6話
皇女殿下の競走馬「金獅子」
厩舎には毛色の違う馬たちがおとなしく控えていた。
引き戸の音に気付いて馬房から顔を覗きこませる馬が何頭かいた。
「この厩舎では八頭、お預かりしています」
調教師は改まって、競走馬を紹介する。
「おすすめは金獅子(きんじし)、千歳(ちとせ)、白兎(はくと)、疾風(はやて)。そのなかでも金獅子は特別です」
「金獅子?」
「ええ。ちょっと癖がありますので、扱いが難しいのです」
「先ほどの疾風のような?」
「あれは別格です。ただ、実力はあります。最大限の走りを見せれば、現役の競走馬でもトップクラスでしょう」
「ふーん、見た目は……?」
と興味なさげに聞き流していたが、暗がりの厩舎の中で差し込んでくる光に導かれるように、とある馬房の前でメリーは思わず足を止めた。
「この馬……きれい」
静かに、冷ややかに、まるで見定めるようにその馬はメリーをみつめていた。
馬の方から一歩ずつメリーに歩み寄ってくる。
美しい栗毛の馬体、筋肉隆々とした前脚の付け根がよくわかる。
いかにも力強く走りそうだ。手が届く一歩手前で止まる。
「警戒していますね」
「この子が金獅子?」
調教師がうなずく。
「この子にしましょう。リュミエール、軽く乗ってみなさい」
迷いもせず、指示した。
馬房の鍵を開けて、調教師が口元のハミに手綱をとりつける。
よしよしと声をかけて撫でながら、馬房から出そうと促す。
雄大な馬体が一歩ずつ、蹄のあとを残す。
メリーやリュミエールにも見向きもせず、金獅子は厩舎の外へ引かれていく。
厩務員を呼び、鞍を装着させる間も金獅子はおとなしかった。
珍客に驚いている様子もなく、堂々としていた。
装備が終わり、一緒にぞろぞろと歩いて行くも、馬の一歩が大きく、メリーは早歩きをしないと追いつかない。
「いい馬だな」
ヒートは何気なく、つぶやいた。
「どうしてそう思うのよ」
「毛ヅヤもいい、馬体もいい、なにしろ歩き方がいい。口で説明するのは難しいが、俺の勘がそう言ってる」
単なる当てずっぽうなのか、経験則からくる直感なのか、アテにならない相馬眼で解説する。
馬にまったくのド素人であるメリーは半分も聞かず、リュミエールをつつく。
「ちょっと、乗ってみなさいよ」
その指示に黙って頷きながら、リュミエールは金獅子の馬体をぐるりと眺めていた。
ヒートの言葉通り、いい馬だ。
きっと速いだろう。
それは日頃から軍馬を扱っている身からわかる。
みっちりとついた筋肉と細くて今にも折れそうな華奢な脚のアンバランスが心を惹きつける。
この脚がすさまじいスピードをもたらすのが信じられない。
しばらく引き運動で慣らして、金獅子は止まった。
脚をぴったりとそろえて、首をあげる。
人間で言えば気を付けのポーズ。
上品でいて、堂々と、静かに自然に、優雅な動作。
その様子に、またしてもヒートが口笛を鳴らす。
「こいつは上玉だ」
腕を組んで真剣な目で見ている。
「リュミエール、走ってこいよ。こいつはきっとすごいぞ」
リュミエールはただ頷いた。
馬の良し悪しはわかっているつもりだ。
「センセイ、乗らせていただきます」
厩務員が用意した踏み台に足をかけ、金獅子の首に触れたときだった。
長い首を曲げて、後ろを振り返ってきた。
初めて意志を示したようだった。
「ああ。よろしく頼むよ」
ぽんぽんと首元を軽く叩くと、金獅子はぶるると軽くいなないた。
尻尾をふって、早く乗れとでも言っているようだった。
鞍に手をかけ、長い足を反対側へまわし、またがった。
鐙(あぶみ)に足をかけず、鞍に体を預けた状態で手綱を手に取った。
ハミに手綱がかかっていることを確認し、リュミエールは金獅子の脇腹に靴で合図を送る。
スイッチが入ったように、金獅子は加速した。
軽い駆け足にもかかわらず、リュミエールはしがみつくように鞍を股で挟んだ。
風を切り裂いていく感触。
視界の奥にダラダラと走っている疾風の様子が伺えた。
