最初の印象は胡散臭い。それに限る。小学一年生が抱くにしては可愛げのないものなのかもしれないけれど実際そういった感想しか抱けないのだからしょうがない。知らない人に声をかけられてもついていっちゃいけません。まだ教職に就いてから二年しか経っていない担任教師の甲高い声が、五条さんに声をかけられた瞬間にくるくると鼓膜の裏側で渦を巻いた。伏黒恵くんだよね。名前を呼ばれて思わず振り向いた先にいたのは髪も肌も真っ白なくせにその目を隠すサングラスと身体のラインを浮き彫りにする服ばかりが真っ黒な、得体の知れない男で、そしてそれが五条さんだった。その後間もなく知ることだが、あの時着ていたのは高専の制服だった。その後学校を卒業した後も五条さんが身に纏うのは黒い服ばかりだったから、俺の印象は相も変わらず髪と肌ばっかりが白くて他は真っ黒な、胡散臭くて得体が知れない男のままだった。俺がいったいどのように父親に売られたかを簡素に述べ、そうして俺と津美紀がこのままだとどうなるかを小石を水溜まりに落とすみたいにあっさり言いのけた白い顔を睨み付ければ五条さんは喉で低く笑い、あとは任せなさいと俺の頭を乱暴に撫で、俺達の生活や俺の処遇という一切合切をどうにかしてしまった。その後五条さんは俺と津美紀の元に時々姿を現すようにはなったが、胡散臭くて得体のれない男だという印象は変わらない。ただそこに、別の要素が加わることになる。
 最初に加えられたのは、「子供みたいな大人」だったように思う。俺の元に初めて姿を現した五条さんは、ろくな説明もせずに俺をわけの分からないところに連行した。当然俺は暴れたし咄嗟に叫ぼうとした。けれど俺が叫ぶ前に五条さんはひょいと軽い様子で俺を抱えて片足を少しだけ上げ、そして気が付いた時には俺はテレビでしか見たことのないような日本屋敷の真ん前に立っていた。目を見開く俺を放置して五条さんはその屋敷に扉を開け放ち、品のいいお辞儀をする女中達にてきぱきと指示をして、そうして未だに呆然としたままの俺をまた抱え上げ、父親に売られた経緯や俺と津美紀がこのままだとどうなるかを説明した時と同じ口調で君にはこれからちょっとだけ面倒なことをしてもらうよと言った。五条さんにそっと手を握られて初めて、俺は指先までがちがちに固まっていることに気が付いた。五条さんに手を引かれながら這入った部屋で、いくつかの質問をされたり、得体の知れない何かを見せられたりした。その間五条さんはずっと俺の手を握っていて、いつの間にか俺の手の体温の方が高くなっていた。俺の体温が異常に上がったわけではなく、単純に緊張で凍えていた手に血が通っただけだった。そこで初めて、俺はこの人の手が異常に冷たいことを知った。しかしそれは俺の指先が一時的に氷のように冷たくなったのとは違い、五条さんにとってはそれが常温なのだということをその日のうちに知った。五条さんに手を握られながらの検査は三十分程度で終わり、俺はやっぱり五条さんに抱えられながら、来た時と同じように気が付いたら自宅のアパートの前に立っていた。ようやく離された手をさすれば、五条さんに体温を奪われた掌は冷水に浸けたかのように凍えていた。五条さんは急に連れ出して悪かったということを形式的に謝罪し、そして親睦会もかねてご飯に行こうと言った。僕ハンバーグが食べたいな、ココスの。そう言った五条さんの顔は飄々と笑っていて、目がサングラスで隠されているせいで心の底から笑っているのか判別がつかなかった。口を噤む俺を無視して五条さんは津美紀がいるアパートの扉を開け、目を見開く津美紀に猫のように笑って今日から僕が君達のホゴシャだよ、だなんて言ってのけた。そのホゴシャ、という発音が、まるで覚え立ての単語を使いたがる子供みたいな色をしていたから、きっと胡散臭い、得体の知れない、の次に追加された印象が「子供みたいな大人」になったのだと思う。
