「どうかお願いします!」
 目の前で頭を下げる男に、リーフは腕組みして思案した。
 場所は城塞都市テネシンの比較的大きな通りの一角、居住区と商業区の境目。住居もあれば、商店もあり、各宗教の細々とした寄り合い所もある混沌とした町並みだった。
 リーフは商業区で軽い買い物をし、敬狼会の会館で喫緊の依頼の確認をした後――幸い、まだ大きな問題になるようなことは起こっていないらしい――仲間の待つ宿に戻ろうとしていた。そこを突然呼び止められ、こうして往来の中で立ち止まらざるを得なくなったのである。
 見知らぬ他人から声をかけられたのであればすんなり無視してしまうところだが、リーフはどうしても初対面の男の話を聞かなければならなかった。
「ほんの少しでよいですから、どうか教会にお立ち寄り頂けないでしょうか。信徒として、何卒、何卒!」
「……先程も申しましたが、私は理由あって他の教会に通っている身なのです」
 敬月教の黒い僧服に身を包んだ男に、リーフはこんこんと諭すように言った。
「籍を外したままそちらにお伺いしても、半端な信仰の身では他の方々を不快にさせるばかりでしょう」
「そんなことはありません、放浪する守護者の中で貴方ほど御髪を整えている方は滅多にいません。それこそ敬虔なる信仰の証ではありませんか」
 僧侶はリーフの輝く月のような髪を指し示した。リーフの顔がほんの僅かにひきつった。
 リーフは敬月教信徒の傭兵が髪を天使と同じ色に染めることで験担ぎをすると聞き、それらしく振る舞うことで煩わしい変装からしばらく解放されていた。まさか本物の信者から突撃されるような事態になるとは思っていなかった。
「悲しいかな、テネシンに滞在する我々の守護者は日毎に減っています。それがこの都市を守る行動の果てであることは教えの体現であり大変誇らしいですが、最早我々の同胞は数える程……こうして外より新たな友が来たと知れば、皆勇気づけられることでしょう」
 僧侶は祈りながら言った。
 リーフの顔は思い切り渋った。要するに、モンスターとの長期に渡る防衛線で士気が下がってきている信徒達相手に、プロパガンダをしてくれということだった。
 大変不幸なことにリーフはその手の扇動に慣れているが、すれば間違いなく正体が露見するだろう。
「残念ですが、お請けいたしかねます。何より、今の所属に対する不義理になります」
 僧侶の顔は目に見えて気落ちした。
「そ、そんな……我々を見捨てるというのですかっ」
 往来のど真ん中で僧侶はくずおれて、再度乞い願ってきた。
――クッソめんどくせぇ……
 魔剣の姿のまま、リーフに背負われていたギルも思わず声を漏らした。剣の柄に拳骨が当たる。
「まあ、お力添えをできないことはないのですが」
「本当ですかっ!」
 リーフの言葉に、僧侶はぱっと顔を輝かせた。
「少し条件はつきますが……」
「というわけで、ちょっと講話をしに行くことになった」
「なんでそうなるの」
 リーフの雑な説明に、リンは即座に突っ込んだ。
 リーフは宿で敬月教の聖典を開き、原稿を書いていた。聖典の表紙は傷みが目立ち、頁も黄ばんでいた。かなり使い込まれている。
「信徒の振りをして教会に行くことは出来ないけれど、巡回司祭として信徒の前に立つことにしたんだ。謝礼つきで」
「結局カネの問題じゃない」
「余所の小教会に無償奉仕することは背信行為になる。有償であれば、通常の依頼と同じで罪に問われることはないから」
「うわ、詭弁くさっ」
「仕方ないじゃあないか。しばらくこの町で依頼をこなさなければならないのだし、ボクの外見で敬月教を敬遠するのは悪目立ちしてしまう」
「でもリーフが教会に行くのはちょっと不味くない?」
――そーだそーだ。
 リンの言葉にギルも珍しく同調した。
「もしボクの正体がバレているのならば、わざわざこんな方法で接触を図ってくることはないと思うよ」
 リーフは敬月教の教徒だが、故あって敬月教の宗主国であるギリスアンから追われる身の上である。それも、命を本格的に狙われていた。
 海を渡って南部に来てからはそれほど襲撃はなかったが、何度か国からの暗殺者と交戦していた。全員、国に帰ることはなかったが。
「むしろ、知っているなら避けて見て見ぬ振りをして然るべきだ。向こうに戦力がないのは事実であるのだし、ボクをよっぽど過小評価しているのなら話は別だけれども――まあ舐められているのは常だからその可能性も十分あるか。それでも、襲ってきたところを対応すればいいだけの話だよ」
「じゃあ私も教会に一緒に行く」
 リンがはい、はい!と挙手した。