金獅子も視界に疾風を捉えたようで、一段階ギアをあげて、加速する。
風の音が違う。
しっかりと掴まっていないと振り落とされてしまうと思えるほどの迫力で踏み込み、地面を蹴っていく。柔軟なバネで一気に前に進むような感覚。名馬を天まで飛んでいく馬と表現することがあるが、その通り空を飛ぶのに近いのではないか。
疾風にあっという間に追いつき、あっさりと抜いていく。
やがて、指示も出していないのになだらかな減速。
前を走っている馬は簡単に抜けるぞ、金獅子が態度で示した。
メリーや調教師の下へ戻ると、下馬するリュミエールにまたしても金獅子は一瞥をくれる。
お礼代わりにぽんぽんと首下を叩く。
「いい馬だろう?」
調教師は笑いながら、リュミエールに問う。
「ええ。いい馬です。この馬は賢い」
リュミエールは断言し、当たり前だといわんばかりに金獅子は息を吐き、頷いた。
「ようやく追いついた」
疾風とミストが遅れてやってきた。
ぴりぴりとした金獅子とリュミエールとは一転、こちらは笑顔が浮かぶ。
気のせいか、疾風も満足そうに口をほころばせている。
「いやあ、金獅子はすごいね。でも、疾風だっていい馬だよ、この馬は本当にタフ」
簡単な感想を述べ、疾風の肩を叩き、激励する。
「疾風は逃げ馬? さっき、金獅子に形だけでも抜かれたら、露骨に走る気をなくしてた」
「よくぞ特徴をおつかみになられて。対して、金獅子は後ろから行くタイプです。先ほどの様子がすべてを物語っています」
金獅子は遠くを走っている疾風めがけて一直線に抜きに向かった。
指示など出していない。
金獅子は鞍の上にいるリュミエールに能力を見せつけるために、疾風を標的にしたのだ。
「これは提案なのですが」
調教師が簡単な作戦を述べ始める。
レースではとにかく先頭にこだわる疾風を行かせて、レース後半、その疾風めがけて金獅子が一気に末脚(すえあし)を爆発させる。
「もちろん、疾風が逃げ切り勝ちをおさめてしまってもよいです」
前で粘る、後ろから差す。
この二本立てで勝負に挑む。
「いいわね。わたしにもわかりやすい」
競馬のド素人であるメリーも勢いよく頷く。
「俺もいいと思う。鞍上もレースに慣れてないだろうから、他の馬の出方を見るより自分たちでペース作る方がやりやすいな」
通を自称するヒートも同意のようだ。
しかし。
「やはり、わたしが乗る、という方向性で決まりですか」
リュミエールが口を挟む。作戦のことではない。
騎手のことだ。
「金獅子はリュミエール、疾風はソルティ。決まりよ」
メリーが断言する。
む~、と唇を突き出し、残念だと露骨に表情に出すのは姉のミストの方だ。
「わたしは職業騎手の方に依頼すべきと進言いたします」
「却下」
「まずは前哨戦がございます。そこで力を測ってみてはいかがでしょう。この馬たちならコースを周ってくるだけで、大負けすることはないでしょう。それと、これを」
まあまあと仲裁に入るように調教師が提案する。
提案ついでに、調教師からメリーとミストそれぞれに騎手用の鞭が渡された。
「私は乗らないわよ」
「ええ、これは皇室専用の鞭です。これを渡すことが騎乗依頼になる、まあ、いわば儀式的なものです」
持ち手と鞭の先端の革の刺繍に王冠。
メリーはまじまじと見つめていた。これが馬用の鞭かと。
「意外と短いのね」
ステッキとも呼ばれるが、しなりのある細い棒に革の切れ端がついているようなものだ。
メリーが感心している時に調教師はリュミエールとソルティーの肩を叩いた。その意味を二人は理解し、揃ってひざまずき、頭を垂らす。儀式的、といったが、まさに儀式だ。
メリーはリュミエールの前に、ミストはソルティーの前に立ち、鞭を授ける。
「わたしが約束したいのは、ふたつ」
よくききなさい、リュミエールに向かって言っていた。
「無様な負けはしないこと。自分の力を最大限発揮すること」