 五条さんはそれから度々俺達の元に姿を現したし、俺だけ連れて呪力操作だとか術式の訓練だとか、呪術について教えたりするようになった。そのさなかで、いくつか分かったことがある。俺は初印象の次に抱いた五条さんの感想として「子供みたいな大人」というものを抱いた。けれどそれは間違っていて、正確に言えば五条さんは子供みたいな「大人」じゃなくて、大人みたいな「子供」だった。
 五条さんはいつだって自由で、それでいていつも何かに縛られていた。飄々としていて猫のように気まぐれであるくせに、その姿は誰かに窮屈な首輪を嵌められた猫そのものだった。小さい頃、どうして五条さんはその首輪を外すことができるのにずっと嵌めたままにしているのか不思議でならなかった。当時はまだ少ない期間しかともにいなかったけれど、その浅い交流の中でもいかに五条悟という人間が異常で規格外かは肌で感じ取っていた。幼かった分、野生の勘みたいなものも鋭かったのかも知れない。五条さんはいつだって俺をからかったりおちょくったりするくせに、変なところで大人ぶった。俺よりも十三も年上で、その頃はもう既に成人していたのだから大人であることは間違いないのだが、その姿はなんだか今まで生きていた時間を積み重ねた末の大人の顔ではなく、誰かに借りたお面を被っているみたいで気味が悪かった。あれは確か、五条さんと出会って三年ほどが経った頃だと思う。もうその頃には俺は五条さんという人間を理解することは諦めていて、ただただ自分の利になるから俺を引き取った酷く合理的な生き物だという認識以上のものは求めていなかった。それでも顔を合わせる機会は多かったので認識は更新されなくとも感想を抱くことは多々あった。
 その日は、ひどく寒い夜だったように思う。こうやって祓うんだよ将来は恵にも祓ってもらうからね、なんてろくな説明もせずに俺を自分の任務に連れ出した五条さんは片手で一級呪霊をなぎ倒して、びちゃびちゃとよく分からない体液を噴き出す呪霊を見ながら唐突にチョコまんが食べたいだなんて言い出したのだ。俺はと言えば、いくら慣れてきていたとは言え醜悪な呪霊の最期に眉を潜めるばっかりで、そしてそんな物を見ながらチョコまんが食べたいだなんて言う五条さんに引いたりしていた。俺を小脇に抱えた五条さんはそうだよチョコまん食べよう寒いしチョコまん食べるっきゃない、だなんて言って大股で補助監督が乗っている車に戻り、不遜な態度でコンビニ行ってと無愛想に言った。補助監督は五条さんのことを触れたら毒を吐き出す化け物みたいな目でちらりと見てから、早急にアクセルを踏んだ。無言で五条さんの膝に載せられている俺を見ている補助監督の目は、憐憫三割、好奇心七割といったところだった。こういった目にも、その時から既に慣れてしまっていた。五条悟がお稚児趣味を疑われていることも知っていたし、一部ではもう既にそれが事実として扱われていることも俺は聞いていた。俺が誰かに直接言われたことはないが、五条さんがあっけらかんとそういったことを俺に教えてくるのだ。ねえ知ってる恵、僕ショタコンだと思われてるんだって、超ウケるよねだなんて、ショタコンの意味もろくに知らない子供に五条さんはケラケラと笑った。その頃からもう五条さんにデリカシーだとか情緒だとかを求める心はなかったけれど、ショタコンの意味が分からなくて自分で調べ、その意味を理解した瞬間にあの人の感性はいったいどうなってるんだ、と怒りを通り越して呆れ、呆れを通り越して怖くなったりした。