私は蘭を憎くは思えない。当然のことだ。全て私に合わせて理想通りに作られた恋人の機械人形なんだから。
作られた恋愛感情と作られた恋人。どんなに心を砕いたところでこれは単なる一人遊びに過ぎない。所詮偽物の恋だ。
こうして、あらかじめ組み込まれたプログラムによって繰り出される機械なりの愛情表現を受け止める度、私は蘭にとてもひどいことをしているんじゃないかって気分にさせられる。手を握られるたび、小さな頭が甘えるように私の肩にもたれかかるたび、その感情は肥大して複雑なようでいて一貫している彼の態度を受け止めることがどうしてか難しいことのように思えた。
私の言葉に背筋を伸ばした蘭は、矢張りどうして私が拒むのかを理解できないように、小首を傾げて能面のような顔でずっとシャツを見つめている。
「ごめん。」
沈黙が流れる空白の時間が幅を広げていく間私の口からは何に対してなのか自分でもよくわからない謝罪が漏れた。ゆっくりと身体を起こそうと腹に力を入れると背筋が軋んで少し痛い。右手に握った口実は私の体温で既に生ぬるく、飲む気も失せてテーブルにそれを置くと蘭は聞こえるか聞こえないかの声量で小さくため息を吐いた。
どくどくと忙しなく動き続ける心臓の音はまだ、私の身体を巡り続けて、先ほど交わした口づけの余韻が残る顔の表面は僅かに熱を持っている。
ソファに横向きに座る様に膝を抱えて、ぴかぴかと光を放つテレビ画面を横目に見つめると、既に場面は切り替わり、絡み合っていた男女は緩くバスローブを纏い酒を酌み交わしていた。頬を寄せ合い、額と額を押し付け合って唇同士が触れ合いそうなほどの至近距離で瞼を瞑り、告白し合う。作られた物語でありながらも生々しく、現実では単なる仕事相手でありながらも、そこには確かに実がある。
互いを見つめ合う瞳にはまるで本物の恋人同士みたいな熱があった。
形も無く目には見えない心の在り処を証明できないのは人間同士も同じこと。
私にはまだ、何が嘘で何が真実であるのかよくわからない。愛の真偽は何によって証明されるというのだろう。
「あのさ、……厭になった?」
「…はあ?」
未だ、硬直したままの蘭の手首を緩く掴んで問いかけると、彼はまた、くい、と唇を片側だけ引き上げると小馬鹿にするようにせせら笑った。自分で拒んだくせに、と言いたげに思えたけれど、この私の矛盾した態度を解析できるほどに彼が学習を積んでいるのかはわからない。人が何を考え何を思っているのか、分からないのと同じように、私は蘭の中に組み込まれたプログラムも、どんな過程を経てこんなにも私を振り回すような行動を的確にとるのか、行為に至るまでの数式もわからない。
傷つけたなど考える必要はない。それなのに、愛するように作られたこの子の好意を拒んだことで私は随分良心が痛んでいた。それが、よくなかったのかもしれない。そういう、気が小さいところが悪い男に付け込まれるのだと、随分昔に忠告された気がする。
目も合わせられずにおずおずと何か、弁解の言葉を探していると握っていたはずの蘭の手首がするり、と私の手のひらから抜け出して、今度は私の手首を掴む。蘭は、くん、と起立を促すように私の手を引くと床に両足を付けて立ち上がった。
「……なに?」
突然の行動に少しばかり困惑しながらも私は促されるままに、蘭が手を引く方向へと足を進めた。蘭は部屋の隅に置かれたシングルのベッドの前まで来ると一度私に振り返り、軽く私の背中を押した。ぽん、と小さな衝撃が背中に伝わり、つんのめる様に傍まで近寄るとつま先が、床まで伸びたシーツの端を掠る。恐る恐る振り返った時、蘭はいつもどおりの無表情で、少しだけ背中のあたりが寒くなる。
マジで何考えてんだかさっぱりわかんない。
なんなの。もう寝ろってコト?
