恋って、ふわふわで、きらきらで、優しいものだと思ってたんです。そう、あの……『初恋メモリー』みたいな……あ、えっと、『初恋メモリー』っていうのはその……恋物語?です。だからちょっと、びっくりしたっていうか。こんな、……こんな、身体が燃えそうになるくらい熱くなって、心臓が痛いくらい跳ねて、逃げ出したくなるような気持ちになるなんて、思ってなくて。
だから、その……あの……ごめんなさい。先生が悪いわけじゃないんです。決して。
*
多分、初めにあれ?って思ったのは、カルエゴ先生がモノノキ先生と話しているのを見たとき。廊下の端っこの方で、きっと何か授業に関する打ち合わせをしてるのだろう真剣さで話していた二人が、ふっと顔を上げて少しだけ面白そうに笑った。満面の笑みとか、嬉しくて仕方ないとか、そういうのじゃなくて、苦笑って感じの笑いかただったけど、どうしてかそれが……嫌だった。嫌だな、と思った。でも考えれば考えるほどどうしてそれが嫌だと思ったのかがわからなくなって、僕はそれを忘れることにした。
次におかしいなと思ったのは、いつもと変わらないはずの使い魔の授業のとき。本当にいつもと何も変わりなく、いつもと同じようにカルエゴ先生を膝に乗せて、ブラシッシングしてるだけ。いつもと違ったのは、そのカルエゴ先生がいつのまにかうとうとと僕の膝の上で舟をこぎ始めていたところだった。自分にも他人にも厳しくて、甘えることを許さない先生の珍しい姿に僕はちょっと嬉しくなって、ブラシを置いてその丸い背中を優しく撫でた。オペラさん直伝のブラッシングでつやつやに整えられた毛並みは気持ちよくて、撫でている僕の方が気持ちよくなってくる。
そうやって先生を撫でていると、そのうちにじわじわとした熱が胸からせりあがってくるような気持ちになった。先生が僕の膝で寝てる。きっと、他の誰かじゃなくて、僕だから、僕の膝の上だから、気を抜いて寝てる。きっと僕は先生の特別なんだという思い上がり。思い上がりだとしても、そう思ってしまうようなことが起きていること自体に、どうしようもない嬉しさがこみあげてくる。
僕はご機嫌で先生を撫で続けていた。……はずだった。
「あれっ、イルマくんの使い魔、寝ちゃったの?」
ふいにかけられた声に振り返ると、ロビン先生がこちらを覗き込んでいた。すっごく仲良くなれたんだね、というロビン先生の嬉しそうな声に返した「はい、そうなんです」という僕の声は、僕が想像していたよりもずっと冷たく響いて、思わず喉を押さえた。
「イルマくん?どうかしたの?」
心配そうに僕を見るロビン先生に、出来るだけ明るく聞こえるように「大丈夫です、なんでもありません!」と返した。今度はきちんとできただろうか。
「でも、あんまり喋ってると起きちゃうかもしれないので……すみません」
「あっ、そうだよね!ごめんね!」
口元を抑えて焦ったように小声で喋るロビン先生は、「集合の時間まではあんまりこっちに来ないようにするね!そのかわり、集合の時間になったらかわいそうだけどきちんとその子を起こすこと」と指示を出すと、音を立てないように気を付けてるのだろう忍び歩きで足早に去っていった。
膝の上で、すっかり寝入ってしまった先生がぽてんと横向きに倒れる。それがどうしようもなくかわいくて小さく笑みを溢しながら、どうしてさっきロビン先生にあんな態度をとってしまったんだろうと考える。ロビン先生は良い先生だ。ちょっと落ち着きがないところはあるけれど、いつも楽しそうに授業をするし、使い魔のことをきちんと考えてくれている。ロビン先生の授業は楽しくて好き、なはずなんだけど。
ロビン先生に声をかけられたとき、嫌だな、と思った。だからあんな声が出てしまったんだろう。多分これは、前にモノノキ先生とカルエゴ先生が話しているのを見た時に感じたのと一緒だ。問題は、何が嫌だと思ったのかがやっぱりわからないということ。
ロビン先生に声をかけられること。嫌じゃない。先生が僕の膝で寝てること。嫌じゃない。むしろ嬉しい。先生が寝てるところを、ロビン先生に見られたこと。
「……いやだ」
ぽつり、と漏らしてしまってから、慌てて誰も周りにいないことを確認して、それから膝の上の先生が目を覚ましていないことも確認して、ほっとため息を吐く。さっき、ロビン先生にしてしまったような、すごく冷たい声。自分でもちょっとぞっとしちゃうくらいに冷たい声。
どうして僕はこんなにも、ロビン先生にカルエゴ先生を見られたくないんだろう。そう考えてから、もしかしたらロビン先生だけじゃないかもしれない、ということに気が付いた。これがもし、ロビン先生じゃなくて、アズくんやクララだったとしても、オペラさんだったとしても、おじいちゃんだったとしても、僕は多分、嫌だなと思う。でも、それってどうして?
