夏の日の午後。まだ強い陽射しが車窓から溢れている。
自分の住んでいる場所とは遠く離れた実家に帰省する為、電車の中で揺られている。
実家は山に囲まれた、決して栄えているとは言えない地域にある。
荷物は大きめのリュックに入るだけ詰めた。重くもなく軽くもない、至って普通の荷物の量だ。
電車の中は夏なので冷房の効きも良い。
しかし、今の時期は丁度お盆。
普通なら帰省しようとする人で溢れているはずだが、私の乗っている電車の中には人がぽつりぽつりとしか居ない。
日によって帰る人も少ないのだろう。そう考えて窓の外の風景を眺めた。
田舎町特有の棚田の風景や、軒を連ねた山々が目に入る。心地よい電車の振動と、規則正しい車輪の音が眠気を誘う。
思い起こせば、今朝は早起きをして昨日のうちに準備し終えた荷物を持って、実家に居る家族には夜頃に帰ると連絡をして家を出たのだ。ただ電車にそのまま乗ったわけではない。
少し眠るだけ、そう言い聞かせて私は足元にある荷物を膝の上に抱えて眠った。
***
電車の扉が開く音で目が覚めた。
窓の外は暗く、既に陽が落ちていることが分かった。
そして、あのぽつりぽつりとしか居なかった人たちが項垂れながら降りていく。
寝ぼけていた頭がさっと覚め、膝の上で抱えていた荷物を背負って電車の外に飛び出してしまった。
乗り過ごしていたと勘違いをして降りたはいいが、肝心の駅名が確認出来ない。
駅名を示す看板は、錆が酷く辛うじて残っている部分は余白の白色しかない。
背の高い時計も、夜とは思えない時間帯の午後3時で止まっており、針が動いている様子もない。
電車の扉は私が降りた直後に閉まり、遥か向こうに走っていった。
見たところは無人駅で、青っぽい光の蛍光灯が小さな駅のホームの椅子をぼんやりと照らしているだけ。
スマートフォンで位置情報を確かめようとしたが、上手く作動しない。
何度も再起動と不具合を繰り返しており、位置情報を確かめる前から使い物にならないのだ。
無人駅で落胆をしていて気付いたことが一つある。
この駅で降りた人たちはどこへ行ってしまったのだろうか。
電車の走っていた線路を照らす電柱の光はぽつぽつと点在しているが、家と思しき光は一つもない。
周りは草と、大きく腰を据えた山があるだけ。
なのにあの人たちは、この駅を降りてどこかへ向かった。
そのことに気が付いた瞬間、まだ蒸し暑い夜の熱気がひやりと冷たく感じたのだった。
『~⋯、⋯、~、⋯』
自分の後ろから、何かが聴こえた。
それは歌のようにも聴こえたが微かな音のせいで聴き取りにくい。
『~、⋯、⋯』
よく耳を澄ませると、微かながらも地面を震わせる太鼓や風に乗った笛の音がする。
例えるなら、遠くでお祭りの音が聴こえてくるあの感覚。
腰掛けていた椅子から立ち、音のする方角へ向かった。
その先は深い山の中で、そのまま足を踏み入れることをためらうような深さだったが、山の中に入る入り口を見つけた。
多くの人々が歩いて行ったのか、既に白い土が広がり、うねりながら山の奥へと続いていた。
10歩ほど山の奥に向かって進んだが、急に不安が押し寄せてきた。
戻って駅のホームで待てば、別の電車が来て帰ることが出来るかもしれない。
そう考えて踵を返そうとした矢先に、人間以外の何かが居る感覚がした。
獣が近付いているような、得も言われない感覚。
あまり深い山の中を見ないように地面を見ていると、黒い何かが近付いてきた。
四つ足で軽々しく歩きながら、大きな耳と尻尾を携えている。
私の足元に黒い狐が座る。
挨拶をするかのように私の目を見る狐の目は、金色に輝いて見えた。
