天狼吼ゆる
 何故、ここに在るのか。
   ***
 南東へ向けたフロントガラスからは、海が見えた。
 異国へと向かうボーイングは灰青色の空を掠めながら白い機体を光らせている。
 小さな魚にも似たその白い腹に幾人もの命を抱える機影は、一機、また、一機と、この国から飛び立っていく。
 悠仁は左ハンドルの運転席から、窓の外を眺めていた。
 冬に近づく明け方の空の色は薄く、波頭だけがいやに黒々として見える。
 つい先ほどまで夜のように思えていた空気は海を温める太陽により重さを与えられ朝に近づいていた。
 悠仁は、リクライニングさせた助手席へ身を預ける男に、目をやる。
 男は、車窓に横たわる海を、眺めていた。悠仁に見せる頬は深い火傷の痕が覆い、それは額から鼻筋、頬から首筋をも覆いつくしている。まるで古木のようなその皮膚を悠仁は目で辿り、そして放り投げられているように置かれた手のひら(これも酷い引き攣れに覆われている)に触れたい、と思うが、指を動かすことは出来ずにいた。冬の始まりの海岸線の寒さに、爪先は、痺れるような感覚を持っていた。
 フロントグラスの向こうには、ボーイングの機影が流れていく。
 七海は、薄い色付きのサングラスのブリッジを、形のよい鼻に載せている。
 悠仁はアクセルとブレーキから足を外し、しかしハンドルには指を置いていた。
 フリーの呪術師として得た報酬を元手に外車を得たが、それは心の底から欲しいものではなかった。
 隣に座る、草木のような気配を放つ男は、鼻の先に朝の光を受け一語も話すことはない。
 何故、ここに、いるのか。
 悠仁はため息を吐くこともなく、また空を見あげる。
 七海の上半身は四散したが、反転術式で再生された。が、当の本人の七海には、それを肯うつもりがないように見えた。己の身を掬い上げた家入に難癖をつけるわけではない。しかし、苦虫を嚙み潰したような顔をして生きている。その頬を、悠仁は、好きではなかった。
 昔のままに、今でも「ナナミン」と呼んではいるが、まるで違った人間のようでもある。
 事変後、歳を経た。
 十余年の時が、過ぎた。
 後輩呪術師の成長を喜ぶ素振りも見せず、呪いにかかわる世界そのものに興味関心を持たぬかのように、頬を静まり返らせている。なのに、何故、呪術高専に身を置くのか。と、無性に腹を立ててはいたが、悠仁は、今では殆どを、諦めていた。
 何故、ここに、いるのか。
 まるで草木のように息を沈める七海を車体に載せて、高専近くのマンションから一時間半を掛けて、この海辺へ来たのは、何故か。
「海を」
 と、言ったのは、七海だった。
 海を、見たい。と、誰に言うでもなく呟いたかつての大人の声を悠仁の耳朶は掬い、「海、行きてぇの?ナナミン」と昔のように問いかけてみれば、歳を重ねた大人はこくりと頷いた。
 そのまるで子どものような素直さに悠仁が理不尽な怒りを抱えながらも平静を装い「なら、行く?」と、誘ったのが、先週の事。
 高専の会議室は、相変わらず埃臭い。
 現場には赴きはしないものの資料を検分し任務の計画を立てる参謀として役割を得た七海とは、よく顔を合わせた。
 会議の名目でしかすれ違うこともない。仕事以外の会話をすることもない参謀役との距離を、悠仁は取ろうとした。それは七海の左半身を深い火傷が覆うからでは、ない。歩行にはステッキを遣う、かつての恩人が、人を違えてしまったからでもない。低い声に、鳶色の瞳は、昔と変わらぬままに、しかし軽口を叩きあうことはない。
 自分は大人になり、七海は別の七海になってしまったのだ、と了解をすればよい話であると、悠仁は自分に言い聞かせながら七海と対峙せざるを得ない。
 
