夢と現実の判断をつけたいなら、息を止めると良いらしい。
 苦しい限りは、現実だから。
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 ふつりと、何かが断ち切られるように目が覚めた。安いマットレスから起き上がって、ゆるく手足を動かす。全身を襲う強烈な疲労感にため息を吐いて、首筋に、だらだら汗が流れていくのを感じていた。
 レオナを裏切ったあの日、半ばパニックになっていた俺は、レオナの元へ戻ろうと何度も鏡を叩く内、力加減を間違えて鏡を叩き割ってしまった。そしてあまりの騒々しさに様子を見に来た大家に、割れた鏡と飛び散った血液による惨状を見つかり、錯乱して怪我をしていると病院へ搬送。存外に深く切られていたらしい傷を縫い、薬を貰って、家に帰る頃には、流石に冷静になっていた。
 鏡という唯一の手がかりを失った俺は、眉唾の科学に、胡散臭いオカルト、おとぎ話。試せることを全部試したけれど、それも、いつまでも続けるわけにはいかなかった。
 生きていくには働かなくてはいけなくて、明日というのは当たり前にやってくる。
 汗で肌に張り付いた寝巻を脱ぎ捨てて、ベランダから取り込んだまま積んでいた服の山から、ズボンとシャツを引っ張り出した。
 いい加減現実見ろと、普通に(・・・)生活するようになって早二年。俺に残ったのは、牙がひとつと、手の甲の、レオナが付けた傷がひとつ。
 大家のババアは何を勘違いしたか、苦労しているのね、と随分気にかけてくるようになったし、バイト先や時々呼ばれるバンドの助っ人先ともそれなりな人間関係を築いて、悪くないな、って相手から、一緒にやっていかないかと誘いも受けた。
 二年。二年だ。順調なはずなのに、未だに未練があるのは、夢を見るからだと思う。
 思い出したように見るその夢の内容を、しっかり憶えているわけじゃない。それでも金色と、黒と、暗い緑、腹立たしくて悔しくて、そして最後に残る無力感は、いつだって俺にあの日のレオナを思い出させた。
 脱ぎ捨てた服を洗濯機に放り込んで、洗面台で顔を洗う。顔を上げても、無駄に飾り付けられていた鏡はもう無い。ただの壁になったそこを睨み上げながら、ぐっと唇を引き結んだ。穴の開いた耳にピアスを通そうと、迷いに迷ってやっぱり牙をつける。髪をセットして、上着を着て、ポケットに煙草を突っ込んだギターケースを背負って外に出た。薄暗い曇り空の下で、駅まで向かういつもの道には、経年劣化で白ぼけた汚ねぇ看板とまばらな街路樹。それを横目に流し見ながら、普通の茶髪と、くすんだ紫、ハゲ、黒髪。耳も尻尾も付いてない、普通(・・)の人間とすれ違う。そんな彼らが嫌な顔をするのを理解しながら、咥えた煙草へ火をつけた。別に、マナーを守れって言われたらそれまでだけど、駅前の喫煙所で吸うのは匂いが混ざりそう(・・・・・)で嫌だった。
(……女々し)
 ふぅ、と煙を吐き出して、まだ電気の付いていない店の窓ガラスに映った自分と目が合う。暗いガラスに、咥えた煙草の先だけがぼんやりと光っていた。
 元気だ。普通に飯食ってるし、人並みに夜更かしして、それなりに健康だし、そこそこ貯金溜まってきたし、いい奴見つけて順調だし。
「……だる」
 割と普通に過ごせてんのが、なんか虚しかった。
_________
 背中が冷えて、嫌に寒かった。喉が張り付くような気がして、けほ、と空咳をする。
 まぶしさに目を細めて上を見上げれば、空が赤く燃えていた。目の灼けるほど明るい、黄金の輝き。朱から橙、橙から金へ。そして淡く滲む青に、星の散る群青の、この世で最も美しい景色の中で、民が己を呼んでいる。何故、と考えて、そう。王になった(・・・・・)のだと思い出した。
 王になった。己が。
 誰も、何も、邪魔をしない。
 すべて許される。
 それは、なんて────
 けほ、ともう一度咳をする。空気が通る度に喉が痛む気がしたから、面倒になって呼吸を止めた。
 民が己を呼んでいる。望んでいたはずなのに、足が動かない。動くけれど、ひどく重くて、鉛よりもずっとずっと重くて、一歩だって進めば、千切れてしまう気がした。それでも、呼ばれているから、行かねばならない。息をしていないから苦しくないのに、何故だか息苦しかった。
 進むために足に力を込めて、それでも足りないから歯を食いしばって下を向いて、感じた眩しさに咄嗟に目を瞑る。すると鼻先を何かが撫でた気がして、息を吸わなくてはいけない気がして、喉が痛いのを我慢してすんと嗅ぐと、背後から、苦い煙の匂いがした。
 勢いよく振り返る。無理やり動かした足がざぐ、と何かに沈んだ。
 暗闇。何を待って居たのだろう。
 子どもの声と、男の声が、やわらかく己の名を呼んだ。
 呼ばれた方にゆるゆると視線を落として、落として、落として、足の下。黄金。
 何かだった(・・・・・・)それを、踏みつけていた。
 開け放たれた窓の向こうに、夜明けの近い空が淡く滲んでいる。冷えた汗を額に伝わせて、その青年は朝焼けの空を睨みつけていた。
 薄青と、紫。桃色に淡い金、柔らかな輝きは、決して夕焼けとは違う色をしている。
 最後の猶予を決めた時から、繰り返し夢を見ていた。その度に残る強烈な疲労感は、まるで泥に沈み込む様だった。横たわっていても尚重い体は起き上がる気力さえも奪う。
 目覚めの朝ではなく、眠りゆく夕、その瞬間に最も燃える国。ゆるやかに終わりへと向かう名を付けられたあの国は、青年の帰る、守るべき国だ。青年はそっと瞼を伏せ、脳裏に浮かぶそれに深く眉間へとしわを寄せる。
 朱に焼ける髪、ふたつの黄金。
 夢の中で滅ぼし、繰り返し踏みつける国土と人、そこに沈む歴史と文化は、この世で最も美しい、夕焼けの国。
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「マレウス・ドラコニアくんを殿堂入り選手として出場を見合わせて貰おうかと思うのです」
 棺を催した魔道具が浮かぶ鏡の間で、豪奢な黒羽のコートと、特徴的な仮面を付けた男が厳かに告げた。
 色とりどりの制服を纏った青年の内、鮮やかなイエローのベストを身に着けた獣人が男を睨みつけながら低く問い掛ける。
「……今年も俺たちが無様に負けるって言いてぇのか」
「いえ、うーん……私だって言いたくて言っているわけではありませんが、そうせざるを得ないのも事実でしょう? ドラコニアくんの了承は得ていますよ」
 そして仮面の男は、「サバナクローの寮長である貴方が一番わかっているのでは?」と続けた。狙ってか、狙わずか、その嫌味めいた言い回しに、獣人の纏う雰囲気がぐぅっと重くなる。
「……つまり、お前ら程度じゃ相手にならないんだよ雑魚、って言いたいんだな」
「いやですねぇ、そこまでは言ってないでしょう」
 重苦しい空気をものともせず、心外です! とでも言い出しそうなおどけた声。白金に薄紫の髪を持つ、一際美しい青年が鼻筋にしわを寄せた。彼はこの男の、神経を逆撫でするような立ち振る舞いをひどく嫌っていた。
 男の作り出した雰囲気を蹴り飛ばすように、獣人が、「ッは!」と苦々しく嘲る。
「どっちにしろ、お前らが勝てるわけねェって決めつけられた事に変わりは無いだろ」
「そー、ぉいうわけでは……」
「じゃあどういうわけだ? 説明してくれよ。ハイわかりましたって俺たちが、俺が頷くとでも思ってたか? え? 舐めやがって。そうやって決めつけられんのが一番嫌いなんだよ……!」
 ばつが悪そうに口ごもる仮面の男に、獣人が早口で捲し立てる。ごろごろと、喉の奥から響くような獣人特有の発声に、隣に座った熱砂の装束を身に纏う少年がやわらかく口角を上げつつもちろりと彼を窺った。
「グレート・セブンの彼の王は、努力と知恵で玉座を勝ち取った。力で敵わずとも、頭があるなら違うはずだろ」
「……うーん、オレは頭でもマレウスに勝てる気しねーけどなぁ」
「お前はな。だが俺は違う」
 ぴりついた場の空気に見合わぬ朗らかさ、まるで休憩時間の雑談のような調子で相槌を打つ少年を一蹴すると、獣人は仕切り直すように深く息を吐く。そしてぐいと顎を上げ、印象的な緑色の瞳を、周りに座る青年たちへと向けた。
「お前らもだ。これだけコケにされてまさか黙って居るつもりか。NRCは腰抜けの集まりだと? テメェの力を示す千載一遇のチャンスを、みすみす逃すつもりかよ」
「ほう?」
 思わず、と言った風に声を上げた、冷たい銀の髪の青年へ獣人が畳みかける。