とは言っても光のように輝いているわけではなく、虹彩の色そのものが金色で、闇の中に居てもきらきらとしている。
狐に向けて手のひらをかざすと、細い鼻先でつん、と優しく手の中を突いた。
挨拶をし終えたのか、黒い狐はスタスタと私の前を行き、山の奥に続く道の先で座っている。
私が足を動かすと、黒い狐も私の先を歩く。
歩みを止めると黒い狐も止まり、時々心配をしてか私の近くに来るのだった。
恐らく、この狐は私をどこかへ案内している。
少しだけ安心した気持ちになっていると、どこからか子供の声がした。
『花嫁様が来る、花嫁様が来る』
『人間の花嫁様を御館様が待っている』
2、3人ほどの子供の声がした後、私の足元を着物を着た子供たちが山の奥に向かって駆けていった。
子供たちが駆けていった矢先に、ぽん、ぽん、と小さな赤い提灯の光が灯されていく。
炎が揺れてチラつく提灯は、進むごとに徐々に形を変えて大きくなっていく。
お祭りの日の夜を思い出しながら、黒い狐に導かれるまま進んでいた。
道は階段に変わり、真っ赤な鳥居が見えてきた。
山の中は暗く、赤い提灯の光しか見えていないはず。
しかし、鳥居の赤色は毒々しいほどに赤いことが分かった。
鳥居の中をくぐる。
くぐる時は、昔教えられたことを思い出し、神様の邪魔にならないように端を通った。
神社と思わしきその場所は、広く綺麗な場所だった。
赤い提灯がグルグルと囲い、太鼓と笛の音が響き渡る。
徐々に人の姿らしきものが見えてきたが、違和感を感じていた。
人の姿に見えていたが、どれも顔が狐の顔をしているし、着物を着ていて尻尾もある。
大人も子供も、人間のように二足で動きながら人語を話している。
私を案内した黒い狐は、黒い綺麗な着物を羽織り、頭に透けた黒い布を被っていた。
二足で歩き、先ほどまでと変わらない様子で私を案内する。
お祭りの日の騒ぎが起きているような、賑やかな神社の境内。
ドン、と太鼓が響き、騒いでいた狐たちは静まる。
そして私の前に居た狐たちは、私を見るなり慌てて道を開ける。
ある狐は顔を伏せ、ある狐は喜びを隠しきれない表情をしている。
私の前には、神社の本殿に向かう道が長く見えている。
けたたましく吹かれる笛と共に、風が吹き始めた。
風は徐々に強くなり、突風の様な風が吹いて一瞬で落ち着いた。
大きな鈴の音が鳴る。
それまで風に吹かれて目を瞑っていたが、目の前に何かが居ることが分かった。
目の前に居るのは、白く大きいもの。
黒い狐は私の先を行き、手で優しく『来い』と合図をする。
恐る恐る進むが、その白い何かは近付けば近付くほどに白く輝いている。
ようやく見えた白い何かは、大きな白い狐だった。
何本もの長い尻尾を蠢かせ、長い鼻が私の周りを嗅ぎ回る。
「私を見ろ」
唸るように響いた声は、男とも女ともつかない声をしていた。
思わず前を向くと、青白い二つの瞳が目に入った。
青白い瞳の中に、赤や黄、緑や紫などの沢山の色がちりばめられている。
玉の様な目が私をじっと見据えている。
そして私と目が合ったと分かると、大きな目がきゅう、と弧を描いた。
「ここまで来るのは大変だっただろう」
「は、⋯はい」
「恐れる必要は無い。
お前を取って食いはしない」
大きな狐の頭が、私に甘えるかのようにすり寄る。
獣の様な匂いはせず、香を焚きしめたような香りが一瞬で身体に染みついた。
長い毛がたなびいたかと思うと、私の身体は白い毛の中に埋もれている。
愛おし気に私を見下ろす狐は、私の首に鼻を寄せる。
匂いを嗅ぐ素振りは普通の動物の様だが、私は生命の危機を感じて固まってしまっていた。
「よくぞ私を選んだ」
「選んだって、どういうことですか」
「私の山で山犬共に悪戯はされなかったか?
