加代子は私の一番の友達で、一番の理解者だ。きっと加代子にとっての私も同じで、私たちは物心ついた頃からずっと一緒にいる幼馴染みであり、親友であり、もはや家族である。
 私には加代子以外にも友達がいたが、加代子はそうでもないようだった。高校生になって違う学校へ進学してしまったせいか、それまで仲良くしていた中学までの共通の友達とも疎遠にしていて、私が学校生活を送る中で加代子の話題を聞くことは、今では一切ない。
 それでも私と加代子の関係は良好なままで、私の部屋で宿題を進めている加代子は、空いた左手でセーラー服のリボンをいじりながら、制服への文句を垂れている。二次関数の応用問題を解いているのに余裕らしい。
「あたしも亜紀と同じ高校にすれば良かった」
「また言ってる……。飽きないね」
「だってブレザーの方が可愛いんだもん」
「加代子は頭いいんだから、私と一緒のとこじゃ勿体ないでしょ」
「先生みたいなこと言わないでよー!」
 テーブルの向かいから白い拳が飛んできたので、笑って払った。それに対して加代子も笑う。一緒に笑ったら文句なんてどうでも良くなって、嫌なことはなんとなく薄れて、いいことはちょっぴり濃くなって、私たちの記憶はいいことばかりが目立つようになる。
 一緒にいればいるほどいい関係。それが、私と加代子の二人組なのだ。
 進学先が分かれてしまったのは仕方がない。学校でも一緒にいたかったけれど、三年間は我慢だ。
 ブレザーの制服だらけの学校で、私はいちご牛乳片手に、もう一人の幼馴染みのロングヘアーを指先に絡めた。小学生の頃からずっと同じクラスで過ごしてきた遥とは、高校二年生の今でも同じクラスで過ごせていて、運命だの奇跡だのと度々笑いの種になる。
「昨日さ、加代子とさ」
「あんたがたどこさ?」
「ちがう! 加代子と勉強してさ」
「肥後どこさ?」
「はーるーかー!」
 指に絡めていた髪を引っ張ったが、遥はけらけら笑って受け流した。
「で、加代子と勉強して何? しょっちゅう一緒にいるじゃん」
「やっぱ同じ高校が良かったなって」
「それ言い続けて二年目の秋じゃん?」
 私はもう一度遥の髪を引っ張った。強く引っ張りすぎて怒られたけれど、私にとっては二年目の秋になっても言い続けるほどの後悔なのだ。きっと来年も言い続けているに違いない。
「だって、加代子がいないと文化祭も体育祭も合唱コンクールもなんだかつまんないし」
「高校入って友達できたでしょ。失礼だよ」
「わかってるけど、加代子は特別なんだもん」
「でしょうね。まあ、そろそろ加代子離れしなさいな。子どもじゃないんだから」
 高校二年生は立派な子どもだ。でも、年々成長する体は既に大人に近いのだとわかっている。きっと頭の構造だって大人に近くて、中学生の頃には思いつかなかったようなことを考え、小学生の頃には感じ取れなかったことを察しているし、逆に自分の中に子どもっぽい部分を見つけたら、それらはできるだけ排除していかなければならないことも理解している。
 だから遥の言うことは正しくて、加代子がいないと楽しくない私は間違っているんだろう。悔しいけれど。
「あんた、昼休み終わったら早退するんでしょ? 支度しなよ」
 遥に追い払われる形で、私は自分の席に戻った。今日は月に一度の病院の日で、もうじき母が迎えに来る。何の異常もないのに通い続けている病院に今更不信感を抱こうとは思わないけれど、午後の授業に体育がある日の早退は嫌いになった。高校の体育教師はイケメンだったのだ。それを加代子に教えたら、「ブレザーってだけでもずるいのに!」と駄々をこねて面白かった。
 今日は体育のある日の早退だけれど、面白い加代子を思い出せたので許すことにする。
 校門の前に車を停めている母と合流して診察の受付を済ませながら、小児専門の総合病院でしか見られない光景をぼんやり見渡した。患者は皆子どもばかり、赤ちゃんもいる。自分で歩いていたり、抱っこされていたり、ベッドのようにフラットな状態のベビーカーに乗っている子もいて、移動手段も様々だ。私のように一見なんともないように見える子もいれば、一目で何か難しそうな問題を抱えていることがわかる子もいて、大人が行くような総合病院とはまた違った特殊さがある。
 ここに来ると、自分の中にも難しい問題があるのではないかという不安に駆られるのもあって、私は通い慣れたこの病院を好きになれない。だって私は自由に動き回れるし、健康だし、授業にもついていけている。加代子ほど頭は良くなれなかったけれど……。
 診察室に一人で入ると、先生はキーボードに両手を乗せたままにこやかに挨拶をした。
「こんにちは、先生。今月も変わりないですよー」
「うんうん、その感じも相変わらずだね。お母さんとはどう?」
「別に普通です。朝会って、夕方会って、一緒に暮らしてます」
「お父さんは?」
「お父さんも一緒だから普通。でもお父さんとはあんまり喋ってないです」
「お母さんとはどんな話をしてる?」
「学校の連絡事項とか……。あとは、加代子が帰る時に知らせてます。教えてって言われてるので」
 先生はずっとにこやかなままで、私が受け答えをする度にキーボードを叩いていく。そうして一通りの問答を終えると、今度は母と交代するのだ。「じゃあ、また来月ね」と締めくくられて、私は待合室へ出た。予約制の診察だというのに、待合室にはある程度順番待ちの親子がいる。全部で四つある診察室のせいだ。それぞれどの診察室へ入る人なのかわからないけれど、この待合室にいる親子はみんなどこも悪そうに見えない。