「アズール、商売人のお前が、衆目の環境であのバケモノを倒した時の利益を考えられないわけがねぇ」
「おや……これはこれは。随分評価してくださっているようで。ですがまぁ……」
 冷たい銀の髪の青年、アズールは、体のいいきっかけとして釣られたことを理解して、くっと唇を歪ませた。
 NRCのマジカルシフト大会は、世界放映もされるものだ。大衆の面前で、一生徒とはいえ、世界屈指の魔法士として名を轟かせる、次期国王を下すとなれば様々な問題がある。
 しかし、NRCのマジカルシフト大会が、スポーツマンシップに則った学生大会(・・・・)である以上は、そうとも限らない。何故ならそれは、政治的思想の組み込まれない、学生の(・・・)切磋琢磨の結果でしかない。そこまで考えて、アズールはにっこりと完璧に計算された微笑みを返した。
 実際に勝てるかどうかは兎も角、いざとなれば、そう。この『一国の王子』が始めたことであるのだから。
 獣人は、言葉にして返さなかった彼の周到さに鼻を鳴らして、別の青年、仮面の男に不快を示した、一際美しい青年へと呼びかける。
「ヴィル、この手の話はお前が最も忌避するものだろう。それとも俺の見込み違いだったか」
「冗ッ談でしょ、やめて。馬鹿にしないで頂戴」
 ヴィル、と呼ばれた青年が、獣人の言葉尻に被せるようにして鋭く吐き捨てる。わかったような口を利かないで、と続けながら、肩にかかる髪を勢いよく、しかし品のある所作で払って、仮面の男をつん、と見下した。
「けど、ええ、そうね。アタシも学園長の提案はナンセンスだと思っていたわ」
 ヴィルは深々と眉間にしわを寄せて、心底不快そうに腕を組む。
「才能ある者を排斥する。……ふん。そうよ? えぇそうですとも。アナタの言う通りよレオナ。アタシ、こういうの嫌い」
 嫌な物でも嗅いだかのように人差し指を鼻先に寄せて不機嫌さを表す、その姿さえ美しい。彼にゴミを見るが如き視線を送られ、しょんぼりと肩を落とす仮面の男へ向かって、動向を見守っていた赤い髪の小さな少年が彼らへの賛同を示す。
「ボクもヴィル先輩方に同意します。一魔法士としても、戦う前から逃げ出したくはない」
 静かに、しかし言葉尻ははっきりと告げた赤い髪の少年を見遣ってから、レオナと呼ばれた獣人はふたつ隣にあるタブレットちらりと見て、すぐに隣へと視線を落とした。
「なーぁカリム? せっかく七人も寮長がいるのに、一人だけ仲間外れなんて……カワイソウだと思わないか?」
「んー……」
 熱砂の装束を纏った少年、カリムは逡巡するような声をあげながら、わかりやすい猫なで声で頬杖をつくレオナをじっと見つめ返した。笑顔を絶やさぬ少年が笑みを消すと、手入れのし尽くされたジュエリーのような赤い瞳は途端に底知れぬ印象を与える。
 カリムはそのまま、ゆっくりとふたつ、瞬きをして、そして驚くほど軽やかな笑みで返事をした。
「まっ! みんなで一緒にやった方が楽しいもんな!」
「……なに? この流れ。なに熱くなってんの? 別によくない? 僕だけな感じ?」
 薄いタブレットからぼそぼそとした低い呟きが聞こえてくるのを無視して、レオナは仮面の男、学園長へと向き直る。
「全寮長の内の過半数がこう言ってる。それでもやるか? クロウリー」
「ぐぬぬ……いいでしょう。仕方ありません。ですが今年も状況が変わらない様であれば、今度こそ彼を殿堂入りにさせていただきますよ」
「勝手にしろ」
 レオナはそう言うと、椅子を蹴るようにして立ち上がった。そして学園長の対面、長机の奥の空席に舌を打つ。苛立ちも露わに身を翻すと、「待つんだ!」と声を張る赤髪の少年の声を背に受けながら、鏡の間から出て行ってしまった。
「あー……拙者はガン無視ですか。はいはい今年も難易度ハイパーウルトラアルティメットルナティックって事ね。ただでさえインドアな拙者達には面倒な行事だってのにやってらんないよホント。最&悪。クソゲー。解散」
 言うや否や、タブレットの画面から魔法陣が現れ、ジジッ、とぶれるようにしてタブレットが消える。学園長はやれやれと嘆息し、ウチの生徒はどうしてこうも反抗的なんでしょうねぇ、と頭を振った。
 肩を竦めたアズールが、気を取り直すようにぱちん、と顔の横で手を合わせる。残った全員の視線が集まったことを確認すると、またにっこりと完璧な微笑みを浮かべた。
「それでは今日はここまでのようですので、各自、必要書類の提出をお願いしますよ。……あぁ勿論! 忘れてしまっても大丈夫。心配しないで? 御安心を」
 なにせ僕、慈悲の精神を掲げるオクタヴィネルですから、と続ける彼の、妙に癇に障る笑顔の中、うっすらと開かれた瞼の下で、彼の髪と同じ冷たい色が微かに瞬く。
「お代さえ頂ければ、ね?」
 ぴる、と大きな耳を震わせて、一人の獣人の少年が呟いた。
「お、帰ってきたかな」
「レオナ寮長?」
「そう」
 サバンナの水場を催したサバナクローの談話室に、たくましい青年や、獣の特徴を持つ少年たちが集まっていた。それまで話をしていた同郷に返事をしながら、ハイエナ族の少年、ラギーはじっと談話室の入口を見つめる。
「……なんか怒ってね」
「……かも?」
 一緒に入口を見つめていた同郷がぺそりと耳を伏せて言うのに同意して、ラギーは珍しいな、と強く思った。獣人以外にはまだ聞こえないだろうが、鏡舎に繋がる廊下から、大股で、強く威圧的な足音が聞こえてくる。
 足音が談話室に近付いてくるにつれ、ちらちらとラギーに送られて来る視線が増えていく。
 レオナはサバナクローに置いてよき寮長、よき先達であり、実力主義のこの寮の中で誰よりも慕われる男だったが、夕焼けの草原の出身が多いサバナクロー寮生の、特に獣人族にとって、ライオンである、つまり、いと気高き百獣の王の末裔であると言う事は、時として強烈な畏怖の対象に変わった。
 生まれながらにして統治者の一族。仰ぎ見るべき種の頂点。
 そのせいか、レオナに一切の気後れせずに話しかけられるラギーは、実質的に副寮長のような役目を果たしていた。
 レオナとは対照的に、嫌われ者のハイエナ(・・・・・・・・・)は、入学当初の扱いを思い出して皮肉気にゆるく唇を吊り上げる。そして立ち上がって、談話室の出入口へと向かった。
「おかえんなさーい、レオナさん。ずいぶん機嫌悪そーッスね。ドラコニアにでも絡まれました?」
 言ってから、これは間違えたな、と奥歯を噛みしめる。キュウ、と視界の端で同郷が背中を丸めた。
「……ラギー」
「ハァイ」
 ラギーは制服の中にしまった尾をぶわりと逆立てながら、なんでもないように返事をする。常よりも低く、常よりも淡々とした無機質な声は、本能的な恐怖心を撫でられている様だ。ラギーは罵声や喧騒と共に生きてきたから、こういう威圧をされるのは少し苦手だった。
 ラギーにとってレオナとは、あまり怒らない人だ。正確には、あまり怒りを外にぶつけない人。パフォーマンスとして苛立っているように見せることこそあるが、本当に不機嫌な時はいつの間にか居なくなっていることの方が多いし、実の所、本気で怒鳴りつけているのは寮生が箒でふざけて落ちた時くらいしか見たことがない。
 だからこそ、こうして苛立ちを表に出していることが珍しいのだが。
(ぶん殴られて怒鳴られた方がずっとマシだっての)
 いつの間にか談話室は静まり返って、その場にいる全員が二人の事を息をひそめて窺っている。再びの呼びかけは、ハイエナ、という彼の種族の名。わざわざ種族として呼ばれたことに、ラギーの眉がぴくりと引き攣った。笑みの形に伏せていた瞳に僅かな剣呑さを映しながら開き、ケンカを売られているのか? と、祖国が誇る美しい王子のツラを視界に捉える。黙り込んだままラギーを見つめ、ただのっぺりとした無表情を浮かべるその顏に、だったら高く買ってやろうじゃねぇかと、ラギーは頭の後ろで手を組んだ。
「あんです? ライオンサマ」
 意趣返しのように呼ばれたそれに、談話室のあちこちから息を呑む声が響いた。上に立つもの特有の多少の横暴さはあれど、レオナは決して暴君のような振舞いをしたことは無かったが──レオナの助力か、ラギーを守るためか。数人が腰を浮かせてマジカルペンに手を伸ばしている。室内のどよめきも意に介さず、挑発的に下から睨み上げて言い放つラギーの姿に、レオナは微かに目を細めて呟いた。
「お前は、」
「はい」
「……もしも」
 ラギーはなにを言われても必ず反撃してやろうと、ガリガリと歯を擦り合わせながら彼を見返していたが、レオナの眼差しに侮蔑だとか、嘲りだとかが乗っていないのを見て取ると、訝し気に眉を顰めた。