「汚れなきゃいいんだろ?なァ、ナマエ。」
「…゛え?」
この時、私はほんの少しでもこの小憎らしい灰谷蘭という男に申し訳ないなんて感情を抱いたことを心底後悔した。
ぬ、っと伸びた手が私の両肩をがしり、と掴み、半ば強引に背中を丸めた蘭は私をシーツの上に押し出した。
突然肩を押された私は、言うまでも無くバランスを崩し、強かにベッドに尻を打ち付ける。一瞬視界が反転し、あまりのことに意識せずとも口からはギャッと悲鳴があがった。ふよふよ跳ねるスプリングが背中を揺らしたかと思うと、ぐにゃり、とひしゃげて腰の脇に黒い布地が覆われた彼の膝がのっそりと置かれているのが視界の端に映る。
目を白黒とさせながら天井を仰ぎ見ると、にこぉ、と瞼を閉じて、厭味なほど快活な笑みを浮かべた図体だけはデカすぎる意地悪機械人形の赤い舌と白い歯が視界に広がった。
「ちょっ、と!」
「難し~こと考えてンの?無駄だからやめときナ。」
「む、むだって…、」
「セックスしたいんじゃねぇの?」
「いや、…シたいとか、そういうのじゃないっていうか。」
「嘘。」
しどろもどろに言葉を紡ぎ抵抗するように藻掻く私の上に馬乗りになった蘭の長い腕が得物を捉える肉食動物のみたいに私の腹を抑えつける。腹の真ん中が圧迫されるような圧力を感じ、ぐ、と奥歯を噛み締めると冷たい手のひらは肌の感触を確かめるように腹を撫でて、薄いシャツを捲った。外気に触れた皮膚には鳥肌が立ち、しっとりと見つめられるほどに背筋が泡立つような興奮が背骨をさする。
嘘。と一言、心の内を見破る様に告げられると、高く音を刻む心臓が一層大きく音を立てるのを感じた。欲情していないと言えば嘘になる。確かに、ドキドキしているし、この先の展開を不安に思う反面どこか期待している自分がいる。それは相手がどうとか言うよりは、憎からず思っている相手にこんなにも分かりやすく迫られたことに対する本能的な高揚に近い。早い話が、その日の体調も相まって非常にムラムラしていただけだ。拒むのはただ単純にそういう口実をもとに蘭を消費することに抵抗があるというだけで。
そんな私の複雑な心境も迷いも全部一蹴するように、蘭は折り重なるように腰を曲げて、ごくりと唾を呑む私の喉元に額を当てて、上目遣いに私を見つめた。胸の上までたくし上げられたシャツからは腹も胸部を覆い隠した下着も露出していて、羞恥心がこれでもかと言うほど刺激される。つ、と指先で臍から縦に入った割れ目をなぞられると、くすぐったくてびくりと身体が震えた。
「っ、なんで、そんなことわかるの…、、」
苦し紛れに問いかけた時、蘭は軽く頭を上げて唇の前で人差し指を立てる。
「血圧上がってる。それから体温も。オマエ先週生理だっただろ。」
「っ!!!???はあ~~????」
何で知ってんの?いくら同じ場所で生活してるからって私は蘭に自分の個人的な事情(しかも月経)を口走ったことなど一度も無い。そう、口に出そうとした瞬間、蘭は『ちゃんと読めっつったろ?』と呟いた。
『※該当の個体は恋人にするように接することであなたの要望に応える専用ヒューマノイドです。皮膚の内部に搭載された音感センサー、サーモスタッド搭載の義眼からあなたの鼓動や体温の上昇、視線の動きから最適な行動を予測し、学習を繰り返すことで理想の恋人へと近づいていきます。』
ふつふつとつい数日前読み上げた例の一文が頭を過った時、私は間抜けに口を開いて、うめき声を漏らした。
「…ぁ、」
「学習したかぁ?」
ふ、と息を漏らした薄い唇から覗く犬歯がぎらり、と光る。緩慢に伸ばした手のひらがシーツに預けた私の後頭部を支えると、髪を一つにまとめたゴムを指に引っかけ掬い取り、ぱさり、と白い布地の上に傷んだ毛束が散らばる音がした。
「言ったよなぁ?オレに嘘は通じねぇ~ってよぉ。」
どこか甘ったるい空気を含んだ低い声が肌を濡らすように鼓膜を揺らすと、頭痛を催すほどの眩暈にも似た興奮が脳を痺れて思考を麻痺させていく。頭を軽く持ち上げた手のひらに支えられ、思わず蘭の両肩を掴んだ時に、二度目の口づけが鼻筋に下ろされて、つ、と小さなリップ音がエンドロールの流れる部屋に微かに響いた。
「せーり現象だって思っとけよ。」
説き伏せるように、囁く声にぎし、とまた一つ胸の痛みを感じた。
