大人の喧嘩(仮)
                    半間修二
大人の喧嘩って言うのは質が悪くて割かし話し合いで解決するよりも時間が経つのを待ってナアナアにすることが多いような気がする。
大体、一つのことに長い時間怒り続けるのなんてすごく気力が必要であるし、いつまでも気に入らないことを引き摺ってたってしょうがないもん。この歳になると正論ぶつけられたってなかなか自分の価値観なんて変えられるもんでもないし、謝りたくもない。だから結局時間が経ってお互いどうでも良くなるのを待つのが一番楽な方法なんだろう。
職場周辺のオフィス街の中心は大通りに面していて、真っすぐに交差点の向こうへ進んでいくと、大型ショッピングモールがズシンと聳え立っている。つまり、帰り道に近いと言えば近いので、オフィスの窓から見下ろした遠い街並みの中にぞろぞろと行き交う人々の頭頂部や色とりどりの車が見え隠れして、季節感の無い限界社畜の私はそこでようやく季節の移り変わりを知るのだ。
白みがかった灰色の空の隙間からは一匙程度の細かな雪が紙吹雪のようにハラハラと風に舞ってちらついていた。非が落ちるのが早まったこの頃は午後の三時でも、薄っすらと空が暗くなる。見下ろした街の街路樹に括りつけられたイルムネーションがチカチカと赤や青に光っているのを見ていると、そういえば、年末調整の、控除の申請用紙の提出期限が明日までだった、と私は不意に思い出した。
そうして、年末調整…、ああ、だから最近来ないのか。と神出鬼没な恋人のことを一瞬思い出した。それが、丁度六時間前のこと。
師走の中頃に入った街中は、ここ最近大いに賑わっていて、私は仕事帰りにモールに寄ると地下街に所狭しと出店された総菜屋さんで、から揚げと白身魚の甘酢あんかけを購入した。一人暮らしも手慣れたもので、自炊するのにそれほど苦労はしないが、時たま、何とも形容しがたく『人の作った飯』が食いたくなる時がある。
『こーいう時に限って来るんだよなぁ……。』
右手に総菜袋をぶら下げて、暗い夜道を歩く中、ふとした瞬間彼ののことが頭に浮かんでそう呟いた。ジイ、と無言で手元を見つめる。一人分しか買ってない、いや、でも来るかどうかもわからんし。そう思ったのが今から約五時間前。端的に述べるなら私のよからぬ予想は的中したのであった。
久しぶりに家に来た恋人と喧嘩をしたのは、私がむしゃくしゃした気持ちを抑えきれず、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターのボトルを握りつぶした今現在から二時間ほど前のこと。
イヤな予感ほどよく当たるもので、総菜片手にぼけらっと、道々空から降り注ぐ雪を見上げながら馬鹿みたいに口を半開きにして自宅の前に辿り着いた時、ロクデナシの恋人、半間修二クンは自宅の前で、ヤンキー座りヨロシクしゃがみ込みながら咥え煙草で首の裏をかいていた。
修二クンは何回言っても『家の鍵は玄関先のプランターの下に隠してあるからね。』という言付けを覚えてはくれない。
『おっせー♡凍え死なす気かよ、ナマエチャン。』
修二クン、と名前を呼ぶと、つまらなそうな顔で目を伏せた彼の視線が上がって、丸いレンズ越しに視線が合うと切れ長の目が一層細く歪む。ニイ、と歯を見せて笑った修二クンの笑みは昔から変わらない、少しゾクっとする表情だ。綺麗に整えられた金と黒のマーブル模様の髪の毛は、少し広めの額に垂れ下がり、僅かに湿り気を帯びていた。仕立ての良いスーツを着込んだ修二クンは、一見するとビジネスマンに見えなくもないけれど、この鋭い目つきと言い、長身やのっぺりとした仕草は微妙な圧力がある。それに、ホントは動体視力すごく良いはずなのになんでかかけてる伊達メガネは頭が良く見えそう、って言うより普通に胡散臭い。
