「いいかげんにしろよ、水の無駄だ」
ドアを押し開けると同時に、振り向いた杉元と目があった。濡れた前髪の間から覗いた瞳が思いがけず幼かったから、一瞬、反応が遅れた。その隙にぬっと突き出した腕に掴まれて、馬鹿力で浴室に引っ張り込まれる。
「──おい」
シャワーが服を濡らし、身体に張り付いた。びしょ濡れの頭を肩口に擦り寄せられて、背中にまで水が染み、重くなっていく。
「おがたぁ」
と情けなく鼻を鳴らすような、野良犬じみた声がする。犬か。まあ、そんなところだろう。その犬が言う。
「またお前に優しくしてやれなかった」
と。
「はは、くだらない反省会はよしてメシにしようぜ杉元」
無遠慮に掘られたケツが痛い。だがそんなこと、どうでもいいことだ。
〈ハッピーエンドに憧れて〉
杉元とはじめて会ったのがいつだったか、俺ははっきりと覚えていない。杉元は適当な男だ。誰にでも優しく人当たりがいいが、そのくせ傍若無人なまでにぶっきらぼうな面もある。人に囲まれて笑うくせにいつも一人でいるような、そんなどこか浮世離れした雰囲気を、俺は気に入っている。
「尾形、ピザとろうよ」
「冷凍庫見たか?」
「なんで?」
「お前が買い漁ったセブンプレミアムでパンパンだからだ」
「いいじゃん。生活備蓄ってやつだよ」
生活は適当。セックスは乱暴。でも俺は、最悪ではない。もちろん、最高ってわけでもないが。
「なんにする、ピザ」
「……耳がない薄いやつ」
「えー。パンっぽいのにしよう、耳食ってやるから」
「……チーズ何種類のやつ」
「プルコギガーリック。あ、あとツナマヨポテト」
「……チーズと蜂蜜の」
「お前チーズ好きだな」
「マトモなもんを食いたいだけだ」
「ええ?」
そのわりにメニューの名前覚えないじゃん、と言って、杉元が笑った。
10代の頃、死体の写真を撮っていた。打ち上げられた鯨の瞳、道に落ちて誰にもかえりみられない鳩、どっと音を立てて倒れる屠殺場の牛。そして、路地裏の凍死者。ショッキングな画がほしいのでもなく、アングラなアートなどもってのほかだった。ただ、目を引いたのがそれらだっただけだ。
はじめて死体を撮ったのは、秋の根室だった。風蓮湖の野鳥の撮影にアシスタントとして同行し、そこで車に轢かれたエゾシカを見た。早朝だった。湿原には靄が立ち込めて天国のように白く、ひらけた車道のまんなかに、それは倒れていた。アスファルトに血が流れ、その源流の、鹿の腹からは湯気が立っていた。カラスがしきりにえぐれた肉をつついては電線に飛び上がり、また舞い降りた。
スーパーマーケットの裏側と同じ匂いがする、と思った。その時の俺は、死んだばかりの動物の匂いに近しいものを、精肉の匂いしか知らなかったのだ。
鹿の目はまだ透き通っていたが、もはや何をうつすこともなかった。俺はカメラを両手で握ったまま、レンズを向けることができず、朝の光の中で静かに向き合った。知らない感覚だった。写真に残したいと思ったが、レンズを向けることはためらわれた。同時に湧き上がる、魅了と忌避。そのあいだで引き裂かれそうになりながら、やがて俺はカメラの銃口をさだめ、夢中でシャッターを切った。写真を撮ることに高揚していた。はじめて。
死体の次に俺の興味をひいた被写体が、杉元だった。
つづきまた書く