「そんなに外が心配なら、ここから出してあげましょうか」
自分の耳を疑った。勢いよく振り返り、笑顔を浮かべる魔女を見下ろす。
「……は?」
「この城から出る方法、教えてあげますよ」
「出られるのか」
「はい」
魔女はあっさりと頷く。ライリーの頭の中は疑問符で溢れていた。その次にこのふざけた女に対する怒りが渦巻いていた。
「ならなぜ早く言わない」
「無駄な努力を続けるあなたが面白くて、つい」
「ふざけるなよ、魔女が!」
怒鳴られようともどこ吹く風で、魔女は何も言わずに歩き出す。どうやらついて来いということらしい。魔女の指示に従うのは業腹だが、他に手掛かりがないのも事実だ。不服に思いながらも、黙って彼女の後に続く。
回廊から見える中庭には、変わらず灰が降っていた。回廊を行きかう人々は二人のことなど見えないかのように談笑し、荷を運び、忙しそうに駆け抜けてゆく。庭では、何人かの子どもたちが無邪気に遊んでいた。
「あなたが来てから、城の中が明るくなりました。どうやらここは閉じ込めた者の記憶が元になっているようですね」
魔女は振り返らずに歩く。この方向からすると、城門の方へ向かっているようだ。
「前はもっと、泣いている子どもが多かったのですけど」
曲がり角の向こうに、いつかのようにうずくまっている子どもが見えた。彼女はその子どもには目も留めず、中庭で遊んでいる子どもたちの方を見ている。わずかに見えた横顔に、憧憬のようなものが垣間見えた。
「お前もあんな風に泣いていたのか」
何気なく聞いただけだった。記憶が元になっているというのなら、あの図書室の本についても納得できる。それならば、あの日寒さに震えて膝を抱えていた子どもは、彼女自身ではないのか。
今までこちらを見もしなかった魔女が、立ち止まって振り返った。黒いスカートの裾と灰色の髪がその動きに合わせて揺れる。折よく回廊には雲間から漏れた光が差し込んでいた。
「さあ、どうでしょう」
魔女はやはり感情の読めない笑みを浮かべているだけだ。まるでこの城のように、彼女には一切の隙がない。
◇
門扉を開くための機構は、城門の両脇に備えられている側塔にあった。軋む扉を開けて狭い階段を上り、塔の最上部へとたどり着く。塔の内部は埃っぽく、光が入らない構造になっていた。採光のためにある小さな窓を即座に開け放ち、換気を行う。
「まずは跳ね橋を下ろさなくてはいけません」
彼女に言われて塔を形作る石の隙間から外の様子を伺うと、来たときは下りていたはずの跳ね橋がご丁寧に上がっている。
魔女は部屋の中央にある装置を指さし、笑顔で言った。
「これが跳ね橋を下ろすための装置です。持ち手を掴んで回してください」
円盤に棒状の持ち手がついており、この円盤を回せば連動して跳ね橋も動く仕組みだろう。持ち手は左右に二つ伸びており、どう見ても二人がかりで動かすものだ。だが魔女は一向に動こうとする気配がないので、ライリーは仕方なく持ち手を掴んで力を込めた。
「……おい、動かないぞ」
どれだけ力を込めても動く気配がない。まるで石を削って作った飾りのようだ。
「ああ、やはり動きませんか」
「まさか騙したんじゃないだろうな」
「とことん信用がありませんね……これならどうです?」
魔女が装置に触れると、その手の下から淡い白銀の光が溢れた。その光は少しづつ装置全体に行きわたる。石のように固まっていた装置から、確かな手ごたえを感じた。力を込めると、先ほどまでの様子が嘘のようにすんなり動く。
しかし、それでも一人で装置を動かして跳ね橋を下ろすのはなかなかの重労働だった。最後まで跳ね橋を下ろした頃にはすっかり息が上がっており、たまらず床に崩れ落ちる。
「まだへばってはいけませんよ」
「まだ何かさせる気か……」
「門扉の外側に格子戸が下りているはずです。そちらも上げないと扉が開きません」
恨めし気な視線を向けても、魔女は爽やかに微笑むだけだった。
「できますよね。正義の騎士様ですもの」
「この……性根の腐った魔女が……」
反対側の側塔へ出向き、もう一度同じような作業をして格子戸を上げた。
しかし当然のことながら、門扉には何の変化もない。
塔から出て門扉の前に立ったライリーは、遠い目をして上を見上げた。