理由を付ければきりがない。理由なんて無くても誰にも咎められないことだ。
私が望めば、蘭は思いつく限りのたくさんの言い訳を私にくれるのだろう。
「んっ、う……蘭、くん。くすぐったい、」
「うん。」
耳の裏をくすぐる指先、顎の先に触れた唇と、淡い色で彩られた藤色の目に見つめられると、何も考えられなくなってしまう。触れられた部分がひどく熱かった。
下腹部が圧迫されたみたいにぎゅう、と収縮していく感覚は私の視界を歪ませて、つい数分前に押込めた劣情が再び形を成していくのを感じた。
「どーすんの?」
この期に及んで私に選択を預ける彼をこの日程意地悪に思ったことは無い。
それから、押し返そうと肩に当てた手のひらの指先が、縋るように彼のシャツを握るのにそう時間はかからなかった。
細く長い首筋に絡めた腕に力を込めて、私はもう一度彼の名前を呼ぶ。
その時だけ、揶揄わず嗤うこともせず『うん。』と一言返事を返す彼の声が鼓膜を通り抜ける度、胸が熱くなった。
「で、どーだった?」
「……………………すごく良かったデス…。」
「あっそ。ソイツは重畳。」
火照った身体を冷ますように仰向けのまま天井を見上げると、隣でうつ伏せに寝転びながらふてぶてしく煙草を蒸かす蘭が唇から吐き出した白い煙がぷかぷかと舞い上がっているのが見えた。肩甲骨や背骨の浮き出た背中には長い毛先が散らばり川のように流れている。微かに青みを含んだ刺青で彩られたそこか、彼が身じろぎをするたびに波打つように歪み、その様子はまるで彫刻が息をしているようで卑俗を省いた艶めかしさがあった。人が散々息もできなくなるまで嬲られたというのに汗一つかいていないが若干腹立たしい。
胸元までかけた布団の下は未だに汗に濡れた身体が隠されていて、余韻の残る下腹部はつくつくと小さな棘を刺すように疼き、身体の節々は可笑しなところに力が入っていたせいか引き攣るような痛みを残している。
壁にかけた円形の時計の針は丁度深夜零時すぎを指している。映画のエンドロールからは正味三時間ほど、経っている。そんなに長い時間じゃない。けれど、たったの三時間でも普通にしてみれば長い方であるし、恋人を模しているとはいえは所詮はアンドロイドと、私は若干蘭を舐めていたのだと思い知らされるには十分な長さだった。
温度の低い唇が肌の上を滑り、身体の隙間を割る様に長い指が差し込まれると、甲高い声が口から溢れて、視界が潤む。執拗に身体の中身を弄られ、顔をじっと見つめられながら反応を伺われるととんでもなく恥ずかしいし、逃げ出したくて仕方がない気持ちになった。
人並みなのか、それ以上なのか、判断するには経験がたりないけれど、それなりの質量と硬さを持った物体は私を追い詰めるには十分すぎる。
ぎし、ぎし、と動きに合わせて音を立てるベッドのスプリングの振動が背中を上下に揺らして、自分の口から伸びる嬌声が脳内で反響すると、自分が自分でないように感じられた。脳みそを直接火で炙られるような快感はむしろ拷問と言っても良いほどで、身体を震わせて肩の両脇に立てられた二の腕を掴み、つま先で空を蹴る私を蘭は相変わらずの無表情で見下ろしていた。
そんな風に見られると、必死になってる自分が滑稽で非常に恥ずかしくなるが、余計なことを口にすれば、一層執拗に責め立てられると思うと何も言えなくなる。
汗でべとべとになった身体をぐったりとシーツの上に横たえた私が音を上げると、蘭は割かしあっさりと身を引いた。これは多分、彼自身に性的快感を得る機能が無いという点に付随した行動であり、視覚的に得られた情報から彼が十分だと判断した結果なのであろうが、それが余計に腑に落ちない。
しかし、一度行為に及んでしまえば先ほどまでの悶々とした私の憂鬱は煙のように姿を消していっそ清々しいほど吹っ切れていた。彼は自分の課された義務を果たすために機能を行使しているだけである、と分かった分だけ罪悪感は薄れる。
そう、使わなければ彼が此処に居る意味が無いのだから、私が尻込みすること自体間違いなのだろう。
「ていうかさ、」
「あン?」
「試験運用ってことはさっきのもデータ取ってるの。」
「ああ。マ、そーいうことになンだろうな。」
うわ、最悪。まさか録音とかしてないよね?
