人生において宮内庁に出向く可能性は、何回だろうか。恐らく大多数の一般人はゼロと答えるに違いない。宮内庁が何処にあるのかさえ分からないのが、日本人の大半を占めているだろう。だって、他の省庁なら何となく場所を把握しているかもしれないけれど、宮内庁が何処にあるか――なんて考えたこともないのかもしれない。少しばかり考えれば想像が付くかもしれないが、宮内庁があるのは住所で言えば東京都千代田区千代田一番一号――つまり、東京のど真ん中、皇居である。
皇居――つまり、天皇陛下の住まいである。かつては京都に朝廷があったため、京都に住んでいた訳だけれど、明治維新を機に東京へやって来たらしい。今でも京都人は天皇陛下の住まいが京都御所として存在しているのだから、日本の首都は京都である、なんてことを思っているのだ。ほんとうかどうか分からないけれど、たまにテレビ番組のバラエティで出てくるくらいだし、ほんとうにそう思っている人は一定数居そうな気がする。
皇居とは、かつて江戸城があった場所に存在している。もっとも、江戸城自体はないようだけれど、皇居の中も一般人が入れる場所はある訳だ。今年はなかったけれど、例年なら年始に一般参賀をやって多くの人が天皇陛下含む皇族の顔を拝見――拝む? する訳。しかしながら、若者にしてみれば――ぼくも若者に入るからあまり言いたくはないのだけれど――天皇陛下含む皇族の価値をあまり理解していないなんて言われていたりする。まあ、一応歴史がはっきりしている王家の中では世界最古の一族だって言われているぐらいだったかな? 中国は三千年の歴史があるらしいけれど、国としてはけっこう変わってしまっているし、その当時の皇帝一族が同じ地位に居るかと言われるとそうでもない訳だし。一応、二千五百年ぐらいは家系図が辿れるんだったっけ? 後は皇居の住居表示――つまり住所が覚えやすいってのもあって、本籍として人気が高いらしい。
宮内庁庁舎は、古めかしい建物だった。戦前に建設されたらしいけれど、今も戦前の建物を使っているって凄いよな。まあ、省庁を新しい建物にするって言ったら、一部の層が文句を言いそうな気がするけれど……。
「ちょっと時間があるようだし、ここで休憩でもしていこうか」
それにしても、宮内庁の中に郵便局があるとは思いもしなかった。もしかしてここから郵便を出したり出来る?
「残念ながらそれは無理だよ、少年。この宮内庁内郵便局はね、利用者が限定されている訳ではないから、少年の言うとおりここから送付した郵便物に『宮内庁内』なんて消印が付くんじゃないか……って期待する気持ちは分からなくもない。しかしながら、この郵便局が入っている宮内庁は、関係者しか立ち入ることが出来ないのさ。今回わたし達が入ることが出来たのも、神霊保安部に用事があったから。つまり、わたし達が使うことは出来ない、って訳」
残念ではあるけれど、ぼくはこういう場所からわざわざ郵便を出すようなミーハーではないから安心してくれ。一応、昔湯布院に連れられて東京駅の限定Suicaを買ったことがあるけれど、それぐらいだったかな……。あれ、定期として使えないから結構不便なんだよな。
「寧ろ、あんな限定品を定期に使えないかと思うのがどうかしているような気がするけれどね……。ああいうのは普通保管しておくものではないのかな? わたしだって持っているよ、東京オリンピック開催記念硬貨。……開催が延期というか中止になったら、結構レアになりそうじゃない?」
転売目的で購入したのかよ……。でも警察官って公務員だし、そういうこと出来ないんじゃないのか? 副業がしたかったら、申請しないといけないとか。
「転売目的じゃなければ良いのよ。つまり、整理していたらたまたま東京オリンピックの記念硬貨が出てきたから、それをたまたま処分しようと思っていただけ。どう? 結構良いアイディアだとは思わないかな?」
