格好つかなくて困る。
早乙女はそう言って、マスクを顎まで下げた。何気なく俺から顔をそむけるので、その仕草を意外に思う。
買ったばかりのソフトパックを開けた早乙女は、値上がりした煙草を一本銜える。恨めしそうに火を点けて、苦虫をかみつぶしたような顔で煙を吸い込む。溜息みたいに、白い呼出煙を吐き出した。
「実際、お巡りさんもそうだろ。威厳なくなる」
「威厳は手帳にあるから」
「ずるいよなあ」
「そちらさんもそういうのなんか使えば」
「『そういうの』? 威光を発するもの?」
「そう」
「獲物に頼ってるのも、それはそれで格落ちっつーか。時と場合によるが」
「難儀な商売だな」
「肩身が狭いねぇ」
どこも禁煙だし、喫煙者はこんなところに追いやられて。等とぶつぶつ言っている早乙女と俺が立ち話に花を咲かせているのは、コンビニの前だった。ゴミ箱の横へ申しわけ程度に据えられている灰皿を挟んで、曇天の昼を過ごしている。その灰皿は一度撤去されたこともあったが、吸い殻を駐車場に捨てていく無法者が後を絶たなかったらしく、結局元通りに風雨に晒されることになったという可哀想な経緯がある。
「飯食えるところがそもそも減ってるし、な……」
早乙女と知り合うきっかけになった居酒屋は店をたたんでいる。多分同じことを考えていた早乙女が、遠くを見ながら黙って頷いた。灰を落として、もうひとくち煙草を吸う、そして早乙女はこっちに流し目を寄越す。
「店なくなると、お前にいつものが言えない」
「……何かあったか? いつもの?」
「『笹塚、偶然じゃん』って」
ああそれか。得心しながら、言葉より先に笑い声が口をついて漏れ出た。あれは、なんなんだろうな。確かに、いつものと言えばそうだ。俺の予定を――スケジュールを、という意味ではなく、ローテーションを――知っている早乙女が、そこに割り込んでくるだけで。偶然でもないが、必然でもない。俺から明かしてはいないから。
「早乙女、一応俺、こういう仕事してて」
「うん」
「先行き不安だな、とか思うことになるとは思わなかった」
「……確かに。どうするよ? もう死んでたとしたら。感染症で」
「そんなタマか」
「どうだか。なにが起こるか、誰にもわからない」
「それは、うん。でもそうだとして、俺の生き方は変わらないけどな」
「大丈夫、俺も忘れてない。復讐は目的じゃなくて指針だって、お前が言ってたこと」
「ありがたい、けど……」
「……けど、何」
「こんなのどかな春の日に真昼間からする話じゃない」
「ごもっとも」
早乙女も少し唇の端を引き、相好をくずした。スマートフォンを取り出して、親指を滑らせる。多分、最近愛用している気圧予報アプリを立ち上げている。
「でもそろそろ雨だぞ。気圧もガタガタだ」
「気圧は……俺は関係ないけど、あんたはつらいだろうな」
「もっと労わる顔できねえのか」
「労わる必要あるか?」
にたにた笑った早乙女は何の返答も寄越さず、指が危なっかしいと思えるくらいにまで煙草を吸い切って、それを灰皿の中へ落とした。
「お前、最近どこで飯食ってんの」
「家」
「……ああ、そう」
早乙女にしては回りくどい聞き方だし、らしくない質問だとも思った。が、こっちも煙草があとひとくちというところなので、黙っていた。最近は、公務員がコンビニに立ち寄ったりするのもバレたら世間の目が大層厳しいことだし。
不織布マスクを鼻の上まで引き上げた早乙女は、それなのに、まだ手元の画面を見ている。
「じゃあ、また。……偶然がうまく働いたらその時に」
「笹塚」
灰皿を覗き込んで消火を確認していた肩を掴まれる。引き上げられ、顎を取られた。口に早乙女のマスクが当たる。
「……何」
「何じゃないだろ」
「早乙女、なんか今日めんどくさい」
「可哀想だろ」
「あー、はいはい、かわいそう」
「笹塚、俺、けっこう参ってる。だって一年とか、そんな」
「じゃあ今夜。か、明後日。それでいい?」
肩から早乙女の手をどけて、自分もマスクの位置を戻す。ガサガサしてるのに柔らかく毛羽立つ感触が封じ込められて不快だ、そう思った。
早乙女の返答を俺は待たない。
「俺も普通に花見とかしたいと思ってるよ」
(了)