別に見下されたわけじゃない。
馬鹿にされたわけでも、邪魔をされたわけでも。
甥が笑って、兄がひとこと。
それで限界だった。
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くら、と回る世界にたたらを踏んで、目を開けた。
一面に広がる黄金と、乾いた空気。はっと息を吸い込んで、飛び込んできた砂埃に空咳をする。
来たんだ、呼ばれた。あの世界に。
素早く辺りを見回して、欠片も見覚えの無い景色に困惑する。ざり、と足下で音を立てる、硬い砂の感触ばかりどこか既視感があった。
「ヤニ……?」
低く、半ば呆然とした声に振り向くと、砂の丘の上。つぎはぎで薄汚れた腰巻と、それに見合わぬ豪奢な装飾具。丁度逆光になるように、幽鬼のような男が立っていた。
男は何事か呟くと、まるで波乗りでもするみたいに砂丘を滑り降りる。近付いてくるにつれ明らかになった男の死体のような肌色と、砂を蹴る足先に伸びる怪物のような爪に驚いて動けずにいると、気付いた時には鼻先が触れ合うほど近くに男が来ている。
俺をヤニ、と呼ぶ相手など一人しか居ない。ぼぅ、と光る緑の瞳が、俺を見ているはずなのに、何処か遠くを見つめていた。
「……あァ……おまえだ」
「れ、おな、か……?」
「ヤニ、おまえ、お前だ。……あぁ、あァ、きたのか、お前、はは」
会ってまず初めに言いたいことがあったはずなのに、レオナの様子のおかしな姿に呑まれてしまっていた。ギリ、と音がするほど強く握り込まれた手首に顔が歪む。
「なんだよ、いちばん最初はおちびさん、かと思ったのに。アレ、好きだったんだぜ」
「……お、ちびさん、とか、言える図体じゃ、ねェじゃん」
「ははは! それもそうか!」
いつの間にかお前より大きくなってた、と、いっそ朗らかに笑うレオナに、暑くもないのにたらりとこめかみに汗が伝った。腕に込められた力は相変わらず抜けない。どころか、レオナの腕に一体化するみたいに張り付いたグローブ? 布? 真っ黒な鋭い爪が突き刺さって肌を裂きそうだった。
「来いよ、見せてやる」
「ぅッ、!」
勢いよく腕を引かれ、つんのめりながらもレオナに着いて行くが、ざかざかと大股で歩くレオナの振動でとうとう腕から血が流れ始める。耐え切れずにうめき声を上げても、レオナはまるで聞こえていないかのように進んでいく。
「い、ッテェ……っレオナ! なぁ怒ってンだろ!? ずっと謝りたかった!」
「怒る? オレが? お前に? まさか! ッははは! 一体何を!?」
会えて嬉しいくらいだ! と心底楽しそうなレオナに言葉が出なくなる。こんなに明るく話しているというのに、どうしても不安が拭えないのは何故なのか。はぁはぁと上がる息を抑えようと唾を飲むが、妙に乾いてべたべたするだけだった。
「寧ろ丁度良い! お前にも見せてやりたかったんだ!」
高揚したように唇を吊り上げて、ぐるりと首を回して俺を見るレオナ。その片目に、橙色のもや……陽炎の様に揺らぐ、炎があった。訳も分からずそれを見返して、もはや引き摺られるようにして砂の丘を駆け上がる。
見ろ!と声を張り上げるレオナが投げ捨てるみたいに腕を離し、勢い余った俺がスッ転ぶように砂の上に転がった。
「いーィ眺めだろう!? ムカつく兄貴も! ウザったらしいチェカも! うるせぇ使用人共も邪魔くせェ国もっぜぇんッぶ砂に変えてやった!!」
レオナの声に顔を上げて、そこに広がる光景に愕然とする。
ここが、もし、俺の知っているあの国なら、こんなことがあるはず無かった。
「あァーぁッははははァあッ! ほら、見ろよ! 夕焼けが綺麗だろう!? ハナっからこうすりゃよかったぜ!!」
地平線まで続く、黄金の砂。波打つように広がる砂丘が、沈む夕日を受けて目に痛いほどに輝いている。
レオナは髪をかき上げ、転がる俺に向かって笑いかける。
「初めっから作り直すんだ! なァわかるだろ!? 誰もオレを邪魔しねェ!!」
無邪気な子供のように笑うレオナの横顔を、赤々とした陽射しが暗く照らし出す。
「これで、オレがァ、王ッだァ!!」
はははははははは!!!