リュミエールは黙ってうなずき、鞭を手にした。
続いて7話
前哨戦の青空賞。
終わってみれば何もできず、とりあえず一周して規定の着内に落ち着いた。
ただそれだけである。
金獅子の感触は抜群だ。
だがしかし、それを導く騎手が未熟では勝てる戦いも勝てない。
どうしても勝ちたい戦いに勝つためには手段は選ぶべきではない。
まして、体面を気にして、勝ちを落とすことは避けたい。
そういう意味で、何度も進言をした。
職業騎手をつかってほしい。
ロイヤルガードは馬に乗ることが本来業務ではない。
乗れるだけだ。
毎日のように馬に乗って、勝負勘を養っている職業騎手と比べるまでもない。
メリーは頑として、リュミエールの言葉に耳を傾けない。
リュミエールはヒートとソルティーをつかまえて、どうしたら殿下に自分の意見を理解してもらえるだろうかと訴えた。
しかし、ヒートとのソルティーの答えはリュミエールが望むものではなかった。
なによりも今回の相手、ウィリアムが同じように自身が騎乗して結果を出しているから。
ウィリアムは海の男であり、専門は船だ。
もちろん、競馬で騎乗したことはないだろう。
それでも前哨戦を圧勝した。馬の力もあるだろうが、それであれば条件は同じだ。
つまり、ウィリアムに出来て、リュミエールに出来ないことはないだろう。
そういう結論になった。
決闘を挑まれたからには、リュミエールで勝負したい。
自然な話だとヒートは語り、ソルティーも納得していた。
それだけ信頼されているんだと力説するヒートではあるが、リュミエールは納得しない。
「ウィリアム氏は単なるパフォーマンスです。わざわざ同じ舞台で勝負することはない。勝てる最善の手段をとるべきでは?」
金獅子にまたがったからこそ、自信を持って訴える。
一流の職業騎手ならば、間違いなく勝てる。
メリーの指示は絶対なれど、判断を誤ることもある。それを糺すのもロイヤルガードの仕事。
リュミエールは前哨戦が終わり、結果が出なかったからこそ、メリーにもう一度進言する決意があると仲間二人に伝えた。
だが、ソルティーは怪訝な顔をする。
「わたしは結果を出した。それは忘れないで」
日を置いて、リュミエールはメリーに競馬の話題を切り出した。
勝つための手段として職業騎手をつかうこと。
ウィリアムにあわせる必要がないこと。
金獅子の強さは間違いないが、扱いに癖があること。だから、手慣れている職業騎手こそがふさわしいこと。
しかし、メリーは頑なに首を縦に振らない。
それどころか、どうしてそんな言い訳ばかり並べるの? と逆に詰められてしまう。
これまで通りの流れだ。
「結果が出なかったからです。このままでは殿下にご迷惑をおかけしてしまう。ならば最善の方法で」
「迷惑?」
――わたしはそんな風に思ったことはない。
メリーは強い口調で、冷静にはっきりと言い切った。
「あなたで負ければそれまでよ。言わせないで」
当たり前だとばかりに、話を切り上げようとしてしまう。
「では、殿下。わたしがいなければ、わたしの提案を認めてもらえますか」
メリーの眉間にしわが寄る。
「どういうつもり?」
静かに、だが、問いただすように。
リュミエールも冷静に返す。
「わたしが職を辞せばよいのではないかという結論です」
リュミエールがいなければ、騎手を頼む人間がいなくなる。
そうすれば職業騎手に依頼するしかない。勝つための手段だ。
メリーは言葉に詰まった。
そのうちにみるみると目に涙がたまってきた。
唇をふるわせて、やっと言葉を口にした。
「……そんな、どうしてそんなこと言えるの?」
頬は紅潮し、涙は頬を伝ってぼろぼろとこぼれおちる。
扇子をふりあげてリュミエールをなぐりつけようとしていたが、力が抜けるようにやめて、走り去った。
リュミエールは天を仰ぎながら、あの王冠の刺繍のある鞭をその場に置いた。
これでいいんだ、とつぶやいて。
Next corner
今日はここまで