「これも俺に開けろというのか」
「いいえ、これはあなたには無理です。私が開けましょう」
拍子抜けした。てっきり門扉も力技で開けろと言われるのかと思っていたのだ。
しかし、門扉についてはライリーも何度も開けようとした。だが、押しても引いても門扉はびくともしなかった。まるで石のように固まっていた。
そこまで思い返し、ライリーははっとする。
門扉の状態は側塔の装置と似ている。であれば、人の力だけでは動かすことはできない。魔女の力を借りなければ、この城からの脱出は不可能なのだ。
「この城は一度閉じ込めた者を外に出さないようにできています」
ライリーの隣に立つ魔女は、まっすぐに門扉を見ている。
「外から内へ押し込めようとする力が、今も働いている……扉を開けていられるのは、もって数十秒です」
「ああ、分かった」
であれば、跳ね橋も落とし格子もそうもたないだろう。彼女の力と城の力が拮抗している間に、跳ね橋の向こう側まで渡らなければならない。
魔女は両手で門扉に触れ、目を閉じた。その両手の下から白銀の光が滲み出し、瞬く間に門扉全体へ拡散する。
閉ざしていた目を開けて、彼女は城に命じる。その瞳は白銀色に燃えているようだった。
「――開け」
門扉が軋みを上げ、かすかに動く。彼女の両手に押されるように、扉はゆっくりと外側へと開いていった。光が強くなり、門扉は完全に開いた。彼女の力が城の力を押しとどめたのだ。
ライリーは信じがたいその光景を見て呆然とした。
これが魔女の力か。
腕力ではどうにもならなかった扉をたやすく開いてしまうほどの。
「早く行ってください!」
魔女の声に背中を押され、ライリーは我に返って外へ出る。後はこのまま向こう岸へと走るだけだ。
「おい、お前も早く来い」
手を差し出すが、魔女は門扉に手をついたときの態勢のまま微動だにしない。
「私は行けません」
「何を」
「ここであなたのために扉を開いていなければならないから」
彼女の呼吸が乱れていることに、そのとき初めて気がついた。こめかみから流れた汗が頬に伝い、顎から落ちる。
愚かな騎士を嘲笑うように、魔女は口の端を吊り上げる。
「二人とも出られるなんて誰が言いました?」
一度は開いた門扉が閉じていく。頭上で軋みを上げる音を聞き、慌てて上を振り仰ぐと、鉄の格子が今にも落ちそうになっている。
もう時間がない。脱出するのなら今すぐ走り出さなければ間に合わない。彼女を置いて。
「いつか魔女の呪いを解いてくださいね」
閉じていく扉の向こうで、彼女は微笑んでいる。こんなときでさえも、変わらずに。
「私はそれまで、この城で待っていますから――いつまでも」
重々しい音を立て、城の扉は再び閉ざされた。
灰はただ静かに降り積もっては、かつての豊かな森を消していく。残るのは歪な形をした枯れ木のみだ。
「……どうして」
そのときの彼女の声といったら、まるで途方に暮れた子どものようだった。
「魔女なんて嫌いなんじゃないですか」
体の下で彼女が身じろぐ気配がする。ライリーは魔女を抱き込むようにして地面に倒れていた。
間一髪、城の中へ戻ることができた。そのときに勢い余って魔女と一緒に灰の中に倒れこんでしまったのだ。二人とも外套を着ていたので被害は少なかったものの、頭からつま先まで灰まみれだった。
心臓が痛いほどに鳴っている。背後で格子が落ちる音を聞いた。一瞬でも判断が遅れていれば串刺しにされていただろう。
城壁の外で錆びた鉄を引きずるような音が聞こえた。ややあって、跳ね橋が上がる音だと気づく。
深くため息を吐いて、灰の中から起き上がった。下敷きにされていた魔女も、迷惑そうに灰を払いながら起き上がる。
「また振り出しです。あなただけなら脱出できたのに……まさか、私に同情でもしたのですか」
「そうだ。悪いか」
はっきりと肯定すると、魔女は意外そうに目を見開く。まさかそこまで素直に認めるとは思わなかったのだろう。
「俺は人を守るために騎士になったんだ。誰かを犠牲にして自分だけ助かるなんて……そんな卑怯な真似はしたくない」
魔女はしばらく品定めするような視線を向けていたが、やがて諦めたようにため息をついた。
「難儀な性格ですねえ」
