おおきな のっぽの ふるどけい
 おじいさんの とけい
 ひゃくねん いつも うごいていた
 ごじまんの とけいさ
 おじいさんの うまれた あさに
 かってきた とけいさ
 いまは もう うごかない その とけい――
「七海さん?」
 意識が記憶の中を彷徨っていた。懐かしさに引きずられて、水底を漂うように。
 それが名前を呼ばれ、ふ、と記憶の海から浮かび上がる。
 いつの間にか、息が浅くなっていた。
「え?」
「具合でも悪い? 途中から歌ってなかったけど」
 そう、友達が覗き込んでくる。同じ演劇サークルで仲よくなった子だ。
「あー、ううん、ちょっと懐かしいこと思い出しちゃって」
「ふーん?」
「こらーそこー、しっかりやれー」
 と、小声で話してたら部長から叱咤が飛んできた。
「いくら相手が子供だからって舐めるんじゃないぞー。あいつらすぐ分かるからなー、緊張しすぎてもだめだが緊張感持ってやれー」
 至極ごもっともである。友達と向き合い、やっちゃったと一緒に小さく舌を出しながら、今度こそ私は練習に意識を集中させた。
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 侑と会う機会は高校生の時に比べてすっかり減ってしまった。講義もサークルもバイトもあるとなると、平日は中々難しい。
 それに最近は行けてないけど市民劇団だってある。市民劇団はアマチュアだから、土日休日の練習や本番が多い。
 そうなると、どれだけ侑と会う時間を捻出するか。それが大事になってくる。ある意味で一人暮らしもその一環ではあった。
 それが苦じゃない。むしろエネルギーをもらってるくらいだ。
「サークルの方はどう?」
 そんなわけで、数日振りに会った侑は、ふとそんなことを訊ねてきた。
 今日は土曜日。劇団の練習も休みだし、バイトは夜からだから、侑がウチに遊びに来て、ソファでだらだらと引っ付いていた時のことだった。
 私が先に大学に入ったからなのか、近頃の侑はしょっちゅう大学での様子を聞きたがる。
 今回もその類かな、と思いながら一応訊き返してみる。
「どう、って言うのは?」
「燈子先輩は市民劇団入ってるわけじゃん? 大学サークルとどう違うのかなーって」
 なるほど。そういう違いを聞きたいのか。
「あぁそういう……。サークルの方も結構本格的だよ。外部講師の指導があるし大会……ていうかそんな感じのまであるんだから」
「へー」
 実際、舐めてたわけじゃないけど想像以上だった。大会出場常連らしいし、おまけに外部講師は奈良先生の知人なのにはびっくりした。おかげで随分としごかれてる、もとい勉強になっている。
「まぁ、私たちは入ったばっかだから舞台に立てるか分かんないけどさ」
「先輩ならいけるって。劇団入ってるんだし、実際入った時も期待されたんでしょ?」
 簡単に言ってくれるなぁ。
 そう言う侑の目は私への優しい信頼が浮かんでいる。
 今はそれが、重くはない。
「それを決めるのは私じゃないからなー。とりあえずは今度の子供劇場をきちっとこなさないと」
「へー、子供劇場?」
「そ。子供向けの舞台をね、一年生がやるんだって。多分そっから見られてるだろうし、頑張らないと」
 子供相手だからいくらか気楽だとはいえ、部長も言ってた通り子供はストレートに評価してくる。つまらなかったら寝られるんだからそうならないようにしないと。
「じゃあ観に行けないのか、残念」
 ほんのちょっとだけ寂しそうに笑う侑を、私はじろじろと見つめて。
「侑なら行けるんじゃない?」
 そう言うと、途端に侑はむっとした表情を向けてきた。
「ねぇそれって暗にチビって言ってるよね?」
「さー、どーだろー」
「このー」
 引っ付いてた体勢からわちゃわちゃと揉み合いになる。
「緊張でもしてる?」
 ふと、私を責め立てる手が止まった。
 相変わらずその目は私をどこまでも見抜いているらしい。ほんと、敵わないなぁ。
「……違うよ。ちょっと、懐かしいこと思い出したってだけ」
 心配してくれてるんだろう。それは、嬉しい。
 ただ今回のはちょっと違う。
「ならいいけど」
 それが本当だと分かってくれたようで侑は引き下がったけど、どうも釈然としないらしい。
 私はそんな侑に、後ろから抱き締めるようにして寄りかかった。
 ついでに胸いっぱいに侑のにおいを味わう。
「子供との交流もあるから童謡の練習もしてたんだけどさ」
 そうしてから、私はそんな風に切り出した。
「なに歌ってたの?」
「『大きな古時計』。それで、お姉ちゃんとよく一緒に歌ってたなぁって」
「そうなんだ」
 もう二年の付き合いになるから、侑はこれだけでもすぐに理由の見当が付いたらしい。
「『一年生になったら』とかよく歌ってたけど、あれって今思うとお姉ちゃんなりに心配してたのかなぁとか思ったりさ」
「いいお姉さんだね」
「いいお姉ちゃん過ぎたんだよ、もう。おかげで結局、小学校入ってからも一番遊んでたのお姉ちゃんだったし」
 きっと私は、姉離れするタイミングを逃してしまってたんだろう。今ならそう分かる。
 優しいお姉ちゃんから離れられなくて、そのお姉ちゃんが死んでもなお離れられないままだったから。
 でも。
 ……きっと私は今、笑ってたんだろう。
 だって、侑が笑ってるんだから。
「あーなるほど? じゃあ先輩が甘えん坊なのはお姉さんが原因と」
 挑発的に後ろを振り返った侑に、私は拗ねるようにして肯定する。
「絶対そうだって」
「ほんとかなー」
 このー、と頭をうりうりと擦り付けると、なんとも楽しそうな悲鳴が上がった。
 そうしてまた目を合わせて、笑う。
「せんろは つづくよ どこまでも」
 気付けば私はそう口遊んでいた。
 一瞬ぽかんとしていた侑も、私が目を合わせるとにっと笑って歌い始めた。
「のをこえ やまこえ たにこえて」
「はるかな まちまで ぼくたちの」
「たのしい たびのゆめ つないでる」
 子供の楽しげな声がリビングに響き渡る。
 それは、今の幸せを表してるかのような、歌だった。
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