 深いグリーンの瞳が、ゆらゆらと惑うように揺らめきながらラギーを見下ろしている。
「生涯一度……千載一遇の、チャンスが。目の前に転がってきたらどうする」
 あまりにも脈絡のないレオナの問い掛けに、ラギーは思わず「はァ?」と胡乱な声を上げた。学園内において、身分の差とは形式的に消えるものだが、それを差し置いたとて不躾な声色だった。
「どうするったって……そりゃあ、一二もなく飛び付くでしょうね」
「それが例え卑怯者の誹りを受けるとしてもか」
「ひきょおものォ?」
 鋭く返ってきたレオナの言葉を、ラギーは間髪入れずに馬鹿にした。シシッ、と歯の隙間から空気を吹き出すように笑う。
「じょーおとォじゃないっすかァ? アンタ今更何言ってんです。ハイエナっつったのはそっちでしょ? チャンスがあんのに掴まないなんて、バカのすることッスよ」
 ラギーの言葉に、おしゃべりな獣人がウンウンと頷いた。能天気に反応するその同郷に呆れながら、「そもそも、そこで立たねぇ奴がこの寮に振られるわけ無いんスから」とラギーは続ける。
 サバナクローには、百獣の王の精神に基づく、不屈の魂が割り振られる。
 不屈とは、どんな困難にもくじけず、負けず、何者にも服従せずに、意志を貫くこと。
 レオナは苦し気に顔を歪め、ラギーと、談話室に集まった寮生たちをゆっくりと見回した。奇しくも集まっているのは、夕焼けの生まれと、今年で最後になる三年生ばかり。
 レオナは葛藤を飲み込むように目を伏せ、そして最後に、己の国で最も忌避される種の少年を見た。
「……ラギー」
────不屈とは、意志を、貫くこと。
 瞬間、咆哮。
 ラギーの返事を待たず、レオナの口から獅子の咆哮が轟いた。祖先たるライオンの、8km先まで届くそれには及ばずとも、寮の中に響き渡った呼び声に、何事かと寮生たちが飛び出してくる。
「れ、レオナ、さん……?」
 流石に僅かな怯えを乗せながら、ラギーがレオナに声を掛ける。レオナは厳めしく眉を顰めながら彼に視線を送ると、その隣をすり抜けて、ゆっくりと談話室の中心へ進んだ。
「今年も地べたを這いずって、ディアソムニアの茶番の踏み台になりたい奴は居るか」
 大きくはないが圧のある精悍な声が、静まり返った談話室に響く。レオナはぐるりと寮生たちを見回して、淡々と続けた。
「……去年、一昨年と実力も発揮できず、マレウスの遊びの練習台にされて、面白おかしく世間の奴らに小突かれて、さぞ悔しい思いをしただろう」
 集まってきた者の内、気の弱い者や、諦観気味だった者を見つめると、レオナは静かに息を吐く。
「学園長を含めた今日の寮長会議で決定が出た。今年の大会が終わればヤツは二度と表舞台に立たない。不屈を掲げるこの寮に居て、まさかこのまま黙っていたい、臆病者(・・・)はここに居るか」
 わかりやすい挑発に、数人がぐっと眼光を鋭くした。あからさまに顔色を変えた彼らを睨み返して、レオナはなおも続ける。
「お前たちは……勝ちたくないのか? 見返したくないのか。殆ど出来レースひっくり返して、テメェらが勝つと思い切った馬鹿共のマヌケ面、指差して笑ってやりたくないのか……ッ?」
 押さえつけた熱によって震える彼の声に呼応して、「勝ちたいに決まってんだろ、」と、牙を剥き出しにして唸る者がいる。ラギーはどこか冷静な頭で彼と、仲間たちのその様に、火花の様だと、微かに思った。
 サバナクローに属する多くの寮生にとって、大会とは自分の将来を左右するのだ。スラム育ちのラギーのように、文字通り人生が懸かっている者だって少なくはない。そうでなくたって、戯れに誇りを足蹴にされて、遊びで未来を潰されて、大人しくして居たい奴とはどれほど居るのだろうか。
 なにがあっても決して折れずに、どんな事をやってでも足掻き続けるのが不屈じゃないのかと、レオナは言った。お前たちはそんな魂を選ばれてここに居るのではないのかと。
 その通りだった。去年一昨年と大会に参加した者は、見ていた者は。多かれ少なかれ皆鬱屈した思いを抱えている。
 黙っていたいわけが無い。泥土に塗れたって誇りがある。世界屈指の魔法士だとか、偉大なるグレート・セブンの孫息子だとか、そんなものは知らない。
「勝ちたい奴らは声をあげろ。牙を研ぎ爪を磨き立ち上がれ! 雌伏の時は終わりだ!!」
 ぞわぞわと、尾の付け根から立ち上る酩酊感が、脳髄を痺れさせるようだった。準備をしろと吼えるレオナを、獣人も、人も、人魚も妖精も、皆が牙を剥いて睨み上げている。
「俺にどこまでもついてくるというのなら!!」
 レオナは寮杖を呼び出すと、殊更に大きく振って地面に叩きつけた。練り上げられた魔力によって吹き抜ける風が、レオナの長い髪を乱して表情を隠す。
「……お前たちは頂点に立つ」
 乱れた髪の隙間から、祖国によく似たその瞳が、焦げるように燃えていた。
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 サバナクローの足音はわかりやすい。ぼごぼご、ごどごどと濁った重たいブーツの音を鳴らしながら、寮生たちが石畳の廊下を連れ立って歩いている。そのうちの一人、長い二本の角を持った小柄な少年、ガゼルの獣人が、ぼんやりと夢見心地で呟いた。
「……昨日、レオナ寮長、すごかったな」
 比較的気が弱く、いつも周りを窺いがちな彼にしては珍しく、興奮したように頬を赤く染めている。彼の寡黙な同室が静かに頷いた。それを横目で流し見ながら、派手な斑と太い尾、ヒョウの特徴を持つ青年がぼそりと繋ぐ。
「……あの人、やっぱライオンだったんだな」
「ッたりめぇだあに言ってんだテメェ!!」
 まだら色の髪と大きな耳、リカオンの特徴を持つ青年が、弾かれたように彼を怒鳴りつけた。なおも言い募って来そうな雰囲気にオェ、と舌を出して、ヒョウの獣人が隣の大男にリカオンを押し付ける。
「仕方ねーだろオレあの人と関わり無いんだから。つか大体の伝達ラギーがやってんじゃねぇか。寮長がつえーのは知ってっけど、ライオンってだけで……なんか置き物だと思ってたんだよ」
「いや、まぁ……熱くなってんの見たことなかったし、わかりはするけど……」
「あれ見たらンな事言わねーけどさ。流石にやっぱ、王の末裔なんだなって実感したぜ」
 ただでさえ下がっている眉を綺麗なハの字にして相槌を打つガゼルに、ヒョウの獣人が肩を竦めて答えると、寡黙な大男がまたもこくりと頷いた。
 特に意識して集まったわけではないが、この場にいる四人は、全員が夕焼けの草原で生まれ育った獣人だった。彼ら夕焼けの獣人にとって百獣の王とは、今の夕焼けの草原を造った建国の祖にして、無二の王。それ以前に、異国の獣人や人間族、その他種族には理解出来ぬであろう、神ならざる唯一の信仰対象だった。
 現代社会において彼らも強い信仰心を持っているわけでは無かったが、百獣の王に連なるライオンに、群れを率いる種としての特別な信心はある。
「っだよオメーら! レオナさんが超絶かっけーライオンってことなんざ入学した時からわかってたろーが!」
「でーぇたぜ。レオナサン信者」
「ウッセバーカ、一応言っとくけどオメーがレオナさんと同じ事しても気取り屋の派手猫がなんか言ってるとしか思わねーぞ」
「んだとォ?」
 威勢よく吼えるリカオンの獣人を鼻で笑えば、思いもよらぬ反撃にヒョウの獣人の頬がひくつく。群れ、つまり集団行動が多い獣人の中で、ヒョウの個人主義は比較的有名で、それを他の種の獣人に気取り屋と称されることはままあるが、派手猫(・・・)とは言ってくれる。
「まだら犬(・・・・)が言うじゃねぇか。大体オレ達は、ライオンと違って群れを率いる願望なんて無いから良いんだよ」
「い、ぬ! じゃなくて、ワ、イ、ル、ド、ドッグ! な? 威厳のまっっっったく足んねぇオメーがライオンに産まれなくてよかったでちゅねー?」
「……上等だおいヒョウの牙の鋭さ味合わせてやらァッ!!」
 ガァッ! と吼えたヒョウの獣人を避けて、リカオンが走りだした。伸ばされた手をひょいひょいすり抜けて、スクールに通う前の子どものように指を差して駆けていく。
「お? お? お? お? やっすい挑発乗っちゃって? レオナさんと違って無駄吠え多くって? 威厳が無くって気取り屋でぇーー!?」
「まッッて、オッラてめぇ!!」
