お隣さま婚、というらしい。
昨今有名芸能人同士がゴールインすることが増えた。しかも、一度もマスコミに察知されずに。その理由の一つに、同じマンションの別棟に住むことで、週刊誌の記者に撮られることなく行き来ができるし、万が一撮られたとしても「同じ場所なだけで別の建物ですよ」なんて言い逃れができる、ということのようだ。
適当な夕食を片付けた後に適当にテレビのチャンネルをザッピングしていたら、そんなことを言っていた。「そんなわけで今、芸能界では“お隣さま婚”がブームなんです!」とのたまうテンションの高いリポーターの声に顔を顰めて、A子は「ブームなのはあんたらがプライベートもお構いなしに追いかけまわすからじゃないの」と呟いた。ていうか別棟てなんだ。どんだけ広いマンションなんだ。
いかん。一人暮らしだと、つい独り言が多くなってしまう。缶ビールを開けているとなおさら。
気を取り直してまたチャンネルを変えると、精悍なアスリートがスーツ姿でスタジオに立っていて慌てて音量を上げた。司会の局アナはなかなかの長身でスタイルもいいが、横の男性に比べると細くて小さく見える。何せ、百九十を超える長身なのだから。バレーボール日本代表、牛島若利は。
アスリートのスーツって、特注なんだろうか。特注なんだろうな、やっぱり。たくましい胸筋や右より太く見える左腕のあたり(ウシワカはサウスポーなのだ)を見ながら思う。明日は休みだから、ビールをもう一缶開けることにして、それからスマホで実家の母にメッセージを送る。
『ウシワカ、テレビに出てるね』
返事はすぐに来た。『見てる(^^♪』それは何より。母は牛島選手のファンで、まだ彼がポーランドのチームに海外移籍する前、どうしても生で見てみたいという電話がかかってきたくらいだ。その頃はちょうどバレーボールブームの火が付き始めた頃で、牛島選手を含むモンスタージェネレーションと呼ばれる若い世代が世間を注目を集めていた。結構かっこいい選手も多くて、東京で働き始めたばかりだったA子も興味を持ってチケットを取ることにしたら、普段は出不精の父も「行きたい」と言い出した時には驚いた。
「おとうさん、バレーに興味あったの?」
驚いて、いつもは母にかけてばかりの実家への電話で父に代わってもらったら、もじもじとさんざん恥じらった挙句に「影山選手を見てみたいんだ」と告白された。影山飛雄。ちょうど電話しながら開いたVリーグのチケットサイトのビジュアルのど真ん中、センターを張っている選手。なるほどなあ。そっちかあ。精悍な武士みたいな牛島選手とはまた違う、綺麗に整った白い顔と黒髪。ていうか何もじもじしてんのおとうさん、と思いながらチケットを取った。三人分。
三人で行った当時彼ら二人が所属していたシュヴァイデンアドラーズの試合は見事勝利をおさめ、あれこれとグッズを買いそろえた母はうきうきと牛島選手のサインの列に並んだ。悩んだ挙句に影山選手の顔プリントいりマフラータオルだけを買った父が、「こんなおじさんに並ばれても影山選手も迷惑だろうし」と乙女みたいな恥じらいを見せたので、「死ぬほどファンいるんだからそんなの気にしないって」と肩をどついて送り出したところ、影山選手の列には結構父みたいなおじさんがいて驚いてしまった。バレーファン、なかなか幅広い。母は若い女の子が多い牛島選手の列に楽し気に並び、「かっこよかった!」と満面の笑みで戻ってきた。父は夢うつつで戻ってきて、「顔がよかった……」と乙女のような口ぶりで呟いていた。私はせっかくだからと星海選手の列に並んで、父譲りの高身長(百七十五)の私よりたぶん少し背が低い彼が、サインのついでに思いのほかがっしりと大きい手で握手してくれたのにうっかりときめいてしまった。楽しい一日だった。
その後牛島選手はポーランドのチームに、それから影山選手もイタリアのチームに移籍してしまって、試合を家族で見に行けたのは一度きりになってしまった。実家の方では、海外の試合を見れる有料チャンネルを契約してそれぞれの推し活を楽しんでいたようである。
