140字SSを増量してSSにならないかと悪あがきをする作業
寝よう。
本文
現代
 風呂上りに籐の椅子に腰かけて、エマニエル夫人ごっこをされるのも構いませんが、早く髪の毛を乾かさないと風邪を引いてしまいます。ちゃんと座って、浴衣を無駄にはだけないで下さいね。そうそう、私が乾かしている間にスキンケアでもなさっててください。
 そんな流れで貴方の柔らかくてふわふわとした髪にドライヤーを当てる。温風にサラサラと揺れる金色の束を見ていると、ふと思い出したことがあるのです。
 いつも見上げている貴方をこうして見下ろす機会なんて、そうそうないでしょう。だからかもしれません。
 諸藩の使節に混ざって始めてパリを訪れた頃の話です。
 え? 違う?
 あの時は大変だったと。私では無くて薩摩さんと徳川さんが代わりにいらして、パリで喧嘩をされたから覚えていると。記憶違いをしていましたね。これは失礼。
 確かに当時は色々と忙しかったし、心労も多かったし、体のあちこちが筋肉痛や擦り傷で痛かったので、コロっと数十年単位の物忘れをしていたのかもしれません。
 忘れっぽいのを揶揄わないでくださいよ、こっちは介護老人なんです。色々と記憶が欠落していたっていいじゃありませんか。
 そんな他愛もないやり取りで昔の話に花を咲かせます。
 いつものように訪日されて滞在して、ゆずを浮かべた我が家の湯舟でふやふやになったフランシスさんのお世話をしている間、少しばかり二人で昔を振り返ることとしたのです。
 
1878
 1862年のロンドン万国博覧会や67年のパリ、それから1873年のウィーンなどは話題に上がることも多いので、私も一つ一つの場面を思い出すことがあるのですね。とは言っても、62年と67年は渡欧しておりませんので、聞いた話を思い出す形なのですけれども。
 そうして何度も話題に出てくるから勘違いをしてしまって、自分は67年のパリに居たんだと思いこんでいました。いやはやお恥ずかしい限りです。
 国内が安定したので「そろそろ本田君も諸外国を見てきなさい」と一行に加わって渡仏した78年の万国博覧会なのですが、あまり記憶がありません。当時はジャポニズムが吹き荒れる時代でもあり、色々と私もやったらしいのです。
 ですがまあ、これが覚えていない。目まぐるし過ぎて「忙しかった」という印象しか残っていないのです。
 日本からの工芸品や植物を出店して、それから真新しい技術がお披露目されているから急いで見に行かないと躍起になって。蓄音機や自動車に冷蔵庫と食い入るように見た気がします。
 ええ、きちんとパリの街並みもみましたってば。堪能しましたよ、多分。
 それで、ですね。
 フランシスさんに関して一つだけ覚えていることがあるんです。
 おや、ご自分の話になると耳を向けられるのですね。貴方って本当に自分大好き人間なんですから。そこが好きなんでしょう?ですって。
 まあ、そうですけどね。
 はい。大人しくなってくれたので話を続けますよ。
「つむじを覚えています」
「つむじ?」
「ええ、つむじ」
 当時はジャポニズムブームだったでしょう。だからでしょうかね。わざわざ渡仏した私を出迎えてきたんですよ、フランシスさんが。
 あ、ほら。覚えてない顔をしている。私の物忘れを散々馬鹿にしたけれども、貴方だってなんでも覚えているわけじゃないんですからね。
 なんでも老人扱いしない事。わかりましたか? はい、よろしい。
「上機嫌だった貴方が私をパリ観光に連れて行くからと拉致しまして」
 また怪訝な顔を向ける。本当ですからね。同行した方の日記に「祖国拉致される」としっかり書かれてますよ。
 それで、あっちこっち移動するのに乗り合い場所を使ったのですけれども。貴方ってば天井に上がってしまうんですもの。しかも私も引っ張り上げてしまって。
 馬車の上ですよ。景色なんて見れたものじゃないですし、ものすごく揺れます。てっきり乗り慣れているのかと思ったら、「こんなに揺れるとは思わなかった」なんて仰る。
 私は帽子が飛ばされないようぎゅっと握りしめていました。渡欧に際して仕立てた一張羅ですから何かあったらと冷や冷やしていました。
 貴方の帽子はあっという間に道の向こうに転がってしまいましたよ。大きく馬車が揺れる度に貴方の金色の尻尾が宙に踊るのを、阿呆のように眺めていましたね。
 揺れるから何も話せない。今どこを通っているかとか、見どころの建築物だとかパッサージュがどうたらとか。そういった話は一切できませんでした。
 都会の作法を教えてあげる風に言っておいて、自分だって慣れてなかった。いえ、これは馬車の天井に乗る事においてですよ。それ以外は洗練されていたと思います。後日きちんと観光案内を申し出てくださいましたし。
 私は貴方を見上げてばかりでしょう。だからつむじなんて見ることはない。帽子だって被られていますしね。