 げらげらと大声で笑いながら、リカオンらしい速さでどんどん見えなくなっていくまだら髪の青年。それを追いかけるヒョウの獣人を見送って、ガゼルの獣人は残った大男に「あいつの怖いもの知らず、すごいよなぁ」と笑った。ぼごぼごと足音だけが響いて相槌は無いが、喋りが苦手な彼とはいつもの事だ。別にそれを不快に思ったり面倒に感じたことは無かったが、レオナさんレオナさんといつまでも喋り続けるリカオンと足して割ったら丁度良いのに、とガゼルの獣人は常々思っている。
「……ん、どうかした?」
 実験棟から鏡舎まで続く廊下は、基本的に人通りが少ない。ガゼルはブーツの足音が一人分しか無くなっていることに気がついて振り返った。立ち止まっていた彼は、不思議そうに首を傾げているガゼルとちら、と視線を交わらせて、俯きながら並ぶ。ティーンとは思えぬほど飛び抜けた長身の彼と、比較的小柄なガゼルでは下を向いていてさえ表情が見えるから、彼が何かに悩んでいることはわかりやすかった。ガゼルは一瞬だけ、残った移動時間と、次の授業の担当教師を思い浮かべたが、即座に歩く速度を落として彼をのぞき込む。
「なんか悩んでるか? おれ……じゃなくてもいいけど、手貸す? 一人でいけそう?」
 よく勘違いされがちだが、サバナクロー寮生は面子や誇りを大切にしているだけで、誰彼構わず攻撃するわけではない。むしろ獣人族に限らず、身内の問題ともなれば他を蹴ってでも協力するという仲間意識の強い者が集まっていた。なかなか話し出さない彼を根気強く待って、「おれが嫌ならあいつら呼んでくる?」と廊下の向こうを指差すガゼルに、彼はぎゅう、と眉を下げる。そして彼の唇が少しだけ動いたのを見て、ガゼルの獣人は駆け出そうとしていた足を止めた。
「……殿下、苦しそうだった」
 でんか? と胡乱な声を上げそうになって、ガゼルは慌てて口を引き結ぶ。間違ってはいないが、そういえば、彼らの種族は特に夕焼けの王族への信仰が深いのだった。
「苦しそうだったって……いつ?」
「……ラギーと、話してる時」
 ガゼルは左上を見上げながら、昨日のレオナの様子を思い出す。まず初めに浮かんで来るのは勇ましさや威厳で、談話室に入って来た時も、苦しそう、というよりは──
「いや、怒ってた……く、ない、か……?」
 困惑したように言葉を詰まらせるガゼルに、彼はふるふると首を振る。巨体に見合わず、幼い仕草で否定する彼に困りきって、ガゼルは小さく髪を掻いた。
「……まぁ、あの、あれだよ。レオナ寮長には、レオナ寮長なりの苦労があるってことじゃないかな。大会近いしさ、マレウス・ドラコニアのこともなんか色々考えてくれてるみたいだし。おれたちは……もう、めちゃくちゃ練習して、なにか力になれそうな事があったら全部やってこうぜ」
 ガゼルはぱしぱしと軽い力で彼を叩いて、「なんでもやれってレオナ寮長もいってたからさ」と曲がった背中を伸ばしてやる。それでも肩を落としたままの彼が、「なにか、って、何」と呟いた。
「なにって……おれたちでも出来る事……うーん……なんだろうなぁ……」
 うろ、と視線を彷徨わせながら、ガゼルはがつがつとかかとを踏み鳴らす。困りごとがあるときの彼らの癖だった。
「……レオナ寮長、言ってくれたらなんでもやるのにな」
 ぽつりと呟いて、思ったよりも響いたそれに自分でも落ち込んでいることに気付く。
 ガゼルだって戦いたかった。その場所を、チャンスを、作ってくれたレオナの、役に立ちたかった。いつの間にか視界に映る爪先にハッとして顔を上げ、「行こうぜ!」と気を取り直すように友の腕を引く。そうして階段に繋がる道を曲がる直前、突如響いたヒョウの怒鳴り声に二人で顔を見合わせた。
 角からそっと様子を窺うと、先に行ったはずのヒョウがポムフィオーレ寮の生徒と言い合いをしている。ガゼルはまた彼の怒り癖が出たのだろうかと少し呆れたが、ぶつかってきたのはそっちだろうが、という言葉と、ヒョウがまるで、階段から落ちるリカオンを助けたかのように引っ張り上げた事で表情を変えた。
「てめッ──っ!」
 威勢よく飛び出そうとしたガゼルの肩を、大きな手が掴んで止める。仲間が害されたというのに何を止めるのだと振り返った。
「なに!」
「……アイツ、」
 去年の、と続けた視線の先、睨みつけたポムフィオーレ寮生には確かに見覚えがあった。ガゼルの記憶が正しければ、あれは去年の大会でポムフィオーレ寮のディフェンスを担っていた生徒だ。ばしりと叩きつけられた手袋に目を細めて、ガゼルの友は低く言う。
「……邪魔だったよな、アイツ」
 ガゼルは目を見開いて、友の顔を振り返った。同じ草食動物の獣人とは思えぬほど恐ろしい顔立ちの彼が、敵を見る目で睨みつけている。
「……俺たちに、出来ること」
 叩きつけられた敵意の証と、群れを害する敵、その背後に広がる階段。
 ガゼルはもう一度友を見て、自分たちの敵を見て、そしてゆっくりと目を吊り上げ走りだした。残された彼は、己の額から左右に伸びて天へと曲がる、大きなツノをぶんと振る。
 ばさばさとした黒髪に、悪魔のような顔立ち。飛び抜けた長身の骨は太く、筋肉に覆われた身体は厚かった。その額にあるのはガゼルと同じ偶蹄目、草食動物の証だが、群れとなった時、彼の祖先は獅子さえも殺す。
 彼の名はロヌ。ロヌ・ワイルドビースト。百獣の王の先駆けとして、彼の王の兄をも踏み殺した野獣達。
 ヌーの血を引く獣人が、足音重く踏み出した。
______________
 背中がひりついて、妙に熱かった。喉が張り付くような気がして、けほ、と空咳をする。
 まぶしさに目を細めて上を見上げれば、空が赤く燃えていた。目の灼けるほど明るい、黄金の輝き。朱から橙、橙から金へ。そして淡く滲む青に、星の散る群青の、この世で最も美しい景色の中で、民が己を呼んでいる。何故、と考えて、あぁ、また夢を見ているのか。
 喉の痛みが煩わしさに、いつも通り息を止めた。どうせ苦しくも無い。そして目を瞑れば、もはや憶えてもいない香りが鼻先を掠めるのだろう。
 いつもより動かしにくい足を無理やり動かして振り返る。誰かが己を呼んでいた。
 びちゃりとなにかを踏みつける感触。常ならぬそれに驚いて目を開けば、視線を下に向けるまでもなく、脚に纏わり付く重さの正体を知る。
────ぇ……ぉな、さ、ん……
 毒のように揺らぐ、緑の炎。見慣れた面々の焼けた腕。
 踏みつけた紅が、彼らを赤黒く染めていた。
──急速な目覚めは、授業終了を合図するベルの音だった。
 レオナはど、ど、と跳ねる心臓を聞きながら、戦慄く身体を押さえつけるように深く呼吸をする。
 ゆめ、夢、夢だ。夢の中でさえ理解していたはずだ。
 穏やかな午後の気配に、ざわめきと共に周囲の生徒が立ち上がる音がした。レオナは伏せた机に長く息を吐き出して、そしてトン、と背中へ触れた感触に弾かれたように振り返る。
「……御機嫌よう(ボンジュール)……?」
 ハンズアップの姿勢で驚いていた青年が、癖のない猫毛を揺らして、教室で会うのは久しぶりだね、と困惑気味に笑った。
「……ルー、ク」
「あぁ(ウィ)! 顔色が悪いよ、獅子の君(ロァ・ドゥ・レオン)。大丈夫かい?」
 レオナはため息を吐いて顔を覆う。動揺していたとはいえ、これ(・・)に接触を許すほど油断していたのかと舌を打った。
「関係ねぇ」
「そんなつれないことを言わないで、心配くらいさせておくれ」
「生憎と、愛想ってモノを母親の腹の中に置いて来たんでな」
 ルークは棘のある言葉にくすりと笑う。体調が悪いのであれば出直す事も視野に入れていたが、もはやその必要は無いように思えた。まだ少し血の気が足りていなように見えるが、己を鋭く捉えるレオナの目付きに、やはり彼はこうでなくては、とルークはじんわり頬を染め、そしてそのまま、湧き上がる衝動に逆らわず口を開いた。
「嗚呼、キミと話をする度に、キミの魂に宿るサバナクローの精神をまざまざと感じさせられるよ! 私には麗しのヴィル、美しき毒の花が居るが、獅子の君(ロァ・ドゥ・レオン)、キミのための狩人になれない事が残念で仕方がない。時折夢想するんだ、もし私がサバナクローに入っていたらと! もちろんサバナクローだけとは言わないが、そうだね例えば────」
「……くどい……」
 脈絡のない話の飛び方、舞台演劇のように飾られた身振りに、レオナは唇の隙間からうんざりと吐き落とす。この、自分の琴線に触れたものに限って自己中心的、かつ回りくどくて無駄に劇的で、おおげさにロマンティックな男を相手取るのは……そう、体力が要るのだ。
 とはいえ、このまま無視するというのも借りを作るようで気に喰わない。レオナはぺらぺらといつまでも話し続けるルークに、痛む気がしてきた頭を押さえてため息混じりに言った。
