あれはいつの日の事だっただろうか。
内裏でくだらない話を聞いていた時のことだ。
話を振られて私は何かを答えた。
そして、皆の顔色を見て悟った。
(ああまた間違えた)
時折、自分はヒトとは決定的に違う存在なのだと感じる時がある。
そういう時、何か胸に穴が空いたような、心臓をひと突きされたような衝撃がある。
そうして辺りを見ると、皆が皆私を恐ろしげに見つめている。
自分はヒトとは決定的に何かが違っていて、風が吹くとその溝は浮き彫りになる。
その溝は段々と深くなって、今では奈落まで続くような虚ろであった。
そうして自分はその穴の中心にひとり、僅かな足場の上に立っている。
滑り落ちれば良かったのかもしれない。
しゃがみ込めばよかったのかもしれない。
だが足場は屈強で、私はそれで崩れる程弱くなかった。
ただただ周りとの距離が離れていって、そうして私はひとり、ただそれを見ている。
(道満法師ならば)
(きっと上手くやれるはずだ)
不思議だった。彼だって人並外れた人間で、周りとは隔絶している筈なのに、どうしてああも素直に笑えるのだろう。
人は皆彼の聡明さを好いているようであった。
人は皆彼の蒙昧さを好いているようであった。
人は皆彼の十全さを好いているようであった。
人は皆彼の不全さを好いているようであった。
私にはわからなかった。
私は人間に興味がなかった。だが人々は私が大事らしい。
私はそれでも人のためにありたかった。だが人は私のことが怖いらしい。
私は道満が好きだった。でも道満は私のことが嫌いらしい。
私に追い縋れる程の人間は彼だけなのに、彼は私とは違うらしい。
(道満法師ならば)
(人として生きていけるのだ)
所詮人ではない私と違って。
それが少し虚しかった。
「……殿…晴明殿!」
目を開けると、暗い山小屋の中で、私は眠っていたらしい。
隣では道満法師が私の肩を揺らしている。
「呼吸の音もしないから何ぞあったのかと…」
「ああ、少し寝てしまっていたようだ」
「寝るなら横になって寝てくだされ」
ぱちぱちと爆ぜる囲炉裏の火が私達を照らす。
その火を眺めて私は小さな欠伸をした。
そもそも乗り気ではない話だった。
山の奥に妖が住み着いて人の暮らしを害するという。
山に入った人間を食らうという話もあった。
陰陽師なら他にもいるだろうに、その土地の有力者に良い顔がしたいという、それだけの事で私が行くことになった。
嫌がられると見越していたのだろう、道満法師にも声をかけてあると言われた。
それで不承不承頷いたのだ。京でやるべき仕事は多々ある。あまり離れたくはなかったが、道満がいるなら話は別だ。
私は彼と二人で話がしたかった。
蘆屋道満。
道満法師。
この都で、いや、日ノ本広しといえどもこの安倍晴明と比べられるのは彼くらいのものだろう。
彼と私はよく術比べをした。私は誰にも負けた事はなく、彼に対してもそうだった。
だが彼の態度は他の誰とも違っていた。
彼はきっと私を睨み、ぎりぎりと歯軋りをしながら「……拙僧の負けです」と低い声で言った。そうして頭を下げると踵を返して去っていき、日が経つとまた私に勝負を挑んできた。
何度も何度もその繰り返しだった。
私と戦いたがる者は多い。そして皆例外なく肩を落としてさめざめと泣いて帰った。驚愕の表情を浮かべる者もいた。顔を赤くして怒鳴り散らす者もいた。だが正面切って再戦を申し込んできたのは彼一人だった。
道満は法師陰陽師でありながら内裏に出入りするようになった。当然だろう。彼には実力があった。気概があった。凡百の輩とは違う、強い心があった。
そう、彼は強いのだ。そこらの有象無象とは違う、強い男だ。
