それはよく晴れた日の午後だった。
帰省したばかりの私は、実家で荷解きをしていた。
遠く離れた都会とは全く違う、夏特有の熱気を含んだ空気の懐かしさに酔いしれていた。
生まれ育った地は山間部で、鬱蒼と茂る木々を構えた山に囲まれている。
いわゆる盆地という地形そのもので、夏は熱気が篭って暑いし、冬は寒気が留まって寒い。
そんな両極端な場所で育ち、こうして迎えた故郷の夏を懐かしんでいた。
とは言っても、実家の中でくすぶって暑さに打だされるよりかはどこかに行く方が良いだろう。
不幸なことに、近所に大きなスーパーマーケットなどは無いが山は近い。
茹だるような暑さの中を歩いて涼しい場所に向かうよりは、一番近い山の木陰で涼む方が幾分かマシだろう。
実家の玄関からほど遠くない場所に、山への入り口はある。
その入り口から入り、緩やかな山道を登っていけば山の中腹の神社へ着く。
時刻は午後4時半を過ぎ、もう少しで5時になる。
陽の長い夏だ。今から行けばまだ明るい夕方には神社に着く。
安直かもしれないが、思い立ったが吉日。
小さなサコッシュにはスマートフォンと、飲み物を買えるくらいの小銭と、実家の鍵を詰め込んだ。
少しだけ、外に出ることが楽しみだった子供の頃のことを思い出しながら、私は実家を後にした。
***
久し振りに足を運んだ山の中は、思っていたよりも大変な道のりだった。
体力の衰えとまではいかないが、幼い頃と比べて休み休みで歩いている。
白い土の見える斜面に歩みを進めていると、ようやく山の中腹に着いたようだった。
神社の近辺になると、地面が石畳の階段に変わる。
ほんの少し長い石の階段だが、上り終われば神社に着くのだ。
自分にそう言い聞かせて、階段を上った。
上っているうちに気付いたことがある。
石畳の階段の端には、枯れた木の葉が溜まっていた。
私の記憶では、この神社の神主さんという方はとても綺麗好きな人で、木の葉の掃除や境内の物の汚れや破損などに敏感で、その都度綺麗に保っていたのだ。
枯れた木の葉は、もう何年も溜まったもののように地面に癒着して石畳に葉の色が染み出していた。
茶色く染み出した色のついた石畳を見ると、かつての記憶と違って神社までの道が暗く見えた。
暗く淀んでいるような、例えようもない雰囲気が私に近付いていた。
階段が終わり、石畳が平らなものに変わった。
神社は私の記憶と比べて少しくすんでいるように見えた。
それに、少し散らかり気味のようだ。
ゴミなどは無いが、枯れ葉や伸びた草、木の枝などが散乱していた。
こういった作業にも慣れているから、目立っていた木の枝や枯れ葉を集めて避けていた。
伸び放題の草は後日誰かに相談をしよう、そんなことを考えながら勝手ながら片付けをしていた。
気付いたことはもう一つ。
この神社には管理をする人が居ないということ。
若い人ほどこの土地を出てしまう上に、年老いた人にはこの神社の維持は難しいだろう。
神主さんの行方は分からないが、気にして何も手を付けないよりはいいと思っていた。
どのくらいの時間が経っただろうか。
見えている範囲が赤らみ、木の葉の隙間から細切れの夕陽が見えていた。
そろそろ帰るべきか、もう少し残るべきか⋯。里に下りたら飲み物でも買って帰ろう。そんなことを考えていた。
その矢先、自分の後ろから気配がした。
獣か人間かまでは分からないが、"それ"は確実に自分に近い。
振り返って後ろを見てしまおう。
動物であれば逃げることも出来る。人であった場合のことは思いつかなかったが。
勇気を出して振り向こうとして身体を揺すった。
その途端に、頭に直接話しかける様な声がした。
耳元の近くで、低い声が響く。人語を話す"それ"の姿は見ることが出来ない。
「振り返るな。
このまま来た道を戻れ」
"それ"の低い声には、何か別の音が混じっているようにも聞こえた。
何かが軋む様な、または叫んでいるような不快な音。