「……用が無いなら俺は行くぞ」
 ルークはきょと、と瞬いて、それから照れくさそうに頬を隠す。
「すまない。熱中してしまうのは私の悪い癖だね」
「本題はなんだ。長々話を聞いてやるつもりはねぇ」
「あぁ……いや、その……」
 急に勢いを無くし、いつになく言葉尻を濁らせるルークに、レオナは不審気に片眉を上げる。
「キミが把握していて、その上で良しとしているならそれで……うん、良いんだ」
 レオナの尾がゆらりと揺れた。過度な装飾こそすれど、滅多に言葉を詰まらせる事の無い男が言いあぐねるような態度を取っている。続きを促す意味で顎をしゃくれば、ルークの顔がくしゃりと歪む。
「……獅子の君(ロァ・ドゥ・レオン)、私に、吟遊詩人(トルバドゥール)や小説家(ロマンシア)のような、幾億の言葉の選択肢がない事が悔しいよ」
 そう言うと、ルークは覚悟を決めるように強く目をつむった。そして羽飾りの付いた帽子を外し胸に押し当てると、身分の高い者に対する礼として静かに腰を落とす。
「キミを、……国興し(くにおこし)の祖、彼方の星の王の末裔。いと気高き獅子たる貴方を、どうか侮ったり、侮辱したりするつもりではない事を知っておいて欲しい」
 もはや王宮ですら聞くことの少ないその呼び方に、レオナは静かに息を呑む。宮仕えの中にさえ知らない者がいるだろう。それは草原の古い民が、キングスカラーのライオンを表す最も敬意を込めた呼び名だった。信心深い一族でもないこの男が何故、とレオナは思ったが、それほどまでに思う所があったのか、と見当をつけて、ただ黙って聞いていた。
「……どうか、気を悪くしないで」
 それからルークは、サバナクローの寮生が、ここ数日でいくつもの問題を起こしていると言った。些細なことで騒動になり、いつにも増して攻撃的であると。
 わざわざ儀礼的な呼び名まで出しておいて、とレオナは一瞬拍子抜けするような心地だったが、ルークの顔が緊張に強張っているのを見止め動きを止めた。こくりと喉を鳴らすさまに薄く目を細めると、それから故意に呆れて見せ、バカにしたように手を振った。
「自覚無いのか? 喧嘩っ早さでお前ら(ポムフィオーレ)が言うんじゃねぇよ」
「……Oh-lala、耳が痛いね!」
 虚を突かれたように動きを止めたルークが、困ったように破顔した。その様子に、レオナはフンと鼻を鳴らして腕を組む。
「大体、この時期になると気が立ってんのは何処も同じだろ。いつものことだ」
「そうでは、あるんだが……」
 曖昧に続けるルークの煮え切らない態度に、レオナの顔つきがイライラときつくなっていく。いつまでこんなやり取りを続ける気だ、と組んだ腕に指を叩きつけて言った。
「さっきから何だ、お前らしくもねぇ。言いたいことがあるならはっきり言え」
 ルークは怖気付いたように顎を引き、教室に残ったクラスメイトたちに目を向けた。そして彼らから離れるようにレオナを壁際に促すと、帽子を顔の横に添え、レオナの耳に合わせて少しだけ背伸びをする。
「……怪我人が、出ているよ。聞いている?」
 薄い唇から囁かれた不穏な言葉に、レオナは訝し気に顔を顰める。ルークは「知らないんだね」と悲し気に言った。
 曰く、ポムフィオーレの寮生と、サバナクローの寮生が口論の末、揉み合いになり階段から落下。サバナクローの寮生は軽傷で済んだが、ポムフィオーレの寮生は骨を折った。
「大きな怪我をしたのはまだウチだけだけど、彼だけじゃない。他寮でも似たような事が起こっているんだ」
 そしてその誰もが去年の大会に出場していた生徒という事は、果たして偶然と言えるのか。
 ルークは一歩離れると、被りなおした帽子の鍔で目元を隠して言った。
「……ラギーくんは、やっぱりキミに伝えていないんだね」
 レオナは見開いた眼をゆっくりとルークに向け、ひくりと唇を震わせた。
 手持ち無沙汰に指を擦り合わせると、ルークは「心配なんだ、」と続ける。文化芸術に造詣の深い両親と、その家柄によって、ルークの身なりや立ち居振る舞いは輝石の国や薔薇の王国のそれに近い。それでも確かに、彼も夕焼けに産まれた民である以上、NRCに入学した自国の民にとってこの大会がどれほど重要な物かは理解していた。
「余計なお世話だとは思ったけれど、こんな乱暴な方法、キミのやり方ではないと思って」
 サバナクローに副寮長は居ない。それはレオナの隣に立ち続ける度胸や実力を伴う者が居ないからでもあるし、実力主義を語る以上、自分の事は自分で片せという寮内の風潮からでもあった。
 しかし。ハイエナにとっての自己保身もあっただろう。入学して以来、ラギーは流れるようにレオナの副官のような立ち位置に付いた。顔が広く耳が早く、頭の回転もいいともなれば、種への不満があれど自ずと認められていく。いつからか、サバナクローで何かあればまずラギーへ届くようになっていた。
 そのラギーが、レオナに対して何も伝えていないと言う事が、一体どういう意味を持つか。
「貴方はとても、やさしい人だから」
 するりと口から零れ落ちたそれに、ルークはハッと口元を抑える。観察対象として彼を見続けて、それが年上の同級生へ向けてか、自国の尊い王子へ向けての言葉だったのかは、ルーク自身にもわからない。しかし、それを決して口に出すべきではなかった事は自覚していたし、慌てて彼を窺って、己の迂闊さが、このライオンの矜持をひどく侮辱し傷付けた事はわかった。
「まっ、違うんだ! 今のはッ──」
「あ、いたいた。レオナさーん!」
 遠くから響く呼び声に目を向けると、廊下の向こうから、ラギーがひらひらと手を振っている。ラギーはレオナの隣に立つルークを目に入れるとゲ、と顔を引き攣らせたが、いつものように昼食を届けに来たのだろう。その腕には紙袋が抱かれていた。
「……狩人殿の御忠告に感謝するぜ」
「待ってくれ! レオっ、」
 離れていくレオナに、力になれることがあれば声を掛けて欲しい、と引き留めようと慌てて腕を伸ばした瞬間、ルークはぴたりと息を止めた。いつの間に手袋を外したのか、鋭い爪を持つ褐色の手が、ルークの動脈と気管を正確に押さえつけて首を覆っている。
「お前は、本当に、鬱陶しい奴だ」
 ゆっくりとルークを壁に押し付け、口は禍の元って言葉を知らねぇのか? とレオナはささやいた。そろりと近寄ってきたラギーが、何も言わずに壁へと寄りかかる。ルークは自分の姿が周りから隠されたことを理解しながら、それでも、これだけは伝えなければならないと口を開いた。
「きみの、力になりたいんだ。……一人の、友人として、」
「……ハ、」
 嘲りともつかぬ渇いた吐息。鈍い痛みと、ぷつ、と肌の裂けた感覚に、ルークは反射的にマジカルペンへと手を伸ばす。その手首を素早く捕らえ、レオナは静かに続けた。
「おやさしい(・・・・・)事だ。御自慢のスニーキングでヴィルの手足でも叩き潰してきてくれるのか? ……ハ、出来ねぇよなァ、中身が無いんだよ、お前。一体何が出来るって? 善人ヅラして理解者ぶるのは気分がいいだろう」
 馬鹿にするんじゃねぇ。レオナは吐き捨てた。
「ルーク・ハント。俺は寛大だが、寛容ではない。余計なお世話だとわかってんなら口を噤むと良い」
 どくどくと早鐘を打つ血の流れを、つめ先で掠めるようにして撫でる。握り込んだレオナの両の手のひらの下に、夕焼けの命がひとつ委ねられている。
「……狩人殿の、御忠告に、感謝するぜ。……次は無い」
 突き放すように低く告げ、レオナは今度こそ踵を返した。軽い足音がそれに続き、悪戯っぽい笑みと共にルークへ手が振られる。
「ばいばいルークくん。これに懲りたら、あちこち口ばっか出してくんのは止めることっスよ」
 シシッ、と笑みを零して、ラギーが駆軽やかに駆けて行く。ルークは押さえられていた首をそっと撫で、大小異なる二人の背が消えていくのを、ただ黙って見つめていた。
 サイズの合わない靴音が己の後ろに着くのを聞いて、レオナは静かに奥歯へ力を込めた。
「俺に言ってない事があるか」
「んぇ?」
 思ってもみなかった問い掛けに、ラギーはパカリと口を開ける。レオナの厳しい顔付きに、なんかしたっけな、と少し焦りながら記憶を辿るように視線を上へ巡らせる。
「んー……あ、ロヌがしくって足ひねったことッスか? にさんちで治るっぽいんで、問題ないッスよ」
 しくじり(・・・・)。失敗を意味するその言い回しに、レオナはぐっと眉を寄せた。間抜けッスよねぇ、ラギーが笑う。
「……ポムフィオーレと揉めたらしいな」
