僕たち家族は久しぶりの旅行に出かけた。
一体いつぶりだろうか。子供達は丁度夏休みの時期になっていたようだし、普段は仕事で忙しい妻も有給が取れたようだ。中々集まれない僕たちだったが、この日は珍しく休む事ができた。みんな出かけるために頑張ってきたもんなぁ。
旅行先は少し山奥にあるこじんまりとした温泉宿。少々辺鄙なところにあるそうだが、宿自体はとても綺麗だそうで、山々の景色を一望できる露天風呂が名物との事。僕が前々から行きたいと思っていた宿だ。まさか本当に行ける事になるとは……驚いたよ。
「どう、あなた? 念願の温泉宿に行ける気分は?」
そりゃあ、もちろん最高だよ。みんなありがとう。
子供達がはしゃぐ中、僕は小さな声でそう問いかけてきた妻に答えたのだった。
◇
宿についた僕たちは、部屋に荷物を置いた後すぐに温泉へと向かった。温泉は屋内にある大浴場とそれに併設されてる岩風呂の露天風呂の二つだ。山奥の宿とはいえ、温泉を売りにしてるだけあってここはとても広い。そして何より山の景色を一望できるのが最高だ。季節はまだ夏だから青々と茂る木々の葉を眺めるだけではあるが、それでも少し早く鳴き始めたヒグラシの声と青空と織りなす風景には風情を感じるものがある。本当に気持ちいい……心が安らぐような気がするよ。それにしても、長男はもう中学生になったんだよなぁ。下の子達二人は小学生だからまだかもしれないが、そろそろ長男は反抗期に入っててもおかしくないか。それでも全然返事をしてくれないってのは父さんは悲しいぞ……。
◇
その後も僕の分だけ食事が運ばれてくるのが遅かったり、ちょっと違うものが運ばれてきたりしたけど、旅行先でのトラブルを楽しむのもまた旅行の楽しみだから、特に気にもしなかった。まぁ、山奥の宿にしては人も多かったしね。僕ら以外にも何組か宿泊客の姿は見えたよ。それならこういったトラブルが起きても仕方ないと思う。あんまり多くの人に丁寧な接客をするには人の数が足りてないような気がする。
しかし、そうであっても丁寧なおもてなしをしてくれているのはやっぱりその道のプロだからだろうか。すでに綺麗に布団の敷かれた僕たちの泊まる部屋で寛ぎながらそう思った。だが、ここでも手違いがあったのか、それとも予約が取れたのがこの部屋しかなかったのかはわからないが、布団が四組しかない。宿の予約は全て妻に任せてしまっていたから、流石にこれには気がつかなかった。
僕が寝るところはちゃんとあるのだろうか?そんな不安がよぎる。そう思っていたら、下の子の一人である次女が一人で寝るのは嫌と言い出した。まぁ、人見知りする子だし、初めてきた場所だからちょっと緊張しちゃってるのかもしれない。もう一人の下の子である長女は「お父さんに添い寝してもらったら?」と言い出し、長男に至ってはどうしたらいいのか迷ってる様子だ。無論、突然言われた僕もどうしようか迷ってしまった。
「こらこら、そんな事を言って父さんを困らせないの。ほら、こっちにいらっしゃい」
そうこうしているうちに妻が次女を自分の布団に招き入れていた。それと、残りの布団は僕が使ってもいいようだ。こんなに賑やかなのは久しぶりだなぁ……こんな時間がいつまでも続けばいいのにと、思ってしまったよ。それから、僕はみんなが夢の中に入るまで見つめ続けていた。
◇
翌日。一泊二日の予定で来ていた僕たちは宿の受付前にいた。いろいろトラブルもあったけど楽しかった温泉旅行もこれで終わりかぁ。名残惜しいといえば名残惜しいが、時間が過ぎるのは仕方のない事だからね。こればかりはどうしようもない。そう思っていた矢先、僕の携帯電話に通知が入る。開いてみると一通のメールが来ていた。その内容を読んでいくうちに、僕の顔はしかめっ面になっていく。どうやら七週間も取っていた休暇が終わったからすぐに戻ってこいとの事。ああ、やだやだ。だが、これを破ってしまう事の方が怖いからね。僕も忙しい日々に戻らなきゃいけないようだ。
宿の前に出ていた僕は家族に一言「ごめん、また今度ゆっくり会おうね」と告げると、一人先に帰ることにしたのだった。
◇◇◇
「さっきのお客さん、なんかいい家族って感じだったよな」
「そうだよな。奥さんと子供達も仲良さそうだしな」
「いや、旦那さんもいただろって」