別に。ただ、逃げおおせようとするだけにしか見えないけれどね。或いは言い訳を並べていると言えば良いか。
因みに今ぼく達が休憩しているのは食堂だった……。時間的にはもう夕方ぐらいの時間だったので、食堂は閉まっているのではないかなんて思っていたけれど、日勤・夜勤と仕事が分かれているようで、この時間からご飯を食べている人は居るようだった。流石にぼく達のように待ち合わせ場所に使って歓談している人は居ないけれど。
そもそも、今のご時世こういう風に食事処で歓談すること自体が駄目だったりするのだ。記者会見でも言っていたけれど、電車などの公共交通機関では感染は起こりづらい。何故ならきちんと換気をしているからだ。しかし、食事処で食事をする、歓談するとなると話は別だ。食事をするということは、どうしてもマスクを外さなければいけない訳だし――チューブを通して流動食でも入れれば話は別だけれど、そこまでしたら最早食事に意味を見いだせなくなる――話をするならばマスクをしなければいけないけれど、どうしてもそれが出来ない時だってある。バラエティでロケをしている映像を流している時も、徹底している番組としていない番組がある訳だし。そういう重箱の隅をつつくようなクレームが噴出すると、どんどんバラエティってつまらなくなるような気がする。
「そういえば少年は年末年始、何の番組を見たんだ?」
六実さんがそんな質問を投げかけてきたので、ぼくは考えることにした……。年末年始といえば、やっぱりバラエティばかりになっちゃうんだよな。クイズ正解は一年後もなかなかに面白いし。あれは年始に問題を出題して解答した物――少なくともこの時点ではネタに走っている訳だけれど――が正解するか否か、という番組でこれが結構正解してしまうことがあったりするのだ。去年の番組は結果的にオリンピック延期を的中させてしまった解答もあったり、なかなかバラエティに富んでいたと思う。大晦日だと、去年は色々ザッピングしてしまったような気がする。紅白歌合戦は勿論、笑ってはいけない、せっかくグルメ、格闘技、ざわつく、孤独のグルメ……。やっぱり気がつくと紅白を見てしまっているんだよな。去年は演歌が少なかったような気がするし、何度目だナウシカみたいな感じでけん玉世界記録に挑戦していたし、あ、でもYOASOBIは良かったような気がする。本に囲まれた空間で歌唱するというのは、小説を楽曲化するというスタンスに合っているような気がしてならない。
「わたしは断然笑ってはいけないだよね。まあ、去年は結構変わっていたような気がするがね……。今年はどうなるのかねえ? 去年は是非とも総理大臣が偶然にも同じニックネームになっていたのだから、それを上手く使って欲しかったものだね。政治家を出した割りには、そういうところに行かないのがらしいというか……」
「戦うお正月も面白いですよね。ほら、英語禁止ボウリングとか。あれって今年はやったんでしたっけ?」
入ってきた磐梯さんの言葉を聞いて、ぼくは頷く。戦うお正月と言えば、英語禁止ボウリングが懐かしい。スペアやストライクをするとご褒美があるのだけれど、英語をひとたび言ってしまうと罰金を支払わなければならないのだ。あれ、結構な額が毎年集まっているけれど、わざとやっているんじゃないだろうな……。
「六花は何を見ていたのかな? やっぱり箱根駅伝? いやあ、往路の創価大優勝ははっきり言って予想外だったよねえ。ダークホースなんて言われていたけれど、まさにその通りだったり。青山学院も粘っていたけれどね。でも、最後の最後で逆転されるのはほんとうに可哀想よね……。でも、そういう逆転劇があるからこそ駅伝というのは面白い訳だし」
「な……、何で六実さんはわたしの見たテレビを知っているんですか……!」
「分かるわよ、それぐらい。何なら元日は相棒SPでも見たんでしょう。そして、二日は充電旅、三日はポツンと一軒家辺りじゃない?」