「あ? なんだ知ってんじゃないッスか。もしかしてそれでルークくんに絡まれてたんです?」
 カッと唾を吐く真似をして、ラギーは中空を睨みつけた。
「めんっどくせぇな、喧嘩売ってくる回数ならどっこいだろ」
「……ラギー、」
 掠れた遠い呼び声に、ラギーはふと振り返った。いつの間にか、ラギーはレオナを置いてずっと前に進んでいる。
「怪我人出してるそうだな」
「あぁ……まぁ、そうッスね?」
 それがなんだ、とラギーは首を傾げた。言いたいことを押し殺しているような、何かを恐れるような表情をするレオナに、何故そんな顔をしているのだろう、と不思議に思って口を開く。
「そりゃ、動けないくらいボコボコにしたんなら流石にマズいと思いますけど……え、なんか言った方がよかったです?」
 ラギーも、最近寮の連中があちこちに手を出している事は知っていた。が、苛烈な気性の生徒の多いNRCに於いて、小競り合いや、些細な怪我は珍しくない。だからこそいつも通りにしていたし、一々報告するような事はしなかったが、レオナがこれだけ拘るのなら何かあったと言う事だろう。
 やっちまったなぁ、ラギーはがりがり首を掻いて言う。
「や、でも、いつも通りッスよ? 怪我っつったってたかが骨折ですし……丁度良いじゃないッスか! アンタが火ィ着けるから、みんな気合い入ってんスよ」
 レオナは表情を厳しめて、ハイエナを強く睨みつけた。小競り合いも怪我も、日常における学生の喧嘩だからこそ許されているのだ。大会という生徒の将来を左右するこの時期に、それを故意に引き起こすなどどうかしている。睨まれたラギーは、気まずげに視線をうろつかせると、へらりと笑って言った。
「あー……バレてんのがマズいなら、オレ、手足の一、二本くらい、もっと上手く取って来ますケド」
 馬鹿な事を。レオナは拳を握りしめた。ラギーの声色も、顔付きも、失敗に対する居心地の悪さはあれど、罪悪感だとか、後ろめたさだとかは微塵も乗って居ない。ルークの話を聞いてから、ずっと何かを掛け違えているような、言い知れない違和感がレオナに付きまとっていた。
「……寮生に、許可なく他寮に手を出すのは止めろと言っておけ」
 そう言って、レオナはラギーを追い越すように足を進めた。ラギーはつまらなそうに口を尖らせて、はぁい、と間延びした返事をする。
(何故だ)
 レオナは歩みを進めながら、ルークの言っていた言葉を思い出す。ポムフィオーレに限らず報告が上がっていると言うのなら、事を起こしたのは一人ではない。どうしてそんな馬鹿な真似を。何故、何故、と考えて、レオナはふと、己についてくるラギーを振り返った。
『アンタが火ィ着けるから、みんな気合い入ってんスよ』
 レオナはゆっくりと目を見開いて、そして気付いてしまったそれに肩を落とす。
 ハイエナだ。
 ラギーはハイエナ(・・・・)だ。
 ゴミ溜めとまで言われる母国のスラムで、明日を生きるために嫌われ者とされる種族だ。あの場所で産まれ、そして育ったのであれば、高々骨を折る程度、日常の延長でしかない。大半が夕焼けの草原の民が占めるサバナクローも、明日の生活を気にせず生きて行ける者など、極一部に限られている。
 だけどレオナは。レオナはその、限られた極少数の内の一人だった。
 同じ目的であろうとも、夕焼けの、いちばん上といちばん下が、同じ思考で、同じ手段を取るはずが無かったのだ。
 普段であれば、きっと止める者も居たのだろう。けれどラギーは、いつも通りだと言った。火を着けたのはお前だと。
 レオナは荒れる内心を押し隠し、ラギーへ向かって心底面倒そうに見えるように、大げさにため息を吐いた。
「ボロが出たら面倒だ。やるべき時は俺が指示を出す」
「おっ、了解ッス!」
 ぱっと表情を明るくしたラギーが、軽い足取りでレオナの前に出る。次の指示を待つように目を輝かせる姿に、喉の奥が絞められた様だった。
 一度行動した者がいる以上、最早止まりはしないだろう。それこそヌーの群れのように。駆け出したのなら、駆け抜けるかくたばるかしか無い。追い立てたのは己だった。
「……卑怯で上等、だろう?」
「シシッ、当たり前ッスよ」
 レオナは細く息を吐いて、それからなにもかもの覚悟を決めた。
 サバナクローは、種族も、血統も、産まれも育ちも何もかもが違う。烏合の衆がレオナの群れだ。己の与り知らぬ所で、群れは既に駆け出している。
 だから何だと言うのだ。目的は変わらない。追い立てたのが己なら、同じ道を走るだけ。
 戦わせてやるのだ。
 レオナは植物園へ向かう道から踵を返し、鏡舎へ向かう廊下へと進む。
「ちょッ、どこ行くんです? メシは!?」
「食っていい。やることが出来た」
「そりゃ有難いッスけど、えっ、せっかくDXメンチ譲らせたのに!」
 慌てて引き留めるラギーを、シッと手を振って追い払い、「ちゃんとなんか食べて下さいよ!」と吠える声を背中に受けながら、レオナは今年の大会を取り仕切るいけ好かない銀髪を脳裏に浮かべる。何が出来て、何が出来ないか、まずは情報が必要だった。
 サバナクローの寮服を身に纏う青年たちが、すれ違うレオナに頭を下げていく。レオナは群れを、彼らの明日を守らなくてはならない。それだけだった。
 オクタヴィネルへ繋がる鏡の前に立つと、レオナはそこに映る自分の顔を睨みつける。暗い鏡に映る己は、まるで傷付いたような顔をしていた。キィン、と白く飛んでいく視界に目を瞑ると、水の匂いがする。
 なんだか無性に、雨の音が聞きたくなった。
 誰もいなくて構わないから。薄暗い、城のベットで眠りたかった。
──────────
「不審な事故による怪我人の調査を、学園長が直々に指示、ねぇ」
 目元にダイヤのスートを描いた青年が、ほんのりと不穏に目を細めて言う。
 チェス盤の上に赤い絵の具と玩具箱をひっくり返したような、でたらめな内装をした部屋だった。ハートの女王の厳格の精神を掲げるハーツラビュル寮、その談話室に、数人の生徒が集まっている。花瓶に飾られた真っ赤な薔薇と同じ色の髪を揺らして、彼らの中でも一際小柄な少年が重々しく頷く。
「リドルくん、やっぱりこれって、」
「……そうだね。間違いないだろう」
「寮長、やっぱりって、どういう事ですか?」
 二人の意味深な言葉に、リドルと呼ばれた彼へ向かって今度は目元にスペードを描いた真面目そうな少年、デュースが不思議そうに首を傾げた。
「……今回、トレイが怪我をしたように、最近学園内で不審な事故が多発しているのは知っているね?」
 リドルの確認に、デュースはそうなのか? と隣に座る友人らへ視線を送る。ハートを目元に描いた少年、エースは「お前まだ知らないのかよ」と呆れた声を上げ、青い炎を纏った猫のような獣、グリムはつまらなそうに三又の尾を揺らした。慌てるデュースに追い打ちで、グリムとペアを組むオンボロ寮の監督生が困ったように頷く。その反応を一通り眺め、リドルは彼らと順に目を合わせながら語った。
「変だとは思わないか。確かにこの時期は問題を起こす生徒が増えるというけれど、昨年と比べて怪我人の数があまりにも多すぎる」
 ダイヤ型の奇妙なキャラクターでデコレーションされたマジカメを揺らして、初めに声を上げた飴色の髪の青年、ダイヤのスートを目元に描いたケイトが淡々と繋ぐ。
「で、リドルくんの頼みで調べてみたらまぁビンゴ。被害者は皆、リドルくんやトレイくんみたいな、マジフト大会の有力な選手候補ばっかりだったってワケ」
「それって……まさか選手狙って事故らせてる奴がいるってことすか?」
 ぎょっと目を見開くエースに、「恐らくね」とリドルは同意を返す。これだけ規模の大きい大会であれば、手段を択ばない者が出て来てもおかしくは無いだろう、と続ける彼に、監督生が不安そうにグリムを抱く腕の力を強めた。
「でも、一体どうやって……? わざと手ェ出したりしてたら、流石にわかるんじゃ……」
「いやーそこなんだよねぇ」
 考え込むように顎に手を当てるデュースに、ケイトがかくりと首を倒す。
「今の所さぁ、全部事故(・・)で済んじゃってるっぽいんだよね。……うっかり。ぼーっとしてて。気が抜けてて不注意でーって。そんなことある? いっくらNRCに人多しって言っても、怪我人の全員が全員、みーんな同じ自滅っていうのは無理があるでしょ」
 ケイトは困りきった風に眉を寄せ、はぁー、と大きくため息を吐いた。ひっそりと隣を流し見るが、責めるような顔付きで俯くリドルはその視線に気付かない。ケイトは二、三瞬きをすると、すぅ、と唇を尖らせ、「でもまっ、事故なんだよねぇー」と大仰にソファへ身を投げ出した。
