「感情と理論は対極にあるというように論ぜられることが多いが」
 クルーウェルはコトリ、とティーカップを上品に置いて、それからバターサンドを丁寧につまみあげた。
「俺はそうは思わん。感情と理論はイコールで結ばれる」
 監督生は「はぁ……」と聞いているんだか聞いていないんだか分からない声音で返事をし、親分の毛に絡まったパン屑を取り除いてゆく。
 反論をする程の知恵も度胸もない監督生に、クルーウェルは時々こうして自論を語って聞かせる。監督生は、クルーウェルの気の済むまで付き合う代わりに、温かい飲み物と甘いお菓子を楽しむのだ(学園長はヤサシイ割にお金にはうるさいので、蓄えられるときに蓄えておくのが肝心なのである)。ハーツラビュルのなんでもない日よりも気軽なこの時間を、監督生は結構気に入っていた。
「どういうことか分かるか、仔犬」
「分かりません」
 だろうな、という顔をしてクルーウェルは足を組み替える。
「お前の故郷の司法制度は知らんが、刑罰には何かしら議論があったろう」
「あったかもしれませんねえ」
「死刑廃止論とかだ」
「あぁ、ありましたありました」
「あれなんか、決着がつかないだろう。死刑が正しいか否かなんぞ正解があるはずもないし、あっても人間が知りうるものではないから当然だが」
「まあそうですね」
「そういう理論で証明しきれないものが出てくるのは何故だ? 理論が感情だからだ」
「おぉ」
 最初に提示された結論に誘導される度、監督生はクルーウェルを理系の人だな、と思う。小さく適当な感嘆の声が漏れた。
「理論は何よりも理性的で、万事矛盾のない理論に従っていれば間違いない、などというのは、オメデタイ、実に馬鹿げた思考停止の駄犬の譫言というわけだ」
「辛辣ですね」
「感情を排して理想に近づこうという人間の有様が気に食わん。美しくない」
 クルーウェルは、きゅう、と美しい顔の真ん中に力を込め、ここには居ない世界の誰かを睨めつけるような顔をした。
 監督生においては、マァ言いたいことは分からないでもないけれども、といったところである。なぜなら、人間というのは不都合から目を逸らす生き物だからだ。本能的なその行為で以て、社会は正気を保った人間で構成されている。
「美しくなくても、生きていけるからだと思いますけどね」
「分からなんな。そうやって身を落とすくらいなら、死んだ方が幾分良いだろうに」
 グリムがぶなぁ、と汚い声を上げて、監督生の膝の上で身動いだ。
 クルーウェルは犬派であるからして、その絶妙な愛らしさに目を細めたりはせず、このモンスターはもう少し凛々しい表付きになったりしないものか、とため息をついた。
「なんか先生ってアレ」
「どれだ」
「禁断の恋愛推進派って感じですね」
「立場上否定するが、あらゆる社会的拘束力から解き放たれたと仮定する自然人として言うのなら、イエスだ」
「そう凝った言い方しなくても」
「条件は大事だ。そんなんだから仔犬、お前はアーシェングロットにしてやられるんだぞ」
「失礼な。アレはこっちがしてやったんですよ」
「そうだったか」
「ええ」
 本当にどうでもいい話だ。二人揃って黙って、魔法のおかげで、ずっと淹れたてのように温かいままの紅茶を飲む。
「話は戻りますが」
「ウン?」
 次はどの菓子を食べようかと、案外甘党なクルーウェルが視線をさまよわせれば、監督生が再び口を開いた。
「先生のお話、今回は分かる気がします」
「ホォ」
「感情と理論が密接、はたまた同じだからアカデミックにどうこうというのはちょっとまだ難しいですけど、感情を勘定に入れるべきだとは思いますよ」
「ダジャレか?」
「え? うわ、本当だ、違います狙ってないですその笑いやめてください」
「ンッフフ」
 クルーウェルは時々こうして揚げ足を取って、話の腰を折ることがある。授業や部活指導の様子を見る限り、神経質で無駄が嫌いな人物のように映るが、実際に会話をしてみると、そうとも言い切れないのだった。どちらにも振り切れない、いろいろを持ち合わせた、魅力的な男である。
 カッコいいな、それに引き換え自分は、と監督生はなんとなく落ち込む。自分を卑下するわけではないが、圧倒的な何かに直面した時にぼんやり鬱を感じる、人間特有の波である。
「感情抜きで動ける人なんてそういないんだから、少しずつ理想ににじり寄ってる、それでいいじゃないかっていつも思うんですよ」
 みんなみんな、生き急ぎすぎだ。この学園に来て、監督生のそんな考えは加速する一方だった。牛歩の如き歩みでも特に悩まず、呑気に夜ご飯のことを考えたりしている自分が、ひどい間抜けに見えてしまう。
「ン、お前は一度議論の場から弾かれてしまうタイプだな」
「えぇ……」
「拗ねるな。お前みたいなのは存外しぶとい。急進的な革命は往々にして失敗するし、それで行くとお前はこの学園の中でも優秀な仔犬だ」
「褒めても何も出ませんよ」
「ハッ、期待してない」
 クルーウェルに軽く鼻で笑われるが、真にバカにした感じはないので、特に気に留めるでもなくチョコレートをつまむ。監督生は、大人に子ども扱いされると嬉しくなってしまう性質だった。
「それこそ、クローバーなんかとは結構気が合うんじゃないか」
「トレイ先輩? そりゃいい人ですし、好きですよ」
 見たこともないお菓子を対価なしにくれるし、とは言わない。
「いや、アレも随分狸だろう」
「狸って……ん? 今僕も狸って言われました?」
「気のせいだ」
「……まあ狸でもいいですよ。もちろん、先生は可愛がってくださるんでしょう?」
「狸は対象外だ」
「イヌ科なのにですか? 話が違います」
「イヌ科なら何でもいいなどと言った覚えはないが。あぁ、ワンと鳴くなら考えてやらないこともないな」
 「どうする?」と、端正に整えられたクルーウェルの眉が悪戯っぽく上がる。対する可愛がられたがりの監督生に、躊躇いなどというものはない。
「わん!」
「ンッフフ……お前は素直な仔犬だな、Good boy」
 そして結局、自分より小さくて懐っこいものは何だろうと愛しく見えてしまう魔法に生まれながらにしてかかっているクルーウェルにとっては、監督生を可愛がる以外の選択肢はないのである。
 テーブルの上の皿の底は、クルーウェルが指を一振りするのと同時に、また沢山の菓子に埋もれて見えなくなったのだった。
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初公開日: 2021年09月22日
最終更新日: 2021年09月22日
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コメント
twstの二次創作です。メモしておいたクル先と監のお喋りを夏休みが終わってしまう前に、小さくまとめたいので……。