 七海が、「海を」と言ったのが、何の弾みであったのか、悠仁は明瞭に覚えてはいない。
 会議が終わり、山の稜線を包みこむように、夕日が沈んでいたことは覚えている。
 資料をデスクで整えクリアファイルに入れ、革の鞄に入れる。その悠仁の手元を見ることもなく、七海は窓の外を眺めていた。
 すっかり手元を整理した七海は、火傷に覆われていない滑らかな首筋を悠仁に見せながら、その言葉を発したのだった。それは何の脈略もない言葉であったが、悠仁は言葉を継いだ。
「海、行きてぇの?ナナミン」と、いう言葉の後には沈黙が続くと思っていたが、七海は頷いた。
「じゃあ、いつ?」と、訊けばこちらに顔を向け、七海は「君が、休みの時に」と言った。
「休み?」
「えぇ」
「次は、……」と、続ける悠仁に七海は一歩近づき、「次は?」と首を傾げた。
「次は、……来週の、水曜日」
 ならば、その日に。
 と、言った七海の意図を計りかねはしたが、悠仁は頷いていた。
「応」と、昔のように答えはしたが、七海はニコリともせず、ステッキの音を小さく響かせながら、会議室の出入口へと向かっていく。
 片手でガラリと引き戸を開け、「時間は」と振り返りながら言う七海の表情からは、何のメッセージも読み取ることが出来ない。
「時間は、君に任せます」
 そう言うなり、七海は、会議室から、姿を消した。
 
  ***
 自分はもはや渋谷のビルの屋上から、この男の名前を叫んだ自分では、ない。
 七海が変わったのであれば、自分も変わったのだ、と悠仁はモッズコートの襟に顎を沈める。
 南へと飛び立つボーイングの機影は途絶え、波は朝の光を揺らしていた。
「海へ」と、言った男と僅か二時間足らずのドライブを終え、海岸へと停車したのは零時前だった。
 昼日中から、頬に影を落とす七海と会おうという気持ちには、なれなかった。
 夕飯を形程度にともにし、それから夜の海でも見れば溜飲は下がるだろうと悠仁は目論んだ。
 地元の駅で七海を拾ったのが、夜の七時。小一時間の食事を終え、多少飲んだだけでも足元ふらつかせる七海に舌打ちをしてしまいたくなる衝動を抑えて、悠仁はアクセルを踏んだ。
 七海は、助手席に身を埋め、言葉もなく窓の外を眺めていた。
 その横顔を確かめることもなく、悠仁は、ただひたすらに海を目指した。
 海であれば、何処でもいいのだろう、と悠仁はナビゲーションシステムが浮かび上がらせる地図の海岸線を適当にタップし、指定した。
 何故、七海に腹を立てているのか。という、自問を捨てていた。
 昔のままに在らないから腹が立つのか。折角、命を掬い上げられたのに、魂が抜けたようである様に腹が立つのか。己を「呪術師」と認めた大人が「呪術師」としての顔を持たなくなったことに腹が立つのか。
 
   ***
 もうすこし、海が近ければ。と、悠仁は思った。
 終始、無言である車内の空気をすこしでも和らげるためにラジオをつけていたが、お笑い芸人のトークに七海はクスリともしない。何が楽しくて、この席に座っているのか。それとも、楽しい、という感情自体が欠落してしまっているのか。
 悠仁がハンドルを操るランドローバーは高速を抜け、一般道へ進む道を直進する。
 海へ続く方へウィンカーを点滅させると、途中、コンビニに立ち寄りドリンクを購入するついでに、手洗いに寄った。
 海へ近づくにつれ、車内の気温が低くなるように感じられ、悠仁はエアコンをつけた。
 もうすこし、海が近ければ。と、思いながら、この海岸線を選んだのは、悠仁自身だった。
 例えば、東京湾を選択したならば、もっと早く「海」というものに辿りついただろう。しかし、七海が発語する「海」とは遠く離れたイメージであるように思えた。
 七海が言うところの「海」のイメージを掘り下げて訊く余裕は、悠仁にはなかった。
「海」で、あるのならば、きっと何処でもいいのだろう。が、男の声帯を響かせた声は、いかにも「海」のような「海」を指す声のように、聴こえた。
 悠仁はドリンクホルダーに挿したペットボトルのコーヒーを停車のタイミングで口に含む。
 七海は、悠仁の指先が指定した行き先に、異論を唱えなかった。
 それを肯定と捉えて車を発進させたが、果たして正解であったのか。
 七海はコンビニで買い求めたホットの缶コーヒーを手のひらに包み、淡々と飲み終えていく。
 フロントライトが照らし出すアスファルトは、延々と続くかのように見える。人生ではじめて訪れる街の道に、悠仁は途方に暮れていた。カーナビゲーションに従えば、海には辿りつくことが、出来る。
 果たしてこのまま海に、辿りついてしまっても、良いのか。
 何故かそのようなことを考えながら悠仁はハンドルを操り、すこしでも早く、この空間から抜け出したい。とも、考えていた。
 