 どんどん力を強める監督生の腕からうっとおしそうに逃げ出して、グリムはぴょんとテーブルに飛び乗った。
「オレ様たちが聞き込みしてた時も、ケイトが言うみたいに、どいつもコイツもおっちょこちょいとしか思えないマヌケばっかりだったんだゾ」
「つったってグリム、お前リドル先輩やトレイ先輩がおっちょこちょいで階段落ちると思う?」
 グリムの首に巻かれたリボンを掴み、テーブルからソファへと彼を引き戻してエースが言う。ふなぁ、と不思議な鳴き声を上げるグリムを眺めながら、ケイトはごく軽い調子でリドルに問い掛けた。
「リドルくんはー? 階段から落ちかけた時どうだったの? 風の魔法で押されたワケじゃないんでしょ?」
 問われたリドルがハッと顔を上げ、思い出すように視線を巡らせる。
「あ、あぁ……衝撃で押されたというより、なんというか……」
『リドルッ危ない!!』
 リドルはまだ耳に残る声に、くっ、唇を引き結んだ。
 トレイ──トレイ・クローバーは、ハーツラビュル寮の副寮長であり、数少ないリドルの友人だ。彼が怪我をしたのは、リドルのせいに他ならない。
 あの時、リドルは用向きがあって一学年上のトレイの教室を訪ねた。そしてまた別の用があったからと彼と別れ、階段を降りようとしたその時に。
 ──リドルは自ら、何もない場所(・・・・・・)へと足を踏み出した。
 そのまま落下しようとするリドルを庇い、身代わりになるようにトレイは落ちていった。階下で呻き、蹲る姿を思い出してリドルは強く歯噛みする。不注意だとか、そんなものではない。間違いなく己の身体であるのに、自分の意思ではない。そんな感覚だった。
「……押されたんじゃなくて、身体が勝手に動いた感じだった」
 リドルは頭を振ると、キッ、と眼を吊り上げる。このまま黙っていられるものか。
 トレイは以前、ある事件を起こしたリドルの為に命をかけてくれた。今回もリドルはトレイに助けられている。ならば今度はリドルがトレイを守る番だ。
「監督生。学園長から指示されたというその犯人捜し、ボクたちも協力する」
「ほぁっ? オマエらが協力なんて、何考えてるんだゾ!?」
 信じられないような顔付きで声を上げるグリムに、「人聞き悪いなぁ」とケイトが苦く言う。
「ウチの寮生……トレイくんがやられたっていうのに、このまま知らんぷりなんてしたら、それこそハーツラビュルの名折れでしょ」
 怠慢や不正(・・)を許さない、厳格の精神こそがハーツラビュルの魂なんだから、とケイトは笑った。荒っぽい声を弾ませて、デュースがパシン! と拳を手のひらに叩きつける。
「つまり、クローバー先輩の御礼参りッすね!?」
「そーゆーことなら、オレ達も協力しますよ」
 燃えるぜ、と低く呟くデュースの後に、きゅ、と目を細めたエースが続く。頼りになる先輩と、友人たちの協力の申し出に監督生がぱっと表情を明るくした。しかしリドルは不審そうに眉を寄せる。常ならば、面倒がって真っ先に逃げそうな後輩までもが名乗りを上げるとは。
「……お前たち、やけにやる気だね」
「んふふ、エースちゃんたち、さてはトレイくんの空いた選手枠狙ってるな~?」
 にんまりと口角を上げるケイトに、エースが悪戯っぽく舌を出す。
「あれ、バレました?」
「えっ!? いやっ、俺は別に、そんなつもりじゃっ……」
 リドルはそんなことだろうとため息を吐き、ケイトは大喜びで手を叩いた。名門という名の皮を被った悪童の集団。それでこそNRCの生徒とまで言えるだろう。純粋に協力するなんて、そっちの方がよっぽど疑わしかった。
「いーよいーよ! やっぱりそうこなくっちゃ!」
「まぁ……うん……そうだね……働きによっては、考えておくよ」
「まじすか!」
「やりぃ!」
 頭が痛そうに眉間を揉みほぐし、ため息混じりに告げるリドルに、エースとデュースが拳を上げる。
「協力するっていったって、オマエら一体なにするつもりなんだゾ?」
「次に狙われそうな生徒に当たりをつけて、ボクらで密かに警護をするんだ。被害の前兆があり次第、速やかに生徒の保護、および犯人の捜索と追跡を行う」
 張り込みですね、と緊張した面持ちで監督生が呟くのに、ケイトは「正解!」と指を鳴らした。
「実はもう、それっぽい生徒に目は付けてあるんだ。みんなが問題ないなら、このまま様子を見にいっちゃおうか」
「え、いきなり?」
「時は金なり、だよ。やるべきことがあるのなら、後回しにせず先に行動してしまった方がいい」
 うへぇ、と顔を歪ませるエースの足を蹴っ飛ばして、グリムが外へ繋がるドアの前に立つ。
「いった! おい!」
「へへーんだ。そうと決まったら早く行こう! いざ出発、なんだゾ!」
 ぞろぞろと連れだって歩く先頭で、ケイトはマジカメをいじりながら話す。
「一応、寮ごとにそれらしい子をピックアップしたんだ」
 メッセで送っておくね、という言葉と共に、各々のマジカメへメッセージ着信の通知が届く。顔写真と名前、クラス、所属寮だけでなく、マジカルシフトの得意ポジションから、一週間の大まかな行動範囲までびっちりと書き連ねられたそれにデュースが「すげ……」と声を漏らした。
「今の所、被害が大きいのはハーツラビュル(うち)とポムフィオーレ寮だね。サバナクローも怪我人は居るらしいけど、みんな軽傷。それに事故じゃなくて全部喧嘩みたい」
 エースはすれ違ったサバナクロー寮の生徒を見て、彼らがこちらを向く気配にするりと視線を外す。サバナクローは事故ではなく喧嘩、と言う通り、確かに自分も、彼らに近付く時は絡まれないよう意図して接触を避けていた。
「逆に被害ゼロっていうのはオクタヴィネルとスカラビアで、イグニハイドに関しては目立った話は出てないかな」
「ディアソムニア寮はどうだい? 最近は特に見かけないけれど」
「っあーごめん! あそこ排他的過ぎてさ、ぜんっぜん情報集まんないの」
 リドルの問いかけに、困っちゃうよ、とケイトが眉を寄せる。
 ディアソムニア寮とは、茨の魔女の高尚な精神を掲げ、学園に入学する殆どの妖精族が所属する寮だ。そして記録上最も強力な魔女であり、唯一現存するグレート・セブン、茨の魔女の実の孫──マレウス・ドラコニアが寮長を務めている。元々の妖精族の特性もあるだろうが、次期国王が所属してるためか。ディアソムニア寮の多くは秘匿され、他寮との交流も極端に少なかった。
「でもディアソムニアがこんな小細工する必要は無いんじゃない? マレウスくん一人居ればいいわけだし」
「ってことは、今んとこ被害ゼロのオクタヴィネルとスカラビアが怪しいってカンジすか?」
「どうだろうね。まだ狙われていないだけという可能性もあるが……」
「どちらにせよ、今は張り込みしか出来ないってことですね……」
 考え込むハーツラビュルの四人を横目に、監督生の持つマジカメを覗いていたグリムが面倒そうに声を上げる。
「オマエらさっきからごちゃごちゃうるせーんだゾ。結局オレ様たちはこの中のどいつにくっついとくんだ?」
「あっはは……グリちゃんキビしー……」
 苦く笑ったケイトがグリムと同じように監督生のマジカメを覗く。触っていい? と声をかけて、監督生が頷いた事を確認してからスルスルと画面をスクロールした。
「考えてたのはポムフィオーレのルーク・ハントくんと、念の為スカラビアのジャミル・バイパーくん。それからオクタヴィネルのジェイド&フロイド……」
「──呼んだァ?」
 決して低くはないはずの身長を持つケイトの頭上から、甘やかな声色の応答が降ってくる。うッ、と濁った声を上げて、リドルが身構えるように固まった。
「こら、フロイド。驚かせてはいけませんよ」
「あーァははァ……はァイ、ハナダイくんに金魚ちゃん。こそこそ集まってなぁにしてんの?」
 クスリと笑って注意した青年は、リドルたちに声を掛けた青年とまるで同じ顔をしていた。光を反射する緑青の髪に、左右で彩度の違う金の瞳。背の低いリドルが並ぶと幼子に見えるほど長身の二人は、片方は物腰穏やかに、片方は鼠を甚振る猫のような顔をしてハーツラビュルの面々を見下ろしていた。
「は、はぁいフロイドくんにジェイドくん。げ、元気?」
「えぇ、おかげさまで。ふふ……ずいぶん沢山と名前を上げていた様ですが、大会前の敵情視察ですか?」
「えーっと、これにはちょっとしたワケが……」
 きゅ、ぅ、と弓なりに唇を持ち上げる姿に、エースが「コイツ、目が全然笑ってない……!」と監督生の袖を引く。緊張気味に顔を引き攣らせるデュースがぐっと拳を握った。