「ダメだ、君まで外出したら誰がエルヴァンのお守りをするのだい」
「え、俺の話!?」
 突然話題に加えられてエルヴァンが目をぱちくりとさせた。
 エルヴァンはリンの手伝いとして銃の部品を磨かせられていた。
「いつも通り、ここから一歩も出ないでもらったらいいじゃん」
「教会がある区画は都市の反対側だよ。防衛線に近いここからだと、誰にも託せないのは居心地が悪いんだ……そうだろう、ギル」
――んー、確かにそうだな。
 訳あって、一行は竜種の少年であるエルヴァンを保護していた。保護した際にリーフとギルは魂に誓約を立てたため、大きく逸脱する行為をとれないように行動を制限されていた。といっても、それほど厳しい縛りではなく、ある程度安全が確保できていれば多少傍を離れることができた。
「えーー、私もリーフが説法しているところ見たーーい」
「そもそも君は敬狼会の所属だろう。敬月教の組合側ではなくて、信仰側に入り込むのは御法度だよ」
 リーフの真っ当な指摘に、リンの頬が膨れた。
「むーー、アホ魔剣だけ狡い」
「何が一体ずるいのだい。というわけで、その間は留守番を頼むよ、エルヴァン」
「分かった」
 何故か護衛対象の方に話をつけ、リーフは当日のスケジュールをまとめた。
「なあ、それで、リーフは何を頼まれたの?」
 エルヴァンが質問した。神獣の子供であるエルヴァンにとって、ヒトの宗教は未知の領域だった。
「ボクが頼まれているのは、敬月教にまつわる伝承を分かりやすく信徒に話して、加えて自分の見解を少し語ることかな。宗教への理解を深めるために定期的に開催されている行事だよ」
「ふーん、そういうのが必要なんだ」
「君たちみたいに存在そのものが宗教を体現しているならば、そんなに頻繁に集会を開かなくても大丈夫なのだろうけど、ヒトは簡単に思いが揺らぐからね。教えを深めることが必要不可欠なのさ」
「それで、リーフは一体何を話すの?」
 リーフはぺらぺらと聖典をめくった。
「内容はもう決めてある。天使の手記第三巻より、『第六の天使曰く、勇者に正義を問いかけたり』」
――はぃいっ!?
 突然ギルが素っ頓狂な声をあげた。
「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます」
 黒い僧服を着こなしたリーフは、壇上で静かに微笑んでいた。
「私はリーファス・ノビリスと申します。しがない一信徒であり、今は故あって信仰から身を置いた生活をしておりましたが、リクチー司祭のお引き立てによりこの場に立たせていただきました」
 偽名に偽名を重ねてリーフは淀みなく語った。
 教会に集まったのはテネシンに住む敬月教の教徒で、一般市民が八割、モンスターを狩る戦士が二割といったところだった。
 長椅子いっぱいに身を寄せ合って座る市民の中には、リーフに対して少々熱っぽい視線を向ける女性もいた。リンがいたら間違いなく喧嘩になっていただろう。
「今この都市は未曾有の危機に瀕しています。火竜の出現によるモンスターの大移動、それに伴って繰り返される群れの襲撃……皆様が不安に苛まれ、眠れぬ夜も過ごしたこともあるでしょう」
 リーフの語り口は静かで、それでいて広い集会場によく響いた。
「千年前にも同様の苦難があったと聖典には記されております。火竜が空を覆い、町を焼き、魔人が屍を積み上げて嘲弄する……当時の状況は今よりも惨憺たるものだったと伝えられています」
 白い手袋をはめた指先で聖典のページをめくった。
「しかし、それでも人々は苦難に耐え抜いてこの地で営みを続けました。なぜなら、彼らを火竜の脅威から守ったものがいたからです」
 リーフは背後を振り返った。そこには、戦士が描かれたタペストリーがあった。青い長衣の上に赤い鎧を纏い、堂々と立つ戦士の足元には赤い竜が倒れ伏していた。
「第十二位の天使、魔王に反旗を翻したものにして正義の体現者、勇者ヴイレヴルがこの地を守ったのです!」
 一際大きな声でリーフが言った。その声は集会場の中を反響し、控え室に置かれた両手剣にも聞こえていた。
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初公開日: 2021年11月16日
最終更新日: 2022年10月30日
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コメント
ドットテキストに展示するために、昔思いついたネタをサルベージ。
リーフが司祭のバイトで説話をするおはなし。選んだ題材は勇者。これは明らかないじめ。