もしも悪戯されて来るべき道が外れていたら、私が黙っていなかったが」
「えっと、⋯ここまできちんと案内をしてくださる方が居たので、悪戯されずに済みました」
山犬とは、狐と違う狼や大きな野犬を指すのだろうか。
そのようなものを見た覚えはなく、ここに来るまではずっと狐を見ていた。
狐は満足気な表情で頭を擦り寄せている。
「そう。なら良い。
ここで寛ぐと良い。皆はお前を歓迎しているのだから」
「でも、私帰らないと⋯」
「帰る?どこに?」
嘲り笑うように返事をした狐を見上げる。
ぐっと大きく広がった真っ黒な瞳孔が、私の目を捕らえた。
「お前の"旦那様"の私を置いてどこへ行く?
お前の帰る場所などどこにも無い。
お前はここで私と永遠に生きる。それだけのこと」
「帰してください、お願いします」
「無理な話だ。
この世界で生きれば、お前は死にもしなければ老けもしない。
帰る必要など無い。お前には私が居るのだから」
狂気を孕んだ瞳が、ジリジリと近付く。
元居た世界は、私を完全に切り離した。
代わりに空いた場所に宛がわれたのは、一方的に私を慕う何か。
幾本もの長い尾は、私の視界にチラチラとたなびき現れる。
「どうして、私なんですか?
もっと他にも居たでしょう?」
「私はお前がこの世に生まれる前から、お前の無垢な魂が欲しかった。
何千年と生きてきた私には、生まれる前のお前すら光に見えていた」
深く息を吸ったかと思えば息を吐き、艶めかしい香のような匂いが渦を巻く。
自分が生まれる前の話など私には到底分かるはずも無いが、この狐にとっては気の遠くなるような年月を待ち続けたのだろう。
「そして今、私の世界にようやく色が灯った。
私はお前を、今日まで待ち続けたのだ。浮ついた気も持たずただお前を待ち続けた私に、伴侶としてお前そのものを貰うだけ。
お前は私の隣で生きておれば良い」
この狐は、私と自分を結ぶことを前提に私をここへ誘ったのだろう。
私自身には、人の魂がどんな見た目をしているのかも分からない。
また、私がどんなに清らかであるかも自分自身には分かるはずがないのに、この狐は我武者羅に私を求めている。
「お前は親しい人間を覚えているだろうが、親も友もお前を忘れていくだろう。
お前は永遠に生きるが、外の世界の誰も彼もがお前を忘れていく。
お前を知るのは私と同志だけ。お前は私以外を見ることは出来なくなる」
「もしも貴方ではない人を見たら、どうなるのですか」
「お前の両目を潰してしまおう。
そして私の目を分け与える。
きっと美しいはずだ、私だけを見るお前の目は」
まるで芯まで匂いを付けるかのように私の身体に自分の香りを擦り付けていく。
そして愛し気に見下ろす目は、いくつもの赤い提灯の光を映している。
「この世界はお前と私の為にある。
逃げても無駄だ。私はお前に追いつく。
お前についた私の匂いは何時までも残るだろう。
睦み合って子を成せば逃げられると思うな。
さぁ、"   "」
狐の瞳の中の赤い光が、火花のようにパチパチと弾けて見えた。
広がった瞳孔に、自分の姿が映る。
私の名を呼ぶ狐の目は、獣の様相が見え隠れしていた。
「お前の"旦那様"はこの私だ。
呼べ、そして誓え。
私と永遠を生きると」
私と狐を囲んだ赤い炎が踊り始める。
始まったばかりの獣たちの宴は、歓声と狐火によく似た赤い炎で塗れていた。
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#5 愛に至る怪異
初公開日: 2021年08月12日
最終更新日: 2021年08月13日
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