「む、ぅ……」
何度目の唸り声だろう。カウントしてないから分からない。
店員さんも偶然を装ってちょくちょく近くを通り過ぎていくけれど、声をかける気にはならない。というか一度訊ねられたけど断っちゃったし。
再び唸る。数えてもいないカウントが一つ増える。
目の前に並ぶは水着の森。
そこでかれこれ三十分ほど悩んでる不審者がわたしだった。
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「海行きたいね」
ことの発端はいつものように例の如く先輩の一言からだった。
プールじゃなくて海。確かに、思い返せばまだ一度も海に行ったことがない。距離があったし、近所のプールの方が気楽で安上がりだったから。
去年生徒会のみんなで行ったのは大きいレジャープールだったけど、そこも少し離れてるとはいえ海よりは断然近い。
そんなわけで機会を逸し続けていたのもあり――そして燈子先輩とそんな海に初めて行くのが楽しみで――わたしは一も二もなく頷いた。そうして夏休みに、二人で日帰りで行こうということになったのである。
当然それ自体にはなんの問題はなかったのだけれど。その問題に気が付いたのは、夏休みに入ってのことだった。
「ほーん。七海ちゃんと。で、なに着ていくの?」
怜ちゃんにはわたしと先輩の関係をすでに伝えてある――というよりも吐かされたというのが正しいのだけど――だから海に行くことも話したら、そう返ってきたのである。
「あ」
「は?」
完全に盲点だった。浮かれすぎて肝心のことをすっかり忘れてた。
そんなわけで家から放り出されるようにしてわたしはお店まで走らされたのである。
たかが布切れ。されど布切れ。ある意味、女の意地の張りどころだから当然だった。
……流石に去年のと同じのにするわけにもいかないしなぁ。
去年のはリボンデザインのトップスにショーパンタイプだった。幸か不幸か、それがもう着れなくなったとかいう嬉しかったり悲しかったりする理由なわけじゃなくて、ただ――おんなじのはいやだなぁっていう見栄だった。
去年の水着は先輩を意識しないようにして選んだ物だ。見せるつもりの水着じゃない。
でも、今のわたしと先輩の関係は、去年とはまるで違っていて。
並び立っても恥ずかしくない装いでいたい。飽きて欲しくない。
わたしを見て欲しい。他の誰でもなく。似合ってるって言って欲しい。選んだのが間違いじゃないって。
好きって、言って欲しい。
そんな我が儘が、ぐるぐると視線を彷徨わせる。
……人を好きになるって、悩みも増えるんだなぁ。
人を好きになると欲張りになるから。当然だ。
水着を手に取り、体の前に翳してみながら次のを手に取る。
先輩はどういうのが好みなんだろう。
かわいい、って言われるからガーリッシュ系……フリルデザインとかワンピースタイプとかがいいのかな?
いや、余計に子供っぽく見えそう。それはちょっとやだ。
じゃあ逆に思い切って、オフショルビキニとかモノキニ……ホルターネック、とか?
肌がめっちゃ見えたり一部分を強調するようなデザインを手に、鏡を見る。
いやいやいや、ちんまいわたしにセクシー系こういうのは似合わないよね……。……。
……それはそれで喜びそうな先輩が想像できてしまう。
それは、嬉しいけども。どうにも服に着られてるというか背伸びしてる感満載みたいなむず痒さを感じる。
……やっぱり止めとこう。大人しく元の場所に戻しておく。
「……むー」
呻きカウントプラス一。
でも、この悩んでる時間も、決していやじゃない。
先輩はどう反応するんだろうっていう想像が、その時間を楽しく彩ってくれていた。
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夏休みに入ってからも先輩とはちょくちょく顔を合わせる。受験勉強を兼ねたわたしの家庭教師という形で。それとデートって形で。
だから、当日の朝に会っても、あんまり久し振りという感じはしなかった。
「なんか、久し振りって感じがする」
先輩はそうじゃないみたいだけど。
「そうですかね」
でもよく考えると受験だけじゃなくて劇団の方にも顔を出してるものだから、先輩は忙しいのだ。時間の感じ方がわたしとは違うのかも。
遠見駅で合流してから電車で海岸近くの駅へ。電車を降りると、初めて嗅ぐにおいが風に乗って届いてきた。
「これが潮風なんですね」
「そうだよ」
そんな会話を交わしながらビーチの方へと歩いていく。
ビーチはカンカン照りだというのに人で埋まっていた。熱線と人だかりで、水辺だというのに暑くて堪らない上に、砂浜からの照り返しも地味に痛い。これが初の海の洗礼か。
一緒に更衣室に入る。
「……ちょっと離れる?」
「……そうしましょう」
そうじゃないと着替えもままならなくなっちゃう。衣擦れだけでもあらぬ想像してしまいそうで。
適当な場所に陣取り、先輩が離れてるのを確認してからラップタオルをまとい、買ってきた水着を取り出す。
散々悩み抜いて選んだのは、お洒落な白のハイネックと花柄ショーパンのボトムスだった。「小胸だってへっちゃら」とかいう売り文句らしい。買ったあとで怜ちゃんに見せたら、笑いながらそんな紹介記事を見せてきた。とりあえずグーパンだけしておいた。
結局どっち付かずな感は否めないけど、悪くはない、はず……。
でもやっぱり恥ずかしいので、薄手半袖のパーカーを上に羽織ってから荷物をロッカーに詰め込んで鍵をかける。
ちょっとだけ深呼吸してから振り返ると、ちょうどロッカーに荷物を押し込んだらしい先輩が、同じように振り返ったところだった。
先輩は長い黒髪と同じ色をしたエスニック柄レースのハイネックビキニを、見事なまでに着こなしていた。デザインはシンプルだけど流行りを押さえてる感じで、メリハリの付いた体もあって大人っぽさが露わになってる。
流石、と言わざるを得ない。色々と。
ここまでくるとちょっと自信がなくなってくるけど、今更逃げることなんてできない。
「先輩」
「侑」
駆け寄ると、先輩の視線が少し泳ぐ。
「どうしました?」
「いや、その……かわいいな、って」
頬を赤らめながらストレートに投げ付けられる褒め言葉に、嬉しさと恥ずかしさが込み上がってくる。
「そ、れは……どうも」
「あっ、も、もちろんセクシーだよ!」
「落ち着いてください。なんのフォローなんですか、それ」
たまたま人が更衣室から引いててよかった。こういうとこあるんだからほんとにもうこの人は。
「先輩も、その……きれい、です」
「……ありがとう」
心からの讃辞に、先輩も嬉しそうにはにかむ。
ちょっとの間、生温い空気が更衣室に漂っていた。
「そっか。きれいって言えばよかったんだね」
ふと、口元を抑えながら、先輩は考え込むようにしてそんなことを言い出した。
どうやらさっきのは語彙に困った結果だったらしい。
「真っ先に出てきたのがセクシーってどうかと思いますよ」
「いや、それもほんとはオブラートに包んだ言葉で」
「え、嘘でしょ?」
ほんとになにを言おうとしたんだ、この人。
取り繕うように笑う先輩に、わたしは溜め息を吐く。
でも、次に零れたのは笑顔で。
「……行きましょうか。燈子先輩」
「うん。行こ。侑」
差し出した手は重ねられ、自然と絡まっていく。
そうしてわたしたちは、炎天下の潮騒のただ中へと、小走りに駆けていった。