私は"それ"に返事をすることなく、静かに元来た道への歩みを進めた。
夏の夕暮れ時とはいえ、まだ明るい。
ちょうど6時ぐらいであれば、この明るさだろう。
私は"それ"の指示通りに、元来た石畳の階段を降り、白土の道を辿った。
下りの道のせいか、それとも脳内の恐怖が勝っているせいか、早歩きで里に向かっている。
その間も、何かが後ろでじっと見ているような感じがしている。
監視にも近い形の"それ"に怯えながら、ようやく元の入り口に近付いてきた。
あと少し、もう少しで着く。
恋い焦がれるように足を進めたその時。
『カン』
乾いた金属音が自分の後ろに響いた。
空き缶を転がした、または投げた時の様な薄く乾いた音。
私は咄嗟に振り返ってしまった。
"それ"が居るであろう、私の背後を見てしまった。
暗く闇に呑まれた木の影と同化するように、真っ黒なモヤに包まれた"それ"。
数えきれない幾本もの細やかな棘と真っ黒な長い腕を伸ばしている。
人の姿とはかけ離れた"それ"は、顔こそ見えないが、どこかで笑っているようにも感じた。
蜘蛛のように腕を伸ばし、私を歓迎するかのように腕が靡く。
「振り返ったお前が悪い、全部、お前が悪い」
『お前が悪い』などと言いながら、"それ"は嬉しそうに私に近付く。
人の姿ではない、完全なる異形の"それ"が、黒いモヤを引き連れて身体を包み込む。
「お前は私を知らない。
でも私はお前を知っている。
お前がこの世に生まれる、ずっと前から」
「し、知らない。あなたのことなんて知らない。
だから離して」
「もうお前は七つを過ぎて神の物ではなくなったんだ。
お前は私の物になれる」
逃げるために腕をモヤから引き抜こうとしても、まるで掴まれているかのように腕が動くことは無かった。
モヤに浸かったままの脚は動くはずがない。
陸で溺れているような感覚を味わうのは初めてだった。
そして、こんな真っ黒な何かに隙も無く詰り寄られることも。
「私の物になれて光栄だろう?」
モヤは口をも塞いだ。
口を端から端まで糸で縫われたように、藻掻くような声しか出せない。
時々息が漏れるだけで、それ以外は何も声にならない。
「私は幼い時のお前を知っている。
この場所で、この山で、私はお前を見た。
でもお前はまだ神の物だった。お前が神に守られていたから、私はお前に手が出せなかった。
でもこうして、お前は私の下に戻ってきた」
"それ"は私の首を撫でた。
酷く熱っぽく、苦しいほどにそのモヤを私の首に押し付けた。
首を絞められるような感覚が恐ろしくなり、涙が溢れた。
泣き声を出すこともままならないこの状況で、一方的に何かを押し付けられている。
見ず知らずの、人ですらないものに組み敷かれながら。
「お前と住まうのなら、何処にしてやろうか。
お前を地獄に連れて行くのは、あまり芳しくないな」
名前も知らない"それ"は、私を連れ去ろうとしている。
『地獄』という言葉を聞いて、私の中の恐怖が一気に跳ね上がった。
早く、早くこの恐ろしい何かから離れたい。
何をしてでも離れたいのに、身体は依然として固められている。
「⋯そうだ、お前を此処から失くしてしまおう。
此の世から、元から無かったものにしてやろう。
此の世に戻れないようにな」
私の存在が、元から無かったものにされる。
それは死ではなく、生まれる前から囚われているようなもの。
「ああ、可愛い、可愛い」
子供をあやすように"それ"が口を開く。
胸の中いっぱいの恐怖心が、その言葉にかき消されていった。
背中に回されたモヤは、揺り篭のように緩急をつけた動きをし始めた。
"それ"はずっと、私に向けて『可愛い』と話す。
慈しんでいるのか、憐れんでいるのかがよく分からない。
そんな考えも他所に、私は強烈な眠気に誘われて両の瞼を閉じた。
底の無い穴の中に落ちていくような感覚を覚えながら。