膝の上の温もりは未だ丸くなってすうすうと寝息を立てたままだ。その柔らかな毛並みに、今度は撫でるんじゃなくてそっと手をかざすようにして触れてみた。トットットッという少し早めの、けれど規則的な鼓動が手のひらを通して伝わってくる。
そのまま僕は、ロビン先生に再び声をかけられるまでずっと先生の鼓動を手のひらで聞いていた。
*
「……あの、ですから。その時は本当にまだ全然、わかってなくて。だってそんな、人のことを傷つけてしまうような、ドロドロしたものだなんて思いもしなかったので」
「分かった。分かったからいい加減粛にしろ」
片手で少し赤くなってしまった顎のあたりをしきりに撫でながら、カルエゴ先生がもう片方の手で僕の頭をわし掴む。サラマンダー・フラワーみたいに真っ赤になってしまっているであろう僕の顔には、彼の手の冷たさが少し心地良い。二人してふうと息を吐いた。
事の発端は、放課後に先生に呼び出されたこと。最近は問題を起こしていないと思っていたので、一体何を叱られるんだろうとドキドキしながら向かった先で言われたのは、「いい加減にそのどっちつかずな態度をなんとかしろ」ということだった。心当たりのまるでない叱責に首を傾げていると、カルエゴ先生はガシガシと撫でつけられた髪を乱す勢いで頭をかき、「貴様の、そのあまりにも分かりやすく恋をしていますという態度をなんとかしろ」と言われ、まさか自分の感情が恋だなんて思ってもみなかった僕は混乱して勢いのまま飛び上がり、カルエゴ先生のあごに綺麗に頭突きをかましてしまった……というのが、ここ数分間の出来事。一体いつからそんな態度をとっていたのかと心当たりのあるところまで遡って必死に弁明したところ、顔面をわし掴まれたというわけだった。落ち着いたとみなされたのか、ようやく解放された顔はなんだか少しばかり彼の手の形に歪んでしまっているような気がする。こめかみがちょっと痛い。かなりの力で掴まれてたみたいだ。
「それにしても、僕、そこまで分かりやすかったんでしょうか。自分でも気づいていなかったのに、その……よりにもよって、という言い方はアレですけど。カルエゴ先生本人にそんなことを言われてしまうなんて」
「私としてもあまりにも自惚れすぎである台詞を言いたくはなかったが。最近の貴様の態度が酷すぎたせいで言う羽目になったのだ。少しは自覚して反省しろ」
「……自覚したいところなんですけど、心当たりがありません」
「……本気で言っているのか?あの、授業中に目が合うだけで真っ赤になりあからさまに目を逸らしてきたり、そのくせ隙を見つけてはどうでもいいことで話しかけてきたり、極めつけは寝言で人の名前を呼んだあとに好きだのなんだのと宣った貴様が”心当たりがない”、と?」
「あっ!そっか、僕、カルエゴ先生に恋してたから先生のこと見るだけで顔が熱くなったり少しでも長い間そばにいたかったりしたんだ……そういうことだったんですね!」
「何をすっきりした!みたいな顔をしている貴様!反省しろと言っているだろう!」
今度は顔をわし掴まれるだなんてかわいいものじゃなく、まっすぐと脳天に拳骨が落ちてくる。思わず後ろにひっくり返って呻いた。一瞬躾が下っちゃうんじゃないかと思ったけど、聞こえてくるのは僕の呻き声ばかりで彼の悲鳴はそこになかったので、多分使い魔状態じゃないと躾は下らないんだろう。ちょっとほっとした。
それにしても。じくじくと痛むタンコブを抱えてなおも呻きながら思う。
さっきひっくり返る直前に見た先生の顔は、ちょっと赤くて、いつものあのしかめっ面とは違った焦ったような顔をしていて。もしかして脈があったりだとか、したらいいのになあ。いや、ないか。あったらきっと、僕はこんなタンコブをこさえたりだなんてしていないはずだから。
後日、「自覚しただけですっきりするな阿呆!」と再び拳骨を落とされ、何故か告白の催促をされるというのは、ちょっとばかり理不尽だなあと思った。