ど定番と言えばど定番のラインナップではあるけれど、幾ら何でもそんなことってあるんだろうか……。
そんなことを思っていたら、六花が少し肩を奮わせていた。あ、図星なのか……。そんな分かりやすいラインナップを見る若者って居るのか。いや、別にその番組の視聴者を卑下している訳ではないけれど。
「お待たせ致しました」
声がしたので、ぼくは振り返った。ちょうど御料牧場で出来たという牛乳を飲もうとしたタイミングだった……。ちなみに牛乳は一本六十円らしい。安い。買い溜めが許されるならあと一本ぐらい購入しておきたいぐらいだ。御料牧場ってぐらいだから、質は高いものだろうし。
やって来たのは、巫女服を着た女性だった。巫女って、分かりやすい格好ではあるけれど、宮内庁に出入りするようなことってあったっけ……。神社本庁はただの宗教組織という扱いだったと思うけれど。
「ええと、警察庁虚数課の方でしたよね……。後はフリーの退治屋の方と。あとこちらの方は……?」
ぼくを見て呟いた。当然と言えば当然だけれど、一番の部外者はぼくだ。
「まあ、気にしないでくれると助かるよ。少年、こちらはさっきも言った通り神霊保安部の……」
「神薙めぐみです。以後お見知りおきを」
ぺこりと頭を下げるめぐみさん。ぼくも名前を告げると――。
「でも分かりにくいのでジョンさんと呼んじゃって良いと思いますよ」
六花が謎のキラーパスを投げ込んできた。何でだ、本名を覚えてもらった方が良いだろうし、特に宮内庁みたいなお堅い場所じゃそれは辞めた方が良いような気がするけれど。
「分かりました、ではジョンさんで」
分かっちゃうのかよ。
「さて、皆さん。ここでは何ですから、事務所にご案内致します。……どういったご用件でしたでしょうか?」
「それは出来れば人払いをした場所でお願いしたいものだねえ。こちらだって一応オカルトの案件であることは間違いない訳だし。それについては色々と言いたいこともあるのだろうけれど」
「……では向かいますか」
めぐみさんは踵を返すとすたすたと歩き始めた。
それを見てぼく達も追いかけ始める。
あれは恐らくついてこい、という合図なのだろう――。しかし、そうであったとしても何というか冷たいような気がしないでもない。
廊下を歩いてしばらく進むと、突き当たりの扉に辿り着いた。
そこには何も書かれていなかったけれど、ノックすることなくそのまま扉を開けた。
続いて六花、六実さん、磐梯さんと入っていく。
このまま立ち止まっている訳にもいかないので――ぼくはそのまま中へと入っていった。
扉の中に広がっていたのはこぢんまりとした部屋だった。八畳ぐらいしかない部屋に机が三つ。そのうち二つは向かい合わせでくっついていて、それより少し離れた奥の位置に一つの机が置かれている。そして狭い部屋の奥にはもう一つ扉が用意されている。……もしかしてここがさっき言っていた神霊保安部の事務所? だとしたら、凄い狭いような気がするのだけれど……。ここには何人勤務しているのだろうか。
「流石にこの部屋で話をするのは狭いような気がするのだけれどね?」
「ご安心ください。この奥には和室があります。普段は休憩スペースとして使われていますが……、そこでなら話も出来ますから」
ああ、そのための扉だったのか。
そう言われたなら、それに従うほかなかった。ぼく達はそのまま奥の部屋へと入っていく。奥の部屋は玄関があって、後は畳が敷かれていた。ちゃぶ台と角にはテレビが置かれていて、そこには映像が――正確に言うとサイコロゲームの三年決戦が――映し出されていた。テレビにはコードが伸びていて、それがニンテンドースイッチのドックと接続されている。そして、ちゃぶ台の傍では一人の少年がコントローラーを片手に遊んでいた。いや、明らかにどう見ても桃鉄だよね? どうして桃鉄を遊んでいるのだろうか……、まあ時間的にはもう定時は過ぎているのだろうけれど。そもそも、この少年は何者だ? どう考えてもここで働いているようには見えないけれど……。