一抹の不安が過り、ぎくりと肩を震わせた私は身体を転がして、蘭の肩まで顔を寄せる。ちら、と横目で私に視線を寄越した彼は、不安げな目つきを察したのか、枕元で充電していた私のスマートフォンを弄ると、液晶画面を突き出した。
おい待て、何で暗証番号まで知ってんのよ。という疑問は頭の隅に追いやる。
液晶には例のメーカーの公式サイトにてモニター向けの説明が事細かに記されていた。試験運用型のプロトタイプがこの試行実験で本部に提供するのは、モニター側の人間と過ごした生活で観測する人々のバイタルや体温の変動のみ、と書かれている。そもそも彼らアンドロイドの思考の許となるPCは人間の脳と同じ場所に収納されているらしいが、インターネットを経由して常時本部と繋がるクラウドストレージ内にデータが記録されることとなっている、とのこと。
「……良かった。」
胸を撫でおろすように深く息を吐くと、蘭は喉で笑うようにクツクツと音を鳴らして『誰もオマエのエロい声なんざキョーミ無ぇよ。』と私を揶揄った。マジで最悪だ。このクソサド鬼畜人形どこにデリカシーとモラルを落としてきたんだ。製造元に直々に文句でも言ってやりたいわ。と私は思った。勿論、これも口に出さない。なぜなら報復が怖いからである。
心配事が無くなった途端に、身体からはすっと力が抜けて、忘れていた疲労感が一気に背中に伸し掛かり瞼が急激に重たくなる。ゆっくりと瞬きしながら目元を擦ると、蘭は私の頭に手を乗せて、雑に髪の毛を掻き撫でた。
「さっさと寝ろよ。」
短くなった煙草をベッドサイドの灰皿に押し付ける蘭の声が耳の先を掠ると、その静かな声音が心地好く眠気が増していく気がする。腕を伸ばして、遠慮がちに背中に手を当てても、手のひらに広がる感触は乾ききっていて冷たい。けれど、それは火照った身体には丁度良く、不思議と嫌いではなかった。
バラバラに散らばる毛先を掻き分けて、背中の凹凸をなぞりながら、もにょもにょと寝入りばなに言葉を紡ぐ私の声に彼はじっと耳を澄ましているようだった。
「身体、冷たいね。」
「……温度上げるか?」
「?…上げれるの?」
「マアな。」
体温まで調節できるなんて最近の技術も馬鹿にはできないな。なんて思いながらも、私は緩やかに首を振った。
「そのままでいいよ。」
「ん、」
「この方が気持ち好いから。」
ぎゅう、と抱きしめるようにして身体を寄せて瞼を閉じると、すう、すう、と人工皮膚の内側から彼の駆動する音が聞こえる。
「おやすみ。」
暗くなった視界の中で手のひらに感じる感触に最後の言葉をかけると、それに返事を返すように頬をさらりと何かが撫でる。一定のリズムで肌の上を行き来する細やかな温度に頬が緩まった。それから、私は彼に気付かれないように少しだけ微笑むと、布団の中に顔を埋めて眠りについたのだ。
気が向いたら続くかもね。
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初公開日: 2022年01月02日
最終更新日: 2022年01月03日
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脈打つウィスタリア二話を進めて行くよ。