彼らは長く海外のリーグで活躍したが、去年牛島選手が、そして今年影山選手が日本のリーグに復帰した。それもどちらも古巣シュヴァイデンアドラーズに。興奮した両親にチケットを取ってくれとせがまれたが、五輪でも活躍した彼らが復帰して以降チケットのとりにくさがピークに達していて、なかなか実現できないでいる。
低く豊かな声でアナウンサーと話す牛島選手を見ていると、にわかに試合を見に行きたい気持ちが盛り上がってくる。昔から落ち着いた風貌の人ではあったけれど、体の厚みと、それから貫禄が増した。今頃母はテレビの前でうっとりと眺めていることだろう。そこでテレビの中の話題がバレーのことからプライベートのことにそれて、「牛島選手は休日はどんな風に過ごされているんですか」という質問が投げかけられる。
「そうですね……あまり出かけずに、家で、料理をしたり、試合の録画を見たり」
「おひとりで?」
横から割って入ってきた朗らかな女子アナの声に、A子は思わず緊張する。母はリアコ、ガチ恋、言い方は何でもいいが、とにかく牛島選手の恋愛沙汰には敏感なのだ。「別に私が牛島くんと結婚できるわけじゃないけど」、と父の横で言う。「それはそれ、これはこれ」。おとうさんが複雑な気持ちになりやしないかと横の父の表情を伺うと、「わかる」と頷いていた。わかっちゃうらしい。
「いえ」、という牛島選手の声に、心臓が跳ねる。心なし司会の男性アナの唇がひくっと動いたような気がする。
「影山が一緒のことが多いですね」
「あっ……影山選手。なるほどお……えっと、牛島選手のおうちで?」
「影山は同じマンションに住んでいますので。部屋は違いますが」
「なるほどなるほど。仲がいいんですねえ」
「そうですね、今年の正月も、結局影山と二人で」
「なるほど。お正月! え、実家の方にお帰りになったりはされないんですね。確か宮城ですよね?」
「うちのチームは年末ぎりぎりまで練習で、休みは大晦日と元日だけですから。帰省は、そうですね、もう少し長い休みの時に」
「なるほどなるほど……」
なるほどを繰り返すアナウンサーと牛島選手の話題はまたそこから逸れてゆき、最終的には今度放送される国際試合の宣伝で締め、つつがなく放送は終わった。たぶん。インタビューに聞き入って飲むのを忘れていたビールの残りを呷りながら、A子は「牛島選手と影山選手もお隣さんだったんだ」とまた一人で呟いた。
「そうではなくない?」
日向が突然そう言うものだから、おたまで鍋のあくを取っていた影山は「何だよ」と言い返した。
「あく取ったほうがいいだろうが」
「いやちげーよ。その話ではねえよ」
「影山そっちあくとれてないんだけど。ほんと雑」
「ああ? 文句あんなら自分でやれよ月島」
「じゃなくてさあ!」
影山と月島が言い合うのを遮って、日向がテーブルに手を突く。彼の学生時代よりずいぶんたくましくなった肩越しに、試合の録画を見る用に買った大画面のテレビが見える。先ほどまで牛島が映っていた画面では今はよくわからないドラマが始まっていて、客の癖に終始偉そうな月島が「ねえチャンネル変えていい?」とリモコンを手にした。
高校在学中はきっと親より顔を合わせる時間が長かった同期たちと、卒業後はなかなか会うことが難しかった。宮城に残った月島と山口はともかく、日向がブラジルに行って戻ってきたと思ったら今度は影山がイタリアに、また日向がブラジル、その他あれやこれや。このごろようやく四人が日本に揃って、どうにか予定をすり合わせて同期飲みが成立した。と言っても、山口はリモート参加になってしまったが。月島が用意したiPadの画面にまだ現れない山口(仕事で遅れるらしい)がいれば突っ込んでくれたのに、と日向は嘆き、「違うじゃん」と繰り返した。
「だから、何がだよ」
「だからあ、牛島さん。今のさあ」
影山は同じマンションに住んでいますので。部屋は違いますが。
日向が眉をしかめ、無理やり低くしたみたいな声で言う。「何それウシワカの真似? 似てないから」と言う月島は多分結構、ウケている。
「違うじゃん?」
「だから、何が。違わねーだろ」
「違うじゃん! 例えばさ、さっきの番組をさ、ライトなバレーファンのA子さんが見てたとするじゃん?」
「A子さんて誰」