言われずとも分かっている。その通りなので言い返すこともできず、無言で舌打ちをした。
不機嫌なライリーとは裏腹に魔女の方はなぜか先ほどよりも上機嫌で、楽しそうに笑いながら立ち上がった。
「いいでしょう。それでは、二人でここから出る方法を探しましょうか」
◇
「気づいているとは思いますが、この城は灰の森の呪いの一部です」
ライリーとフィオナはひとまず城門の前から移動し、図書室に戻っていた。この部屋は採光が乏しく薄暗いので、入り口の扉は開けたままにしておく。
魔女は部屋に入るなり慣れた様子である本棚の前へ歩いて行き、迷わずに一冊の本を抜き取った。堅牢な城塞の書物としては不釣り合いな子供向けの絵本だ。部屋の真ん中に置かれている閲覧用のテーブルに絵本を広げ、二人で覗き込む。
「災禍の魔女は多くの呪いを残しましたが、近年はその呪いが強くなる事例が多数報告されています」
「そのようだな。災禍の魔女が生きているのではという噂もあるが」
魔女は横に首を振り、絵本の頁を捲る。
「災禍の魔女が生きていたのは百年も前です。いくら魔女といえど、百年生きることは不可能ですよ」
それもそうか、と思い直す。絵本の中に描かれている登場人物の服装は、およそ現代のものとは似つかない古い時代のものだった。
魔女は再び絵本の頁を捲る。災禍の魔女が国に呪いをかけた場面だ。
黒や灰色、暗赤色など不穏な色の絵具で描かれた挿絵の中央にいるのは、長い髪を振り乱して眦を吊り上げた恐ろしい形相の女だった。この国の子どもは皆、悪いことをすると災禍の魔女に連れ去られると言い聞かされて育つ。
災禍の魔女こそ、この国に呪いをかけた諸悪の根源だ。すべての災いは災禍の魔女に帰結し、それ故にこの国では魔女が忌み嫌われる。
魔女の白い手が絵本の頁を撫でた。挿絵を眺める顔に今は笑みはない。
「呪いを強くするのは感情です。つまり魔女の呪いに共感して、呪いを増幅させている存在――呪いの核とでも言うべきものがいるのです」
「それが魔女だと?」
「いいえ、魔女とは限りません。呪いが充満したこの国ではもはや、ただの人でも呪いをかけられる」
魔女は絵本から顔を上げ、ライリーを見た。
「呪いの核を何とかすれば、この城は消えるはずです。なぜならこの城を維持しているのは災禍の魔女ではないから」
この城はあるとき突然現れたそうだ。だがそれは数年前のことで、災禍の魔女が呪いをかけた当時にはこのような城はなかった。
何者かが後から増幅させたのだ。
「なるほど。それで、どうやって城の呪いを解くんだ」
「それなんですが」
彼女は口元に指を当て、斜め上に視線を逸らす。なんとも白々しい仕草だった。
「今の私では無理なんですよね」
「は?」
「私は魔女としての力を封じられています。私だけではなく、この国の大半の魔女がそうですけれど」
いつもの胡散臭い笑顔が戻っている。状況を考えれば笑っている余裕などとてもないはずなのに、呑気なことだ。
だが彼女の力が封じられているというのは嘘ではない。ライリーもよく知っていた。
「白花の誓いか」
魔女が満足そうに微笑む。
「そういえばお城勤めでしたね。であればその辺は私よりも詳しいでしょう」
魔女は絵本の頁を捲り、物語を次の場面へと進めた。
次の場面では一転して色調が明るくなり、白をベースにいくつもの淡い色で彩られている。見開きの右側に描かれているのは、純白の鎧を身に付けた騎士だった。猛威を振るっていた悪い魔女は左の隅へと追いやられている。有名なおとぎ話の一場面だ。
災禍の魔女は正義の騎士によって退けられた。この国では魔女が忌憚されると同時に、騎士が崇敬の念を集めている。まさに騎士は魔女の天敵であった。
「初代の白花の魔女が当代の王に誓いを立てたことで、この国の魔女は力を失った。唯一力を取り戻すことができるのは騎士と契約を交わした魔女だけ。それが白花の魔女と呼ばれる……まあ、国家の狗ですね」
「間違ってはいないが」
いささか表現の仕方に険がある。
彼女の話を聞きながら、なんとなくこの先の流れを呼んだライリーは眉根を寄せた。
「……まさかお前が白花の魔女になろうと?」
絵本を閉じ、魔女は笑顔で頷いた。
「正解です。察しのいい人は好きですよ」