「ちょっと、何やっているんですか」
慣れた様子で溜息を吐くめぐみさん。それを聞いて、少年はメニューを押してホームボタンを押して、ゲームを中断する。
少年は眼鏡をかけていた。目が悪いのにゲームばかりしたらさらに目が悪くなるぞ。ぼくは保護者か、と思いたくなるぐらいだったけれど、実際ぼくの友達にもそういう感じで目が悪くなった人は多い。だからそう注意喚起する訳だけれど。
「何って、ゲームだよ。だって、神霊保安部は仕事がないんだから。あっても書類の整理ぐらい。窓際部署の極致だよ。でも定時で帰るのも何だかなあと思ったから、今こうして遊んでいるのだけれど。あ、めぐみも遊ぶ? 今からやり直しても良いけれど。CPU三人との対決だとつまらないんだよなー」
「……いやいや、神霊保安部はあなたの遊び場じゃありませんから。仕事ですよ、仕事」
「何だって?」
立ち上がると、やっぱり子供だった。背格好はぼくよりも六花よりも低い。明らかに小学生低学年と言われてもおかしくないぐらいの身長だ。にも関わらず、めぐみさんにため口を利いているところを見ると、もしかして年齢はもっと上なのだろうか……。確か身長が伸びない病気とかあったような気がするし、そういう類いのものだったりするのかもしれない。もしかしたら、だけれど。
「……何、憶測で物事を言っているんだ。そういうのが一番悪いって、父親に習わなかったのか? 憶測で物事を進めていけば、必ず障害が立ちはだかる。そしてそういう障害は確実に憶測ではクリアすることが出来ない。それを如何にして乗り越えていくのかが、ミッションでもある訳だけれどね」
小難しい話を言っているようだけれど、しかしながら核心を突いているのは確かだ。しかし、もしかして年齢は上なんでしょうか?
「敬語を使うのは気に入らないけれど……、良いよ、教えてあげる。ぼくは君の予想した通り、年齢は十歳だよ。ただし、他の人よりは違う能力を持っていたからここに重用されたのだけれどね。どんな能力を持っているか分かるかな? 百文字以内で答えてよ」
トリノコシティかよ。
「――もしかしてあなた、眼鏡を付けているのは目が悪いからじゃない?」
六花が答える。六花も会ったことないのか? 神霊保安部はフリーには優遇してくれるんだろ。
「いえ。神霊保安部と直接やりとりしたことは……。メールや電話、郵便でならありますけれど。だってこのご時世ですし。それに宮内庁には入ることが出来ませんから……」
そうだったのか。てっきり六花のような退治屋も入ることが出来るのかと思ったよ、この宮内庁に。やっぱりセキュリティ的にそんなことは出来ないんだな。
「理解してもらえて何より。それにぼくはここに配属されて未だ数ヶ月だからね……。分からなくても致し方ない。それと……君が言ったのは概ね正解だよ。そう、この眼鏡は単純に視力が悪いから装着しているのではない。その逆。見え過ぎてしまうから、付けているんだ」
見え過ぎてしまう?
それっていったいどういうことなのだろうか。もしかして紫外線や赤外線が見えるとか? いや、それだと失明してしまうから、それは有り得ないか……。
「近くて遠い。普通の人間なら見ることが出来ない物を、ぼくは見ることが出来る。普通それを感じることは出来ても見ることは出来ないからね。……まあ、たまに何らかの外的要因で突発的に出てくるケースは稀にあるようだけれど、ぼくもその一人だったりするのかもしれない。いずれにせよ、それが出来ると言うことは才能、或いはハンディキャップなのだからね」
回りくどい言い方をしないでさっさと教えてくれないか。
「回りくどい言い方をするのがぼくの悪い癖だね。申し訳ない。それじゃあ、教えてあげるよ。……ぼくの目は、『見えざる物』を見ることが出来るんだ。それが何処に流れていて、何処に留まっているのかも分かる」