夏休みの少年は少女に出会う
 少年はいじめられていた。
 そこまでひどいいじめではなかった。ちょっと無視された、ちょっと暴力を振るわれた。中学生によくあるいじめ。
 しかし、少年の心は確かに傷ついた。暗い性格になり、外で遊ぶこともなくなった。
 両親は少年の変化にすぐに気がついた。電話でクラスの担任に学校での様子をについて聞くと、少し浮いていると電話越しに担任は話した。両親は少年にも学校はどうかと聞いたが、本人は何も話さなかった。
 両親の決断は早かった。いじめが発覚して2週間も立たないうちに、少年の通う学校をやめさせ、転校させることにした。
 転校先を決める間、少年は祖父の家に預けられることになった。今の環境から離れることで、少年の心持ちも変わるだろうと思ったのだ。
 急に生活することになった孫を、祖父母は快く迎えてくれた。だが、少年の表情はいつまでも暗いままで、祖父母も両親も気が気でなかった。
 そんな日が1週間ほど続いたある日の夕方のこと。祖母にお客さんが来たから玄関に行って迎えてちょうだいと言われて、言われた通りに少年は玄関へと向かった。そこには、少年と同じくらいの少女がいた。
 少女は少年を見てはにかんだ。少年はたじろいだ。祖父の家に来る前から、女子と話す機会なんてそうそうなかったからだ。
「あなたがおじいさんの言ってた男の子?」
 多分そうだろうと思って頷くと、少女は少年の手を取った。少年の心臓がドクンと跳ねた。少女の手は少年の手よりもずっと温かかった。
 少女に手を引かれるままについていくと、公園についた。少女はそこに置いてあった二つのラケットのうち、一つを少年に渡した。そして少女は反対側のコートに立つと、何も言わずにテニスボールを少年に向けてサーブした。
 しばらく運動をしていなかった少年だから、ろくに反応することができず、ラケットは振れたがテニスボールとは遠く離れていた。
 次は少年からサーブしてと言われたから、サーブをしようとするが、上に投げたボールをラケットに当てることができない。しかもラケットに当たることのなかったボールが頭に直撃した時は、運動のできなさに絶望した。
 すると、反対側のコートから笑い声が聞こえてきた。少女があまりのおかしさに笑っていたのだ。しかもお腹を抱えて! 少年は顔が熱くなるのを感じた。きっと真っ赤に染まっていただろう。
 しかし、少女は少しすると落ち着いて、またボールをサーブする。今度は少年も打ち返すことができた。反対側のコートの随分端によったところでバウンドしたボールを、少女は危なげなく打ち返す。打ち返されたボールを少年も打ち返そうとするが、ボールの速度に足が追いつけなくてラケットを振ることもできなかった。
 そんな駄目ダメなテニスを1、2時間ほど続けて、二人はベンチに座って休憩をした。少女に楽しかった? と聞かれてすぐに少年は頷いた。実際、少女とのテニスはとても楽しかった。久しぶりにあんなに走り回った気がした。外で人と遊ぶのが、こんなに楽しかったのかと思ったほどだった。
 それから一言二言話して、その日はそれぞれの家に帰った。次の日も同じくらいに少女が来て、またテニスをして遊んだ。少女と遊ぶのはとても楽しかった。次の日も、その次の日もと少女と遊んでいるうちに、少年は少女のことが好きになっていった。
 だから、少女と初めて遊んだ日から2週間ほど経って転校先が決まったことが伝えられた時、少年は動揺した。楽しい夢を見ているときに冷水をかけられたようだった。それと同時に、今までの時間が夢ように貴重なものだったことを実感した。居心地の悪い学校に行かずに、仲の良い少女と遊んでいるだけで良い訳がないのだ。
 転校先が告げられたその日、少女も少年の様子がいつもと違うことに気づいたようで、どうしたの? と聞かれた。少年は転校先が決まったこと、だからもう遊ぶことができないことを少女に伝えた。すると、少女は少年の頭に手を置き、優しく撫でた。
「不安かもしれないけど、大丈夫だよ。君なら。転校したって、また私みたいな友だちを作って仲良くできるはずだよ。だって今君の顔は――とっても明るいから」
 優しく微笑む少女の頬は、涙で濡れていた。少年はその少女の顔を見て、泣きそうになる。
「初めて君と会った時、君の顔は暗くて、あんまりいい人じゃないのかな? と思ったけど、そうじゃなかった。だから君は――」
 少女は少年の頬に手で触れ、ぐいっと上に持ち上げた。少年の口角が上がって、目は泣きそうなのに笑っていて、変な顔になる。
「明るいままでいて、ね?」
「……わかった」
 少女の手を取って、少年は笑ってみせた。ベンチにかけてあった二つのラケットを持って、そのうち一つを少女に渡した。まるで少女に会ったその日のように。
「きみは……きみはぼくといて、楽しかった?」
 ラケットを受け取りながら、もちろん。と少女は答えた。
「なら、このゲームにぼくが勝ったら、転校しても君に会いに来る。絶対に」
「うん、わかった」
 少年はその言葉を聞くと、ボールを空に向かって投げた。大きく、ラケットを振りかぶり――盛大に外した。重力に従って落ちてきたボールが、少年の頭にぶつかって地面に落ちた。
「――ぶふっ! あははははは!」
 あまりの運動のできなさと決まりの悪さに膝から崩れ落ちていた少年を、少女が反対側のコートでこれまた膝から崩れ落ちて、抱腹絶倒していた。
「まあ、別に君が会おうと決心しなくても、会えるってことじゃないかな。そうだよきっと。だからほら、元気だして」
 すっかり落ち込んでしまった少年を、少女が励ます。立ち上がって、少年は手を出した。
「それじゃあ、また」
「うん、またね」
 二人は握手を交わすと、それぞれの家に帰った。少年は、もう少女に会えなくなると思うと泣いてしまいそうだったが、少女が明るい顔でいてと言ったからもう泣かなかった。
 そして、少年は転校した。まったく新しい学校で、緊張していたが、不安はなかった。
「今日は転入生を紹介します」
 教室で話している先生の声が、廊下にいる少年にも聞こえた。入って、と言われて少年も教室に入った。決して笑顔を絶やさずに。
「はじめまして、僕の名前は――っ!」
 しかし、自己紹介は途中で止まってしまう。なぜなら……
 ――そこに君がいたから。
カット
Latest / 66:03
カットモードOFF