺の言った通りじゃないか」という。よくストーカーにならなかったものだ。日の目を見れているだけ感謝してほしい。
こんな感じの【因習我が家】(とユーモアをもって私はそう呼称している。こうでもしていないとやってられないのだ!)と私はとにかく、とにかく相性が悪い。しかも私の父方の祖父はよりにもよって過去にこんなひどい発言をしていたのだ。
お前は行ったことあるのか?
〆
そんなわけでクライマックスである。自我。自我というものは私が小学校五年生に一度失ってから長い間探しているものだ。あれ以降世界というものはひどくちぐはぐ、あるいは爛々としたものになり、それこそルイスキャロルのてんかんの夢のような景色と化している。とっとと病院に行け?こんな状況で行けたら損しない。
私の自我というのが果たしてこの文章上にいる私かあるいは別にある私なのかというそれが問題だ。こういう話をするたびに、私の体感は風呂あるいはプールの中に切り替わる。水が全身に纏うような、曖昧なもの。自我、私が今考えていることの全て。あるいはその根幹。どちらを取るかで今の私の自我が純なものか鈍なものかに変わる。私の好きなものは子供っぽいものから今の同年代が好きなのかもわからないものまで多様にあり、それを書きだしてあるいは思い出して並べる度にくらくらする。
ちょうど、この文章を一番てっぺんからここまで書くのに一時間が経過した。一時間の間に思い浮かべ書き出したこれまでは、おそらく自我の一端。私はこのログをもって実存している。私がたとえば別の人間の人格の一つだとか、あるいはイマジナリーフレンドだとか。なんせ過去に起きたことや置かれてる環境全てがそれを引き起こしかねないのだ。
手取川。この名前は好きだ。河川、あるいは酒の名前。自然と人工物の間にありながら、妙に笑えてくる語感。時折歪に改変させられるが、それも愛嬌だ。人はバカにされることで世を渡るのだ。私をとりまく人々の評価をもって私はようやっと社会の中で役割をもって降り、自我を自我として認識される。自我のない言葉はミームだ。話すだけで形を伴う何かだ。せめてこの私が誰かの中の誰かであるのならば、夢の一端くらいの些末なものであってほしい。
〆
これはTwitterの #もらった単語に関するエピソードを話せたら話す の中で、自分が見返して特に事細かに話すべきだと思った『万年筆』のエピソードを改稿したものである。Twitterのときよりも大幅な加筆修正を伴うため、小気味よさは失われるがご勘弁いただきたい。また、これらの思想はフィクションと思う限り概ねフィクションだ。
私はパソコンで小説を書く。
手書きをしていた時期はある。ノート一冊をBL小説で埋めたことのある中学生などいるだろうか。私だ。しかも半ナマモノである。モデルの同級生にはしっかり怒られた。これらは全て私がシャーペンでがりがり書いたものだ。
しかし私が最初に小説を書いたのは小学校5年生の頃、同胞が学校を荒らしに荒らした時期。産休の代理でやってきた先生の暴挙とそれに反抗する生徒がヒートアップした、私以外誰もが悪い一連の出来事。耐えかねた私はクラブ活動であるパソコンクラブで小説を書いたのだ。それが『手取川』の始まりだった。その時の名前はなんだったか忘れた。私のことなのできっと名前の一文字を入れ替えたとかそれくらいなんだと思う。キーボード、画面。これが物書きとしての私の出発点だ。私とパソコンこそ魂の片割れである。ガラスの仮面をここで想起できた人間は私と握手だ。
万年筆は苦手だ。そもそも字を書くこと自体が苦手なのだ。
6年生の時である。先ほど述べた先生がいなくなり、その学校の中でも古参の先生が担任だった。家庭訪問で成績より字の汚さを触れられた。『手取川さんは成績はいいんです。ただ字が汚いので直してください』。この言葉を受けてから私の文字に対する指摘は苛烈になった。家でも学校でも。筆記用具の握るところから書いた後まで事細かに指摘される。この指で持つのだ、【い】の間を繋げるな、漢字のれんがを流して書くな…… 思い出すだけで、嫌になる。硬筆も毛筆も指摘される。毛筆くらいと思うが、生憎そうもいかない。結局お手本の上に半紙を重ねて書いて誤魔化した。高校の美術が美術総合であったことは救いでしかない。私はそれくらい手でものを書くのが苦手なのだ。指摘されることが嫌すぎて手が震えるほど。