そうやって、家の前でしゃがんで待たれると、私ご近所さんにヤバいところで借金してるって噂されちゃうんだよね。修二クン、隣の人に借金取りって思われてるよ、と教えた上げた方が良いのかは中々に悩むところだ。
『いきなり来るからだよ…。なんか用事?』
『用事が無ぇと来ちゃいけねぇの?』
『そういうわけじゃなくて、いっつもいきなりだから。』
『腹減った。なんか食わして♡』
修二クンは私にそうして強請ってきたくせに腰を上げる素振りが一切無くて、私はいつものように深々とため息を吐いた。膝の上に乗っけた細長い腕、ぷらりと下がった大きな手の甲は青い血管が走っていて、その、皮膚に透けた管と同じくらい肌は青ざめている。一体いつから待ってたんだろう?と疑問に思うけど元々体温の低い人であるから、あまり気にならない。指先を握るとひんやり冷たいのも別にいつものことだから。ぎゅう、と冷えた手首を掴んで引っ張ると、修二クンは子供みたいに『弱ぇ~。』と声を漏らす。私の貧相な力で引っ張りあげようと思ったところでびくともしないことなんてわかり切ってるくせに。
『寒いんでしょ。早く入ろう。』
ぐいぐい、と引っ張ると手首にかけた袋がフラフラと揺れて、プラスチックのパッケージの隙間から、少しだけ甘酢の酸味を帯びたしょっぱい匂いが漂ってくるようだった。すっかり暗くなった玄関先は扉の斜め上に取り付けられた来客用のライトに煌々と照らされていた。フワフワと冷たくて湿った外気の中に白い一筋の煙が昇っていく。
困り果てた私が、小さくため息を吐くと、修二クンは左手の人差し指と中指の間に挟んだ煙草のフィルターを唇に咥えた。それを、一吸いすると、先端の炎の光が一際強く輝いて、修二クンはその光が眩しいのか瞼を閉じると、フーと深く息を吐いた後、唇から離した煙草を地面に放った。ぬるり、と滑らかに立ち上がると、あまりにも開きすぎてる慎重さが浮き彫りになって、座った目つきで見つめられると付き合いたての時は『なにか文句でもあるのかしら。』と思ったけれど、今はただ見ているだけだと受け流すことができる。
修二クンは私に手を引かれるまま、歩き出す直前まだコンクリートの上で燻る煙草を靴底でぐりぐりと踏みつけると、火を消した。
『……あのさ。』
『あン?』
『なんでもない。』
その転がった吸殻、後で片付けるの私なんだけどな。と、言ったところでいう言聞かないのは目に見えてるし。
そんなこんなで私はこの困った恋人の手を引いて玄関のカギを開けて彼を部屋に招いたわけだ。堅苦しい背広を脱ぎ捨てた修二クンは鴨居に頭をぶつけないように背中を丸めてのそのそとリビングに入るとソファに腰を掛けた。
この一連の流れで私の今日の計画というのは既にガタ崩れである。
別に修二クンが強請ってきたわけじゃないけど、お腹が空いてると言われた手前、ご飯が炊けるまでの間に何か食べさせなければいけないので、自分用にと買って帰った総菜はそれからほどなくして修二クンのお腹に収まってしまったわけだし。
ああ、思い出したらムカつく。こんなことなら折角自分でお金払って買った総菜なんて出してあげるんじゃなかった。畜生今すぐ私のから揚げ返せ。
喧嘩の内容なんか大したことじゃない。いつもみたいに『急に来られても何にも出せないよ。』って言った私におざなりな返事を返すばかりの修二クンが、揶揄い交じりに放った言葉をいつも通りに受け流せなかったというだけだ。なんか無性に苛ついた。
『修二クンはさ、私の言うことちっとも聞いてくれないんだね。』
多分、きっと、昼間の年末調整みたいに、何かにつけては些細なきっかけで修二クンのことを思い出すのに、修二クンはまるで昨日会ったみたいに何の感慨も無さそうに自分勝手に人の生活を荒らしまわって帰っていくのが無意識ながら気に食わないって気持ちもあったんだろう。
ごめんね~もうそろ寝ます。
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