今回の妖退治もそうだ。道満一人でも卒なくこなしただろう。仕留めたのも彼だった。ただ妖の残骸がびくりと跳ねたので、道満が振り返るよりも早く私の式神で祓った。
「最後まで気を抜いてはいけないよ、道満」
「……ええ、その通りで」
渋い顔をした道満が「ありがとうございます」と呟くので、私は笑って言う。
「なに、気にすることはない。お互い様というやつだ」
「はあ」
なんとも嫌そうな顔をした道満が頷いた。
「いやはや、晴明殿は御心が広くてらっしゃる。…ささ、もう参りましょう」
「ああ、そうですね」
空は今にも泣き出しそうな曇天で、厚い雲が此方に流れてくるのが見えた。
随分と山奥に入っていたので、これは間に合わないかもしれない、と思ったらぽつりと顔を濡らすものがあった。
ぽつぽつとした雨はたちまち大粒になって私達をしとどに濡らす。
「晴明殿、こちらへ!」
道満に手を引かれて山小屋へと駆け込んだ。久しぶりに走った気がする。
見れば道満もしっとりもと濡れそぼって、長い髪が頬に張り付いている。
「参ったな…」
「本当に…。上がるまで此処にいるしかありますまい」
濡れてしまった衣を乾かそうと式神で囲炉裏に火を点けて、入り口で水気を絞っている道満に言う。
「脱ぎなさい」
「いえ、しかし」
「風邪を引くよりいいでしょう。ほらほら」
言いながら脱いでいく私を見て観念したようで、道満ももぞもぞと動き始めた。
「男同士、何も気にする必要などないでしょう」
「貴方でなければ拙僧も気にしなかったのですが」
「それは…私に気があるということかな?」
「違います」
下の服までは濡れていなかったので、幸い裸にはならずに済んだ。
どかりと座り込んで火に当たるが、道満は私と距離を空けて座るのであまり暖かくは無さそうだった。
「もっと此方へ来なさい」
「拙僧は此処で十分です」
「私が気になるのです」
じっとその顔を見つめながら言うと、根負けしたようでじりじりとにじり寄ってきた。
「道満は遠慮がちなのですね」
「遠慮ではなく…いえ何でも」
「ははは」
じっとりとした視線も気にせずに笑うと、その濡れた髪が気にかかった。
「道満、少し屈みなさい」
「?こうですか」
向けられたつむじを覆うように手拭いを被せ、わしゃわしゃと拭く。
手の下では道満が何やら叫びながら藻搔いている。
「晴明殿ッ何をッおやめなされ!」
「濡れたままは風邪を引くと言っているだろう莫迦者」
わしゃわしゃしていると、昔家に入り込んできた野良猫を思い出した。
思えばこの安倍晴明の家に居座っていたのだから何とも豪胆な猫だ。
「ンンンッ晴明殿!」
「まあこんなものかな」
離してやると大きく体を退け反らせて私から距離を取る。ぐしゃぐしゃになった髪を手櫛で梳いているのを見ると、やはりあのふてぶてしい猫が頭を過った。
「時に道満」
「なんです」 
「にゃんと鳴いてみる気はないかな?」
「何故です!?」
楽しいお喋りの時間も過ぎ、私達は無言でただ吹き荒ぶ雨風の音を聞いていた。この様子ではしばらくは帰れそうにない。
私は爆ぜる火の粉を見つめながら、さっき見た夢を思い返していた。
最早夢は淡い輪郭を残すばかりで、その縁をなぞればなぞるほど形を無くしていくようだった。
夢の中で私は何を思っていたのだろう。
もう思い出せない。
ただ何か、身体の内側が空っぽになってしまったような、何も無い空洞を撫でているような、やるせなさを覚えている。
夢とは大切なものだ。吉兆の現れであり、深層心理の表出であり、手の届かない夢想だ。
だが大切なものはいつも形もなく崩れていく。私はもう手の届かないところに逃げてしまった夢を追いかけるのをやめた。
「……何を考えているのですか」
「夢を思い出していた」
「夢?」
