たぶん、自分はどちらかと言えば成功者の分類にあたるおんだろうな、とニューヨークの街中をぼんやりと歩きながらイオリは思った。
──────成功者。
つまりはお金を持っていて、世間に知られていて、ある程度の自由がきいて、皆に愛されているという立場の人間。
半年ほど前イオリが出したアルバムは今年のグラミー賞の候補に上げられたし、日本のとある音楽配信サイトのダウンロード楽曲ランキングでは七週連続ランキングトップの功績を上げたし、何よりも全世界で一千万枚以上の売り上げを上げている。
イオリがライブを行おうとすればそれだけで様々な人が声を掛けるし、イオリが主催したライブに参加できることは今、ある種の新人の登竜門として知られている。イオリが主催したライブに参加したことで飛躍した個人、グループも多いからだ。
知り合いは音楽関係の著名人ばかりで、イオリの人生を追ったドキュメンタリー番組も作られたことがある。
そう、客観的に見ればイオリはどこまで言っても『成功者』なのだ。芸術関係の、それも音楽関連という酷く狭い門を潜りぬけて生きることを認められた、ある種傲慢に言ってしまえば《《神様に認められた才能を手にした少女》》、それがイオリという個人だ。
だが、
だけど、
「素晴らしい音、……か」
軽い変装をしてニューヨークの街中を歩くイオリ。今のイオリは望む望まないに関わらず有名人だ。グラミー賞の候補になったアルバムの制作者であるイオリは『みんな』に知られている。『みんな』が、イオリのことを認めてくれている。
中学時代に音楽に出会い、高校時代の青春を犠牲にし、大学時代に出会いと別れを繰り返して手にした今という立場。
アーティストとして生きられる、選ばれた立場。イオリが動けばそれだけで何億もの金が動く、そういう立場を手に入れて、だけど。
だけど、イオリの心は数年前からずっと灰色だった。
「…………寂しい音でしょ、こんなの」
赤と、青と、緑。
その三色が完全なる調和を奏でていたからこそ白が引き立った。
四人。
四人で奏でていた時が、一番最高の音だった。
四人で一緒にいた時が、一番完全な音だった。
『ごめん、もうイオリにはついていけない』
ニューヨークの街中を、独り歩く。誰もイオリになんて気づかない。
お別れは唐突なんかじゃなかった。『そうなる』ってことを、たぶんイオリは気付いていた。気付いて、どうにもできなかった。だってイオリは、『あの時』だって止めることをしなかったのだから。
『アタシ達ってさ、イオリにとってどういう存在?』
『仲間』だと答えた。
『どの程度の?』と言外に言われた。四年前、日野森志歩をスカウトした理由。それはつまり、《《代替可能だったのではないか》》、と。
『違う』と言いたかった。でも言えなかった。過去の自分の行動が現在の自分に説得力を失わさせていた。
だって事実、イオリは志歩を、──────現在『Leo/need』という名前で幼馴染みんなと共にバンドを組みプロのアーティストになった志歩のことをスカウトしたのだから。
『彼女』の──────代わりとして。
『イオリさんは、イオリさんだけで生きていけます。…………私達なんて、いなくても』
手を伸ばせなかった。
追いかけられなかった。
言葉を掛けられなかった。
それは、それが事実だったからだ。イオリ自身が一番分かっていたからだ。理解できていた。
昔、志歩に覚悟の話をしたことがった。その全てが、今のイオリに返ってきた。
『遊びのバンドと、プロは違う。中途半端な気持ちで音楽をやってる子は、プロでは通用しないよ』
それは事実だ。ガチ勢とエンジョイ勢の話を引き合いに出すまでもなく、アマチュアとプロは違う。異なっている。
金。
あまりにも端的な一文字が枷となる。
今のイオリは、イオリだけで何億もの金を、何万もの人を動かすことができる。
可能だ。
可能になってしまったのだ。
『そういうのって、今まで一緒に頑張ってきたメンバーでやりたいって思うものじゃないの?』
『……ふふっ、君、そういうこと言うんだ。なんだか意外だな』
覚悟の話がある。
きっと、ずっと一緒に頑張ってきた『彼女』を切り捨ててしまった時点でイオリの音楽性は終わっていたのだ。
代わりなんていない。変わることなんてできない。代替は決して可能なんかじゃなかった。
『イオリちゃん、私ね』
大学の入学式で出会ったベーシスト。この人となら一緒にやっていけると、
違う。
──────この人と一緒にやっていきたいと、そう思った。
それを、
イオリは、
『ミオ、さっきの演奏どういうつもり?』
『っ、……イオリ、ちゃん…………』
『分かってる?ここに来てるお客さんはみんな私達の、『STANDOUT』の演奏を聞きにきてる。《《決して安くない金額のチケットを買って》》。……だったら私達は、例えそれがどんな状況でだって《《最高の演奏》》をしなくちゃいけないよね?みんな、私達の音楽を聞きに来てくれてるんだから』
『………………』
『ミオ、まともに引けないくらい状態が悪いんだったらせめて本番前までに相談してほしかった。そうすれば少なくともあんな演奏を聞かせることにはしなかった。私が、絶対に』
『ごめんなさい、イオリちゃん……。でも、……別に調子が悪い訳じゃないの』
『……?だったらなんで』
理解してあげられなかった。
分かってあげられなかった。
ただ、価値観が違うからと斬り捨てた。
『怖いの』、と。
『そう』言った『彼女』のことを、イオリは相応しくないと斬り捨てた。
斬って、捨てて、
