犬、セミ、双子
 畜生腹という言葉がある。二人以上の子供を産んだ女を蔑んで言う言葉だ。犬畜生のように複数の児を孕むことからそう言われているらしい。
 母と祖母は折り合いが悪く、また口の悪い祖母はよくその言葉を母に向かって言い放った。
 意味の分からぬ子どもながら、その悪意に満ちた言い回しは棘となって胸に刺さるものだった。
 なにか、とっても悪いことをしたひとに向かって言う言葉だ、と。そう思っていた。
 それが私と妹を産んだから呼ばれるようになったのだと知ったのは、もう十五になってからで、何かの調べ途中、脱線して忌子について調べた時の話だ。
 双子は忌子。産んだ女は畜生腹と呼ばれ、片方は里子に出されるか縊られるか。かつてはそのようなものだったらしい。私が今も生きていられるのは、あるいは妹が今も私の妹でいるのは、ただ現代社会に生まれたからという幸運によるものでしかない。
 生まれた瞬間に、母に呪いを浴びせたのは、私たちだ。
 夏は嫌いだ。暑い日差しが肌を焦がし、セミの鳴き声は耳を劈く。陽光は眩しく目を焼いて、私のことを傷つけようとしてくる。五感が不快に刺激される、から、私は夏が嫌いだ。
 妹は冬の方が嫌いだと言う。身を切るような寒さも、すべてを吸い取る雪の静けさも、曇天の雲の分厚さも、突き放されるようで嫌なのだと。
「特に一番きらいなのが、双子の日」
 妹はそう注釈する。十二月の中ごろにあるというその日は、私たちの思いとはなんら関係なく、私たちの日常を侵食してくる。私たちが何を願うということはないというのに、周囲の大人たちはこぞってその日に何かしら祝い事を持ち掛けてくる。その意味では、私もその日は嫌いだ。
 ただ、それが冬にまで波及することがないだけ。その日はその日で嫌いだけれど、冬にまで拡大することはない。割り切りというのか、私はそういうのが得意だった。
 私と正反対を行く妹は、一事が万事その調子だ。私のことも、嫌いだという。府が都の現況であり、母が罵られる理由の一旦であり、祖母の血を継ぐものであり、自分自身とうり二つだから、嫌いなのだと。
 ここも、呪いだと思う。私たちが私たちとして生まれたことに罪はなくとも母にその名で呼ばれる理由となった。呪いは周囲が作り出してゆくものだ。畜生腹と蔑まれた母は、双子を厭うた。そうして、母は、とにかく私たちを『らしくなく』育てようと苦心した。似ないように、似ないように、私と妹は真反対に育てられた。
 私が与えられるものは、妹には与えられなかった。その逆も多い。そうして趣味嗜好の全てを相反するように育てられた私たちは、世界の思惑通りに正反対に育った。
 なんて呪縛だ。
 私は妹を愛しているので、そう思う。
 同じように育ちたかったとは少し違う。ただ、このように育てられたことを厭う気持ちは、同じような目線で妹と世界を分かち合ってみたかった、というだけ。
 それを、ただ、彼女としたかった。同じ母の、同じ腹から生まれただけの、それ以上でもそれ以下でもない私の妹。可愛い妹。彼女の見ている目線を知りたかった。彼女の好きを共有したかった。彼女の嫌いを我が物としてしてみたかった。
 なんて、実際叶ったかどうかなんて分からないけれど。
 おなじように育てられても、きっと、私と妹が同じものを見ることはなかった。似たものを見ることはあったとしても、それは決して同一にはなり得ない。私と妹は切り離された別個の人間だから。
 だけど、夢見てしまうのだ。
 妹と同じように冬を厭う私、妹と同じように『私』を嫌う私、妹と同じように自分が嫌いな私。あるいは、その反転。
 私と同じように夏を厭う妹。私と同じように私を好きな妹。私と同じように『妹』を好きな妹。
 そういう、無邪気な空想を、遊ばせてしまう。
 祖母のように口悪しく私を面罵する妹を前にそう思う。
 現実逃避が得意かどうかも、私と妹は似なかった。
 
 
 
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