 私の代わりに診察室へ入る母の背中をちょっと振り返ってから、さっきまで母が座っていたベンチに座ろうとしたとき、視界の端にセーラー服が見えて顔を向けた。加代子だった。加代子もこの病院へ通っていたのは知らなかったので、隠し事なんて水くさいことしてるなよ、という気持ちを込めて呼び止めた。加代子は一人だった。
「ちょっと、なんで内緒にするの?」
「何を?」
「ここに来てたことだよ。どこか悪いの? お母さんと一緒?」
 加代子は、加代子にしては珍しく、表情のない顔で私を凝視するだけで何も言おうとしない。
「もしかして、私にも言えないほど悪いの……?」
 押し寄せる不安のせいで怖くて、加代子の両腕を掴んだ。温かくていくらか安心できるけれど、それでも見慣れない加代子の様子が怖かった。
 加代子の目がすいと滑って、待合室へ向く。私もつられて同じ方を見ると、ベンチに座る人々のいくつもの視線がこちらを見ていた。黒目の群れが放列のようで、今度は別の恐怖に襲われた。奇異なものでも見つけたような好奇心が、その視線の全てに籠っているのがわかってしまったからかもしれない。子どもの頃にはなかった洞察力が備わってしまったことが恨めしい。
「私、騒ぎ過ぎちゃった。ごめんね、移動しよっか」
 触れていた加代子の腕を引いたが、加代子は動こうとしない。具合が悪いのかと思って表情を窺っても、感情のない真顔があるだけだった。
「加代子、ほんとにどうしたの? 元気ない?」
 私の口を動かしていたのは、心配ではなく恐怖の方だ。早くここから加代子を連れ出さなければ。好奇の視線から逃げなければ。早くしないと、きっとまた大変なことになる。
 きっと、また、あの時のように。
 その後、数時間の記憶がない。動きたがらない加代子を無理やり引っ張って病院から逃げ出し、飛び乗ったタクシーを所持金がなくなるまで走らせた。海まで行けるかと思ったけれど、途中にある小さな山までしか辿り着けなかった。荒れて枝が飛び出しているハイキングコースを登って、やっと見つけた小さな神社で腰を落ち着ける頃には、加代子に表情が戻っていた。息を切らせて額の汗を拭いながら、頬を真っ赤にした加代子は言う。
「戻った方がいいよ、いつまでも逃げ続けられるわけないんだし」
 その沈んだ声に、かちんときた。ハイキングコースを登っている間もずっとこの調子だった。いつもなら一緒に笑って、二人でなんでも楽しくできるのに、今日は全然楽しくならない。
「加代子、ほんとにどうしたの? 今日はずっと変じゃん。病院に行ってたことも隠してたし」
「あたし、もうダメだと思ったんだよね」
「なにが?」
 私は更にかちんときて、いよいよ腹が立った。
「ダメとか意味わからない! なんにもダメなことなんかないじゃない!」
「あるでしょう。亜紀だってわかってるはずだよ。お母さんがどれだけ亜紀のこと心配してるかも、遥がどれだけ亜紀のこと思ってるかも、全部わかってるくせにずっと逃げてる」
「何言ってるの?」
 もうすっかり息を整えた加代子は、立ち上がって拝殿へ進むと賽銭箱を飛び越えて引き戸に手をかけた。慌てて止めようとしたけれど、勢い余ってぶつかってしまったせいで戸は開いてしまった。拝殿の中は真っ暗で何も見えないのに、埃っぽい空気はどっと溢れ出てきて、内部の汚さを想像できてしまう。
 咄嗟に身を引いた私の腕を、かよこは掴んだ。そうして、思いがけない力で、加代子は私を真っ暗闇の中へ引きずり込んだのだ。よろけて、もつれて、二人とも床に転がった。積もっていた埃が舞い上がり、鼻からも口からも嫌な空気が入り込む。ぶつけた肩や腰も痛いのに、頭は加代子の腕に抱えられていて無事だった。それなのに、頭の奥深い部分が焼けるように痛む。おかしい。暗い。痛い。怖い。誰か助けて。誰かって、加代子は? 加代子と協力すればいいのに。
「それはできないって、何度も言ったじゃない」
 加代子の声は鮮明で、落ち着いていた。頭を抱えられているはずなのに、加代子も一緒に転んで体が痛むはずなのに。それはそうだ。だって、加代子は私の頭の中にしか存在しないのだから。
 頭痛の中に、私はずっと蓋を閉めたままでいた記憶を見つけた。わざわざ開けなくても中身はわかる。これは幼稚園に通っていた頃に起きた誘拐事件の記憶だ。私は車のトランクに閉じ込められて、真っ暗な中で二つ隣の県まで移動させられた。怖くて、気持ち悪くて、トイレも行けなくて、トランクの密室は私の吐瀉物と尿とで酷い悪臭だった。死んでしまうのだと思った。お母さんにもお父さんにも会えず、このまま狭い真っ暗闇で死んでしまうのだと。
 しかし、私は運良く生きたまま警察に保護され、今でも通っている病院で手厚い看護を受けて回復し、病室で暇を持て余していたところ、加代子に出会った。
 そう、加代子とは病院で出会ったのだ。自分も入院しているのだと言って、一緒に病室を抜け出して病院内を探検して、ナースステーションに遊びに行ったり、談話室のテレビに夢中になったりして、あっという間に仲良くなった。
 仲良しな友達の話をすると喜ぶ母のために、私は加代子のことを一生懸命話して聞かせた。それなのに母の反応は芳しくなく、翌日には診察室の椅子に座らされてしまった。背後に立って私の両肩に手を添えている母が、先生に早口でまくし立てる。
「存在しない友達の話を一生懸命にするんです。目の前で会話もしているようで、一人で喋っていて……。事件に巻き込まれた後遺症なんでしょうか?」
