「みずゆき、お祭りにいきたいわ」
 ルナが、いつかのように言葉を放った。それはあの時と全くおなじ台詞で、佐古田は動きを止める。
 表情を伺ってみるが、いつものようにツンと澄ました表情は、生意気さしか読み取れない。なんどか口を開きかけて、やめる。彼女の我儘に抗えるわけがないのだ。
「髪のアレンジとかなんもしてやれねーぞ」
 言って、いつかの日に買った浴衣を出してやる。背の伸びることのない吸血鬼、成長することのない人外は、そのまま身の丈にあった浴衣を大人しく合わせられている。
 ルナのために覚えた着付けだ。彼女以外に披露することもないだろう。普段豪奢におろされている髪の毛をひとつに纏めてやりながら、佐古田はため息を吐く。結局こうなのだ。彼女のために何かしてやることが、当たり前になっている。辛気臭いわね、とルナは言って、しかし咎める口調ではない。佐古田が手を動かしていることに上機嫌で、手をぱたぱたと上下に振っている。
 シャンプーの香りが鼻先をくすぐる。ひかえめな薔薇の香り。くしけずるたびに広がっていく甘い匂い。
「できたぞ、行くか」
 抱き上げる恰好をして両手を広げる。当然の顔をして腕の中におさまった彼女が「えぇ、連れてゆきなさい」と嫣然と笑んでみせる。少女めいた見た目に似合わぬ表情が、貴種たる彼女の在り様を世界に知ろしめしていた。
***
「みずゆき、金魚掬いをやりたいわ」
 抱き上げられた彼女が金魚掬いののぼりを指さす。まるこい爪が屋台の光を吸い込んできらきらと光る。
「オマエやり方知らずにポイ破るだろうが」
 言いつつ、足はもう屋台へ向かっている。抵抗するだけ無駄だと、もう知っているのだ。
 いつかの夏祭りをなぞるような道のり。彼女がそれを意識しているのか。何を考えているのか、佐古田には分からない。ただ、相棒の仰せのままに歩を進めるだけだ。
「リベンジするのよ」
 少しムキになった風情で言う。はじめてやった金魚掬いで、ポイをただ無為に破ったことは彼女の記憶に刻み込まれているらしい。
「おっちゃん、一回分」
 五百円玉を屋台のオヤジに渡しながら、ルナをおろしてやる。「袖、濡らすなよ」と腕をまくってやれば、白く細い腕がむき出しにされる。
 べっぴんだねお嬢ちゃん、外国の子? なんて軽口をたたく屋台のオヤジを丸きり無視して、ルナはポイを手に取った。無造作にポイを水の中に突っ込んで金魚を追う。当然のように水中で破けたポイを引き上げて、不思議そうな顔。
「みずゆき、破れたわ」
「そーだな」
 屋台のオヤジにもう一回分を渡して、ルナの手を上から掴む。
「ポイは水と平行に動かすんだよ。垂直に動かすと抵抗でダメんなる」
 教えてやりながら、実際に動かしてみせる。一匹掬って器に入れてから手を放した。
 やってみせろ、と顎でしゃくる。佐古田の言葉に頷いて、ルナは豪快に手を動かした。
「みずゆき、破れたわ」
「そーだなぁ」
 せっかく捲ってやった袖まで水を跳ね散らかしていることに目をつむりながら、一匹分の金魚を袋に入れてもらう。
「なぁ、その金魚って何色なんだ?」
「秋の黄昏のような赤色よ」
 赤いらしい金魚を透明な袋に閉じ込めて、ルナはその眼をうっとりと細めた。瞳がとろりと蕩ける。もう夏も終わりなのだと伝えるように気温が下がってきていた。
 夜になる。
「次は綿飴か?」
「えぇ、そうよ」
 次の屋台へ足を向ける。ルナがあの日、綿飴をいたく気に入っていたことを思い出す。甘い砂糖の香りがもうここまで漂ってきていた。
 色付きの綿飴を買ってやれば、上気した頬をして笑う。いとけない笑顔。ピンクの綿飴を口の周りにべたつかせて頬張る様は、まるで本当の少女のようだ。
 何を言われる前にベビーカステラの屋台へ向かう。早くしないと、花火が始まってしまう。その前に、良い場所へたどり着かねばならなかった。
 何かを言われたわけではない、ただ、そう思った。彼女は、あの日の再現をしようとしている。だから、何かしたい話があるのだと思った。
 蜂蜜をかけたベビーカステラを入手して、花火の見える場所へ移動する。
 ハンカチを地面に敷いた彼女を降ろして、自身も腰を下ろす。ほぼ同時にあがりはじめた花火が、彼女の横顔を照らしていた。
「みずゆき、やはりね、人は花火に恋をするべきではないわ」
 花火に、白い横顔が照らされている。つくりものめいた、人形めいた美貌が、凍える様に輝いていた。冷徹なまなざしが中空に向けられている。
 何かを言いたかった。誰が恋をするにたって許されていい筈だと、それは誰のための言葉だろう? 佐古田のためだけでしかあり得なかった。なのに、ルナの言葉を否定するに足るほどの熱情を、佐古田は自分自身の中に持っていなかった。
 燃えて、焦がれて、焼け落ちて、そうしてまで手に入れたい恋のことを、佐古田だって知らないのだ。吸血鬼と人間との恋を、佐古田は知っている。傍観者として。けれど、当事者としての恋なんて、佐古田はまだ持っていないのだ。
「だからね、みずゆき。みずゆきは、ヒトと結ばれるべきよ。ちゃんと私に紹介するのよ? しっかり査定してあげるから」
 横顔は白くうつくしく、決して佐古田の方を向かなかった。虚空へ手を伸ばして、光を遮る仕草。表情が影になって、何も分からなくなる。ただ、口元がかたく引き結ばれていた。
「結局その話かよ」
 空を見上げる。花火はまだまだ打ちあがっていた。次々と夜空に光がはじける。暗転、明滅、暗転、明滅。光、闇、光、光。闇。
「あら、私は下僕の未来を憂いているのよ」
 声色は普段と変わらないように聞こえて、つまり生意気なクソガキだった。だからこそ、彼女の芯がそこにあるのだと分かる。譲れないものの一つにそれがあるのだと。
「オマエに心配されなくったって、俺は、幸せになるよ」
 なぜそのとき、彼女を作るだとか、結婚するだとか、恋をするだとか。そういう言葉を選ばなかったのだろう。ただ、佐古田にとっての真実誓える言葉はそれだった。今のルーナノッテに投げかけられる言葉がそれしかなかった。
「そう。そうね……幸せにおなりなさい」
 ルナは笑った。嫣然とした貴種の笑みでも、いとけない少女の笑みでもなく、そのどちらでもあるような、彼女にしか浮かべられない笑顔だった。
 佐古田の今、……そして、未来でも。護りたいものは、きっと、それだった。
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夏祭り
初公開日: 2021年10月14日
最終更新日: 2021年10月15日
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