 そのつむじを見る事が出来た。
 たったそれだけなんです。
 貴方にもつむじがあるんだなあと、その時初めて知ったんですよ。
「それだけ?」
「それだけですよ」
 それだけですが、大きい意味があるのです。なんて決して口にしない。
 私にとってフランスさんであって、化身という人ではない何かで、西洋人という自分たちとは違う生き物であった貴方が、フランシス・ボヌフォアだと気づいたきっかけなんです。
 つむじを見ただけ、なんですけれどもね。
 今でも貴方の考えていることは難解だったり、回りくどかったり、やっぱり分からないことが多いのですけれども。
 あなたの名前はフランシスさんで、私の名前は本田菊。本当に最初の一歩のようなものですよ。一方的な最初の一歩。
 貴方はきっと仲を詰める気なんてなかっただろう時だったと思いますよ。フランシスさんっていう人がいるんだなって一方的に私が認識した一コマ。たったそれだけなんです。
「ごめん、よくわからないかも」と、フランシスさんは戸惑った顔を浮かべます。「いいですよ」と私はドライヤ―のスイッチを切った。こんな軽やかな髪にいつまでも温風を当てていてはいけない。
 手で梳くとほんのりと熱をもった湿り気が指の間をすり抜けていく。
 ねえ、こんなに今のあなたは無防備。
 あの時のあなたは遠くて見習いたくて、ちょっとうぬぼれが強すぎるから、程々に距離を取っておかないと危険な気がする。そんな方だったんです。
1970
 時間は飛ぶのですけれども1970年の話をしましょうか。
 世界中が68年の熱気をまだ引きずったような空気で、初めて開催される万博に私の国は湧き上がっていました。こんにちは~って口ずさめるんですね。そのフレーズを知っている方はおじいちゃんおばあちゃんなんですよ。ふふっ、フランシスさんも仲間入りですね。
 68年は色々ありました。貴方の国は五月危機でしょう。それから上司が変わって、そうそう「C'est bonnet blanc et blanc bonnet」。日本では五十歩百歩と訳されますね。右派同士の大統領選に左派が言った皮肉でしたっけ。
 こちらは大学生が暴れていましたね。
 万博が始まってもデモだとか立てこもりだとか、何事もなく進んだわけではなかったんですよね。きちんとヘリコプターから地鎮祭をしたのですけれども、時代の流れまで神様にお願いするのは酷な話です。
 なんでしょうね、あの頃と今とじゃ全く違う世界なんですよね。地図が違って、世界の見え方が違って。
 あの頃だって未来なんて分からなかったんですけれども、漠然とそう思っていた未来とは今は別のものだと思うと色々とこみ上げてくるものもあります。
 万博の日程の中で訪日された事があるじゃないですか。たしか産業科学開発相夫妻に同行されていたような。フランスのパビリオンを見て、大阪から東京に移動して、と。
 あの頃は互いに遠い国でしたね。
 私はアルフレッドさんだけを見ていれば良かった。
 貴方はアーサーさんやアルフレッドさんやルートヴィッヒさんを見ながら、自分の中のせめぎ合いと折り合いをつけている最中だった。
 ご挨拶に伺った滞在先のホテルで「お兄さん、ちょっと疲れた」と、くったりされているのを目にしていました。
「そうだったかなあ?」
「あの頃はルートヴィッヒさんが東の方々に接近していた時期なので」
 そこに触れるとフランシスさんは「あー、あのとき」と眉をしかめて嫌そうな顔をされます。
 アルフレッドさんとイヴァンさんの対立の中で、自分たちの居場所を確保しようと踏ん張っていた欧州の面々。その中でフランシスさんは何と言いますか、独自の動きをなさっていたなあ、と。
 上司が変わったことでアーサーさんと歩み寄ったり、他の西側と連携するため会議に出始めたりと。そんな時期で、きっと今の時代の種を蒔いていたんだと思うんです。
 どんな芽が出るのか分からないけれども、衝突と模索を続けていた。
 我の強い国々ばかりですから、そりゃあ難産続きだったろうなと色々と紛糾したりポシャった試みだったりを思い出すのですけれども。
「ここにいると、違う世界に来たみたい。流れる時間も違うような気がする」
 当時はそんなことを何度も口にしたのを覚えています。
 きっとフランシスさんが対峙した世界と、アルフレッドさんに守られた世界にいた私とでは、緊張感も時間の意味も変ってくるのかもしれません。
 まだギルベルト君が東という国であった頃なのですから。
 そして突然家出したと、私の家に押しかけてきて。貴方の長い手足じゃお風呂が小さすぎるから銭湯に連れて行って。
 そうして冷たい髪のまま家に帰ってきたんですよね。その時にドライヤーを見せてもらったんです。
 私にとっては持ち運べるサイズのドライヤーなんて初めてでした。