持ち方が定義されてないタッチペンはいい。あれは現代化の象徴だ。これまでの堅い定義から抜け出し、自分の持ちたい持ち方で書きたいように書ける。そして好きなものを表現していい。絵であろうが書道であろうがそれ以外のツールであろうが。たん、たんとタップするその感覚は楽しい。最近絵を描くためのツールをスマホからペンタブに変えたが、電子媒体を使うことの楽しさを思い出された。
小学校の担任、ひいては小学校の最悪な思い出を引き出したせいで目に涙がにじんでいるが、私はその中で一番最初に何を書いたか思い出す。Twitterではどんなものだったか忘れたといったが、苦し紛れの嘘だ。覚えている。題名は『恐怖の戦慄』。今思えばこれは旋律であった。あらすじといえば、私によく似た座敷童が私の通ってる学校によく似た学校の私のクラスによく似た荒れようを直すために奔走するというものだった。多分、その原稿は捨てた。中学生の時に、進学したことでかつての同級生は心を入れ替えたであろうと信じて捨てたのだ。徒労だったが。そして当時のその同級生に原稿を見せたのだ。今思えば話の筋はぐちゃぐちゃ、何を言いたいかもさっぱりわからない。当時のクラブ活動の先生(個性ある先生だった。世界一周をしたと豪語し、その話をしてくれたものだ。思えばその先生が私の想像力を創作力に活かしたきっかけだったかもしれない)は私の原稿を見て満足そうに頷いてくれたから、これを書くことは間違いじゃないのだろうと信じて、同級生にそれを見せた。結果はといえば、「ふーん」という感動詞で終わった。子供とはそのような程度だとわかっていたが、やはりその反応は苦しかった。
私は当時その場にいた人間全員が嫌いだ。今でも。学級崩壊に便乗して私をいじめたあの女も、私に味方をしてくれたあの男も、私の父も母も全員。無力だから。わかっていないから。どれだけ私に味方してくれたとしても、私がそれを良しとしていない以上やはりあの場にいた全員は私の敵だ。もし成人式で顔を合わせることがあったら、割った酒瓶を片手に望もうと思う。彼等の顔を裂いて就職に影響させるくらいはしないと割に合わないのだ。きっとあの時のことなど皆忘れてるだろうから。そしてそんな面々と迎えた卒業式で、貰った物はといえば。
私の大っ嫌いな筆記用具――ペンだった。四色入りとシャーペンのついた、名前入りのペン。何のあてつけかと思った。本当に皆私が嫌いなんだなと思った。当時はまだ復讐感情を知らなかったため、その後は同級生と一緒に写真を撮ったが、因習を持つ父方の祖父母が見学していたことにより彼等の機嫌取りから早々にあの式場を出ることになった。これはまたいつかに話そう。
万年筆は嫌いである。筆記用具だから。大人の使う文房具だから。大人の象徴、ひいては古い大人の証。時代が過ぎた今、大人の象徴はパソコンなのかもしれないと思うと嬉しい。いや、それもおそらく古い。大人になった証として私は防音室が欲しい。あるいは無人島。私が万年筆を望み、それを持った時。私はきっと大人になる。握れるんだろうか。あのピカピカしたコーティングのなされた、誰もが目を引く輝いたペン先を携えたあの万年筆を。大人になりたいのか、と言われたら全くそうではない。私がものを書くのは、この復讐感情の消化のため。私は子供にならなくてはいけない。子供のままでいなくてはいけない。復讐感情とは人を幼稚に仕立て上げるが、その幼稚さは時に必要だ。私はそれにならなくてはいけない。人が嫌いで嫌いで仕方なかった私を再現しなくてはいけない。
私の処女作がリメイクされるときが来たら。私はきっと、大人になる。復讐感情を消費した証として。万年筆を握るのだろう。原稿用紙に文字を書きつけるのだろう。吐き気がする。私はいつまでも幼体のままのこころで、何かを書かなくてはいけないのだ。
2022年1月20日