響き渡る哄笑に、ひどく息が詰まった。
レオナの、魔法は、触れたものを砂に変える、というもので。確かこいつは、その魔法を忌避していたはずではなかったのか。一体何があったら、この国を変えたいと顔を歪めていた子どもが、『こんなこと』をしたというのだろう。
「ははは、はは、は……」
ゆるゆると笑いを収めたレオナが、一瞬ごとりと表情を無くす。かける言葉も見つけていないのに、思わず口を開こうとして、振り向いたレオナが何事も無かったように振舞うのに怖気付く(←要調整)
「なァ、お前なら出来るって思うだろ? ここに居ろよ、今ならなんだって出来る。出来ない事なんて無い。そうだろ? そう言ってたよな。お前の事ずっと待ってたんだぜ」
わかんねェ、わかんねぇよレオナ。だっておかしいだろ。あんな別れ方したのに、なんで俺のコト待ってんだよ。なんでそんな面してんだよ。なんでそんなんなってんだよ。おかしいだろ。
「……やに、なぁ、」
うっすらと瞼を上げて、泣き笑いのように微笑むレオナに、俺は何も言えなかった。
だってそうだろ。俺が来るまで、少なくとも一年二年じゃ済まない時間があって。おかしいだろ、なぁ。だれもお前の傍に居なかったのかよ。
「れ……」
口を開けない俺に、レオナは何を思ったんだろう。ずるずると顔を伏せてしまったアイツの名前を呼ぼうとして、レオナの後ろに現れた、ライオンのような巨大な怪物にはっと息を吞む。慌てて駆け寄ろうと足を踏み出して、馬鹿みたいに転んだ。
何やってんだ! と焦りながら顔を上げて、声が出ないことに気付く。異常に喉が乾いて、張り付いてしまっている。かひゅ、かッ、と乾いた空気が漏れるばかりで、肝心の声が出てこなかった。
どろり。怪物が頭の部分にあるガラス瓶から墨のような泥を落とす。まるで意思があるかのように動くそれは、一度レオナの足元に集まって、怪物とレオナの影のように広がっていく。
レオナに触んな! と、内心叫びながら、どうしてか立ち上がれない体を起こそうと手を付いてそのまま崩れる(・・・)。
「……は……っ、……?」
腕が、力を込めた肘の部分から崩れ落ちた(・・・・・)。
痛みは無い。それ故に、なにが起こってるのかわからなかった。恐る恐る首を回して振り向き、足のあった部分(・・・・・・・)を見る。
半ばパニックになりながら地面に頬をつけて呼吸をした。どくどくと心臓が早鐘を打っている。
腕と、足のあった部分から、ざらざらと砂が広がっていた。
「……出来るって、いってくれよ」
ぽつりと落とされた声に、勢いよく顔を上げる。俺を見ているはずなのに、レオナの瞳は、どこか虚ろだった。
「どうしたらいい、どうしたらよかった、なぁ教えてくれ。いつもみたいに、笑ってくれよ。なァ、大丈夫だって、ヤニ、おれは、おれが、ぁあ、あ、あァ、」
どろ、どろり
「無意味だ」
レオナの両目から、怪物と同じ泥が流れ出した。レオナはうわごとの様に呻きながら顔を覆い、よろよろと後退る。
「……おれが、殺した。……ぜんぶ、なくなった……おれは……おれがしてきた事は、何もかも無価値だ……」
「ぜんぶ殺した。もう戻らない……一体何をしてきた。おれは、すべて……」
レオナが覆った指の隙間から、勢いを増した橙の炎と、真っ黒な泥がぼたぼたと腕を伝っている。怪物と、レオナのふわふわした髪の毛先が、黒い砂に変わり始めていた。
どうしたらいい、どうしようもない。おれが、おれを、ヤニ、ヤニ。来てくれ、どこだ、とめてくれ、やりたくなかったんだ、いてくれ、いやだ、とめて、ヤニ。
ふざけんなよ。
残った腕と、胴体を無理やり動かして、芋虫みたいにレオナに近付く。
ふざけんなよ。こちとらお前のせいで死にかけてんだぞ。なんで俺呼んでんだよ、ふざけんな。
ふざけんな、ふざけんなふざけんなふざけんな! おかしいだろ。アイツただのガキだったじゃねェか。ひねくれた、ちょっと賢いだけの子どもだったじゃねェか。あんまりだろ、何年あったと思ってんだよ、おかしいだろ!
なんで俺しか居ないんだよ!!
「ふ、ッ……ぅ、ぐ、う……!」
歯を食いしばって、力を込めて、とうとう腕が肩から落ちた。
あぁクソ怖い。死にたくない。クソったれ、やっぱガキなんて関わると碌な事ねぇ! 泣いてんじゃねぇよクソガキ!!
ふッ、ふぅッ、と息を吐いて、ぐずぐず泣いているレオナを睨みつける。立ち上がるための足もない、這いずるための腕も無くなった。腹の底から燃え上がる怒りとは裏腹に、視界の端からこぼれ落ちる砂ばかり綺麗だった。
綺麗だ。綺麗だと思う。金塊そのまま砕いたみたいな、温度がなくて、薄っぺらで冷たい輝きだ。硬くて平坦で、レオナには似合わない、つまらない輝きだ。
こいつが本当は何をしたかなんて知らない。今の俺みたいに、何もかも砂に変えたのかもしれない。どうでもいい。赤の他人がどうなろうと大して興味ない。カワイソウだな、でお終いだ。
少なくともレオナは俺にとって、賢くて努力家で、かっこよくってカワイくてよく泣いてる、いい子であろうとしてたクソガキでしかなかった。
だからいい。これでレオナを恨まない。子どもの悪戯許してやれなくて何が大人だよ。
ざらざらと、顔が崩れていくのがわかる。レオナがよく見えない。目に砂がぶつかって痛いのに涙は出なかった。
どこかの誰かは抱きしめてキスをするだけが愛情じゃないと言ったらしいが、それが一番わかりやすい方法であることは間違ってないだろ。だからそうしてくれって、アイツが言葉にしたから。大丈夫だって、出来るって、お前はいい子だって、なんの根拠もなく言ってやりたかった。
今なに言ったってもう遅くて、きっとなんの役にも立たなくて。無価値で、無意味で、上っ面の慰めにもならなかっただろうけど。
鬱々、ぐるぐる、毒を吐いて、世界を憎んで、自分を呪って崩れていくレオナに、なんとかして伝えたかった。
泣いている。
かわいいクソガキが泣いているから、いつもみたいに笑ってやりたかったのに。
声は出ない、手足も無い、涙だって流れないし、顔のほとんども崩れ去って、もう何一つだって出来やしない。
必死で伸ばしたお前の腕を、掴み損ねてしまったんだ。
「……ぇ……ぉ、」