仲間を、『だったら君は仲間じゃない』と、言った。
「………………………………」
だったら『この』結末はあまりにも当然か。
バンドは一人じゃできない。奏でる音楽が神レベルの最高性だったとしてもコミュニケーション能力が底辺ならば仲間と一緒になんてできない。きっとイオリはあまりにも非人間的過ぎたのだ。音楽に掛けるがあまりに音楽以外の全てを切り捨てた結果音楽以外の全てに切り捨てられた。
今のイオリは確かにトップレベルのアーティストだが、けれど業界人に好かれているかと言われればそうではないだろう。《《クッションを挟まなければ》》とてもとても、イオリはこの業界にはいられない。
柔らかいクッションが必要なのだ。
弾力性と反発性を伴った《《人をダメにさせるソファが》》。
「ガラスの靴を履いたシンデレラ、か」
『灰被り姫』。
灰被り姫の物語はイオリの人生とよく似ていた。違うのは、他責か自責か。たったそれだけ。
意地悪な継母たちが灰被り姫を苛めたのは灰被り姫のせいではないが。
意地悪な業界人がイオリのことを排斥しようとしたのはイオリ自身の性格が原因だ。
意地悪な継母たちが現れたのは灰被り姫のせいではないが。
意地悪な業界人と対面しなくてはならなくなったのはイオリ自身の性格が原因だ。
最高の音を奏でられればそれでいいわけではない。
どんな業界でもコミュニケーション能力が無い馬鹿は干される。
イオリがプロになれたのは、
なることができたのは。
『イオリ、今日も最高だったよ!』
『イオリさん、今日はフォローしてくれてありがとうございます』
『イオリ、次のセトリなんだけどね』
灰被り姫が王子様の相手になれたのは『あった』から。
南瓜の馬車が、
馬だった御者が、
鼠だった馬が、
そして、《《ガラスの靴》》が、
自前の豪奢なドレスだけでは、王子様はとてもとてもイオリのことを相手になどしなかっただろう。
魔法使いがイオリを世間に通用するようにしてくれたのだ。
『プロ』に、してくれたのだ。
『イオリちゃん、私ね』
舞踏会に招待されたイオリはその努力のかいもあり王子様の相手に選ばれた。だけど、いつのまにか馬車は南瓜になって、御者は馬になって、馬は鼠になって、ガラスの靴は消えてしまった。残ったものは自前のドレスだけだから、イオリは舞踏会から追い出された。
「一歌ちゃんにも、何時の間にか追い抜かされちゃったな」
仲間を、『足りないから』と斬り捨てた時点でイオリの正当な音楽人生は終わりだったのだろう。バンドは独りでできるものじゃないから。
ボーカルだけじゃ音は奏でられない。
駆け上がるのは時間がかかって、転落するのは一瞬だ。素晴らしい音楽を奏でれればプロだなんて、そんなのは間違っていると。
この現代で有名になりたいのならばまず『知られる努力』が必要なんだ。良い商品も『良い』という客観的な情報が無ければ買われない。そしてそれはイオリの不得意分野だった。イオリは、イオリ人のアピールポイントを分かっていても理解はできていなかった。ましてやそれを上手い形で発信することなど。
音楽業界へのアピール、自分自身のプレゼンテーション、SNSを駆使した広報戦略。
それらはすべて、最初に居なくなった『彼女』のしていたことだったから。
いなくなって初めて実感した、価値。
『覚悟』を問われていたのはイオリの方だったのだ。
仲間が、
もしも、Leo/needの人たちのように向こうから手を伸ばしてくれないのならば、
与えられたものの価値をイオリは分かっていなかった。
馬車。
御者。
馬。
ガラスの靴。
ドレスだけじゃ、見向きもされないのだと。
『イオリちゃん、ごめん』
手に入れられたのが魔法使いのおかげなら、それを維持し続けるはイオリの仕事だ。仲間を繋げる糸になるべきだったんだ、イオリは。独りじゃバンド足りえないと知っていたはずなのに。
相応しくないからと新しく入れたベーシスト。それを変えて、変えて、変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて変えて。
付き合い切れなくなるのも当然だ。
最初から、『STANDOUT』のベーシストはひとりだけだったんだから。
ニューヨークの一等地にあるイオリの住居。そこはあまりにも広く、寒い。
「はぁ…………」
こんなはずじゃなかった、だなんて。
どうしてこんなことになったのか、だなんて。
そんな後悔に意味はない。
意味は、ない。
だけど、扉を開ける前にいつも後悔してしまうのだ。その先にある展開を前に、いつだって。
『Leo/need』が有名になる度に『STANDOUT』ももっと上手くできたはずだと思ってしまう。
もっと、上手く。
もっと、飛躍できたはずだと。
「……………………」
自宅の扉を開ける。
玄関にはまず、今までイオリがとってきた様々な賞の賞状トロフィーが飾られている。所狭しと。
そして、
そして、
そして、
いつも、
何時だって、
「あ!」
リビングから走ってくる人がいる。
イオリの、罪の、象徴が。
『もう、無理なんだよ!!!』
泣き喚いてそう訴えた。
『あの時』、『貴女』を喪ったことが間違いだったと。
『だったら、私がイオリちゃんを支える!!!』
そして、その間違いはきっと今も、
続いて、
続き続けている。
「おかえりなさい!イオリちゃん!!!」
「………………ただいま、ミオ」
《《いつだって自宅の玄関でイオリのマネージャーであるミオはイオリのことを迎えてくれるのだから》》。
イオリとミオは五年前からずっと、同居しているのだから。