「心の負担を減らすための防衛が行われた結果、という可能性が大きいと思います。普通に暮らしているお子様でも見られる現象に、イマジナリーフレンドという架空の友達を作るものがあるのですが、スタッフからも話を聞いた上で、亜紀さんの身に起こっていることはどうやらそれに近いようだ、と言えそうです」
「私たちは一体どうすれば……?」
「そっとしておいてあげてください。話してくれたら聞いて、でも根堀葉堀は聞かないで。普通の友達の話をするように、でも少しだけ距離を置いて。大丈夫です、イマジナリーフレンドは短期間で自然に消滅するものなので、幼稚園への登園が再開されて、小学校に通うようになったら、いつの間にか他のお友達に紛れて消えると思います」
 頭上で行われた会話をはっきりと思い出した。嫌な記憶と一緒くたにして閉じ込めていたせいで、ずっと誰にも触れられず、干渉もされず、風化しないまま残っていたのだ。
 加代子は実在しない。
 だから、私が物理的に困っていることに対しては、何もできないのだ。
 転んでできた傷口に絆創膏を貼ってほしいと言った時も、遊びの中でおんぶをしてみてほしいと言った時も、髪を結ってほしいと言った時も、加代子は「それはできないよ」と首を振った。何度もそういうことを繰り返すうちに、私は加代子にできない様々なことを学習していったのだ。
 そんな私の真の理解者は遥で、加代子の存在を否定されてパニックを起こすたびに世話を焼いてくれた。そうだ、遥はずっと私を支えてくれていて、加代子も高校への進学をきっかけに私の自立を促していたのに、私は加代子を手放すことができなかった。加代子が大好きで、大好きだから家に呼んで、大好きだからもっと長く一緒にいたかった。
 加代子ができたきっかけは、凄惨な事件で消耗していたところに、慣れない場所で一人の時間を過ごさなければならない入院生活を強いられたせいだった。でも今は、加代子が好きで、一緒にいたい。
 目が慣れてきた暗闇の中に、加代子を探した。体を起こして、手を伸ばした。
 しかし、そこには誰もいない。
 ブレザーのポケットの中で、スマートフォンが震えている。母からの着信だろう。真っ暗闇に一人で取り残されて、私はどうやって生きていけばいいのか。加代子。加代子。呼んでも願っても出てこないその子の名前を叫んだ。声が枯れるまで叫んで、そのまま喉が裂けて死んでしまえればいいのに。あのトランクの中で何度も叫んだ時のように、強い死の恐怖を感じて、今度はそのまま死んでしまえればいい。加代子がいないのなら、何をしていてもつまらないのだから。
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まな
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まな
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まな
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まな
そです
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まな
かわいい
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まな
「一緒に笑ったら〜」の分めちゃくちゃいい。すきです。
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まな
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まな
あ、こういう時にハート押せばいいのか!
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まな
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まな
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音と字数が被らないからいいかなって
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まな
ひごどこさ
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まな
漢字でいいとおもいます
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まな
いてらです
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まな
すごい、一時間でめっちゃすすんでる〜。
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まな
すごい~~~
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まな
もっと遅筆がいるので……笑
66:34
まな
がんばれ~~~
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友達は多い方がいいよね
初公開日: 2021年05月06日
最終更新日: 2021年05月06日
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無の状態から頑張れるか実験