「スパイ行為だとしたら、色々とお話を聞かなくてはいけませんねぇ」
「え~? そんなん見逃せないじゃん。丁度ヒマしてたんだぁ。追いかけっこしよーよ」
「いッ!? いや、それはちょっと、困るって言うかぁ、」
「……ここで捕まる馬鹿はいないよッ。総員退却!!」
 リドルの合図とともに、エースたちがわっと駆け出す。作戦も何もない、ただ彼らと反対に走るだけだった。ぱちりと瞬きをしたフロイドとジェイドが顔を見合わせ、お互い愉快そうに笑みを深めて追い始める。
「おッ、追いかけて来てます!!」
「振り返るヒマあるなら走れって!!」
「あいつら一体なんなんだゾ!?」
「ボクに訊くな!」
 うわー! と大声を上げる中、殿を走るケイトが「そこ! そこ右曲がって!」と声を張る。言われた通り角を曲がると、前方に白黒のファーコートを羽織った教師の姿が見えた。「やっぱりクルーウェル先生いた!」という声に振り返った教師が騒がしい様子に顔を顰める。
「Bad boy! 廊下を走るな!!」
「ごめんなさあーい!!」
「追われてるんス!!」
「先生助けてくれると嬉しいかも!!」
 ばたばたと自分を追い越して行った生徒たちの物言いに、クルーウェルがもう一度振り返ると、学園内でも一二を争う問題児がハーツラビュル寮生を追いかけていた。
「フロイドリーチ! ジェイドリーチ! 他寮生を追い回すな!!」
「こんにちはクルーウェル先生。ただの鬼ごっこですよ」
「ねーねー! 待ってまってぇ!」
 あははは! と笑ったフロイドが、ジェイドと共にマジカルペンを振りかざすと、二人の踏み出した足がふわりと宙を掻く。
「えっ?」
「ぅわっ……あ? んだこれ」
「……他者に向かって、」
 ふわふわと浮かぶリーチ兄弟を睨みながら、ぱしりと手のひらに指示棒を叩きつけてクルーウェルは言う。
「魔法を行使するのは原則禁止されている」
「……おやおや」
 ふん、と鼻を鳴らしたクルーウェルに、怒られてしまいましたか、とジェイドが苦笑する。そんなものは関係ないとばかりに「すげぇ~浮いてる~」とけたけた笑うフロイドを見て、クルーウェルは大きくため息を吐いた。
「ねぇー、逃げられちゃったよイシダイせんせぇー」
「人に向けて魔法を使おうとしただろう」
「えぇー? だってみんな使ってんじゃん!」
「学園内では在って無いような物でも、見つけたら止めるのが教師の務めだ」
「はぁ、教職というのは大変ですねぇ」
 臆面もなくのたまうジェイド。反射的に「クソガキが」と言いかけて、クルーウェルは苦虫を噛み潰したような渋面を作る。何か言いたそうな彼をくすくす笑っていると、ジェイドはふっ、と浮力が無くなったのを感じた。
「おっと」
「あぶねッ」
「……駄犬共め、もう行け。次なにかやったら罰則だ」
「あはは、はァい、せんせ」
 煩わしそうに手を振って追い払うクルーウェルに返事をして、二人はハーツラビュルの彼らが逃げていった方とは逆に向かう。
「あー、楽しかった。ねージェイド、もう戻っていいかなぁ」
「そうですね。時間も潰れましたし、そろそろお二人の話も終わった頃でしょう」
 フロイドは機嫌よさげに顎を上げると頭の後ろで腕を組む。
「アズールさぁ、上手くいったらトド先輩のユニーク魔法が手に入るかもって言ってたじゃん」
「あぁ……かわいそうなアズール。そのせいでキングスカラー先輩にいじめられてしまったんでしょう?」
「そぉそ、『冗ッ談でもッ、言うんじゃなかったッ!』ってさ、ちょービビってやがんの。知ってる? ほんと面白かったァ」
「ッふ……いけませんよフロイド。代わりにラウンジの家具が一新されていたじゃありませんか」
「えー? でもトド先輩の前では涼しい顔してんのにぃ、帰った途端アレ(・・)でしょ? おもしれーじゃん。オレ好きだよ、あれ」
「ふふ……それにしても、僕らを追い出してまで話したい事なんて、あの人は一体何を企んでいるんでしょうね?」
「あっはァ……んね、なにやっちゃうんだろうね?」
 楽しみだね。楽しみですね。笑う二人の白い肌から、淡く鱗が浮き上がる。
 ────人魚たちは嗤っていた。
「ま、巻けた感じ、っすかね……」
 膝に手を付き、ぜぇぜえと喘ぎながらエースが言う。いつの間にか、彼らはグレートセブンの石像が飾られたメインストリートまで走ってきていた。こわかったんだゾ……! と半泣きのグリムを監督生が抱きしめる。
「クルーウェル先生マジありがと~! 駄目元であっち行ってよかった!」
「あ、アイツら、一体なんなんですか?」
 ぎゅっと祈りながら叫ぶケイトに、首の汗を拭ってデュースが問い掛ける。ハンカチで口元を押さえながら代わりのようにリドルが言った。
「ボクと同じ二年生、オクタヴィネルの有名な双子だよ」
「通称、ヤバい方のリーチってね」
「ヤバい方?」
 エース達はさっきまで自分を追って来ていた、ほとんど同じ顔の二人を思い浮かべる。
「って、どっちの事すか?」
「ヤバい方だよ」
「ん?」
「ヤバい方だよ」
「……ん?」
 ニッコリと微笑むケイトは「まぁあの二人が狙われるとしたら最後だよね」とサラリという。え……ッ? と戦慄するエースを無視して、ケイトとリドルはマジカメの生徒リストを見比べた。
「そもそも、どうしてあの双子なんか出したんだ」
「いや、プレイング重視ならこの子達だけど~って続けようとしたんだって!」
「それにしたって、ルーク先輩もリーチ兄弟もボクらが護衛する必要性は低いだろうに」
「そうなんですか?」
 きょとりと目を丸くするデュースをチラリと見て、ケイトは悩まし気に眉を寄せる。
「まー……リーチ兄弟は言わずもがなだけど、さっき名前をあげた子たちは基本的に必要ないんじゃないかな」
「ん? なんでなんだゾ?」
「そりゃ、必ず報復があるってわかってる相手に手を出すのはみんな面倒でしょ。バイパーくん……っていうかスカラビアに関しては、バックにアジームまで付いてるんだよ? もっと強い、それこそ王族みたいな後ろ盾があるか、後先考えないよッッぽどのバカじゃなければ襲えないって」
「……そ、」
 そういうもんすか……と、握った拳を見つめ、衝撃を受けたように目を見開いているデュース。その姿を眺めながら、ケイトは徐々に真剣な表情になる。
「……いや、心配になってきたな。事件を起こしてるのがデュースちゃんみたいな子だったらどうしよ」
「ンだっ……! っど、ッおいう意味っすか!!」
「あっはは、ジョークジョーク! 怒んないで~!」
 バチン、とスイッチを入れたように顔付きを変えたデュースがドスの利いた声で怒鳴りかけ、何かにつっかかったかのように一瞬止まる。意味もなく口を動かしてから、耐えかねたように吼えるデュースをけらけら笑う声がメインストリートに広がった。
「あ~おっかし、」
「わッ、笑うなよ!」
 くすくすと口元を押さえる監督生と、笑い過ぎて滲み出た涙を払うエースたちにデュースが顔を真っ赤にする。気恥ずかしそうにごしごしと頬を擦る彼へ「およしよ」とリドルが宥めた。
「つーか、マジでアレなんすね。手掛かりゼロって感じ。誰がやってるか~とか」
「無いね、全くの正体不明さ」
 正体不明ねぇ、とエースは傍にあったグレート・セブン、百獣の王の石像を見上げる。
「あ、なぁ、正体不明で思い出したんだけどさ、お前らサイドストリートの幽霊って知ってる?」
「ふなッ!? ゆ、ユーレイ!?」
「いや、知らないな。何の話だ?」
「けーくん知ってるよ、それ。最近ウワサされ始めた話でしょ」
 流石ケイト先輩、と褒める声にケイトは「まぁね」と得意げな顔をする。
「結局なんの事なんだい? ゴーストたちとは違うの?」
「いや、それがマジで正体不明らしくって。あの~……コロシアムに繋がるストリートあるじゃないスか」
「そこで最近、夜になるとぼんやりした光がふらふら浮かんでるんだって」
「こつーん……こつーん……って音と共に動き回って、見掛けたと思った奴はいつの間にか気を失ってるって話」
「つ、つまり、そのユーレーに襲われてるってことなんだゾ!?」
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みつき
おつまみとってきます!!!
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初公開日: 2022年07月05日
最終更新日: 2022年07月06日
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