「そしたらA子さんはさあ、牛島くんと影山くん同じマンションなんだーお隣さんなんだ♥とか思うじゃん?」
「お隣さんではなくない?」
「だから誰だよA子さん」
「でも違うじゃん! 同じマンションとかそういうことではないじゃん! 一緒の部屋に住んでんじゃん!」
日向に叫ばれ、ダイニングテーブルの真ん中に置いた鍋からあくを救うのに集中していた影山はようやく顔を上げた。同期飲みの場所をどこにするかにあたって、検討の結果まあ日向も影山も世間に顔が売れていることでもあるし、ということで影山家に決まった。影山家と言うか、牛島家と言うか、二人で暮らすマンションの部屋に。
影山がイタリアから帰国して古巣であるシュヴァイデンアドラーズに復帰することが決まり、一年早くポーランドから帰国して同じく復帰していた牛島と同居を始めたのはここ一年ほどのことだ。試合中や仕事中、というか家の外ではほとんど外しているけれど、家の中では牛島も影山も、互いに贈りあった揃いの指輪を左手の薬指につけている。
今も影山の手に鈍く光るそれを見やってくちびるを尖らせる日向に、「違くねえ」と言い返す。
「部屋は違うし」
「部屋あ?」
「寝室。ベッドは別」
ぺしっと頬に何かが飛んできて、左手でまさぐるともやしだった。投げつけてきた犯人である月島に投げ返そうとしたのに、外れてテーブルに落ちたのに舌打ちする。「何すんだクソメガネ」
「生々しい話やめてくれる?」
「何が。どこが」
「あーヤダヤダ、王様とウシワカのそういう話だなんて」
そう心底いやそうにぼやいたくせに、月島はその話題を続けた。
「大体さあ、あの人、さっきのどういうつもりで話してるワケ? まーたいていの人はさっき日向が言ったみたいに解釈するだろうけどさ。それを見越して言ってるの? それとも天然? 匂わせするウシワカとか解釈違いなんですけど」
「ニオワセって何だ」
君に説明しても理解できるとは思えない、と失礼なことを言われてむっとする。まあ失礼でない月島は月島じゃないという気もする。牛島が帰ってきたら聞いてみよう、と思う。今日の飲み会を恋人は「俺も出ているから」と快諾してくれていた。先ほどの番組は生出演だったのだ。
月島のスマホに山口から連絡があって、もうすぐ家に帰ってリモート参加できるらしい。iPadをいじり出しながら、ふと「意外だったな」と月島が呟いた。
「何が?」と聞く日向に、「山口がさあ」という声が続く。
「僕らの中で一番先に結婚するのはおおかたの予想通りだったけどさ」
山口が今日直接参加できなかった一番の理由は、子供が生まれたばかりで、家族が最優先だからだ。子供好きの日向は寝顔でもいいから画面で見せてくれないかな、なんて呟いていた。
「その次が影山だなんて、思いもしなかったな」
「……俺?」
結婚はしてねえけど。そう返すと、テーピングをしている指先で、ついと指さされる。たぶん、影山の左手の指輪を。月島の指にも日向の指にもまだ指輪はない。
「もう、してるようなもんじゃん」
そう、呟くように言う月島の頬はうっすら赤い。それほど飲んではないけれど、アルコールに強くないのだ。
「そうか」
だよなあ、と横から日向も言うので、そうなのか、と思う。
オメデトウゴザイマス?と、月島が変なふうに語尾を上げて言う。日向が面白がって真似して、もやしを投げつけられて鼻に入ったのに笑う。
鼻を拭いたあとで、日向は「まあ、影山んとこもお隣さま婚みたいなもんかもなあ」と呟いた。
「オトナリサマコンって何だ」
今度は日向に聞いたので、彼はうーんとうなって影山に説明を試みた。
「だからあ、あ、ほら、この前○ッキーが結婚したじゃん」
「ガッ○ーって誰だ」
「嘘だろお前」
信じらんねえ!と日向が絶叫する横で、ipadの画面にようやく山口が現れた。焦ったのか、顔がやたら近い。月島が「山口近い、近いから」とツボに入ってようだ。
『やーごめんごめん遅くなって! ビール買ってきた! 乾杯しよ!!』
もう何もかもどうでもよくなって、とりあえずそれぞれ手近の酒を引き寄せる。乾杯、と四人の声がもう全然揃わなくて、影山も日向も月島も山口も、笑った。
おしまい!
夜中にお付き合い有難うございました!