***
重く張り付いた瞼が開いた。
寝起き特有のかすみが視界を奪っている。
得も言われぬ酔ったような体感に、起きて早々ぐったりとしている。
どうやらこの場所はとても暗いようだ。
明かりがいくつかあるだけで、ほとんどが暗く淀んで見える。
匂いなどはなく、虫の声や鳥の声すらもしない。
時々、お経のような低い声が聞こえるだけで何もない。単に見えていないだけかもしれないが。
霞んだ闇の中に手を伸ばした。
何かを掴めたらそれでいい。どうにかして此処から出たいだけ⋯のはずだった。
手を伸ばした闇の中で手を掴まれた。
互いの指を交わすように、⋯言うなれば恋人繋ぎのような状態になった。
声にならない声を上げながら逃げようとするも、身体は鉛のように重く、上手く動かない。
「  」
頭上からした声は、あの低い声だった。
上を見ると、真っ黒な"それ"が闇の中でもよく見えた。
見えなかったはずの顔は、大きく引き込んだ白目の無い黒目がある。
鼻は潰れたかのように見え、鮫のように大きい口が開かれていた。
"それ"は黒い液体を被ったようにも見え、ポタポタと黒いものが滴っていた。
私の頬に黒い何かが滴り落ちた。
"それ"は、私の頬を撫でて黒い何かを指で動かした。
「お前は私の物。
私はお前の物。
お前の欲しいものは全て与えてやる。
だから、私にお前を捧げろ。お前の身体も、心も、来世すらも」
"それ"と繋がった私の手が、徐々に黒くなっていくのが見えた。
血管を伝って、蝕む病のように。
「なんで、なんで黒く⋯」
「お前がこの世界に慣れる為。
人の身体は辛いものだろう?
だから、こうやってお前を此処で"生かして"やるんだ」
白目の無い、真っ黒な目が瞬きをした。
歪に笑った大きな口からは、様々な声の笑い声が漏れている。
「  」
私の名前を呼ぶ"それ"に答えることを他所に、私は気絶をするかのように意識を手放した。
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51:53
ななし@18432d
いつもサイトの小説すごく楽しんでます……!一次創作とのことで、とても楽しみにしてます……!!
53:50
ななし@18432d
洒落怖とかとても大好きなのでおにおさんの夢小説でそういう雰囲気(すみません今の書かれてる所だけで判断してます…!)なの最高です……!長文失礼しました……!ROMに戻ります……!
57:54
魕雄
ななし@18432dさん>> コメントしてくださり有難うございます~!!私も洒落怖が大好きなのでオカルティックな夢小説を書いております・・・・!!サイトも見てくださっていると聞いて大喜びをしております・・・・有難うございます!!書き終わりまでしばしお楽しみください^^
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一次創作オカルト夢小説を書くだけ(初)
初公開日: 2021年07月23日
最終更新日: 2021年07月23日
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コメント
一次創作の夢小説です。
オリジナル人外×夢主。
人外からの愛が重め。
#6 蜷局の揺り篭|後日譚
支部でとても人気になっててびっくりしました.... 蛇のお話から進めていきます
魕雄
#5 愛に至る怪異
昨日の続き!一次創作オカルト夢小説を書くだけ
魕雄
#4 愛に至る怪異
人外×夢主の一次創作夢小説すごい遅筆だよ!
魕雄
ワンライをやるぞやるぞ〜!
ワンライチャレンジ。ネタ出しから&別作業と並行してるのでゆっくりゆるゆるです。
星菜
神のまにまに弥栄、一陽来復春くりゃ笑え 前編
kwsk様の『龍のぎゆうさん』イラストから書かせていただいている最中の義炭です。進捗状況が芳しくない…
オバ