「え? そうなの。とっくに開発しているとばかり」
「国産の家庭用ドライヤーの完成が二年後ですね。当時は珍しかったと思いますよ」
 湯冷めしなくていいなあって言う気持ちと、音がうるさいの半々だったような気がします。
 あの頃も、やっぱり私にとって世界は「進んでいるもの」だったんです。そして「遠いどこか」だった。
 同じ時間、同じ地面に存在しているのに、自分以外の国は遠い膜ひとつ隔てた向こうのような。
 世界はずっと動いているのに私の日常と世の中が結びつかないような。
 それを平和と呼ぶのでしょうか、無関心と軽蔑するのでしょうか。今でも分かりません。
 ただ、あのころ世界にはエンペラーが三名いた。四年後には二名に。そして80年代を過ぎて、今ではたった一人に。
 
 よくよく考えたら、地方では藁葺の家屋だって残っていて、アルファルトで舗装されていない道もあって。今になって当時を振り返る写真なんかを見ると、確かに異世界のようではあるんです。
 ビルと民話の舞台のような田舎とが共存していた。
「お兄さんの家、イエローベストの時にガソリン代が挙がりまくったから馬車使う農家の人もいたよ」
 おまいうって1970年のフランシスさんに言ってやりたいですね。
「で、1970年って何か特別なの」
「万博があったじゃないですか」
「うん。それでお兄さんに対して色々と思ったとか」
「それはないです。普通でした。
でも後になって思うと、あの時のフランシスさんは疲れていても仕方がなかったかもしれないな~と思ったり、私ってのんびりしていたなあ。いや国内だって色々あったから、そこまでボケてないなとか」
「じゃあ、なんで話題に出したの」
「あの後、なし崩し的にフランシスさん私の家に来るようになったでしょう」
 そうだっけとキョトンとしたフランシスさんに、私は何とも言えない気持ちになる。
 私の家に彼が泊まり、私も同様にバカンスシーズンにお邪魔したりすることもあるのだけれども、つまり互いの国を行き来してプライベート空間でゆるーくおもてなしをする関係になった。その先に展開するのは、あれだ。
「もしかして、俺たちが付き合うきっかけって、いい加減なものだったの」
「ドラマチックなイベントは存在しません。気づいたら肉欲です」
「おかしい。俺の中では、駅で別れを惜しんで、空港の国際線でジメジメした別れを繰り返して、夏と冬のオタクの祭典で死屍累々になった怒涛の思い出が」
「それは付き合ってからの出来事ですね」
 あれー?と頭を抱えるフランシスさんに私は冷風にしたドライヤーを向ける。
「止めて、お風呂上りのうるおいが消えていく」
 どうしてフランシスさんに悪戯をすると、私の心は満たされるのでしょう。彼がいちいち可愛らしいリアクションをなさるからでしょうか。
現在
「もしかして、お兄さん愛の告白をしていないで付き合っちゃったの?」
「いえ、熱烈に愛は頂いております。むしろ過剰投与気味です」
「それならいいや」
 彼は甘えるのが上手だ。年上の懐に入り込むのも慣れている。
 人の膝に頭を乗せるのも、彼の腕の中に抱えこむのも、するりと気づいた当然のようにやってしまう。
 そうして心地よさに酔ったあと、胃がキュッと痛くなる。フランシス・ボヌフォアが纏う空気や雰囲気や、さりげない所作が醸造されていった経緯を想像してしまうと、後ろ向きな性格の私はドス黒い感情がこみ上げてくる。
 そんなこと絶対に口にしないけど。
 私は貴方の最初の人間ではないし、最後の人間でもないかもしれない。
 私と彼の愛は、きっと違う。
 どうにかこうにか今は成り立っているけれども、やっぱり違うと明らかになって、どうにもならない断裂が訪れる瞬間を想像したら心臓が苦しくなる。
(めっちゃ好きやねんを数行にわたって、なんか書く)
 スンスンと鼻を寄せて匂いを嗅いだ。
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フラ菊書いてみる
初公開日: 2021年11月01日
最終更新日: 2021年11月02日
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コメント
140字SSを増量してSSっぽい何かになったらいいなあという作業
右菊(APH)ワンドロ挑戦してみる
時間内に書けるかは分からない。あと家族が帰ってきたら途中で止まる。
ざぶとん
サディ菊SS推敲する
どちゃくそ短い腐向け二次ネタツイをSSに出来んかと色々悪あがきをする作業。
ざぶとん
【紘と臣と善】夏の隙間で食べ比べ ★
臣しかいないMANKAI寮に紘がやってきて唐揚げを食べる話。善も来るよ。
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