   ***
 車高の高い車の助手席から降りる身体を支えようとする悠仁の手に目をとめた七海は、一瞬、動きを止めた。
 悠仁が、余計な事であったかと手を引こうとすると大人しく右の手を載せる。
 その手のひらの思わぬほどの温もりに悠仁は目を開いたが、何も言わぬままに目を伏せ、男の身体を介助した。
 黒のステッキを持つ左手には黒革の手袋を嵌めてられていた。
「右は、せんでいいの? 手袋」
 と、訊く悠仁に、「えぇ」と答える七海の唇からは白い息が漂う。
 その行方から目を逸らしながら、悠仁は「なら、いい」と七海の身体から両手を離す。
 黒のカシミヤコートに身を包んだ男は、ステッキの音を低く響かせながら、風雨に表面をざらつかせる堤防に近づいていく。
 硬いゴムがコンクリートを叩く音が、夜空に響く。
 真冬の深夜の海辺に近づくもの好きは自分たちだけなのだろう、と、悠仁も白い息を吐くが、七海は海を向いたままだった。
 いつの間に、こんなに離れたのだろう。と、悠仁はモッズコートのポケットに収めた拳を握りしめる。
 今年、二十九になり、来年の三月には、三十になる。
 高専での生活が、ほぼ人生の半分の時間を占めていた。
 映画館で合流した頃の七海の年齢を越え、当時、彼が吐き棄てるように呟いた大人の定義を、いやというほどに噛み締めていた。
 それを、七海に伝えるという選択を、悠仁はしなかった。
 悠仁は相手に無邪気に飛び込むほどの勇気を失くし、七海はとりつくしまを失くしていた。
 冬の海は闇を揺らす。男は悠仁を振り返ることなく、堤防に向かった。
 ステッキを握りしめるための左手の黒革と、足元まであるロングコートを夜に溶かしながら、七海は夜の海へと向かっていく。
 頬を切るような風では、なかった。
 悠仁は七海の隣に立ち、ぱかりと口を開け、ほぅと息を闇夜に溶かしたきり、唇の端を閉ざす。
 ポケットに突っこんだままの手のひらには汗が滲んでいた。
 誰も好き好んで訪れはしない真冬の海の埠頭。
 雲のない空にはぎらぎらと星が輝いているが、それすらも造り物めいているように見える。
 七海は彫刻じみた鼻先を
 
 
 
 
 
 
 プロット
 二十年越しのキス
 事変後if
 七海 四十七歳
 悠仁 三十五歳
 
 シーン 海辺の車→回想→海辺の車
 前提
 心は結ばれているが、近づくことのなかったふたり
 渋谷事変の後では尚のこと
 四散した七海の身体は悠仁の眼の奥に残っている
 事変後七海の身体があることに
 
カット
Latest / 220:13
カットモードOFF
142:22
ななし@d68879
遊び来ましたー!
142:38
ななし@d68879
あっ!名前がないwとわです
143:00
多花巣うみ
あ!とわさん、ようお越しですー
143:15
ななし@d68879
私もちょいと原稿したく!
143:20
多花巣うみ
地味な文ぽちぽちかいてます
143:28
多花巣うみ
応援してます!
144:28
ななし@d68879
ありがとうございます!これいいですね✨
144:42
多花巣うみ
緊張感があっていいですよw
149:09
ななし@d68879
間違いないですね笑
149:27
ななし@d68879
私もぽちぽち進むんで助かりますー!
149:47
多花巣うみ
いえす!です!!
150:00
多花巣うみ
今度お邪魔しますね^^
150:55
ななし@d68879
是非とも〜!アカウント作らなきゃ笑
165:20
ななし@d68879
うみさーん!おかげさまで進みました。お暇します🥺🙏
165:33
多花巣うみ
はーい!また!
165:36
ななし@d68879
うみさんも頑張ってください!!
165:48
多花巣うみ
ありがとうございます💗
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ななかぶ展示用
初公開日: 2021年11月29日
最終更新日: 2021年12月09日
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コメント
ななかぶ展示用作成中です
202301242001
🚬🍓新刊のために5732あたりを夢想しています
R-18
多花巣うみ
202009192109
新刊の下書きです。BF。A&E(性的表現なし) リーマンパロ的なものです
多花巣うみ