呪術師は確かに、皆どこかしらいかれている。今まで紹介された呪術師の中にはまともそうな人もいたが、そういった人もどこかしらおかしな部分があったし、そういった部分がない呪術師は半年以内に骨になっていた。だから、現代呪術師最強である五条さんが群を抜いていかれているのは当たり前のことだったのだけれど、でもそれは、呪術師だからという理由では片付けられないような気がした。そんな人に抱えられながら、俺は無言で自分の唾液を飲み込んでいた。五条さんは俺に分かることも分からないことも綯い交ぜにした話をずっとしており、俺の返事なんて端から求めていなかった。これもいつものことだった。五条さんはあまり相手に返答を求めない。五条さんが求めるのは強さだけで、それ以外のことは口ばっかりだった。誰かに教えられたものをそのまま反芻するように常識ぶった大人みたいなことを言う五条さんの横顔が、俺はあまり好きじゃなかった。
 コンビニに着いた瞬間に五条さんは俺を抱えたまま車を降り、ああもう車いらないから帰っていいよと補助監督に無感情に言った。五条さんの言葉に補助監督が安堵したように頬を緩めたのは見間違いではあるまい。走り去っていく車に振り向くこともないまま、五条さんは明るいコンビニに足を踏み入れ、そして俺の意見を聞くことなく真っ先にレジへと向かった。成人男性と小学生という、深夜に見るには奇天烈な組み合わせに目を白黒させる店員にチョコまん一つ、と言ってから、五条さんは思い出したかのように小脇に抱えた俺を見た。
「恵、肉まんでいい?」
 正直何かを食べる気分ではなかったが、首を振るのも面倒で無言で頷けば、五条さんは店員に肉まんを追加するように言い、代金をぴったりで支払ってからビニール袋を受け取った。外に出てコンビニの影に座り込みながら、五条さんはあぐあぐとチョコまんを食べ始める。渡された肉まんに全く口をつける気配のない俺を不思議そうに見やってから、五条さんははっとしたように「あげないよ」とチョコまんを隠した。
「いらねえよ、そんな甘いもん」
「ええー、恵、チョコまんの良さ分かんないの? お子ちゃまだなー」
 可愛く半分ちょうだいって言ったらあげたのに、なんて五条さんはケラケラ笑っている。舌を打って、半ば自棄のように肉まんに齧りついた。その頃には、もうすっかり気持ちの悪い液体を噴き出しながら消えていった呪霊のことは忘れていた。いや、忘れていたというより、何も感じなくなっていた。きっとこのまま何も分からなくなっていくのだろうなという予感が俺の中にはあった。きっとその内、気持ちの悪い呪霊を見ても、内臓をぶちまけた人間の死体を見ても、俺は何も思わなくなるのだ。そしていかれる。五条さんと同じにはなれなくとも、俺もきっといかれてしまうのだ。
 ようやく俺が肉まんを食べ出した頃には、五条さんのチョコまんはもう半分ほどになっていた。五条さんは口が大きいくせに(いや、正確に言えば、顔が小さいから口が大きく見えるだけかもしれない)一口がとても小さい。そこになんとなく、この人の育ちの良さというのを感じた。
「ねえ恵」
 俺が肉まんに三度ほどかぶりついたところで、唐突に五条さんが声を上げた。反射のように、しゃがみ込んだままの五条さんを見た。コンビニの照明を受けて輝く白髪は目に眩しい。眉間にしわを寄せれば、そんな俺に構うことなく五条さんが無造作に俺に掌を突き出してきた。首を傾げると、五条さんはなんで分かってくれないの、とでも言い出しそうな目で口を開いた。「飲み物買ってきて」は?
