改札を通り駅の出口の方へ足を向けると、冷たい風が吹いてきて思わず肩を震わせる。時刻的にリュウジはもう帰っているだろうか。歩く速度を上げようとしたところで、ハヤトはようやくそこにいつもはない特設店舗があることに気が付いた。
白地の看板にピンクとブラウンの帯、洒落たロゴが飾られた有名菓子店のようだ。ハート型ギフトボックスが、少し離れたハヤトにも見える。迂闊にもバレンタインなのだとそこでようやく気が付いた。
やはりここは買っていってリュウジと食べよう。そんな日もいい。思い付きで近付いたが、遠目には分からなかったが、店の前はかなりの列が出来ている。
あの女性の列に並んで、お洒落で可愛らしいギフトボックスを指差すのは躊躇われる。ハヤトは結局そのまま駅から出て家路を歩いた。
マンションの窓からは暖かな色が見えているから、やはりリュウジは帰宅していた。玄関のドアを開けると、すぐに暖かい空気と甘い匂いが漂ってきた。
強めの甘い匂いには心当たりしかないし、期待を感じてしまう。
しかしハヤトもまさかと思っている。今朝はそんな話にはならなかったし、買ってもこんなに強い匂いにはならない。
慌てて靴を脱いで鞄を放るように置くと、ダイニングキッチンへと向かう。
「おかえり、ハヤト」
「ええと、なにか作ってるの?」
「夕食か? シチューだが」
「そ、そう」
キッチンに立っていたリュウジが、振り返ると笑顔を浮かべた。その表情は穏やかでかき混ぜている鍋の様子から、献立は本当にシチューらしい。確かに鍋に近付くとシチューのいい匂いはする。
でも部屋じゅうには、チョコレートの甘い匂いがいっぱいに広がっているのだ。
きっと食後だ。リュウジは分かっているからこそ黙っているのだろう。そう考えるとハヤトの表情も嬉しさに綻ぶ。
にこにこと上機嫌になるのを堪えられないまま、ハヤトはリュウジとダイニングテーブルに向かい合った。
結局食後すぐに待ちきれなくなって切り出したのはハヤトだった。
「で、リュウジ、あとなにかあるんだよね?」
「……いや、なにもない」
そんなはずないだろう。
こんなにもチョコレートの甘い匂いが残っている。
だからハヤトには目一杯、期待と急かす表情が浮かんでいる。そしてそれは間違いなくリュウジにも伝わっている。
「あきらめろ!」
「なにが?」
リュウジの鋭い声に、ハヤトは考えるより早く切り返してしまった。言ってからハヤト自身も本当に、なにを諦めるのか? という表情と疑問が浮かぶ。
いや絶対チョコレートはある。諦められないくらい、いい匂いがする。
テーブルに大人しく座りつつも、断固として諦めない表情を貫きたいハヤトに、リュウジがようやく折れた。
「チョコレートをだな」
「うんうん」
「失敗してだな」
「え?」
「……つまり、ハヤトが期待しているような物はないんだ」
なんで? どうして? WHY? 瞬きを繰り返して驚いていると、目の前のリュウジは珍しくしょげて項垂れた。
料理はハヤトよりリュウジのが得意だ。だから失敗した、という説明はあまり聞き慣れなくて考えもしていなかった。
しかしリュウジの表情を見ると、本当にうまくいかなかったらしい。
でもその視線はチラリと何度か冷蔵庫へと向いている。
あそこか。
ハヤトはすぐに見当を付けると、立ち上がって冷蔵庫の前へと向かった。リュウジが動く前に素早く大きなドアを開けると、一角を広く占領して何かが置かれている。
やはりあった。
そこには大きめの銀のハート型がしっかりと置かれていた。触れるとひやりとするが、中には綺麗なチョコレート菓子で埋め尽くされている。
ハヤトはその型をそっと引き出して手に持って眺めた。
「ちゃんと出来ているけど、美味しそうだし」
「……」
型が大きいのはリュウジの気持ちの現れだと思いたい。これ食べきれないなあ。そんな風に考えると、ハヤトの表情はにやけてくる。
両手で抱えた時のずっしりとした重さに、思わず嬉しさを感じてから、ようやく気が付いた。
「これ、どうやって食べるの?」
「……」
チョコレートは型をいっぱい埋め尽くすように作られている。上には白いチョコで飾り模様があるが、少し不器用な模様がリュウジらしい。
しかしその状態でチョコレートは固まっている。
食べ方が分からない。おそらくお洒落な横文字の名が入っている菓子ではなく、チョコレートだ。
どうやったら型からうまく出てくるのかもあやふやで、たとえ型から上手く出てきても齧れる大きさではない。しかしこのハートを割って食べるなんて選択肢は、ハヤトにも無い。
ハヤトは失敗という意味をようやく理解しはじめた。
それと同時に、しょんぼりしているリュウジがなんだか可愛らしく見える。
あまりに楽しくて嬉しくて、ハヤトはそのハートを抱えたまま笑い始めてしまった。
「ちょっとリュウジ、これ凄いけど無いよ。固くて食べきれないよ」
「さっきミユに説明したら、それって昔のアニメくらいだよ! って呆れられてだな」
「リュウジの気持ちは、やっぱり大きくてしっかりしてるんでしょう」
なにかフォローをしたいのに、展開が面白幸せ過ぎて、笑いに涙が滲みそうだ。
どうしようか、なんとしてでも食べたいが、本当に食べ方が思い付かないから楽しくなる。
リュウジは、冷蔵庫の前でハート型を抱えて笑いっぱなしのハヤトの元へと来ると、抱えていたハート型を取り上げた。
「笑ってないで代わりを受け取れ!」
「えー、買ったチョコよりこれの方が俺は断然好きなんだけどなあ」
なんとか奪い返そうと手を伸ばすが、リュウジも渡さないとばかりに体を捻って遠ざける。
二人で触れているせいで、銀の型はどんどんと温かくなっていくが、中のチョコレートは揺るがない。
「こんなものより、ずっと甘い夜をくれてやる!」
「それ、シチュー作りながら、ずっと言い訳に考えてたんでしょう」
そんな必要ないのに。
そうは思っても、据え膳食わぬはなんとやらである。
チョコレートの味わい方はゆっくり考えるとして、ハヤトはにこにこと笑いながらリュウジを引き寄せた。
END.