「とはいえもう思い出せそうにない。何か大事な事だった気がしたのですが」
「晴明殿にもそういうことがあるのですな」
「当然です。私も───、」
人間ですから、と。
続けようとした口は何故か動かなかった。道満は不自然に止まった台詞に眉をひそめた。
「晴明殿?」
「…いえ、少し疲れているのかもしれません」
いつものように笑いかけると、道満は顔をしかめて言う。
「そのようですな。…そんな顔をなさるとは、普段ならば想像もつきません」
「そんな顔?そんな顔とは?」
「…教えません」
そう言われると気になって仕方ないが、生憎此処には鏡も水溜りもない。ぺたぺたと自分の顔を触っていると道満の呆れた声が降ってくる。
「そんなことはどうでもよろしい。晴明殿、仮にも最優の陰陽師を名乗るのですから天候くらい操ってみては如何か?」
「ははは、確かに私は最高峰だがね。少し待てば降り止む雨にそんな大掛かりな真似はしたくないなあ」
「少しで済めばいいのですが」
道満の言葉の通り、雨は弱まるどころか段々と激しさを増してきていた。雨粒が心許ない屋根を叩く。暗い小屋の中は囲炉裏の火だけが頼りで、ユラユラと揺れる火を見ていると奇妙な心地になる。
(私は何か、彼と話をしたかった気がする)
だが何を話すというのだろう。
術についてならば話は尽きないだろうが、この静寂を壊してまでするものとは思えなかった。
では彼と何の話が出来るだろう。
ここにきて、私はおおよそ他愛のない話というものと縁遠いことに気がついた。誰も私と世間話などしないので、そういったものに気をかけてこなかったのだ。
ただただ無言で時が過ぎていく。雨音はまるでそれが音楽のようであった。ザアザアと振り落ちる粒と、屋根にぶつかる音とで複雑な和音を奏でた。その音は頭の中に響いて、余計なものを全て塗り潰していく。
小屋はしんとした空気で満ちていて、ひと息毎に肺も凍るようだった。背中はぱちぱちと爆ぜる火の粉が当たり、指先は雨の冷気で凍えていた。
「…っしゅ」
小さな音に横を向くと、道満が鼻に手をあてている。くしゃみをしたらしい。そういえば普段から私よりも薄着な彼だ。この寒さは響くだろう。
「寒いのかい、道満」
「お見苦しいところを」
「かまわないさ。もっとこっちへ来なさい」
式神を囲炉裏に焚べてやると道満は素直に寄ってきた。
その顔の半分を炎が照らして、その半分は闇に溶けて見えない。まるで半分に割ったあとは別人のようだった。
(髪が分かれているからかな)
彼の見た目は非対称だ。
見る向きで表情が違って見えて、どちらが本当なのかを曖昧にしていく。
薬品を煎じている時、色の違うそれらを混ぜた時、何処までが元の薬剤で何処からが新しい薬なのかと考えたことがある。ぐるぐると回るそれらが混ざっていく時、何処からが「変わった」と言えるのか、それとも二つを内包したまま見た目だけが変化したのか、詮なき事を考えながらかき混ぜていた。
彼はまったくその薬に似ていた。
今はぱっきりと分かれているその境界が曖昧になった時、彼は一体誰になるのだろう。
或いは心が二つに裂けた時、丸め込んで形を直したそれは元の心と同じだろうか。
(莫迦なことを)
そんな日は来ない。
彼は強い人だから。
きっと何時迄も前を目指して駆けている。
そうだ思い出した。
私は彼がなんでそんなに強いのか気になっていたのだ。夢に見るほど気になっていたのだ。
カット
Latest / 63:41
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
fgo腐 晴道
初公開日: 2021年01月14日
最終更新日: 2021年01月14日
ブックマーク
スキ!
コメント
BLなのでご注意くださいませ