「喉渇いちゃった。チョコまんて喉渇くんだね、忘れてた」
 だから買ってきて、と五条さんはそんなことを言って、突き出した掌に載っていた五百円玉を無理矢理俺に持たせた。はあ? ともう一度顔を顰めるも、もうその頃には五条さんの視線は携帯電話に移っていて、俺のことなんて見やしない。舌を打つと幸せ逃げるよと五条さんが揶揄うように言った。幸せが逃げるのは溜息で、しかし五条さんはそれを分かった上でそう言っているのだろう。本当に、性格が悪い。ほんとガキだなと悪態をつけばそう言う恵も十分ガキだよと口角を上げられた。ぶつけるように肉まんを渡し、さっさと水でも買おうとコンビニに再度這入る。この数年で、五条さんの言うことに従うことにすっかり慣れてしまっていた。いや、慣れ、というより、諦めに近いかも知れない。五条さんは何かとこう言って俺をパシるし、自覚があるのかは知らないがやれと命令することだってあった。最初は当然、俺はそれを全部突っぱねた。なんで俺が、絶対嫌だ。そんなようなことを言うと、五条さんは決まって不思議そうな顔をした。なんで拒否されるのか心の底から理解していない、そんな子供みたいな目だった。それを見ているうちになんだか突っぱねてるこちらがばかみたいに思えて、いつしか俺は五条さんの言うことに従順に(というと、流石に過言だが)従う犬になってしまっていた。今度は一人で這入ってきた小学生を興味深げに見下ろす店員の前に無造作にミネラルウォーターを二つ出し、五百円玉をその隣に置く。お釣りを貰って帰ってきた俺に、五条さんは軽く手を上げおかえりと言った。
「何買ったの」
「水」
「かわいくねー」
 ケラケラ笑いながら水を受け取り、五条さんはごくりとそれを飲んだ。そんな五条さんを見下ろしているうちに違和感に気づき、おい、と剣呑な声が上がる。
「俺の肉まんは」
 五条さんの青い目が、きろりとサングラス越しに俺を見た。ミネラルウォーターから口を離した五条さんが飄々と笑う。
「食べちゃった」
「はあ?」
 思わず眉を吊り上げた俺に、だって恵あんなまずそうに食ってるんだもん肉まんが可哀想だよ、なんて五条さんは笑う。
「だから代わりにこれあげる」
 舌を打った俺に、五条さんが半分に欠けたチョコまんを手渡す。いるかと突っ返そうとしても、いいからいいからと五条さんは無理矢理それを俺に持たせた。
「もらっておけるもんはもらっときな。大丈夫、それもきっとおいしいよ」
 そう言って五条さんは笑った。寒い中、高い鼻を赤くしながら、五条さんはそう言ってケラケラ笑った。もらっておけるもんはもらっときな。そんな、大人みたいなことを言って、大人みたいな子供は笑ったのだ。
 そんな、遙か昔のことを唐突に思い出した。目の前にはビーカーに這入った六眼。そして小さな骨壺。あんなに身体が大きくても燃やされたらこんなに小さくなってしまうんだな、なんて、俺はまるでブラウン管越しに見る映像のようにそれを眺めていた。ビーカーに這入った眼球は一つきりで、もう一つは五条家だか上層部だかに取り上げられてしまったのだという。なんでも、四百年ぶりの六眼なんだから実験に使わないと勿体ないとのことらしい。らしいなと思った。五条家も、上層部も。らしくないのは五条さんだけだ。液体に浸った眼球を眺めながらぼんやり思う。どうして五条さんが俺に六眼を残したのかはちっとも分からない。五条さんが死んだのは三ヶ月ほど前のことだけれど、今の今まで遺書らしい遺書も見つかっていなかった。ただ、自分が死んだ後のことはそつなく手を回しており、今のところ五条さんについていた人達に誰一人だって路頭に迷っていない。まるで死期を覚った猫みたいだ、とうっすら思う。そんな中、どうして自分にこの六眼が渡されたのかは誰にも分からない。当たり前みたいに五条さんは俺にこれを渡すよう家入さんに言っていたし、そして家入さんもその理由までは聞かされていなかった。
 ただ、無言で渡された一つきりの眼球を見て。
 ああ、あの人なりの、謝罪なのだろうな、と思った。
 津美紀が死んだのは三年前のことだ。津美紀どころか、虎杖だって釘崎だって今はいない。きっとこの眼球は、五条さんなりの思いやりなのだ。一人きりにしてごめんねという、大人みたいな子供の、小さな声。そっとビーカーに手を突っ込み、液体に沈む眼球を指先でなぞる。耳の奥で、もらっておけるもんはもらっておきな、と言う五条さんの声が弾けた。肌を押し返す眼球の硬さに目を細め、いらねえよ、こんなの、と独りごちる。返事は、勿論なかった。
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